96話 ほんとうの死・嘘の死
アルトメイアの南に向かう道で馬車がとおれる道はひとつしかないため、この道を進めば、ブラッド殿下とあうことができるだろう。
以前に【黒闇の魔女】の城の行き帰りでマデリンと仲良く馬車に乗ったのがなつかしい。
いまはマデリンの馬車のなかで身を縮こめて座っている。
マデリンは馬車が走りだした瞬間ぐらいに寝息をたてて、召使いに抱きかかえられ、寝た。
えっ? いま、寝るの? このタイミングで、嘘でしょう? そう突っ込んでいた頃は、もどってはこない。
いま、寝首をかくこともちらりとあたまをよぎったが、世界最高の魔女であるマデリンに勝てるとも思えなかった。なんなら、この召使いにさえ、勝てるかどうか。
明け方近くにならないと、ブラッド殿下とあうことはできなそうだった。
マデリンは寝て、車内は緩慢な空気が流れはじめた。
肩にいるイタムに首をかたむけて、声を落とした。
「イタム。わたくしの記憶が持つ時間はあと、どのくらいでしょうか」
「12時間前後だねぇ。おそらく、明日の朝頃には……」
「わたくしがいまの状態で死んでしまったら」
「そうだね。魔力が切れているので、過去にもどることはできない。フェイト・アシュフォードはほんとうの死をむかえることになる。私のせいでね」
イタムはマデリンに行動を否定されてから、顕著に落ちこんでいる。
すこしでも、イタムの気をまぎらわせるとしよう。
「ほんとうの死とは、言いえて妙ですね。たしかにこの魔法を使いつづけるかぎり、嘘の死ということになりますものね。ふふっ」
わたくしが笑うと、イタムが不思議そうに首をかしげた。
「嘘の死? ああ、そういうことかい。次の世代に命が引き継がれるから、前の世界からすると死が嘘ってことになるのか。面白いねぇ」
イタムと話すことができると、楽しい時間へ変わる。もっとはやくお話できていればと残念な気持ちになった。
「ほんとうの死とは、文字どおり、死ぬことですね。では、この場合、嘘の死とはどういう意味か。それは記憶を持ち越して、過去にもどるってことですよね。では、そのあと、記憶をうしなった状態で託される次代のわたくしは、どう形容したらよいと思いますか」
「それは、もちろん、約束じゃからな!!!」
唐突に子どもの声がしたと思ったら、マデリンの寝言だった。
「妾は気が進まぬなー。いやー。いやじゃいやじゃ、やりとうないぞー。絶対に口にいれるでないぞ!!!」
でっかい鼻提灯をふくらませながら、だれかと話しているような抑揚をつけていた。ちょっと笑ってしまう。夢でトマトでも食べさせられているのだろうか。
イタムが宝石のような瞳をむけた。
「話のつづきだけどね。次代のフェイトは生きかえりって感じかねぇ」
「それだとちょっとニュアンスが違いませんか。〈次代のわたくし=次のフェイト〉は、いまのわたくしの直前の記憶までは持っているはずですよね。つまり、今回だと、立食パーティまでは。ではいまのわたくしと次のフェイトを分かつものは、体験と記憶ということになります。つまり、それを継承できれば、それはまったくおなじ人間ということになりませんか」
イタムは首をくねくねと縦に動かした。それって考えている時の動きなの? わたくしが笑うと、イタムも口をあけた。
「私はおなじ人間だと思うよ。同じフェイトなんだしねぇ。記憶を保持したままずっと行動できるように、アニエスの時はしていたのだけれど、フェイトに継承する時にいまのようにした。魔法の構築も変えてしまって、もとにもどせないのさ。そうやって過去のやり方を多少は変更する拡張要素も残している。たとえば記憶を伝える方法を変えたり、順番を変えたりの軽微な修正なら可能だよ。もしかしてなにか、現状を打開できる策を思いついたかい?」
わたくしは首をふった。
「別件で思いついたことがあったので。それでマデリンをどうこうすることはできません。正直、打つ手がないですね。ちなみにイタム単体で過去にもどることは? そうか……もどれたとしても、マデリンはすでに過去にもどる力を手に入れている。わたくしたちがどうあがいても、勝てはしないのでした」
イタムはひとが机の上にあごをつけて”ぐでっ”とした格好をするみたいに、肩にあごをのせた。
「私、単体ではもどることができない。魔法の開発は得意だけど魔力量がすごく多いタイプではないんだ。その点、マデリンは歩く魔力湖だねぇ。魔力が尽きることはないんじゃあないかな。いちばん渡してはいけないひとに渡してしまったねぇ。ほんとうに申し訳ないよ。フェイトを助けてくれるって言ってくれたから、信じたんだけど。見透かされていたかなぁ。私がフェイトを助けたいからって手段を選ばず、考えなしに行動するってさ。蛇になって、文字どおり、手も足もでないよ。悲しいね」
「イタム。あまり落ちこまないでください。いいのですよ。わたくしが良いといっているのですから。ちなみに……。わたくしたちのこの力、他の方に継承できませんか? いまの役たたずのわたくしではなく、次の方に託すのです。その方にわたくしたちの力を使ってマデリンを打ち倒してもらう」
「うーん。それはむずかしいねぇ。継承自体はできなくもない。ただし、私と魔女クラスの魔力がそろうのが最低条件。ただし、どの魔女にもこの力を渡したくはないねぇ。第二のマデリンがうまれるなんて、世界にとって醒めない悪夢でしかない」
わたくしは首をひねる。
「だめだ。妙案は浮かばないですね。それにマデリンに気をとられてばかりですが、ブラッド殿下のことをなんとかしないと、アラン殿下と王妃様が狙われます」
「そもそも、そっちをメインでもどってきたのに。マデリンがすべてをぶち壊すなんてねぇ。現実から脱皮して逃げ出したいよ」
目を閉じて舌を出すイタムの顔を、指のはらではさんで、マッサージする。イタムの目がぎゅーと細ながくなる。
「まだ時間はありますよ。一緒に逆転の方法を考えましょう。イタムと相談できて、わたくしはほんとうに心晴れやかです」
「そう思ってくれてよかったよ。しかし、困ったねぇ」
ふたりして、爆睡しているのんきなマデリンを見て、ため息をついた。




