87話 皮肉な運命
「ブラッド殿下のお気持ちはお察ししますが、お母さまの毒の件。わたくしの話を聞いてください!」
「待て、俺から話そう」
アラン殿下が口をはさむ。
「いいえ。そもそもの根本的な問題は皆様のコミュニケーション不足がまねいたこと。わたくしがあいだに入り、客観的な立場からお伝えさせてください。よろしいでしょうか。ブラッド殿下?」
ブラッド殿下のいまにもアラン殿下を殺しかねない殺気はすこしだけ減った。
「君の話なら、聞こう」
わたくしは口をひらいた。それは、王妃様とアラン殿下から聞いた、ブラッド殿下のお母さまに毒を盛ったという話の続きだ。
◇◇◇
「まさか、ブラッドに聞かれていたなんて、ね」
王妃さまがつぶやくように言った。
「では、ほんとうに、王妃さまが、ブラッド殿下のお母さまに毒を?」
わたくしは信じられない気持ちで聞いた。
「申し訳ないことをしてしまったわ」
アラン殿下と顔をあわせ、口をむすんだ。
「どうして、こんなことになってしまったのでしょうか。悲しすぎます。これでは、あんまりにも、ブラッド殿下が……」
「もったいぶらないで、アシュフォード嬢にほんとうのことを教えてやってくれ」
アラン殿下が助け船を出してくれる。
「ほんとうのこと?」
「私たちが毒を盛ったと、笑って話をしていたのをブラッドが耳にした……そうよね? たしかに言った。クロエは舌が異様に敏感だったから、私たちが煎じた薬草を毒みたいな味がするって言っていたのを、亡くなった後に思い出してね。アランとふたりで思い出して笑っていたの。毒の味がするって、あなた、飲んだことあるのってクロエに聞いたら、無いって。無いことがいけないことなのって、悲しげな表情で言っていたわ。それも思い出して、その後わたしは泣いてしまった。一部だけ聞いていたら誤解されてもしかたがないわね。クロエのことは助けたかったけれど、結局薬草ぐらいではどうすることもできなかった」
クロエとは、ブラッド殿下のお母さまの名前だ。
わたくしはうなずいた。
「愚問を承知で伺います。ブラッド殿下とお母さまを会わせないようにしたのは、本当ですか」
「そうよ。クロエからブラッドにあわせないようにしてほしいってお願いされたから。正直、邪魔するのは辛かった。実の親にほとんど会えないのですものね。私も相当な理由でなければ、クロエの願いを聞いてあげようとは思わなかった」
王妃さまは瞳をふせた。クロエ様を思い出しているのだろうか。優しい、そして、もの憂げな表情になる。
「クロエはね、全身に緑色の奇妙な湿疹があって、それはどんどん彼女のからだを侵食していった。実は私は、彼女の過去はなにも知らないの。平民の出と聞いたけれど、北のなまりが強いし、王族のことにも詳しいから、ゴルゴーン王国の没落貴族で事情を話せないのかと思っていた。王から、急に側室だと言われ、腹も立ったけど、なんとなく憎めない人だった。クロエはずっと自分を責めていた。『この湿疹も自分の罰だから、受け入れないといけない。でも、ブラッドには見られたくない。これは、私の罪で、ブラッドの罪ではないのだから。だから、あの子に心配かけたくないし、私のエゴだけど、湿疹が広がった醜い姿を見せたくない』そういわれて、私はプラッドをクロエから引き離して、厳しく育てた。いや、厳しくしすぎたわ。あの頃はアランが王位を継承すると思っていたから、マルクールで貴族になるにしても、どこでもやっていけるようになんでも厳しくした。それは……うらまれて当然のことだわ」
ここまで聞ければ、十分だった。
「ありがとうございます。有益なお話を伺うことができました」
わたくしが別れの挨拶をしようとすると、アラン殿下が引きとめた。
「待て。ブラッドが茨の魔女の線が強いということだな」
「……おそらく、は。ただ、証拠がまだありません」
「俺は切り札を持っている。だから、アシュフォード嬢はこの件から手を引け! わかったな」
「わかりました。すべて殿下にお任せします」
わたくしは大嘘を感情をこめずに言って、去った。
◇◇◇
話を聞いたブラッド殿下が鬼のような形相をしたあと、狂ったように笑った。
「ダメだよ。フェイト。おかしなことばかりだ。まるで、あいつらが毒を盛ってやったと笑っていたところを僕に聞かれたからから、こしらえたような嘘にしか聞こえない。とても信じられない」
「ほんとうのことだ。だが、信じられないのも無理はない。ここに証拠がある。おまえの母からの手紙だ。読め!」
アラン殿下が懐から手紙をとりだした。
顔に、風圧がかかる。
えっ? なに?
わたくしの前でかばってくださっていた、アラン殿下の手紙が2つ、4つ、と切れ、紙切れとなって、ひらひらと落ちていった。
ブラッド殿下が目にも見えない速度で動き、手紙を切り捨てたのだ。
「だからぁ。嘘くさいんだって。僕を馬鹿にしすぎないでよ。もう、誤解でした、ではすまないんだ。フェイトも僕の毒を飲んでしまった。ずっと僕はおまえたちに復讐することだけを考えて生きてきた。どんな思いで、地べたを這いまわって生きてきたと思う? 馬鹿にし、侮辱され、おのれの無力さ、無能さに悩み、母さんにも会わせてもらえず、ずっと死にたいと思っていた。そこに、母さんが亡くなって、突如、僕にすさまじい力が流れ込んできた。おまえだったら、どうする? うらんでうらんで、うらみぬいてきた相手をなんの痕跡もなく葬れる力だ!! そして、おまえを殺せば、フェイトの結婚相手は僕になるかもしれないんだ」
一緒だ。ブラッド殿下はわたくしと同じ悩みを抱えていた。お母さまをうしなったことも一緒で、辛い部分も一緒だった。昔からなんとなくほうっておけなかった理由がようやくわかる。でも、わたくしの目は節穴です。ここまで辛くて、思い悩んでいたなど気がつかなかった。わたくしには見せないようにしていたのですね。
「おまえの母からの手紙だぞ……。どうして、確認もせずに切り捨てた……」
「では、どうして、僕ではなく、おまえが持っている? どうせ、だまそうというのだろう? その手にはのらない。ずっと僕が邪魔だったんだろう? 妾の母さんも邪魔だった。王位継承を奪われるかもしれないって思ったんだろう。でなくては、おまえたちは僕に対してここまでの仕打ちをしないはずだ。おまえらをうらむことで僕は今日まで生きてきた。感謝するよ。兄さん。やっと、この手で殺してやれる」
「違う! クロエ様に頼まれたんだ。10年後に手紙を渡してほしいって。理由は知らない。俺も中身を見ていないから知りようがない。たしかに、おまえには辛く当たってきた。それは……いいや、すべてはいいわけになるな。もういい。解毒して、投降しろ。続きは牢で聞こう」
背中が総毛立つ。
おぞましい憎悪と怒りをまとった目を見て、ほんとうにブラッド殿下なのか、と考えずにはいられない。
「馬鹿だなぁ。死ぬんだよ。今日ここで。馬鹿な兄さんがフェイトに婚約破棄したり、偉そうに振る舞ったり。笑いをこらえるのに必死だったよ。あーあー。無茶しちゃってって思っていた。逆にフェイトはすごかったよ。泣きもせず、わめきもせず、淡々と死後の準備をすすめていた。すごいよ。自分だったらこんなに冷静にはできない。ほんとうに、すごい人だよ。フェイトは」
「そこまでです! わたくしがすごいですって? とんでもない! 辛くて、いつも泣きたくてたまらなかったですよ!!! それでもなんとかしないと後悔するから、頑張って、自分を偽って、鼓舞して、やってきたのです。アラン殿下だって、お辛かったはずです。自分の意図しないことを強制するのは辛いことです。もういいでしょう? わたくしたちを解放してください。十分償ったはずです」
ブラッド殿下は白いフードをかぶりなおして、わたくしから目をそらす。
「ごめんね。フェイト。君にはほんとうに申し訳ないことをした。心から謝罪する。ただ、こいつらは殺さねばならない。そうしないと、母さんはなんのために死んだのか、わからないんだ」
「その誤解の件に関しては申し訳なかった。しかし、フェイトにすまない気持ちがあるのなら、解毒しろっ。いますぐにだ!」
「ほんとうに馬鹿な兄さんだなぁ。やれるならもうやっているよ。この毒は解毒できないんだ。何度も何度も、試した。他の魔法と組み合わせたり、薬草を使ったり、いろんな動物でも試した。でもだめだった。母さんが生きていたら、聞きたかったよ。どうすればフェイトを助けることができるのか。僕がいちばん大切で、一緒にいたい人をこんな目にあわせてしまうなんて。なんて、馬鹿なことをしたんだろう」
ブラッド殿下の頬に光る、流れるものが見えた。




