80話 地獄の蓋が空いている。
――尾行が見つかるなんて、迂闊すぎましたね。
わたくしは歯噛みした。
互いに立ち止まったまま、一歩も動かない。
強い風が、吹いた。
男のフードがはためく。
男はなにを思ったか、くるりと反転して、坂道をゆっくりと登っていった。
――ついて来いってことですか!
「アシュフォード嬢、絶対罠だ。出直そう」
ジェイコブが首を振る。
男はわざとゆっくり歩いているように感じる。それでも、悠長にしていたら、見失う。
「行きましょう。せめて、居場所だけでも突き止めたい」
「アシュフォード嬢! 俺では、魔法を使う相手には歯が立たない。ましてや、相手は魔女なのだろう。尾行だけならまだしも、この戦力では無理だ。危険すぎる」
「構わぬぞ。その為に妾がおる。多少なりとも魔法の覚えがある。そうでなくては、文字通りのただの足手まといじゃて」
胸を張るマデリンをにらみつけ、ジェイコブは逡巡していた。
「騎士殿はフェイトの騎士なのだろう。では、主を自分ができる範囲で守ればよい。妾はそれ以外を受け持とう。それぞれ、できることをやればよい。妾は、フェイトの力になりとうてここにおる」
「マデリン、貴方」
わたくしはマデリンの手をとった。小さくて、子どものような手。
「……ええい。知らんぞ。行くんだな? わかった。頼りにしていますよ。マデリン嬢」
ジェイコブはマデリンの返答を待っていた。
春の風にしては冷たい夜の強風がからだを抜けていった。
「いけない! 格好いいから忘れてました! マデリン、寝ます。すごく寝る子でした!」
口の端から出たよだれをぬぐって、マデリンを揺らす。抱きかかえている召使いは終始無言、無表情で、ただ立っている。
「お、おおお。すまんな。暗い場所にいると、ついな。まったく、ちょうどよくて眠気を誘う、困った気候じゃ。うむ。実に許せぬ」
「だ……大丈夫か。不安しかないぞ」
渋るジェイコブの背中を押して、小さくなった男の背中を追った。
別れ道に出た。木々が風になびき、そよいだ。その影が不気味にわたくしをおおい隠す。
片方の道を上っていけば、王城があり、もうひとつの道は墓地に通じている。
男はゆっくりと歩いて、墓地に向かっていた。
巨漢のジェイコブがガタガタと震えていた。
「ジェイコブは怖いものが苦手でしたね。墓地は死者の眠る、もっともたる場所」
ジェイコブは深呼吸をして、震えを止めようと、自分の手首をつかんだ。
「問題ないさ。アシュフォード嬢によく驚かされていたことを考えていた。俺は苦手だったが、貴方なりのコミュニケーションのとり方だったのだろう?」
「……実は、いまよりももっと大きかった強面のジェイコブが、盛大に驚いてくれるものですから。面白くて夢中になってしまいました。申し訳ありません。あの頃はお母さまもいなくなって時間が経っていませんでしたから、さびしかったのかもしれません」
わたくしは頬をかいた。
「そうだったな。あれからもう……6年か。大きくなるはずだ。俺のことは気にするな。さあ、行こう」
丘の上に立てられた墓地は、男以外はだれもいない。町の明かりが眼下に広がっていた。鳴いていた虫が、一斉になきやみ、静寂に包まれた。
男は1番奥の墓石のところで屈んでいた。
急に姿が見えなくなった。
「なにが起こった!」
腰が引けているジェイコブを引っぱり、突き進む。
墓石がずらされている。男はわざと、そのままにしたようだ。その下は石と木材が渡してあり、階段が見える。秘密通路という奴か。
「いかにもすぎる隠し階段ですね。ここに、茨の魔女が?」
「ううむ。いまのところ、魔力の反応は感じることができぬ。どうする。突っ込むか? それとも、別の案をとるか」
いま王城の兵や宮廷魔術師を呼びにいったところで、茨の魔女を押さえることができるのか。それに、逃げる算段も当然しているはず。すぐに突入しなければ、逃げられる可能性だってある。そうしたらもう、わたくしが生きているあいだに足取りをつかめないかもしれない。
ダメですね。わたくしはずっと茨の魔女に死の首輪をつけられている状態です。
「行きましょう。せめて、顔だけでも拝んでおきたい。申し訳ありませんが、わたくしの最後のわがままを聞いてください」
「ふっ。よいぞ。まさに地獄の蓋があいておる。歓迎の宴が催されるならば、入っていくのが礼儀であろう」
ジェイコブが苦労して、からだを折りたたみ、階段へと入っていった。




