78話 デートと呼ぶにはあまりにも。
今日は休日。ブラッド殿下とのデートの日。
例の薬草を扱う店が休みの為、明日にバルクシュタイン商会から薬草を仕入れてもらうよう、交渉をするつもり。
軽装のドレスにエマに編み込んでもらった髪型で王城のブラッド殿下のもとに向かった。
応接室で待っていてくれたブラッド殿下に挨拶をする。
「ごきげんよう。お待たせしてしまいましたか?」
「いいや。いま来たところ。楽しみにしていたよ。君とのデートを」
そういうブラッド殿下はとても疲れているように見えた。目の下の隈がひどい。それをごまかすように、笑ってくださった気がする。
「早速行こうか。僕のいつも寝ている部屋、見ていく?」
「あ、ああ、あああああー。すごく興味はありますが、今日は遠慮しておきますー」
急な誘いにたじたじとなる。
ブラッド殿下はわたくしに近づき、ブラウンダイヤモンドの瞳でのぞき込む。ブラッド殿下のよい香りがただよう。
「まあ、どちらにしても、その素敵なドレスは脱いでもらうことになるけどね」
「へあ?」
変な声が出てしまう。わたくしは口もとを手で隠す。
「さあ、行こうか」
心臓が早鐘のようになった。
◇◇◇◇◇
「はあっはあっ、はあ」
わたくしは息を精一杯吸い込んだ。
顔じゅうに吹き出す汗をぬぐった。
「だらしないなぁ。僕はまだまだいけるよ」
ブラッド殿下は肩と腰を揺らし、獲物を狙う目でわたくしを射貫く。
「なめられた……ものですね。では、これはどうですか」
殿下の後ろ側にもぐりこもうと思ったら、胸元をつかんで押し倒された。
「ドレスを脱いだ君はとても魅力的だ」
わたくしの鼻先で唇がくっつきそうなほどの距離で話す殿下。
「お戯れを!」
胴を狙ったが、いともたやすく弾かれる。
床に転がって、木刀を構えると、殿下があきれたように笑う。
「まだやるの? これはデートだよ」
「それはこちらのセリフですよ。令嬢を一方的に木刀で叩くのがデートというのなら、汎用性が高すぎるといわざるを得ません」
「この方が喜ぶかと思ったんだ。フェイトはずっと僕との稽古を望んできた。あのふたりにはできないことだ」
「たしかに……嬉しいと思う自分がいて、驚いています。気持ちに応えるためにも、全力で殿下を打ち負かします」
「いいね。これがふたりの愛の形なら、素晴らしいじゃないか」
殿下は指先を自分に向けて、くいくい、と寄せる。
わたくしは木刀を大きく振るう。
受けとめられた。
「一緒にマルクールから逃げないか」
殿下はちいさな声で言った。
「こんな時に言うべきことではないと思いますが。理由を聞かせてもらっても?」
競り合いから生じる手の痙攣から耐えながら、言った。
「茨の魔女から狙われているのは、フェイトだろう。フェイトは茨の魔女からマルクールを守ろうとしている。では、マルクールから逃げれば、マルクールを守ることができて、茨の魔女を好きな場所に誘い出せると思わないか」
その可能性についてすこし考えてみた。
「ちなみにマルクールからどこに逃げるのですか?」
「アルトメイアへ行こうと思っている。一緒に来てくれ、フェイト」
殿下はわたくしの木刀を押し返し、あたまを下げた。
長い時間、そうしていた。
顔をあげた殿下の表情から笑みは消えた。
わたくしに懇願するようにに見つめる瞳はまるで、無垢な子犬のよう。
なぜ、そんな目で、訴えかけるように、わたくしを見つめるの。
「本気なのですね。たとえ、うまく茨の魔女をアルトメイアへおびき出せたとして。いちど、アルトメイアへ交渉をもちかけた時点で、わたくしも、茨の魔女もアルトメイアから逃れられなくなる。そうしたら、マルクールは? アシュフォード家はどうなります?」
「マルクールのことは父上と兄さんに任せる。僕は剣聖で、君は魔女。もしアルトメイアが嫌だったら、どこへでもいける。もしくは僕たちが国を作ってもいい」
互いに王城のなかの道場のなかで立ち尽くした。
わたくしは殿下から借りた運動着を指でつまむ。汗で背中にはりついていた。
なんだろう。今日の殿下は切実で、とても切迫して見える。
「すべては君を守る為だ。わかってほしい。魔女の力の無い君と茨の魔女と戦っても勝てるわけないんだ。君を守る為、国だって捨てるよ。一緒にいこう」
殿下はまっすぐに手を伸ばす。わたくしを見つめて。いまにも泣き出しそうに。わたくしはその白く、長い指を見つめた。
「実は隠しておりましたが、わたくしはすべての魔法を無効化できる能力があります。マルクールにいたままで、いまのお話しを実行できませんか」
大嘘を言った。あと何度、この嘘をさも本当のことのように言わなくてはならないのか。
殿下は震えている。拳をにぎり、顔じゅうに怒りの血管を浮きだたせる。
わたくしは、気圧されて、後ろに下がった。
かまわず、殿下はずんずんと床を鳴らし、わたくしの手首を強くにぎった。
「嘘をつくな! そんな力はないだろう! 君は魔女の力を引き継げなかった、普通のご令嬢だ。だからどうした? それで文句を言う奴がいるのなら、僕が首をはねよう。君を苦しめるすべての元凶から守ろう! 君だけだった。母さんが死んで、僕を心配してくれたのは。君がいてくれれば、僕はいまの僕のままでいられる。お願いだ、僕のそばにいてくれ」
痛いぐらいだった手首はゆっくりと力が抜け、殿下はわたくしのひざにすがりついた。
わたくしは、屈み、殿下の手をとった。殿下が泣きそうな瞳で見つめてきた。
「お気持ちはほんとうに嬉しいです。アラン殿下に婚約破棄をされて、辛かった時から、ずっとあたたかい言葉をかけてくださいましたね。感謝しております。ですが、申し訳ありません。いまは、茨の魔女のことが解決しないかぎり、自分の先の未来のことを考えることができないのです」
「まだ、兄さんや、この国のことを守りたいという気持ちがフェイトにはあるんだね。僕の母さんは、兄さんとあの女に殺されたんだよ!」
わたくしの眉が跳ね上がった。
「なんですって!? どういうことですか! あの女とは、まさか、王妃様のこと?」
殿下はうつむき、いじけた笑いを浮かべる。
「いままで、だれにも話したことはない。あいつらは母さんに毒を盛って、殺した。妾の母が憎くて、王位継承の為に僕も含めて邪魔だったんだろう。いつも、冷たく、残酷だったよ。僕は聞いたんだ。母さんが死んだ後、あいつらが毒を盛ったと、笑って話していたのを。それに、僕が母さんに会いたいといっても邪魔した。自分たちは何度も母さんの部屋に入っていた。そこですこしずつ毒を盛っていたんだろう」
口を挟まず、注意深く話を聞いた。
「あの女と、兄さんが冷たく扱うから、王城で僕はずっとのけ者扱いだったんだ。そうしたらどんな人だって、ブラッドは冷遇されているって思って、近づかないよね。母さんはずっと病弱だったけど、いまとなってはむしろ、毒を盛られていたから、弱っていたのかなって思うよ。ずっと孤独だった。フェイトだけだったよ。僕に優しくしてくれたのは。でも、君は、兄さんの婚約者だった。君が守ろうとしているマルクールはそういう奴らが跋扈する国なんだよ」
わたくしは言葉をうしなった。そのようなこと、いままで、微塵も聞いたことがない。
「最低のデートになってしまったね」
殿下は自嘲ぎみの笑いをたたえ、申し訳なさそうに言った。
わたくしはゆっくりと立ち上がった。
「いいえ。とんでもないことでございます。わたくしのことを考えてくださり、ブラッド殿下のことも深く知ることができました。申し訳ありませんが、行くところがございますので、これで失礼させていただきます」
わたくしは挨拶をし、ドレスに着替え、道場を出て行った。




