60話 待ち人、たくさんくる。
暗幕をめくって外を見ると夜になっていた。塔にいるカラスの目が光り、くちばしをあけたが、その鳴き声は届かない。
ロレーヌ様に案内されて、皆様が休んでいる部屋にいくと、バルクシュタインが抱きついてきた。
「アシュフォード様、ご無事ですか!」
「ええ。ロレーヌ様と……魔法についてお話しすることができました」
「部屋に入ったら、外から鍵をかけられてしまって。なにかあったんじゃないかと心配しました。無茶はなさらないでください。アシュフォード様になにかあったら、あたしは悲しいです」
泣きそうな顔で訴えてくるバルクシュタインを、わたくしも抱きしめた。
「ありがとう。これからは気をつけますね」
イザベラがロレーヌ様に対峙した。
「あの……。フェイトは私の大事な、友達なんです。たとえお母さんでも……危害を加えたら、ゆ、ゆる、許しません、よ!」
生まれたての子鹿のように足をふるわせ、イザベラが言った。
「私に、意見するか! イザベラ!!」
「ひぃぃっっ! ごめんなさい!」
腕で顔をかばうイザベラ。
ロレーヌ様がイザベラをなでた。巨大な手のまえでは、イザベラはちいさな子どもみたいだ。
「よく、言えたわね。どんなに怖い相手であっても、立ち向かわないといけない時はある。私に刃向かったのは、はじめてよね」
「お母さん……」
イザベラは瞳を輝かせ、ロレーヌ様を見上げた。
「ほらっっ、ぼーっとしない! 修行、修行! 必ず1番であり続けなさい。フェイトちゃんと友の関係で居続けるには、互いに高めあわないといけないのよ!!」
「はい、わかりました!」
イザベラが走って部屋を出て行く。
「今日はもう遅いから、ここに泊まってね。色々失礼なことをして申し訳なかったわ。フェイトちゃんは私の娘になったから、心配はいらないわ。全力でお母さんが守りますからね」
ロレーヌ様は部屋を出て行った。
「いったい、なにがあったのですか?」
バルクシュタインから聞かれ、笑ってごまかす。
「取っ組み合いのケンカをしたら、仲良くなって、お母さまの代わりをしてくださるそうです」
わたくしが拳闘家の真似をして、しゅっ、しゅっと拳を振るうと、バルクシュタインが笑う。
「あたしにはわからない、魔女同士のなにかがあるのですね。しかし、黒闇の魔女を味方につけるとは、恐れいります。この後ろ盾があれば、アルトメイアのジョシュア殿下も強引には来られないのではないでしょうか」
わたくしは驚いて、まじまじと見つめる。
「ご存じでしたか? わたくしがジョシュア殿下の妃になるようにお話しがあったのを」
「はい。急にジョシュア殿下がいらっしゃったのはそういう理由ではないかと。それを阻止するためにも黒闇の魔女の元にいらっしゃったのでは?」
「……さすが、バルクシュタインです。見抜かれてしまいましたか」
吹き出る汗をぬぐいつつ、ニコニコとごまかす。そんなこと、みじんも考えておりませんでしたわ。
「さすが、アシュフォード様。慧眼です。次はどんな作戦を考えていらっしゃるのか、お聞かせ願えませんか」
目を輝かせ、まるで憧れの先生を目にしたような表情のバルクシュタインに、わたくしの目はおよぐ。
「いまお伝えしてしまうと、計画が破綻してしまう可能性がございます。後でのお楽しみということにしておいていただけますか」
「す、すみません。とんだ失礼をお許しください」
バルクシュタインがあたまを下げるので、引きつった笑いで返す。
――家に帰ったら、考えなくては! 貴方の期待を裏切りたくないと思ってしまいます! ぜんっぜんっっっ。計画なんてありませんけどね!!
部屋に一泊し、朝になった。往復で4~5日かかり、連休が終わってしまうため、まだロレーヌ様に聞きたいことはあったが、おいとまする。
イザベラの馬車に乗り込み、マルクールへと帰る。
わたくしのひざに乗ったマデリンが言った。
「よくぞ、黒闇の魔女を味方に引き入れたな。正直、難しいと思っておった」
「ありがとうございます。マデリンとロレーヌ様は結局どのような関係だったのですか?」
「ああー。妾が黒闇との約束を守ることができなかったのじゃ。悪いことをした」
マデリンは淡々と言った。彼女の茶色の艶めく髪をなでると、気持ちよさそうに息を漏らす。
「フェイトよ。飼っておる白蛇を見せてはくれぬか?」
マデリンがわたくしに抱きついて甘える。
「やめてくれよ! まえにそいつに噛まれそうになって苦手なんだ!」
向かいに寝転がっているイザベラが顔をしかめ、嫌そうに手を振る。
「イタム次第ですね。人の好き嫌いが結構激しいのですよ」
ドレスから出してあげると、舌をちろちろと出して、マデリンを見つめた。
「イタムとはすごい久しぶりの気がします!」
隣に座るバルクシュタインはちいさな口をあけ、イタムをなでた。澄んだ空のような瞳をとろん、とさせている。
イザベラとイタムの目が合う。
「おいおいおいおい。噛むんじゃねーぞ!」
イザベラはあわてて体育座りをして、縮こまった。
イタムは舌をだして、イザベラを見た。
「なんだ……前と違って、全然怖くねぇな。さては、私に恐れをなしたか! 日頃の修行の成果が出てしまったな」
イザベラは鼻をこすって、くくくくく、と不敵に笑った。
わたくしはため息をもらす。
「前はさんざんわたくしに絡んできていたではないですか。イタムも嫌だったのですよ」
「おまえが無視するからだ!」
口論しているあいだに、イタムはわたくしの腰まできて、マデリンを近くで見ていた。
「妾はマデリンだ。よろしく頼むぞ」
マデリンはイタムに手をのばす。
「マデリン、やめとけ、噛まれるぞ」
イザベラが眉をひそめた。
イタムはマデリンの手が触れるに任せていた。
「驚きました。なかなか人には懐かない子なのですよ」
マデリンはしばらくイタムをなでていた。
「ああっ。そういうことか!!!!!!!!!!」
マデリンが眉を凜々しく動かし、驚愕した。
あまりにもおおきな声で、わたくしたちはマデリンに注視する。
「なにかわかりましたか? そういえば、ロレーヌ様もイタムになにか秘密があるといっておりました!」
しかし、馬が走る規則正しい音しか聞こえない。
ふとももが濡れている? これは……前にも同じようなことが……。
マデリンをのぞき込むと。
――よだれまみれの顔。わたくしのふとももが水染みというより、よだれ染みになっていた。
えっ? そんなに短時間でここまでの量が出せるものですか? 世界地図がわたくしのふとももに盛大に描かれておりますよ? よだれに、強い意志を感じます。
「おっおお! すまんな。こうも暖かいと、起きているだけで大変な労力を要する。お主らが起きているだけで、どれだけすごいことか……妾が……褒めたたえようぞ……」
また、寝てしまったようだ。規則正しい寝息に変わった。
「イタムのこと、なにかわかりましたか?」
「うん? わかったとはどういうことじゃ? 妾はイタムと仲良くさせてもらっただけよ。あと、フェイトの柔らかなふとももが気に入った。ここを妾の城とすることに決めた! 一生住むぞ」
バルクシュタインが笑う。
「マデリン様は、いつも、とても楽しそうですね」
「うむ。実に楽しいぞ。みんなが妾にかまってくれておる。イタムとも仲良くなれた。満足じゃ。イザベラ、イタムを触ってみぬか?」
「いや、遠慮しとくよっ。……だけど馬車のなかでそいつを出しておくのは、許してやる。特別にな」
足を投げ出して、イザベラは片目をつぶった。
「まあ、よかったわね。イタム」
イタムがマデリンのよだれを舐めて、首をかしげた。みんなで笑う。
2日後の夜にようやくアシュフォード家に到着した。イザベラたちは全員寮なので、ウィンストン学園へともどる。挨拶をすませ、家の門をくぐると。
漆黒の長い髪をかき上げたジョシュア殿下がいた。庭に置いていた簡素な椅子から立ち上がった。
「お久しぶりです。アシュフォード嬢。朝からお待ちしておりましたが、随分と遅い帰りでしたね。まさか道に迷われたとか? なぜ、道に迷われた? もしかして、昨日お引っ越しされて、この屋敷にお住まいに? それは迷いますね。私だったら、前の屋敷に帰って、風呂に入って、食事をして、寝るまで気がつかないかもしれません。いや、そんなことありますかっていま、思いませんでしたか? あるんですよ。だって、私はなかなかどうして、おっちょこちょいな男なのでね!」
ジョシュア殿下はその場で膝を折った。ずっとひとりで笑っている。
どのように反応しようか考えていると、暗い庭から、影が立ち上がった。
わたくしは後ずさる。
ブラッド殿下、アラン殿下、シリルがわたくしに近づいてくる。
シリルは当然として、どうして、両殿下までいらっしゃるの?




