38話 待って。わたくしたちは姉弟なのですよ……
夜食が終わって、部屋にもどろうとすると、シリルが声をかけてきた。
「姉さん、ちょっと話があるんだ」
「なにかしら」
アシュフォード家の長い廊下の窓からは、外の噴水が見えた。水の流れる涼やかな音が聞こえる。そこの長椅子にふたりで座った。
「ちゃんとお礼を言っていなかったって思ってさ。お父さまとのこと。本当に感謝しているんだ。ありがとう、姉さん」
シリルは顔をくしゃくしゃにして、笑う。子犬のよう。あたまをなでたい衝動にかられるが、我慢する。彼は立派なアシュフォード家の跡取りだ。
「いいの。姉として当たり前のことをしたまでです」
「ところで、姉さん、非常に聞きにくいんだけど……その、どうなのかな? 最近は」
「最近とは?」
シリルは手のひらをあわせ、言いづらそうにしている。
「元気ですよ! ほらっ。すこし力こぶがでてまいりました」
右腕に力を込めると、うっすらと筋肉のきざしが。あんなに痩せ細っていた腕が、こんなに。
シリルが椅子から盛大に転げ落ちた。
「姉さんは……殿下に婚約破棄されたよね。その後食べる量が増えたり、剣も習っているんだって? いったいなにをしようとしているの? まさか……殿下への報復? 復讐? 闇討ち……」
わたくしは笑いをこらえた。あまりにもシリルが真剣な表情でわたくしを心配しているものですから。
「安心してください。もう、アラン殿下への気持ちはありませんよ。いつ戦乱の世になってもいいように、武芸を極めようかと思いまして。一般的な令嬢の嗜みですよ」
「もうどこから突っ込んでいいのか、皆目見当がつかないよ。まぁ、いまはそういうことにしておくね」
シリルは何度も首肯した。静かな時間が流れる。メイドたちが時折あらわれ、会釈をして通り過ぎる。
「姉さん」
「えっ」
シリルは急にわたくしに近づき、手をにぎった。
「僕は姉さんと婚約したいと思っているんだ」
「えっ? ええ! えーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
屋敷じゅうにわたくしの声が響き、エマが1秒でかけつけた。この場所、わたくしの部屋からけっこう距離がありますよ?
「フェイト様!!!!!!! 大丈夫ですか!!!!!!! くせ者????????」
エマは廊下をくまなく調べはじめた。
「……騒いですみません。いま人生で5本の指に入る驚きがありました」
「あとで教えてくださいね。気になります」
エマが去ってから、シリルはさらに距離を詰めてきた。肩がぶつかり、着ている白いシャツからは良い匂いがして、急にシリルを意識しはじめる自分がいた。
「待って。わたくしたちは姉弟なのですよ……」
「血はつながっていないよ……。僕はずっと姉さんが好きだった。今回の執務の件で確信したんだ。僕には姉さんが必要だって。でも、姉さんは王太子妃になる方。そう思ってあきらめていた。でも、いまの姉さんはだれの者でもない。なら、僕はだれにも渡したくない。好きなんだ。この気持ちはもう、止めることなどできない」
すこしずつ、顔を近づけてくるシリル。このままでは。いけません。
わたくしは扇子をあわてて取り出すと、シリルの顔にぶつかる。
「あ、イタっっ!!」
「あらっごめんあそばせ。わたくしにシリルはふさわしくない。あきらめて、他のご令嬢を探しなさい。なんなら、わたくしも一緒に探してあげます。といいますか、ひとり心当たりがいます」
わたくしはゾーイをシリルに紹介しようかと思案していたところ――。
「そうだよね。こんな僕じゃあ、有能で、かわいらしい姉さんの夫は務まらないよね。ごめんね。失礼すぎることを言って。死んだ方がましだよね」
まるで、捨てられた猫のように庇護欲を刺激される上目遣いで、しょぼくれるシリル。
「あー。違うの!!! 貴方のプラチナブロンドの髪はすごく素敵だし、顔だってすごくかっこいい。それに、仕事ぶりだってお父さまに認められて、前途有望なアシュフォード家の跡取りよ」
「つまり、姉さんと僕は婚約できるってこと?」
シリルはキラキラとした蜂蜜色の瞳でわたくしを無垢に見つめる。
くっっっっっっ……。
「いきなり……言われたので、驚きのほうがおおきいのです。お父さまにも相談しないと……」
「話は聞かせてもらった。フェイトさえよければ、俺は構わないぞ」
えっお父さま?? 急に廊下の角から出てきた!? 死角で話を聞いていたってことですか?
お父さまは葉巻に火をつけた。燻る紫煙が広がっていく。
「フェイト。自分で結婚相手を探せなどと。婚約破棄された直後にひどいことをいってすまなかった。俺はシリルの仕事ができないことにばかりに気をとられ、おまえのことに構ってやれなかったな。もうシリルからおまえへの思いは聞かせてもらっている。それを聞いて、いいかもしれないな、と思った。シリルは優秀だ。フェイトも商才、執務と飛び抜けて優秀だ。シリルと力をあわせて、アシュフォード家を盛り上げていってくれないか」
なんですってぇぇぇぇ!!!!! シリルはお父さまをすでに懐柔していると。普通に仲が良い親子ではないですか。わたくしの望んだことですが、まさか、シリルと婚約することも許可されるとは。
「あ……ありがたいお話しです。すこし、考えさせて頂けますか。わたくし、驚いてしまって」
「うん。僕はずっと待つよ。やっと姉さんと一緒になれるチャンスなんだ」
顔をくしゃくしゃにして笑うシリルから目をそらした。




