24話 美人で、なんでも持っていて、なに不自由ないお金持ちのご令嬢でしょう。貴方は!
放課後。バルクシュタインにダンスを教えにいく。
「たのみますわ!!!!!!!!!!!」
すでにバルクシュタインはバレエのチュールスカートを履いて、踊っていた。プラチナブロンドの長い髪をまとめ、ぴったりとした服からはくっきりと胸が主張していた。背も高く、女性としての魅力にあふれている。
まるで可憐な妖精のよう。アラン殿下にとってふさわしい令嬢だと思わずにはいられない。
わたくしはてのひらを開いたり、閉じたりした。
あ。こけました。
あ。滑りました。
ダンスはまるでダメ。糸のあやつり人形のようにぎこちない。
この方を踊れるようにして差し上げないと。恥をかくのはアラン殿下です。
バルクシュタインの前ではいいでしょう。イタムを出してあげる。
「アシュフォード様。本日もよろしくおねがいします。イタム、元気?」
バルクシュタインはわたくしにあたまをさげたあと、イタムをなでる。イタムはちろちろ、とバルクシュタインの指を舐め、飛び乗った。
イタムから行くなんて。それほどバルクシュタインが好きなのね。
「さあ、イタムと遊んでないで、前回の復習から。はい、ワンツー、ワンツー」
ステップを踏ませる。片足ずつ前に出させた。
彼女に教えているのは、ソシアルダンス。俗にいう社交ダンスという一般的なダンスだ。
これが踊れないと、舞踏パーティー、社交、すべてにおいて、大変なハンデとなる。
――昨日と、全然違う。
見ていて思った。もちろんドがつく下手さ。手も足も別の人間のように不器用だし、壊れたゼンマイ人形のようだけど、あきらかに昨日より、上達しているのがわかる。
しっかり特訓してきたようですね。寝てないのはダンスの練習をしていたからか。いや、執務を手伝っていたのかな。
わたくしは扇子を開く。
「デクノボー令嬢がすこしはましになっているようですが、まだまだアラン殿下とご一緒に踊るには早すぎる。今日もビシバシ行きます!」
「ひぃぃぃぃぃ」
「悲鳴よりも、足と手を動かす!」
バルクシュタインは汗だくになって、椅子に倒れ込んだ。
「汗をふいて、水を飲みなさい。10分休憩!」
「きっつつつつつつつぅぅぅぅぅぅぅ。しぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
荒い息をして、天井を見つめるバルクシュタイン。
わたくしは椅子を近づけた。
「すこし、話をしてもいいでしょうか」
「……構いませんよ」
汗をかいたバルクシュタインには、独特の色気が漂っている。それは、ちょうど少女と大人の中間にしかあらわれない、限られた期間だけ、はっと気がつく美しさのように感じた。
「わたくしの友人、モーガン家がアルトメイア帝国へワイン用のぶどうを船で輸出しようとしています。しかし、アルトメイア側の商会が決まっていなくて」
「それで……。あたしのバルクシュタイン商会を紹介しろ、と?」
「もし、お願いできるのなら」
バルクシュタインは呼吸を落ち着けながら、探るような目を向ける。幻想的な青いブルーサファイアの瞳は、心をざわつかせた。
「モーガン家では厳しいかもしれません。アルトメイアとのつながりがなさすぎます。また、ぶどうは陸路でも輸入されています。ぶどうやワインは鮮度が命。船なら、約1週間ははやくできますが。アルトメイア側のワインの製造工場まで運ばなくてはいけませんし、その選定も必要。この程度の利点ではあたしも父を説得できるかどうか……」
バルクシュタインは瞳をくるくると動かし、考えを巡らせているようだ。
そう言われると思っていた。まだ、ワインを長期間保存する方法は確立されておらず、樽から直接注いで飲むのが主流なので、時間が経つほど美味しくなくなってしまう。わざわざアルトメイアからマルクールのワイン工場の作りたてワインを飲みに来る者もいるぐらいだ。
ここからはわたくしの独断だ。
「アシュフォード家が後ろ盾に入ったら? 当家にはワイン製造工場があります。モーガン家のぶどうを使ってアシュフォードでワインをつくる。ぶどうではなくて、ワインそのものを出荷すれば、バルクシュタイン商会はワインを卸すだけで利益になります」
バルクシュタインがわたくしの膝をつかむ! にたり、と欲望丸出しの表情で笑った。美人が台無しだ。
「いいですね! お金のにおいがプンプンします。アルトメイア帝国でアシュフォード家を知らぬものはおりません。また、マルクールの名産ワインが、時間がかからず納品いただけるのなら、あたしの商会と独占契約でぜひ扱わせてください」
乗り気になってくれたようでよかった。顔にはださないが、ほっと胸をなで下ろす。ここが上手くいかないと、すべての計画を練り直さないといけなかったから。
「さすが、アシュフォード様。あたしが言うことを聞くように、要求をのまないと、ダンスを教えないと脅せばよかったのに。そんなことをせず、ちゃんと双方の利益を提案してくださった。アシュフォード様は商人としても一流になれます」
「買いかぶりすぎです。たまたまですわ」
わたくしは目をつぶり、首を振る。
バルクシュタインは豊満な胸から紙を取り出す。
「では、契約書にサインをくださいますか」
「わたくしだけの権限ではできません。これからお父さまにも話を詰めなくては」
「では、仮でもいいので、サインをお願いします」
「なぜです? わたくしが交渉に失敗したらどうするのですか?」
バルクシュタインは首を振った。
「アシュフォード様は失敗などしません。なぜなら、モーガン家の為に動いているから。貴方はだれかの為になら、自分を犠牲にしてでも動かれる方だからです」
わたくしの頭に血がのぼった。それはアラン殿下を奪われた時から出るタイミングをうかがっていたのだろう。火山のなかでマグマが吹き出るのを待っているかのように。
「知ったような口を! わたくしがいま、どんな気持ちだかわかりますか!!!! 悔しくて……たまらないのです。貴方はアラン殿下の為を思って、ダンスを学ぼうとしてらっしゃる。……きっと、良い方なのでしょう。イタムが懐くぐらいですから! わたくしも……色々と、ほんとうに色々あって……貴方を次の王太子妃として育てようと決めました。それが自分を犠牲にしているように見える、とでも? だったら、もう辞めますわ! 憐れみなど無用です!」
わたくしはイタムを抱いて、カバンを持ち、駆け足で教室を出ようとする。
後ろから手首をつかまれる。
「離してください!」
「離しません」
バルクシュタインは静かに言った。わたくしを哀れむ表情に見えた。その表情さえ、絵画から出てきたようだ。
「なんで、あのとき、笑ったの? 婚約破棄されたとき」
わたくしはずっと思っていたことを言った。許せなかった。あの笑い。わたくしの不幸を心から喜んでいるようなあの笑顔。いま思い出しても腹がたつ。
「アシュフォード様、言葉が崩れてるよ。そのほうがあたしはうれしいけど」
バルクシュタインが泣きそうになりながら、無理をして笑っているように見えた。なぜ、貴方が泣きそうになっているの?
「答えて!」
わたくしの大声でイタムが興奮した。ごめん、とあたまをなでる。
「あのときね。ミラーさんだっけ? あの人があまりにも安い芝居をうつから、笑いを堪えきれなくて。アシュフォード様がいじめなんてするわけないのに。だから、アシュフォード様を笑ったんじゃないよ。ごめんね。あんなに辛い場面で、あたしは欠陥品だからそういうことをやっちゃうの。ほんと、自分が嫌になる」
まるで感情を失ったかのように表情がなくなったバルクシュタインを見つめる。この子はなんなのだろう。こんなにも、恵まれた容姿を持ち、アルトメイアの筆頭商会の娘だというのに、なんで、こんなに空虚な表情ができる?
「美人で、なんでも持っていて、なに不自由ないお金持ちのご令嬢でしょう。貴方は! 欠陥品とか失礼だわ。持たざる者に対して、失礼すぎるわ!」
わたくしにはなにもない。美しい髪も、目も。どうして、こんな容姿に生まれたの。しかも、なぜ無能で生まれたの。これでは、なんの意味もないじゃない。
「アシュフォード様、あたしのこと……覚えてないよね。あの時かけてもらった言葉で、あたしは今日まで生かされてる。あたしも色々……あって、こういう風になってしまったけど。いまはその恩を仇で返しちゃってる。ほんと、ごめん。順番が間違ってるね。あたしは、まずこうするべきだったんだ」
わたくしとバルクシュタインはウィンストン学園ではじめてあったはず。しかも、彼女がアラン殿下の新しい婚約者になるまで接点もなかった。
バルクシュタインは、床に座って、正座した。
いったいなにをするつもりなのだろうか。
そのまま、あたまを床にこすりつけて、土下座した。
「アシュフォード様。アラン殿下と婚約破棄をさせてしまって、大変申し訳ないことをいたしました。謝っても済む問題ではありませんが、謹んでお詫び申しあげます。申し訳ございませんでした」
わたくしは額に手をおいて、ため息をついた。
「……土下座はやめてください。こちらこそ取り乱してしまってすみませんでした。今日はここまでとします。もし、寝ないで練習をしているのなら、それは逆効果なので、ちゃんと寝てください。あなたはアラン殿下の大切な婚約者なのですから。あと、アルトメイアの商会の件、どうぞよろしくお願いします」
「承知しました。今日はお話できてよかったです。ワインの件、アシュフォード様なら必ず成功します。また、明日もどうぞよろしくお願いいたします」
土下座したまま、バルクシュタインはハキハキと言った。
調子が狂う。
イタムがわたくしを見て首をかしげる。わたくしも、首をかしげた。




