103話 最後の悪役令嬢
「記憶はないが、からだがなんらかの反応をしておるな。そう、魔力が切れたフェイトでは、妾の繰りかえしを把握することはできぬと思っておった。おそらく、魔力があったとしても、違和感のようなものしか感知できぬであろうな。だが、過去にもどる魔法をその身に宿す術者には、反応は残るようだ。そのあたりはまだ検証段階だがな。まあ、よい。で? 何回繰りかえしたか、とな? まぁ、今回が初回ではないとだけいっておく。回数などどうでもいいだろう。おまえは回数が大好きだな。妾の魔法の上限も聞いたし、回数になにか強い恋心でも抱いておるのか?」
「わたくしがブラッド殿下に連れ去られたから、繰りかえしたということですか。あんなに嫌がっていた死を何度も繰りかえして? 魔法の秘密を守るべく、わたくしを殺す為ですよね。それであのときはバタバタして、いまさら気がついたのですが、マデリンはすごく矛盾した行動をとっていますよね。よかったら、真意を教えてもらえませんか?」
「なぜ、妾が教えねばならぬ?」
「しょうがありませんね……。アシュフォード家とれたてワインを一年分、提供しましょう」
「ふ、ふぅむ。なかなかでは、あるな。だが……」
「……わかりました。それに、紅茶とわたくし秘蔵のケーキもすべてお渡し……しま……したくな……しましょう……! どうですか!!!」
からだじゅうが拒否反応をおこす。ほんとうは地団駄をふみたいぐらいだったが、固くしばられていて不可能だった。
マデリンの片方のまゆげがぴん、とはねた。
「おかしいな。急にくちのすべりがよくなったようだ。申してみよ」
「マデリンは、どうして、わたくしが飲むべき毒を飲んでくださったのですか」
「そこにワインがあったからだ」
マデリンは哲学者のような顔で、人生の訓辞をたれた。
「わたくしを殺す必要があったのなら、わざわざ毒を飲まなくても。前回取り込んでいるのですよね」
マデリンは片腕をまくらにして、寝転がった。
「まぁ、もうよいな。終わったことだ。引きのばすのも忍びない。妾はフェイトを助けるために過去にもどった。それだけだ」
おだやかに話すマデリンに、あの王城での邪悪さはひとかけらもない。
ほんとうは、言葉どおりに受け取って、よかったよかったで終わらせたいが、そうもいかない。
「では、なぜ、わたくしと敵対し、魔王になるやら、民を間引くなどと恐ろしいことをおっしゃったのでしょう――。ああ、答えはすでにおっしゃっておいででしたね」
マデリンはすでにやる気がなくなっているようで、うつら、うつらだ。片方で鼻提灯を形成しながらも、器用に話だけは進めてくれた。
「そうだ。フェイトが茨の魔女なんぞに気をつかって、前回毒を盛られたことを言わなかった。それで、何度もさらわれてしまって難儀したぞ。妾の介入を許さぬから、考えた結果、フェイトやバルクシュタインがやっている最先端の遊びをやってみることにした。悪役令嬢ごっこだ。つまり、妾を敵と認識してもらうことで、なんとしても生きのびてもらいたかったのだ。それが、黒闇の魔女から頼まれたことであり、エヴァからこの魔法を教えてもらう条件であったからな。これがまた疲れたわ。妾はもう、悪役令嬢など、二度とせぬ!!!」
マデリンは召使いに合図して、わたくしの縄をほどいてくれた。
縄のあとが赤く残っている。まったくどれだけ強く締め上げたのか。
「そういうことでしたか。黒闇の魔女様がそんなお心使いを。ありがたいことです。そういえば、イタムから聞いていたこの魔法の説明だと、出来事は帰結すると言っておりました。妙ですね。聞いたときはそういうものなのかと思っておりましたが、ブラッド殿下は今回、なにをさらっていったのでしょう」
「エヴァめ。なんという雑な説明じゃ。というより、齟齬があるな。あやつはあれでけっこう抜けた天才じゃったからな。補足説明をするならば、たしかに出来事はかなりの確率で帰結しておった。実際にフェイトは何度も茨の魔女によって連れ去られたからだ。だったらそれ以上の強い変化を起こせばいい。今回は毒を盛られたことを本人に告げたことでその閾値を超えたようだ。そうした努力で、フェイトはこの世界までたどり着き、現に、いま、生き残ったではないか。難しいが、出来事を変えることはできるぞ」
「そうか。普通の物事でもそうですよね。強い出来事があるとそちらに引っぱられます。お母さまも何度も戦ってくださったから、賊を撃退できました。この魔法は、何回も死んで、自分が犠牲になるだけの魔法ではないってことですね」
「そうじゃな。それこそ、世界をひっくり返す力を秘めておるぞ。さて、遅くなってしまったな」
マデリンは寝転がっていたからだを起こした。
「フェイトを助ける為とはいえ、このような手段をとってしまって申し訳なかった。すまぬ」
マデリンは岩のうえで正座をして、あたまをさげた。
「あたまをあげてください。わたくしは悲しいです。ほんとうはマデリンの行動が嬉しくてたまらないはずなのに、まだ疑っております。わたくしがもっと強ければ、信じられますのに」
マデリンは首をふった。
「フェイトはそれでいい。それが強みであり、個性だ。それにけっしてフェイトは弱くはない。この魔法を手にしてしまった妾とくらべても詮無いこと」
「そういっていただけると嬉しいです。励みになります。念のためうかがっておきますが、このあと、マデリンはどうされるおつもりですか? かるーく、世界征服しちゃおうかなーとか、思っておりませんか。すごい力ですものね。もはや敵など存在しません」
マデリンは額に手をやった。あきれているようだ。
「全然信じておらぬではないか!!! そんな七面倒くさいことなどやっておれるか!!! 妾は惰眠をむさぼり、ワインをたらふく飲み、そして、だれになにを強制されるでもなく、好きなように生きるのじゃ。そのためにふたつ、やることがあるな。魔女の戦争使用の撤廃。つまりは魔女の解放と、魔女の同盟をつくる。それは黒闇の魔女の願いでもある」
「またそれは、わたくしの願いでもあります」
うなずいた。マデリンが首肯する。
わたくしははたと気がついて、大声でイタムを呼んだ。
「エヴァめ、どうせ近くで様子をうかがっておるに違いないわ」
マデリンが言い終わるまえに、茂みのなかからイタムが飛び出してきた。
「フェイトが心配で、遠くには行けなかったよぉ。よかったね」
事情を聞いてきたのか、イタムはわたくしの肩にのって、頬をこすりつけ、何度もなめた。
「魔女の解放のほうは妾に任せろ。同盟の長はフェイトにやってもらおう。妾には荷が重い。というか、きっと眠い。面倒くさい。それと――」
マデリンは赤い両目を見ひらいた。みずから、鼻提灯を割った。気持ちよい、破裂音が響いた。
「もし、妾のせいで前よりもひどい世界になったのなら、フェイトが妾を討て。それが嫌ならば、正せ! 妾たちはそういう関係ぞ。なにせ、同じ魔法を使うたったふたりの魔女だからだ」
「それが、この魔法を使って実現したかったことですか?」
「ああ。悲願であった。魔女の解放。黒闇の魔女とともに模索しておったが、妾がさきにあきらめてしまった。あまりにも犠牲がおおきくてな。黒闇の奴、それから妾をずっと目の敵じゃ。あいつの為にも、妾が魔女を解放してやらねばな」
思い出したように笑い、マデリンは短い前髪をかきわけた。
「フェイトを助けることができて、ほんとうによかった。どう見えておるかは知らぬが、妾はフェイトをすごく気に入っておった。血族でもあるしな。ただし、もう悪役令嬢だけはごめんだ。よく、こんなことをやろうと思ったものだ。気が知れぬな」
「いえいえ。よいものですよ。悪役令嬢は。一種の生き方です。大抵の悪役令嬢・令息は、たとえひとから誤解されようと自分の正義を信じて貫きとおす、素晴らしい方々ばかりでした」
わたくしがうんうん、と何度もうなずくと、マデリンはげぇ、と舌をだした。
イタムがそわそわとしている。
「イタム、どうしました?」
「そろそろ、時間だよぉ。フェイト……」
イタムが申し訳なさそうにいった。
この言葉にわたくしは弾かれたように空を見た。
すでに朝日は高くのぼって、海岸をまぶしく照らしている。
わたくしの記憶は、ここで終わる。
この海岸で、わたくしは、次のフェイトになるのだ。




