3、谷風 -タニカゼ-
彼女は小さな喫茶店を後にした。
満足気な笑みを浮かべながら、弾むようなメロディの鼻歌をうたう。
ふいにそのメロディが流れるような滑らかなものにかわって、
彼女は歌を止め、もうずいぶん離れた喫茶店を見つめる。
慈愛に満ちた豊かな表情。
それでいて、静かな、語るような声音。
「貴方は…私の唯一の友だった……。地に落ちた今も、
すべてをユピテルに奪われた今も、それはかわらないと思ってる。
……さようなら、ウェヌス」
こじんまりとした街を出て、彼女は声に出して歌を歌い始める。
最初はつぶやくように、自らの足を見つめながら。
かつて稲穂の女神は孤独だった
麦の様に黄金色に輝く髪は天高く空を泳ぎ
ときどき地上へ下りては供物を喜び
けれどそれは遠くの話で
女神は孤独のままだった
ウェヌス、ヴィーナス、アプロディテ
愛と美の女神は名を飽きぬほど抱えていた
稲穂の神より愛される存在であり
彼女のための讃美歌はいつもどこかで響いていた
それでも彼女は孤独だった
稲穂のケレース、愛美のウェヌス
2つの神が天で出会い
ウェヌスは罪を犯した
火の神ウルカヌスそれに怒り
全知全能主ユピテルさえも美に目を瞑ってはいられなかった
ウェヌス・エリュキナ地に墜とされた
すべてを奪われ残ったのは美と慈愛
ただ人間として産み墜とされた
ただ女神ケレース
友を忘れるることはなく
大木の根本、彼女は歌を止め、語りかける。
「……ただいま、ユピテル」
もちろん木は答えない。
「…ああ。人間のように年老いてはいたけどね。
主の予想通り、美しいままだった。
……ウルカヌスに髪を焼かれた甲斐があったようだ」
彼女は微笑む。
かつて愛の女神が浮かべていたのによく似た顔で。
なんとかエンド;
ダメだしコメントお願いします;!