車輪に轢かれて
彼は必死に目を背けていた。それを知り、口にしたら最後、先生や親や、たくさんの大人に怒られるのが怖いから。いや、自分も彼らと同じ普通の人間だと信じたかったから。
神というのは、大抵の場合、信じるに足る、信じるにふさわしい存在、つまりは真実、慈愛、最高善、普遍的正義などを示す。それは、自分は無宗教だと言い張る人間であっても、誰一人例外なく、意識的であれ、無意識的であれ、神と称するものへの“信仰心”を人間は持っている。
かつて、彼は熱心な神学生で将来を有望されたが、大人になるにつれ、自身の中に不道徳で、わがままで、協調性に欠け、虚無的で暴力的なものを見出した。盲目的に信じてきた教義の正体が空虚で、皆が知っているのに、誰も本気にしていないことに気づいた時には、彼は、すでに人生の正道を踏み外していたのだった。
そういったことに気付かせたのは、他でもない“神”であった。しかし、この神は皆が言う神と少し性質を異にするものであった。新しく生まれた神でありながら、原初より存在した神で、その名を“アブラクサス”という。アブラクサスは内在的で、誰の心にも宿っているが、それに気づくには、ある種独特の感覚が備わっていなければならない。この神は、悪を善に昇華させ、善を悪に貶める。現実を歪曲するというよりはコインの表裏のようなもので、狂気的な善意の欺瞞を剝ぎ取り、信仰者に歪な真実の欠片を与える。与えられた者は、その美しさに魅了されるが、誰にも話せず、誰の理解も得られず、自分自身すら偽って、緩やかな痛みと苦しみを味わうことになる。幸福と不幸の渦中にいる彼らの額には、ある印が刻まれているとされる。
さて、そんな風にして彼は、運悪くアブラクサスに見出されてしまった。額の印が明確になるにつれ、教義に疑いと怒りを抱き、無知蒙昧な己の過去を呪った。彼を導かれてくれる先導者が現れることもなく、新たに与えられた“赤い経典”のみを頼りに、かつての友人、仲間、両親、教師、偽りの預言者に決別し、世界と敵対した。