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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

桃色の恋

作者: かきな

 小学校において、給食の時間は小学生にとって二番目に至福の時間である。成長期である小学生にとって食事は体が欲するものであるだけでなく、学校において数少ない娯楽であることも今、この教室を騒がしくしている要因になっている。平時も騒がしいけれど、今日はそれに拍車をかけるように子供心を鷲掴みにする献立になっていた。


「ハンバーグだ!」


 色めきだす教室の中で、隣の席に座る女子も例に漏れずその頬を弛ませていた。けれど、目の前のプレートの上に乗っているハンバーグはどこか薄い桃色をしている。どうやら、健康志向の献立による豆腐ハンバーグのようだ。


 給食当番が配膳を終え、日番が食事の開始を告げるべく教室の前に出てくる。そうして号令によって皆が手を合わせたところで、担任の教師が待ったをかけた。そして、隣の席までくると、その子のおかずの皿を取り上げてしまった。どうやら彼女の親が再三の請求に応じず給食費を払わなかったことが原因のようだ。


 少女は取り上げられたハンバーグを寂しげに見送る。自分の方に非があることを認めているのだろうか、反抗するような素振りを見せることなく少女は俯き加減に視線を落とした。


 隣に座る少女は貧乏なのだ。それは彼女の薄汚れたワンピースが物語っている。解れた袖に取れない黄ばみ、伸びきった襟刳り。あまり服を持っていないのだろう、同じものを何度も着まわした様子がそこに見えた。


 故に、彼女にとって給食に出てくるハンバーグなんてものはご馳走以外の何物でもない。それにどれ程の期待を抱いていたかは容易に想像がつく。


 皆が食事を始める中で、少女は静かによそわれた白米を咀嚼し始める。その姿に同情したわけではない。別に彼女と深い関わりがあるわけでもなく、あくまで席が隣り合っただけの少女だ。けれど、給食というものは皆で食べるものだ。そうでなければ学校単位で同じ献立を食べる必要などない。


 目の前のハンバーグに箸を沈めていく。そうして二つに分けられた片割れをご飯の上に乗せ、プレートに残された片割れを隣りの机にそっと差し出した。


「えっ?」


 突然目の前に現れたハンバーグに驚いて少女は顔を上げる。キョロキョロと見回した後、その視線はこちらに向けられて止まる。困惑した表情を浮かべる少女に、顎で食べるように促す。それを見て意図を感じ取った少女は一転し嬉しそうな笑みを浮かべ、忙しそうに箸を動かし始めた。その挙動は小動物的な愛嬌があり、どこか庇護欲を掻き立てた。


 気まぐれによる行動ではあったけれど、案外悪くない行いだったと我ながら思った。

客観的に見るとその行為は餌付けと呼ばれるものだ。故にその日を境にして、背後に彼女の気配を感じ続けることは別段可笑しなことではなかった。振り返り彼女と目があうととても明るい笑顔を向けられ、どうにも彼女の行為を咎める気にはなれなかった。


 野良犬に餌をやるなとはよく言ったもので、一度餌を貰うとまた貰えると期待し、以来ずっと後を付いて来るのだ。それを彼女に当てはめるのは少々失礼かもしれないが、少女の背中にブンブン振る尻尾が見えてきそうな挙動なのである。


 本来であれば小汚い彼女に付き合うなんて煩わしいことはしないのだけれど、自分のしたことに責任を持ちなさいと、両親に常々言われていたので、放課後には彼女の手を引き、家に招き入れた。


 友人宅に及ばれされたこともなければ、友人もいなかった彼女にとってはどこまでも新鮮なのか、玄関に入るなり、忙しなく首を振り何の変哲もない壁や床を見回していた。


 そんな彼女を始めに連れ込んだのは浴室だった。


 聞けば彼女は週に二、三度しか風呂に入らないそうだ。自宅に風呂が付いていないのか、水道代が勿体無いからかは分からないが、それ故に彼女の身なりが小汚く映るのは仕方のないことだ。けれど、家に上げるからにはあまりに汚いのは許容できない。


「冷たっ」


 彼女の土埃に塗れた髪を洗うと浴場の床を黒ずんだ泡が滑って行く。普通に生活していてこんなに髪が汚れるものかと疑念を抱いたけれど、気持ちよさそうに目を細める少女の顔を見ると、些細なことだと思えた。


 幾分か清潔になった彼女に適当に着なくなった服を与えると、本当にいいのかと疑う様子を見せた。もう着ることのない要らない服だと言うと、着なくなることなんてあるのかと驚いていた。


 その後は部屋に連れて行き、他愛のないおしゃべりを始めた。話したいことがいっぱいあるのか、身振り手振りで精一杯に語りかけてくる。彼女の家の事情が知りたかったのだが、近所の裏山でドングリを集めただとか、川の土手の下で変な人を見ただとか、本当に他愛のない、けれども誰かと共有したかったんだろうと思える愉快な話だった。


 必死に口を動かすあまり咳き込んでしまったりする彼女の様子がおかしくて、久しぶりの笑みが零れてしまったのはこの時間を楽しいと感じたからだろうか。


 日も暮れ、別れ際の彼女は後ろ髪を引かれたように、何度もこちらを振り返り、手を振った。


「また、明日っ!」


 そんな風に大きな声で別れを告げる彼女を見送り家に帰ると、仕事から帰っていた両親が彼女と食べたお菓子の包みが捨てられていない事を叱った。両親よりも先に戻るつもりが、思ったよりも彼女の見送りに時間を使っていたらしい。


 そんな風にして、日々の大部分の時間を彼女と共有していく中で、どうにもそれが日常となっていき、彼女の存在が次第に大きくなっていくのを自覚していた。彼女に向ける感情がどんなものなのか、それは理解しきれていない。少なからず含まれるだろう好意を色に例えるならどうだろうか。異性に抱く恋慕の赤とは違う。同性に抱く関心の白とも違う。言うなれば、その間。まるで百合の花の如くの薄い桃色。どちらにも付かないこの半端な感情に苛まれる時間はどうしてか心底を温めてくれた。


 その日も一緒に学校から帰っていると、正面から高校生だろうか、可愛らしい制服に身を包んだ女の人が歩いて来た。少女は横を通りすぎるまで、その視線を女子高生に向けた続けていた。そうして、どこかその瞳を輝かせる少女に理由を問いかけると興奮気味に答えてくれる。


 どうやらあの制服は近所にある女子高のものらしい。その制服のデザインから女子の人気が高いらしく、彼女はそれに憧れを抱いているようだった。偏差値はそれほど高くないが、私立ということもあり学費が高い。彼女の家庭の経済状況では通うことは難しいだろう。


「たぶん、無理だろうけど……」


 それは彼女も承知なのだだろう。通えないからこそ憧れを抱くのだ。手に届かないからこそ、焦がれる想いに苦悩し、それが心地よいのだ。


 訪れた丁字路の別れ道。彼女と帰路を共にするのはここまでだ。


「またね」


 そう彼女に別れを告げると、今日はいつもの笑顔を返してはくれなかった。それは彼女が初めて見せる笑顔。笑っているのに、口元がわずかに震え、隠しきれない悲哀を見せていた。


「さよなら」


 告げられた別れの言葉はどこか突き放すようで、頬を撫でる早秋の風が心底にあった熱を奪い去っていく。彼女の意図を言及する間もなく、走り去る背中は小さくなり、やがて見なくなった。


 次の日から、隣の席に誰かが座ることはなくなった。放課後彼女の家を訪れた時には、今までもそうだったのだが、尚更閑散とした様子を見せていた。近くで井戸端会議をしていた主婦たちが言うにはどうやら父親が作った借金が膨れ上がったせいで夜逃げをしたようだ。


 夜逃げなんてものは聞いたことはあれど、現実に起きるなんてとてもではないが呑み込めなかった。昨日まで一緒にいた。昨日までそこで生活していた。その存在が一夜にして消え失せるのだから、信じる方が難しいというものだ。


 心にぽっかりと穴が開くという有り触れた言葉でこの心情を表現したいとは思わないけれど、埋めるべき隣が存在するのも確かだ。


 そんな苦悩を知ってか知らないでか、クラスの男子がご丁寧に隣の席に花瓶を供える。ケラケラと笑う有象無象を今までならば気に留めることもなかっただろう。


 しかし、今はダメだ。この席を埋めるのは彼女でなければ許せないのだ。


 立ち上がり、花瓶を取り上げる。活けられた花を抜き取り、中に残った水を彼らに撒いてやった。面食らったように呆ける彼らだったが、我に返った後に激昂して掴みかかってくる。クラスのガキ大将的な男子相手だ。力比べでかなうはずもなく、一方的に殴られるその様子は喧嘩ではなく嬲りに近かっただろう。


 クラスの誰かが呼んできた担任によって止められ、その場は収まったが、それっきりクラスで孤立するようになってしまった。元々浮いていた存在であることは自覚していたが、今回のことが致命的な後押しとなったようだ。


 けれど、それに後悔などない。この右隣に再び彼女が戻ることを期待して、日々を過ごすだけ。


「ああ、そうか」


 何とも女々しい思考に私は初めて気づく。本当に有り触れた表現だ。失ってから自分の気持ちに気づくとはよく言ったもので、この向ける先が無くなった想いにようやく私はラベルを付けられた。


「これは、恋だったんだ」


 その日の晩は私の大好物のハンバーグだった。眼前に並べられた夕飯に、堪えていたはずの涙が溢れてしまった。


 それからの日々は特筆して語ることもない平凡な日々だった。思えば彼女と会う前の私はこんな無機質で面白味のない日々を受け入れていたのだ。そう思うと、私の気まぐれは想像以上に私を変えてしまっていた。


 高校は近くの私学を受験した。小中と共に学んだ学友には愛想が尽きていたからだ。彼らと共に過ごすことで、充足を得ることはないだろう。


 桜が舞う入学式。薄い桃色の視界の中で校門をくぐる時、不意に右隣に気配を感じた。そのどこか懐かしい気配に視線を向けてみると、そこには私の隣を埋めてくれる笑顔があった。


 突然の再会に、私は思ったより冷静だった。彼女がこの学校に入学したことにちょっと安心したりしてとりあえず抱きしめてみたりした。


「わわっ」


 それに戸惑った様子を見せる彼女。どうやら私は冷静ではなかったらしい。数多の人目がある場で抱擁はする奴が冷静であるわけがない。けれど、そんな私の抱擁に応えるように抱き返してくる彼女に私は久方ぶりの笑顔を浮かべた。


 彼女に言いたいことは沢山ある。けれど、この場で全てを吐きだすのは勿体ないと思った。これから再び彼女と歩く世界が始まるのだ。伝えたいことは共有する時間の中で少しずつ伝えていこう。


 だから、ここで彼女に言わなければいけない言葉は一つだけだ。


「おかえり」


「うん、ただいま!」


 桃色の視界の中で、私たちは青春を迎えた。


読んでくださりありがとうございました

よろしければ、感想や批評などくだされば幸いです


タグでネタバレされていましたが、主人公の一人称を用いず描写するという試験的な短編でした。

先入観で主人公を男と認識してもらえると嬉しいのですが、如何せん、必須タグというものに引っかかってしまったのであまりトリックにはならなかったのではないかと思います

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