〜夜景に浮かぶ提灯のあかりってロマンだよね〜
「今かよ」
スマホから流れる耳障りな緊急地震速報の警報が流れるなか、恵介は思わず呟いた。
「せっかく、ラーメン作ったのに」
激しい揺れによりまともに立っていられない。六畳に満たない狭苦しい自分の部屋がみるみるひしゃげていく。東京に越してから7年、新刊が出るたびにずっと買い続けているが一向に終わる様子のない漫画を雑に並べた本棚が、派手な音を立てて倒れていく。
「これは死ぬかもなぁ」
と、自分でも驚くほど間抜けな声でひとりごちた。
せめてひと口でも、と手に持った器に視線を落とす。5分前に作ったばかりのラーメンが入った器は、まだ暖かく、掌はじっとりと汗ばんでいた。暑さによる汗か、死を目の当たりにした緊張からかはわからない。
ただ、茹でたほうれん草、コンビニで買った味玉とメンマ、海苔を1枚のせて軽く胡椒を振ったラーメンは、体がバラバラになりそうな揺れと関係なくウマそうだった。
箸を掲げ、一口食べようとしたその瞬間。天井が抜け、恵介の視界は暗転した。
まだ6月の湿気をだらだらと引きずり、蒸し暑い7月はじめの昼間。
西東京のとある下町に建つ築・50年のアパートが地震により倒壊。
住人のほとんどは外出して無事だったが、飲食店勤務の高島恵介さん(28)が瓦礫の下敷きとなり、死亡した。
恵介にまつわるニュースは、そんな感じでネットニュースにアップされ、一瞬で流れた。
国民は東京で起こった地震に対しててんやわんやで、誰も恵介を気にする余裕などない。
恵介がこの世に残した痕跡は、大量の未完の漫画と、地面に残ったラーメンの痕跡以外、何もなかった。
やがてそれも、アパートの瓦礫とともにきれいに片付けられるはずだ。
ーーーー
体が動かない。起き上がらなければ。
今日は出勤日だ。
だが、隣人のクソやかましいアラームの音はまだ聞こえない。
なら、まだ寝てても大丈夫か。
恵介は徐々にはっきりしていく自分の意識に抗うように、キュッと目をつむった。
同時に、体がひどく冷えていることに気づいた。
「(今年も猛暑のはずなのに、珍しい日だな……)」
そんなことを思いながら、近くにあるはずのタオルケットに手を伸ばす。
しかし手は空を掴むばかりで、一向にふわふわとした懐かしい感触のものは掴めない。
ジャリッ。フニャッ。
砂のようなものと、なにか柔らかいものを同時に掴んだとき、ようやく重たいまぶたを開けた。
そこには狭苦しいアパートの天井ではなく、雲ひとつない青空が広がり、ゲームや漫画で目にするような巨大なドラゴンが悠々と空を飛んでいた。
目線を少し低くすると、今度は新宿にあるコクーンタワーほどの高さがある巨大な木がみっしりと生えて、森を形成していた。
恵介は目を瞬かせ、頭を数回ふってから自分の掌を開いた。
そこには、土と小さな赤いトカゲのような生き物がいた。
「落ち着け。まさか、こいつが火を吹くわけないだろうし……」
トカゲは、待ってましたと言わんばかりにチャッカマンほどの火を口から吐いた。
恵介は思わず目を閉じた。夢ならば、もう一度眠ればいつか覚めるだろうと思ったからだ。
しかし、聞いたことのない生き物の鳴き声、掌の熱さと体全体を包む冷気は、とても夢とは思えなかった。
恵介は目を瞑ったまま自分の体を撫で回し、自分が全裸だったことにようやく気づいた。