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第五話


 翌朝。

 定休日なので、秋人は、私を寝かせたまま、ひとりで朝食を食べて出て行ったようだ。

 とりあえず、写真を撮りに行かないと、と思い立ち、私は流行の開襟シャツドレスを着て、玄関の戸を開けると、目の前に人がいて、お互いにびくりとする。

 徹だった。

 Tシャツにジーンズ姿。ラフな格好だけれど、とても似合っている。微笑まれて、うかつにも胸が高鳴った。

 少しは懲りろ、と私は自分に呆れてしまう。

「映画、行こう」

 開口一番、そんなこと言われて、私は戸惑う。

「今日?」

「俺、非番だし、お前も休みだろう?」

「私、写真を」撮りに行かなくては、と言いかけたのに、私の返事を待たずに徹は、スタスタ歩き出した。いくら何でも強引だと思ったけど、この二日、迷惑をかけたのは事実だ。

  それにしても、昨日の今日である。もう少し何か変な雰囲気があってしかるべきなのに。

 私がお見合いをすることも知っているのに、徹の態度はいつもと全く変わらない。

 そのことにほっとしつつも、寂しくもあった。

「私じゃなく、奈々子さんと行けばいいのに」

「誰?」

「この前、徹に送ってもらったお嬢さん。昨日、デートしてたよね?」

 「してないぞ。兄貴もいっしょにお茶はしたけど」

 それなら、あの時、二人でなく、三人だったのだろうか。

 それにしたって、徹なら他に一緒に行く女性はいそうなものだ。

「映画おごってくれる約束だろう?」

 徹は私の顔をのぞきこむ。あまりに真剣な瞳に私は思わず、視線をそらした。

「……何が見たいの?」

 息を整えて、ようやくそれを口にする。

「高層ビルからの脱出」

「今話題のやつね」

言ってから、私は、少し顔に熱が集まるのを自覚した。

この映画、パニック映画なのだが、もっぱらの話題は濡れ場が激しいということだ。人気女優さんの『体当たり』演技が注目の的なのである。

「うちの職場でも話題なんだ」

「ああ、そうか。消防士の話だものね」

 言われて納得した。職業柄、気になる映画なのだろう。

「まあ、そんな感じな。表向きは」

 徹は、私の顔を見て笑う。

「野郎ばっかりの職場だから、察しろ」

「……そこは秘密にしなよ」

「無理」

言いながら、徹は私の手を握り、雑踏を歩き出した。

 え? と思う。

 胸がドキドキと高鳴る。どうして、私は手を握られているのだろう。

 映画館へ向かう道は、大通りで、車の往来も激しく人通りも多い。

 でも、手をつながなければはぐれてしまうほどではない。

『どうして』

 その言葉は声にならず、私は引かれるままに歩いていく。

 徹の顔を見れば、なんてこともない普通の顔。

 デートはおろか、最近は女友達とさえ、出かけることがほとんどなかった私には、これが「普通」のことなのか、よくわからない。

 そういえば、小学生の頃は、お互い手をつないで出かけたとは思う。これはその延長なのだろうか?

 さすがに26歳の男女が、歩道を並んで歩くという理由で手をつながない、と私は思う。しかし、それ以上の理由が、みつからない。それでも、その手を振りほどくという発想は、頭に全く浮かばず、私たちは手をつないだまま、映画館へと入った。



 映画館を出ると、初夏の太陽が照り付けていた。

 ほんの少し歩いただけなのに、じんわりと汗がにじむ。映画の余韻を全てふきとばすような陽気だ。

「暑い!」

 見上げた空は、濃い青色。ビル街の窓が太陽の光を反射している。

「あー、そうめん食べたい」

 徹が呟く。

「そうめん、そんな季節かなあ」

 まだ少しだけ早いような気もしなくもないケド。

「どうする? お昼、どこかで食べていく? それとも、そうめんなら、月野家食堂で食べる?」

「え?」

 その言葉に、なぜかびっくりしたような表情を徹は浮かべた。

「ん? どうかした?」

「……それって、家で千夏が作るってこと?」

「え? 月野家食堂の料理人は私だけど、何か問題が?」

 そうめんくらいならうちでつくったほうが安いし。私の料理は『徹の母』直伝であるから、徹も食べたことだって何度もあるはずだ。味覚が破壊されるようなものを作った記憶はない。

「……じゃあ、月野家食堂がいい」

「いいよ、あ、メンチカツくらい途中で買っていこうか。他におかずがないから」

「え、ああ」

 暑いさなかにメンチカツというのでは、食欲がわかなかったのか、徹の返事はどこか上の空だった。

 私は大好きなお肉やさんでメンチカツを買った。

「へへへ。晩御飯のぶんまで買っちゃった。秋人、これ、好きなんだよ」

「ふーん」

 興味がないのか、徹の答えはそっけなかった。



 家に帰ると、お昼時で、私はあわてて靴を脱いだ。

「居間の方で、テレビでも見ていて」

「お、おう」

 勝手知ったる他人の家のはずなのに、徹はすぐに上がらずに、どこかぎこちなく玄関を見まわしている。

「別に、何も変わってないよ?」

「そ、そうだな」

 徹の態度が妙におかしい。でも、よく考えたら、ここ数年、来たことなかったせいかもしれない。

 銭湯ふろの方にはほぼ毎日来ているから、全然、そんな気はしないのだけど。

 うちの居住区域はそれほど広くない。台所と居間はほぼくっついているから、居間って言ってもたいしてかしこまったものではない。

 私は、大きな鍋に水を入れて、ガスコンロに火を入れた。

 それから別鍋に細切りした昆布をいれて水を張る。もちろん、長く置いた方がいいのだけど、突然のことだから準備してなかったから仕方ない。

 冷蔵庫から麦茶をとりだしグラスに注いで、鰹節と削り器を持って、居間の方を見たら、徹と目が合った。居間のちゃぶ台のそばから、じっとこっちをみていたらしい。

「鰹節、削ってもらっていい?」

「あ、ああ」

「テレビくらい、つければいいのに」

 私はお茶と削り器を徹の前のちゃぶ台に置いた。

「……いや、別にいいよ」

 徹の答えはどこかそっけない。変だなあと思いつつも、私は料理に戻る。

 冷蔵庫に僅かに残っていた頂き物の筍と乾燥ワカメで煮モノを一品作ろうと思う。メンチカツに、千切りしたキャベツ。あとは、卵焼きがいいかな? なんて頭の中で献立をくみ上げる。

「鰹節、これでいいか?」

 突然、頭の上から声が降ってきた。

 うちの台所が狭いせいか、近い位置に徹が立っていて、私はビクリとする。

「あ、うん。いっぱい削ってくれてありがとう」

 私は削り器を受け取ると、沸騰しはじめたコブだしの昆布を取り出してから鰹節を投入した。

 部屋いっぱいに鰹節の香りが漂う。

「いいかおりだな」

 私の頭の上で、徹が呟いた。

 不意に、私の髪を徹の指にすき上げられ、ドキリとする。

「鰹節、髪の毛についている」

 見上げると、徹がニヤリと笑っている。

「あ……ありがとう」

 息がかかりそうな近さにドギマギする。

 背中に、徹の大きな胸板があたり、抱きすくめられているような錯覚に、顔から火が出そうだ。

「もうちょっとで、出来るから、向こうで待っていて」

 できるだけ平静を装って、そういうと徹の身体が私から離れていった。

 私はこっそり頬をパチンと叩いて、大なべでそうめんをゆで始める。ぐらぐら湯の中で揺れる麺のように、心がゆらめきつづけていた。

第六話は、17時更新予定

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