リアル現実逃避
気が付いたら異世界。
異世界なのは間違いないことと思う。なんせ、周りが良く見える。
太陽がやたら大きくて赤かったり、月がふたつあるのは、いきなり視力が上がることより不思議なことじゃない。今、例に挙げたことひとつとっても、地球じゃないことは推測できる。
夢でもない。リアルさが違う。
バーチャルリアリティーなんて夢物語だ。
誰かの何かの陰謀で、巨大なセットに連れてこられた。巨大な社会実験?映画とか漫画によくあるよね。
「あああ。」
さすが異世界、声の震え方ひとつ違うな。
現状把握のひとつとして、気づく前のことを思い返してみる。
自分は40過ぎのおっさん。結婚歴あり、子供あり。一人暮らし。会社員。メーカー勤めで、技術職。
最近乱視で視力が落ちた。メガネにして視界がくっきりして驚いたものだった。若い頃は視力が良かったが、だんだん見えなくなってきて、仕事に支障をきたしてきたので、初メガネだ。
そのメガネがない。付け始めたばかりなので、良く忘れてたが、直前までつけてた記憶がある。
もったいない、なんて思うのは、世代か、年のせいか・・・
ふたつめ。持ち物。
スマホもない。財布もない。持っていた鞄もない。それどころか着ていた服もない。
その上、ぼろをまとっている。
何それ。誰が着替えさせてくれたのさ。
少し落ち着いて自分を見れば、若々しい。
なんというか、血管が浮き出ていない、肉付きが良い?
おや?右手の手のひらに傷がある。でも、左手の傷はない。
左手の傷は、社会人の新人のころに付けた傷だ。慣れないハーネス加工をしてた時にカッターを滑らせて付けた傷だ。傷より職場の先輩方の対応の方にビックリした記憶の方が強い。報告書とか、安全対策とかをまとめる方が傷の対処より大変だった。
右手の傷もカッターの傷だ。こっちは遊んでての傷で人に語るようなエピソードはない。小学校の頃の話だった。
単純に考えれば、直前の記憶の年齢ではなく、若い体でこっちの世界に来たようだ。
なんじゃそれ。異世界に来るのと、若返るのとどっちが現実的なんだ?
異世界を渡るのは、尋常なことではない。
こっちの世界ではわからないけど、元居た世界には『質量保存の法則』がある。代わりに同じ質量が入れ替わればよいという話でもない、と思う。記憶も物質に依存する。コンピューターだって、電荷の状態で記憶されるし、人の記憶だって似た様なもんだ。
コピーするのだって、状態を読み取るのに質量が必要だ。
どうやって、そんなものを乗り越えたのか想像もできない。
ラノベを読んた分には楽しめたが、現実では、どうやってそんなことになったか、想像もできない。
まあ、それができたら、今頃は科学者になれるな。
それに比べれば若返るなど些細なことだ。
なら、いっそのこと、もう少しましな服でもよいのに。
あー、現実逃避はこれでおしまい。周りを見る。状況把握。
ラノベ情報だが、ゴブリンとか危険なウサギとか、場合によっては山賊や甲冑に身を固めた騎士なんてのも出てくる、かも。
そんなものが出てこなくても、怖い。
昔、山登りのイベント担当になって、下見で独りで山を歩いたことがある。情けないことに怖くて途中で引き返してきた。熊とか猪とかいろんな変な想像をしちゃって、めげた。
とりあえず周りを見渡す。
木がそこそこ密集して生えており、そこそこ起伏があるのもあって、遠くは見えない。
広葉植物だとはわかるが、名前はわからない。生物学は苦手だ。すぐに思い出せるのは、白樺、松、銀杏、柳、そんな特徴のある木だけだ。こんなことになるなら、もっといろいろ覚えておけばよかった。
木々の間に膝上ほどの草が生えてるが、日が当たらないためかまばらで、歩くのに苦労はしない。だが自由に走り回れるほどではない。
こんなところで何かに襲われたらひとたまりもない。
とりあえず、武器になりそうなものを探すか。
棒状のものが良いか、適当な重さの石が良いか・・・
探すといえば、水や食料も必要か。特に水。
寝る場所も必要だ。定番だと、洞穴や木の上が良いと思うが、どうしたものか。別段優先順位をつけなくても良いかな。思いついたものは全部探しておこう。
全部手にもって歩くこともできないから、鞄代わりになるものも必要だけど、どうすれば良いだろ?
そうだ。道を探して、人里を目指すか。
周りに音がない。
気持ち悪い。
風の音は聞こえないが、草がこすれる音がする。上空は風があるのかもしれないが、木々にさえぎられて吹き込んでこないのだろう。
日陰だが寒くはない。夏か?
雨が降っていないくて助かった。
静かな場所で自分だけががさがさと音を立てて歩いている。
突然気が付いたけど、襲ってくれーと言いながら歩いてるようなもんじゃない?
立ち止まって、周りを見渡す。
おっといかん。しゃがんで、耳を澄ます。
手近な枝を棍棒代わりにする。
目で見た感じより軽い。いや自分の力が強いのか?深く考えずに、もっと太めの枝を探し手に取る。長さは片手ほど。
周りに何もいないようなので、とりあえず目につく高い場所を目指す。木もまばらになっているようなので、遠くまで見えるかもしれない。
その後は下って湧き水でも探す。病気にでもなるかもしれないけれど、仕様がない。
沸かして飲めればいいけど、火がない。
そういえば、異世界と言えば魔法だ。それでどうにかできないものだろうか。
幸い、周りには誰もいない。
丹田を意識し、全身のマナを集中する。それを右手に集め一声。
『ファイヤー!』
なにもでねぇ。かわりに顔から火が出そうだ。
それよりビックリなのは、自分じゃファイヤーって言ったのに、口から出たのは全然違う音の羅列。それなのにファイヤーって言ってるのがわかる。何言ってるかって?自分でも何言ってるかわからん。
えーっと、自分が言おうとしてる単語と自分が言った音が合わない。でも、言った音は理解できる。
すんごい気持ち悪いんですけど。
声に出して言ってみる。
『すんごい気持・・・』
「ち」、から後が気持ち悪すぎて声に出せない。やばいね、人と会っても会話できないね、こりゃ。
でも、こんな森の中で独りで暮らしていけるとは思えない。どうしたもんだろうね。
少しづつ練習していくしかない。
とりあえず『ファイヤー』を「ファイヤー」と、音と意味が一致するまで練習しよう。
どっかの英会話教材みたい。自分が言ってる意味が分かるのに、発音がわからないって意味わからん。
高台まで登ると、その向こうは崖になっていた。
霞がかかっていて、遠くが見えないが、遠くの方が光っているような気がする。
日が高いのに、明るく見えるのって、どいうこと?
太陽と月の位置関係から、東と判断する。北半球、太陽も月も同じ公転面、と仮定しての話だけど。仮定が多いな。しょうがない。仮決定ということで。
しばらくすると、光が消えてた。気のせいだったか。
体が軽い。
若返ったせい、だけではないと思う。
これが異世界チートか。なんてね。
運動性能が良いのが自分一人だけならチートだけど、この世界一般性能なら、問題だ。比較相手がいないから何とも言えない。あんまり比較したくないな。
それが人だけじゃなく、獣一般もそうなら一大事だ。地球でも裸なら獣に勝てない。勝てる気もしない。
手に持ってる枝がとても頼りないものに思えてきた。
格闘技は体育の時間にやっただけだけど、とりあえずどこまで動くか試してみるか。
その前に罠でも作るか。
あとは寝床確保だな。
ターザンロープもいいな。面と向かって戦っても勝てる気がしないから、上から攻撃。木の上に石とか置いておいて、なくなったらターザンロープ。これを繰り替えず。よさそうだ。
これでしばらくは生き残れそうかな。