The Second Day「Beautiful World」
「アウトゥル・ク・ルトゥク…?確か、ラグドゥーの使徒、機械で出来た翼だけの天使…人の形を棄てた自由なる空気存在…『天使を動かす羽』、と言われる、あの伝説上の?」
「その通りだ、ケイス。そしてそれが、俺達が携わっている計画の裏コードだ」
「裏コード?計画?何の事だ」
計画…具体的な実態を知らないが、私はその黒い渦の只中に自分が居る事を、よく分かっていた。だがしかし、それがこうやって自己の範疇だけでは無い、人の口から聞かされるとなると、現実としての重みが全く違った。子供が生まれて初めて聞く言葉を鸚鵡返しする様に、或いは何か悪い冗談でも言っているのかとでも言った口調で、私は無意識の内に友の言葉に返答していた。
「表向き俺が関わっている計画が時間超越船の開発、まあ俗に言うタイムマシンって事になっている、と言うのは、知ってるな?」
「ああ…違うんだろ、本当は?」
「まあ、違うとは言わない。時間を飛び越える事には変わりは無いから。ただ、飛び越えるのは未来だけだ、何処かの御伽噺の様に過去には行けない。それも気が遠くなる位の、遥か彼方の未来だ」
「それは…冷凍人間に近いな」
「確かにな。只それと決定的に違うのは、この世界から文明が、人類が消滅しても、冷凍人間の様に管理する側の存在が無くとも、存在を続けて行ける、と言う事だ」
「…どう言う事だ?」
「いいかケイス。よく聞いてくれ。この世界は、もうすぐ終わる。あの狂ったディオニス・キプスが世界を覆い尽くした時点で、もう俺達の世界は一度閉じるんだ」
「な…なんだと!」
「ディオニス・キプス。あれが宇宙船の燃料だなんて話は嘘だ。あの宇宙船事故はこいつをばら撒く為のダミーに過ぎなかった。もうこの国の上の奴らは宇宙になんて期待を持っちゃ居ない。この世界を貪り尽くすまで、ここでぬくぬくしているつもりなのさ」
「…『人ならざるものの血』、か…」
「ああ…あれを開発した奴らの班は俺達科学者連中にもコンタクトを取れない極秘に組織された班だから正確な事は知らないが、あれは人の心を接続してしまう物だと言う噂が有る」
「人の心の接続…どうなるんだ」
「分からない…只、エリクエクの防壁ではディオニスに感染した雨か雪を防げないのは間違いないな。もう2ヶ月もすればエリクエク上空を完全にディオニスが覆う。そうなれば、あの国はもう終わりだ」
「馬鹿な…」
私はもう、何も考えられなかった。機械兵となった子供達が綺麗に整列してエリクエクを目指して行進して行く姿が、脳裏に焼き付いていた。
「俺達の方の防壁も恐らくディオニス非対応型だ。只、宇宙船を爆破した位置がエインエス・アイオゥを除けばハルクト主要国家の中ではアーキが最も離れた位置にある。多分そのタイムラグで、アウトゥルの血塗られた羽根が動き出す事になるんだろう」
「つまり、そのタイムマシンで、この崩壊する世界を生き延びようと言う訳か」
「そうゆう事になるな」
しかし…分からない。人のいなくなる、もう人の地では無い星で生きて、何になるというのだ?
「ケイス、お前、奥さんの事愛しているか?」
「え?」
「俺達は、エリクエクみたいな心の豊かさを生み出す素晴らしい文化に触れないまま歩んできただろ?鉄と火で風景が出来ている様なこの国でさ、そんな他人の心を信じ合うなんて言う強さなんて、持つことが出来ていないんじゃないか?」
「…そうかも知れないな。そもそも愛なんて概念自体、エリクエクの歌姫達に出会うまで、本当には実感した事は無かったのかもしれない。只なんとなく、社会の枠組みの中で大きくなって、社会の取り決め、社会の成り行きで結婚して、そのぎこちない家族と言う守るべき自分の世界から逃げ込む様に仕事に没頭して、この有様だ。何にも変わっちゃ居ない。子供だったあの時から、科学だけを信じて生きて来たあの日から…」
「俺もさ…。分からなかったよ、人生本当に守るものはなんなのか。もっと早くエリクエクの連中に出会えてたら、こんな悲惨な結末にはならなかったかも知れないな」
エリクエク出身の妻。私の事を理解してくれようと、慣れない科学知識を身につけ、私の本当の支えになってくれようとした彼女。私は、その余りの温もりを恐れ、彼女を心の何処かで遠ざけていた。そんな温もりが、突然消えて無くなってしまう事の恐怖に耐えられなかった。なんて、なんて馬鹿だったんだろう。
友との暗い話題からまた逃げる様に、昼時のまだ日の高い空の青をくすんだ研究室の窓越しに見やる。遠くの方の空が、なんだか赤く滲んで見える気がする。あそこに自分達が見つけた本当に美しい世界が、壊れていき悲しい歌を歌っているのかも知れない。だが、瞬きするとその赤はもう無かった。全てが夢の中の出来事だったらどんなに素晴らしいだろう、
「この悪夢は、いつまで続くんだろうな」
しかし、友の重たい一言が、ここが現実の一番醜い場所である事を冷たく物語っていた。




