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Singalio Rou' Sel' fier-Autrue ch Rutuc  作者: 篠崎彩人
第二週「人を見た天使」

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12/30

第五曜「不快症快楽主義者」

 ぶるぶる揺れていた白夜の揺れが収まると、今度は骨の間のざわめきが強くなる、それまでと同様母の揺り篭の中で揺れている事を止められない快楽希求の赤子共が自分で自分を慰めようとする、文字通り自慰行為を始めてしまった所為だ。ボクは両手で両の耳を思い切り潰す様に押さえ付けながら何事か叫んでいる、耳を潰すばかりに押さえている訳だから当然自分が何を叫んでいるのかは分らない、いや恐らく耳を開放していた所でその滅裂な音波周期の不協和音の意味する所は今現在の脳に処理できる情報の範疇に無いだろう、何故そんな風に自分を他人の様に客観視する、つまり客観視する事で、自分がそうでありたくない自分に変哲している時にそれを相応量他人の仕業であると置き換え転嫁する事で純粋に自分でしかない自分といまや他人でしかない自分とに自分を二分し前者を後者を侮蔑出来る高みに上らせ一時的に自分の純粋培養を計る行為をしているのかと言えば、ボクが骨の代弁者そのものとして身体的に機能させられている、その事実を許す事が出来ないからだ。骨達は赤子の様な振りをしてその実赤子ではない、そんな不自然で動物的に不整合な存在の行為が事実として厳然たる現実として眼前で繰り広げられているのならばまだ良い、健全な自分が気を確かに持たぬ他者を同情少々軽蔑少々安堵少々快楽大半に見守っているのならばそれは不健康ながらシンプルな娯楽の一時として片付ける事が出来るだろう、だが今のボクの現実を厳然と支配する事実的存在とは健全な不健全とでも言うべきものだ、健全な何かと不健全な何かに主語述語の立場を与えられない状況、必然的に一人称で事が完結しているという事になる、健全な自分と不健全な自分、でも無い、健全で不健全な自分だ、これは自分を健全だと考える反経験論的自己信頼レベルでも構わない、理性は健全だ、不健全な理性はもはや理性では無いからだ、何かを健全不健全と識別できる健全な理性さえ備わっていれば、このボクの様に最低限それさえ有ればこの今の状況のセンチメンタリズムが分かる、つまりここには他者が存在しない、狂った自分と狂っていない自分しかいないと言う事だ。狂っていない自分は本当に狂っていない、この両者を別々に認識してしまう時点でボクの理性は絶対的に正常なのだ、そして狂った自分とは、狂っていない自分が認識する狂っていない自分以外の存在、即ち他人である、がしかしまた同時に狂った自分でも有る、と言うより本来的には狂った自分とは狂った自分でしかないがそれを客観視する事しか出来ない為やはり他人だ。ここで客観視する事しか出来ない、と言った、客観視する、という能動では無い、受動的能動、強制だ、正確にはボクが骨の代弁者そのものとして身体的に機能させられている、その事実を許す事が出来ないのではない、その事実を許す事が許されていないのだ、何故なら、狂った自分を許す人間は狂っているからだ、そしてボクはどう足掻いても狂ってはいないのだ。能動的行為にセンチメンタリズムを持つのは只の馬鹿だが強制してさせられる行為にはセンチメンタリズムを持ち込むより他無い、自分が悲劇のヒロインであると言う甚だ鼻白む自己評価が不甲斐無くも気持ち良い瞬間が今、と言う訳だ。

 赤子の様な振りをしてその実赤子ではない骨達は、狂った自分は段々自慰の最後の瞬間、射精へと近づいていく。そして次々に思い思いに射精をして、射精そのものになっていってしまう。これら骨は、実際骨ではない。自分達が確かな死を迎えられなかった、つまり父になれずに死んだ未練が彼らの死後存在である精子を確かな死の象徴として骨形状に固形維持しているだけなのだ。骨になりたかった、否、骨になった積りで自分を誤魔化し自己補完して幸福な終わりを偽造していた彼らは結局は簡単に偽りの存在である事を暴露してしまう、蠱惑的に揺れる母の乳房の前では。そしてボクの口から次々に出てくる情熱の愛の叫びは彼らの母への思いの丈は彼らの固く鎖された精神の防壁を破る、父に成る為に自らが拒絶せねばならないはずの母親のあまりの優しさに思わず喜び勇んで口づけしに抱擁しに同化しに死にに行ってしまうのだ。そうしてこちら側から眺めている客観的な自分、狂っていない自分はそんな感動の対面が間抜けなポップコーンの様に弾けて崩壊する骨精子とそれを抱き上げる奇妙な色白の全裸の母親によって演じられている一幕を延々見せられうんざりしている。あたり一面弾ける精液の匂いと温みと粘り気とそして色で一杯だ。だがこれだけ精液に囲まれてみてもボクは精液と言う物を全く知らない。精液を知る事が出来るのはそれを出す事が出来る者のみだ、精液の匂いや温みや粘り気や色や味を知った所でそれは結局外的な周囲の事であり根本的な部分とは全く関係が無い。根本的な所とはつまり、精液の快楽を知っているかどうか、である。そしてボクは出す側には無い、父親になる存在のはずがそれを出せる能力を備えてはいないのだ。それどころか色狂いの雌犬の様に全身を垂れる精液に任せたまま愛の言葉を叫び続けている。ボクはそんな喜び勇んで死んでいくかつての同胞達を見ながら恐怖に怯えるその他の骨達を代弁して涙を流していた。

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