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例えばこんな内緒話

作者: 深見

※『例えばこんな婚約破棄』(http://ncode.syosetu.com/n5992cj/)を踏まえないと意味が分からないと思います。

※活動報告のコメントで、妹の元婚約者ざまあが見たいです!と言われたんですが何故かこうなりました。

※主人公は恋愛しません。

 さて、お集まりの皆様。

 此処でお会いしたということは、私の脳内つぶやいたー(但し長文)に再びお付き合いいただける、とのことでしょうか。

 意味が分からないという方はログを見てくださることをお勧めいたしますが、とはいえ、こちらも随分お久しぶりなのでここらでさくっとあらすじをば。

 乙女ゲームのメインヒーロールートにおける悪役の姉に転生した私は、暫し混乱し葛藤いたしましたものの、此処が二次元だろうが三次元だろうが私にとっては『現実』、温かな家族を大事にしたい、という結論に達しました。

 可愛い妹を悪役令嬢にするのも優しい両親が窮状に陥るのも忍びなかったので、妹の価値観と人間関係を着実に広げていくことにより、ツンデレ天使は何処に出しても恥ずかしくないレディへと成長いたしました。

 これで執着心ゆえの悪役化は何とか回避できるだろう、と安心したのもつかの間。

 ヒロインさんは、妹の婚約者、つまり俺様系メインヒーロールートを進んでしまい、その上なんと妹の婚約者殿はよりにもよって公衆の面前で婚約破棄宣言。手順をすっ飛ばした挙句ウチの天使を晒し者にしてくれやがりまして。

 ………失礼、言葉が汚くなってしまいましたね。

 妹はそんな短絡的なお坊ちゃんのことを純粋に慕っていましたので、泣きそうな顔で、お幸せに、と告げたのみ。ウチの子マジ天使。

 とはいえ私どもの面子に泥団子どころか白手袋叩きつけてくれたも同然なので。

 まあ、波乱がないとはいかないわけです。



「お嬢ー」

 私は資料から顔を上げました。

 パソコンの画面とにらめっこしているのは、遠い分家の出身の青年。このままなら将来、跡継ぎとなる私の秘書になってもらう、そういう立ち位置の人。私の中では補佐で兄のような存在にして唯一の同志、といったところでしょうか。まあその辺りは追々語りましょう。今は用件を聞くのが先なので。

「例の若君の姉上からメール来てますよ」

「どうぞ開いてください」

「おk」

 独特の返事の後、ウイルススキャンなど一通りの手順を踏んでいるのでしょう、タイピングやクリックの音が連続し、暫くして彼は顔を上げました。

「要約すると、若君とヒロインさんを別れさせたらもう一度婚約してくれるか、ってお花畑なメールでしたー」

「丁重にお断り申し上げましょう」

「デスヨネー」

 一応目を通しますが、彼の要約通りの内容でした。ヒロインさん一人を生贄に何とかこっちの機嫌を取ろうとしているような――まあまあなんというか、お話になりませんねえ。

 食堂事件に関して彼女に罪がないとはいいませんが、どちらかといえば愛する恋人がそれほどまでに自分との将来を考えてくれている、ということに舞い上がって深く物事を考えられていなかったように感じ取れます。あくまでやらかしたのは主に妹の元婚約者であるのは変わりなく、それでヒロインさん一人を悪女に仕立て上げたって、今更無駄でしょうに…おめでたいこと。

 そんな風に呟いた私に、彼は面白そうに眼を眇めた。

「妹可愛さに折れるんじゃないか、って思ったんじゃないですか? あちらの方々、若君一筋なご令愛も、お嬢とご令愛の仲の麗しさもよくよくご存知ですから」

 因みに、彼は妹のことを『ご令愛』と呼びます。他人の息女に対する尊敬語であり、多少堅苦しいですが、とどのつまり『お嬢様』と言っているのとそんなに変わりません。……それでいて何故私には『お嬢』だなどとほんのり堅気でない気配がする呼び名を使うのかは、ちょっと謎ですが。

 さておき、ふむ、否定しようのない姉馬鹿である私が、妹の一途な恋を叶えてやりたいと復縁を了承するのではないか、という計算――あり得ますね。単なる考えなしじゃないってことですか。

 とはいえ。

「『妹を尊重してくれない不貞野郎にどうして改めてウチの天使やらなきゃいけないんですか馬鹿なの死ぬの?』って突き放されるに決まってるでしょうにねえ」

「大体あってます」

 正鵠を射ている、と言っても良いでしょう。さすがです。

 だって今回の件、妹の元婚約者殿――もう長いので補佐の彼に倣って『若君』とでも呼びましょうか、あの若君が妹を大事にしてくれないのは火を見るよりも明らかじゃないですか。あんな堂々とした浮気宣言に公衆の面前での婚約破棄なんて……相手が傷つくことくらい、ちょっと考えれば分かるでしょうに。

 家の繋がりではなく個人としての愛を選ぶというのは、嫌味抜きで大変な英断だと思いますが、しかしやり方が如何にも不味過ぎました。『名家の御曹司』としてではなく『自分個人』として一緒になりたい、と思った人がいるならば、どうして妹のことも『個』として尊重してくださらなかったのでしょうか。まあ婚約者を、恋人との幸せな未来のために乗り越えるべき『家』の象徴に見えたという可能性はありますが…そんなのご両親やご兄弟とやりあってくださいどうしてウチの天使を巻き込んでくれちゃってるんですか。

 ……ちょっと苛立ってきたので、「彼には幸せになって欲しいの」と泣きはらした顔で微笑んだ妹を思い出します。

 癒されました。私の妹マジ天使。

「それぐらい堪えてるってことじゃないですか?」

「手を引いたのが父さまだけじゃないことに、ですね」

 あとは本契約だけだったのにお相手側から突然やんわり断りが入るとか、もっと直接的に「もうあんたのところの仕事は請けない」と言われたりとか…聞き及んだだけでも相当なダメージを食らっているでしょうね。

「お嬢、そのことで眼鏡君に難癖つけられてましたよね」

「そんなこともありましたねえ」

 彼の言葉で思い出します。

 若君の幼馴染、親友でありライバルという立ち位置。まあぶっちゃけ攻略対象の一人に絡まれたんです。私たちが圧力を掛けたんだろう、みたいなことを厭味ったらしく、過激に非難してくれましたね。心外でした。まあスルーすると後々面倒の種になりそうだったので、きっぱりはっきり否定して、プライドの高い思春期男子が逆上しない程度にやんわりと正論を流し込み、最後には納得の上お帰りいただきましたけれども。

「いやあ、知的腹黒眼鏡枠がまんまと勘違い、って思うともう無様で。俺の心の中は大草原でした」

 ええと「草が生える」は「笑える」くらいの用法だったと思うので、つまり…大爆笑だったってことですね。

「あなた、彼と仲悪いんでしたっけ?」

「いえあんまり知らないですけど、俺はイケメン爆発しろって常々思ってますんで」

「実現したらとんだテロ社会ですねえ」

 やれやれとわざとらしく肩を竦めます。

 ええ、今の流れで分かると思いますが、眼鏡君の嫌味は物凄く的外れでした。

 私たちは何もしていませんから。

 いえ、父さまは弁護士の先生とよく話し合っていますが、慰謝料を求めるのは当たり前でしょう。

 姻戚関係になることを前提にしていた契約はおじゃんになりましたが、こちらも当然のことでしょう。

 あと私が動いたことといえば、妹を不利にするような根も葉もないゴシップ潰しと、傷心の妹に付け込んで何やら企む連中のあぶり出し、くらいでしょうか。まあいくら純真で天使な妹だって令嬢ですから、立場上、ある程度魂胆を見透かして適当にあしらうことぐらいは普通に出来るんですけど…「優しさが下心ってわかっちゃうのが、今は少し辛いなあ」と呟いたのを姉は聞き逃しませんでした。まあ害虫駆除を少し手伝うくらいは過保護にならないでしょう、家族ですし。天使を助けたくなるのは当然ですし。

 というわけで、私たちがしたのはかなり理性的な、当然のことばかりだと自負しています。無論周囲に圧力を掛けるなんてしていません。

 他の方々は自主的に手を引いたんです。

 下請けをやってくださるような、所謂中小企業の社長さんたちの中には義理人情を一番にするという方も一定数いらっしゃいます。惚れた腫れたは仕方ないとしてもやり方ってもんがあるだろう、嫁になるはずだったお嬢さんにすることじゃない、なんて嫌悪を露わにした社長さんもいらしたみたいです。

 でも何より、この社会では、婚約というのは婚姻と同様、法律上の契約関係です。それを段階をすっ飛ばした乱暴な方法で破棄したとなれば、社会的な契約を軽視していると知らしめたようなものですよね? ……ええ、かの若君はすっかり取引先の信用を失ってしまったんです。一方的な婚約破棄なんてことを平気でしてしまう御曹司だ、自分たちとの契約も軽々しく扱うかもしれない、と考えた方々は、一斉にかの家との距離を取り始めた、ということ。

 さすがに此処までは若君も計算外、おそらくそこまで思考が行き着いていなかったのだと思われます。あちらの家の方々も此処まで波及するとは思ってもみなかったのでしょう、届くメールその他の内容がだんだん必死になってきています。といっても、仮に、あくまで仮にですが、妹と復縁したところでやらかしたことはやらかしたことですので、どちらかといえば悪役扱いを軽減したい、といったところでしょう。

 でも、ですね。

「そんな提案、ご令愛を都合の良い女扱いしててこちらの怒りを買うだけだって、ちょっと考えたら分かりそうなもんですけどね」

「全くです」

 恋人と別れさせるからもう一度、というのがふざけているようにしか聞こえません。

 婚約破棄されて、それを『一時の気の迷いだったから』で復縁だなどと…妹がまるで都合の良い道化じゃないですか。それくらいならラブロマンス突き通してもらったほうがよっぽどマシってものです。

「全く、あちらのお家は揃いも揃ってウチの天使を虚仮にしてくれてますよね?」

「お嬢はホントにシスコンですよねえ」

「否定しません。でもウチの子が天使だということに異論があるならば受けて立ちます」

「いえどうせ時間の無駄にしかなりませんしおすし」

 彼は遠い目をします。まあ彼がこんなに気安い、俗っぽい口調をするのは、仲間意識のある私の前だけのようですし、逆に私もほかの人を相手しているときは脳内で終わらせる妹の天使呼びについては、彼の前で口に出すことにしていますからね。

 ちょっと苛立ったので、マフィンを齧ります。

 触感はもふりと柔らかく沈み、バニラの芳香がふわりとほどけます。ううむ全方位私好みです。いえ、妹が作ったものという辺り、随分と贔屓目が入っていることは否めませんが。「練習で作ったものだけど、姉さまが欲しいなら、その、あげる!」と頬を少々紅潮させながら差し出してきた妹はホントに女子力高くてマジ天使。安定のお嬢、という呟きはさらっと流します。

「さておき、当主様はダメでもお嬢なら、って、イイ感じに見くびられてますよね」

「小娘だからですけどね」

 我が家は今回の一件が起こるまでは頗る平和…とはいかないまでも、ほぼ確定的な後継者とはいえ未成年の私が目立つ動きをする必要はなかったのです。私の跡継ぎとしての能力は平均ラインで、見せるほどの才気もなかったのもあります。人当たりさえ良くしていれば、ああだこうだと周囲に言われるようなことにはなりませんでした。男性ならば、あそこの坊ちゃんは軟弱で仕方ない、とか、あの跡取りは腰抜けでどうしようもない、とすぐに言われて干されるような態度でも、女の身なら然程のイメージダウンになりません。…いえ、もっと言えば、スタートラインから侮られていると言いましょうか。あそこは女だからいずれ婿を取ればいい、みたいな妙なハンデが与えられてるんですよね。少なくとも、火消しに困るほどの評判を立てられたことはありません。

「まあお嬢は傍から見れば『刺激は少ないけど出過ぎない女』に見えますからねえ。どうしても評点が甘くなるんじゃないですか?」

「どうして男性って女性に夢を見たがるんです?」

「自分とは違う生き物だと思ってるからですよ、お嬢。動物番組に出てくる仔犬や仔猫がやたらあざといアテレコされてるようなもんです」

 彼も大概、身も蓋もないことを言いますねえ。

「俺は姉がいたから何となく分かってるつもりですけどね」

「あら、そうなんですか? 初耳です」

 人付き合いの一環で、分家の人員はほぼ把握しています。彼に姉と呼べる人間は居ないとは知っていますが、嘘だとは思いませんでした。

 何故って。

「ええ、っていうか、元々『このゲーム』は姉がやってたものなんですよー」

 ………さて。

 こんな発言が出たからには、そろそろ種明かし、というか説明をするべきでしょう。


 彼もまた私と同じく転生者です。

 成長途中で思い出し、かつほぼゲーム知識の持ち越ししかしていない私と違い、彼はほとんど生まれた時から前世の自我を引き継いでいた、とのことです。「成人男子の精神でリアル赤ちゃんプレイとか折れそうだった俺が通ります」と遠い目で語った彼には同情を禁じえませんでした。「何の世界か気づいたときには『ギャルゲーだったら可愛い娘も知的な美人もエロいお姉さまもいっぱいいただろうに! 乙女ゲームじゃあ野郎ばっかりハイスペックじゃねえかああ!』と床ドンしちゃいましたてへぺろ」と続けられてその同情もほぼ霧散しましたが。

 折角ですし、私と彼の出会いもお話いたしましょうか。

 『思い出した』ことによってかなり不安定な精神になっていた時期がある、と以前お話したと思います。

 ええ、一度はお医者様に縋ろうかと思ったことがあるくらいです。“前世の記憶”が思春期に差し掛かった私の妄想だと完璧な理屈で解析されれば、それはそれで私は救われたのでしょうから。いや、本当は駆け込むべきだったのでしょう。ですが、私は大好きな家族に失望されたくなかったのです。娘が、姉がおかしくなったと思われて、嫌われてしまったらどうしよう…そう、最後の最後で、躊躇ってしまいました。

 塞ぎ込んだ私を見かねてでしょう、学校の夏休みを利用し、両親は避暑という名目で、私を隠居した曾祖父夫婦の元へ預けました。それは厄介払いではなく、いつもの環境から離れることで少しでも気を晴らすことができればという両親の愛情だと、ちゃんと伝わっていました。ああやっぱり煙たがられているのかもしれない、とマイナス思考に陥ることは否めませんでしたけれど。

 曾祖父ひいじいさまは物静かで教養が深く、曾祖母ひいばあさまは朗らかで優しく、そしてお二人とも愛情深い方たちでした。曾孫とはいえ、いえだからこそ、当時の私は陰気でもどかしくてどうしようもなかったでしょうに、根気強く見守ってくださいました。

 そして、その家で、私は彼と知り合いました。

 本家筋のこちらからしてみれば、彼は分家の分家と言われるほど遠い親戚で、それまで存在を知ってはいても会ったことはありませんでした。けれど、近所に住んでいた曾祖父夫妻と彼は、当然のように交流がありました。得てして地縁は血縁より濃いものです。お年を召してもお元気だったとはいえ、人を使うこともない静かな二人暮らしを心配して、彼の家族はよく顔を出していたそうです。

 いつものように遊びに来た彼は、年が近かったためでしょう、当然のように私の相手をさせられることとなりました。大体において小学校高学年にもなった男の子というのは、自分より年下の女の子の世話など嫌がるはずですが、彼は然程抵抗がなかったようでした。他愛ない話相手から始まって、日が経つにつれ、遊びに連れ出してもらったり、あるいは自由研究を手伝わされたり、と過ごす時間が増えていきました。何故か彼の小学校での肝試しに誘われたりもしましたね。「折角基本的には清楚なお嬢様路線なんだから、其処は涙目になって『怖かったです…』って言って帰って来るところ!」とダメ出しされた記憶があります。いやだって怖くなかったんですもの。

 …閑話休題。

 その肝試しの翌日のことでした。

「信じてくれないかもしれないけど、妹さん、このまんまじゃまずいかもしれない」

 彼が、あまりにも真剣な顔で、こんなことを言い出したのは。

 どういうことかと問いただす私に彼が語ってくれたのは、まさに私が持っていたゲーム知識、そのままでした。

 どうしてこんなことを知っているんですか、と私は問いました。

 言うまでもなく、その時の私たちにとっては、ゲームの時間軸なんて遠い未来の話です。彼の妄想というにはあまりにも私の知識と一致しています。確かにゲーム展開の大筋は少女漫画の王道といえるものですけれど、細かい部分…たとえば私の立ち位置まで、ぴたりと合致しました。

 それが意味するところは。

「………こんなこと言うの厨二ちっくで嫌なんだけど……ああもう、俺には前世の記憶ってもんがあるんです! そこで知ったの!」

 まあゲームだったけどな、と続けられて、私は数秒固まって。

 それから、涙が堰を切ったようにあふれました。

「ドン引きした!? そんなこと言い出す俺が電波過ぎて怖い!? イタいこと言った自覚はあるけど、それはちょっと辛いかな!」

 何とか首を横に振ります。

「え、じゃあなんで…あ、そんな未来嫌ってこと?」

 確かにそうですが、それは理由ではありません。

 私は其処でやっと、本当は自分が何に苦しんでいたのか、わかったような気がしました。

 そもそも、この世界がゲームとそっくり同じなら、多分此処まで私は追い詰められなかったでしょう。いつかは覚める夢なのだと、ゲーム感覚で臨めたのかもしれません。けれど、そうはなりませんでした。だって、ゲームでは出てこない場面ばかりが目について、ゲームでは語られなかった関係性が張り巡らされていて、何より、誰も彼もが『キャラクター』じゃなく『人間』だったのです。

 キャラクターの場合、例外は許されても矛盾は許されません。ですが、生身の人間ではそうもいきません。時と場合、感情の振れ幅や相手との関係で、いくらでも言葉や態度は矛盾しますから。

 この世界の『人間』を愛した私は、だからこそこの世界が巨大な舞台装置なのではないかという疑惑に押しつぶされそうになっていたのです。現実だと信じたい一方で、私の知識はゲームの世界だと囁くのです。それがちぐはぐで、覚束なくて。地に足をつけて歩きたいのに、踏み出した先が夢のようにもろく崩れたらどうしようと、ひたすら怯えて竦んでいました。

 でも。

「お嬢は家族大好きだから、じゃあその辺りは俺の知ってるキャラと違うし、この世界がゲームだなんてメタなこと言い出す奴なんていなかったはずだし!」

 必死に私を慰めようとしてくれる彼は、行動してくれたのです。

 ゲームを知っていて、しかもそれが傍から見て気狂いの妄言のように聞こえると知っていて、なお、私に話をしてくれたのです。おそらくは、私に対して沸いた情のために。言えば何かが変わるかもしれないと信じて。

 それでやっと、ああ此処は現実でいいんだ、と思えたのです。

 いえ、現実として歩かなければならないんだ、と思ったのです。

「俺とお嬢、どっちもゲームと違うんだからさ、何とかなるってきっと! 打倒ゲーム補正!」

 現実ならばきっと、変えることができるのですから。


 それがきっかけで、私もゲーム知識について彼に告白し、私と彼は同志と言える関係になりました。

 そしてあれよあれよという間に彼は私の右腕候補として曾祖父さまに教育を受けることとなり、高校からはこちらで寮に入ることになりました。彼の人生設計を大幅に変えてしまったことになりますが、彼は「別にやりたいこともなかったし、それなら出世街道上等上等」とけろりとしたものでした。


「っていうかお嬢、俺がすすんでプレイしたと思ってたんですかー……」

「心の性別って見た目だけでは分かりませんよね」

「結構根深い誤解だった件!」

 いえ男性が少女漫画読んだり乙女ゲームしたりするのに偏見があるというわけではありません。ただの冗談です。だからこそ彼も大袈裟な仕草で嘆きを示したのでしょうが。

「違いますよ! 姉にレアアイテム狩りやってもらう代わりに、俺が姉の興味ない攻略対象どものルートを担当してたんです。何でも通常イベントをフルコンプでやっとフラグが立つのがあったらしくて」

「ああ、何か新しいエンディングが見られる、ってあれですか……具体的なイベントの記憶はありませんが」

 だから多分やってはいないんでしょう。

「俺は野郎に興味なかったんでどうにも一人じゃ苦痛で、結局後輩とか巻き込んでツッコミ入れながらプレイしてました。途中で悪ノリして実況動画撮っちゃったりして」

「あら、結局楽しんでたんじゃないですか」

「…一応言っとくとゲーム内容じゃないですよ? ツッコミ入れるの楽しんでたんですよ?」

「ええ、分かってますよ」

「……お嬢、その生温くて慈悲深げな微笑みやめてください後生ですから」

 勿論わざとです。軽口を叩ける相手がいるって良いですね。

 このまま話題を引っ張られたくないと思ったのか、しっかしまあ、と呟いて彼は話題を変えました。

「ヒロインさんと若君はシンデレラストーリーの王道行くはずだったのに。ご令愛が悪役にならないだけで、此処まで変わるんですね」

「まあ此処は現実ですからね。もしあの子に非があったとしても、あの破棄の仕方でしたら、間違いなく信用問題は起きていたと思いますよ。

 ただ、我が家が強く出られず火消しに回ったり、学園関係者もお二人を擁護したり、といったフォローはあったでしょうが」

「実際はそれがない、と。今の若君の家は見事に泥船と化してますよね。没落も時間の問題ですかねえ」

 若君と恋人のヒロインさんは、かなりの逆風の中で未だに固くお互いの手を取り合っているようです。

 しかし優秀優秀と褒めそやされていた若君にとって、此度の事件はあまりに大きすぎる瑕となりました。鮮やかなてのひら返し恐れ入ります、と言いたいような振る舞いをしている方々も相当数いる様子。そして先のメールでもお分かりの通り、『愚行』の原因となったヒロインさんに好意的な方はあまりにも少ないのです。無論彼らを助けんと動いている方々も皆無ではありませんが、先程申し上げた取引先の離れっぷりからして、前途洋々とは程遠いでしょう。

 それでも。

「あらそんな。没落しそうになったら助けますよ?」

 彼は勢いよく振り向きました。その顔は、久しく見なかった驚きに染まっています。

 おかしいですね、至極当然の意見を申し上げたつもりでしたのに。

 勿論父さまの許可もいただいています。それなりに発言を聞いてはもらえますが、まだまだ若輩者ですし、決定権なんてありませんから、一定ラインを越えたら海千山千の父さまには相談すべきです。それをお人形と評したい方は評すれば良いのです、自分は跡取りだ、というのは、イコール自分は当主に等しい、なんてことじゃありませんからね。独断で動いて家に迷惑かけるなんて勘弁したいんですよ。…ええはい、お察しの通り皮肉です。

 ……あれ、でもそういえば、父さまにも一瞬だけ驚かれましたね。その後笑顔で許可をくださいましたが。

「ああ無論、我が家の財政に影響がない場合に限り、ですよ」

「そりゃそうですが、え、ええええ、お嬢、何だってそんな慈善事業…?」

「だって我が家の取引相手なんですよ? 取引関係であちらの株も持ってるんですよ? 色々あったとはいえ与信取引も残ってるんですよ? そう簡単に財政難になられても困ります」

 補足すると、与信取引というのは掛取引や手形取引などのこと。つまり対価は後払いとなる取引ですね。

 いつだかに申し上げた通り、我が家は歴史よりも資金力で上流の一角と認められた家です。よって資金繰りを計算してみたところ、連鎖倒産の危険はなさそうだという結論に達しましたが、だからといって損害には違いありませんからね。踏み倒させなんてしません、しっかり払ってもらいますよ。

「それならとっとと回収するだけして知らんぷりしてれば良いじゃないですか。……お嬢に限ってそれは絶対にないと思いますけど、まさか例の若君を許したとか…?」

「未だにウチの天使を踏みにじったことへの謝罪にすら頭の回らない俺様に、何処に絆される要素があるんですか?」

「デスヨネー!」

 彼は親の決めたという私の妹との婚約に対してずっと不満で、それでもヒロインさんと恋するまで別に何のアクションも起こさなかったのは、言い寄って来る女を適当に避けるために便利だったからであり、我が妹に対して歩み寄る気は欠片もなかったし興味を示すつもりもなかった、ということを、私は知っています。ゲームではなく、現実の知識として。婚約の先にあるのは結婚だと考えればそのスタンスは逃げでしかない、と折に触れて苦言を呈してきましたのに、私を侮ってか全く聞く耳持たず。そんな俺様拗らせたお子様に愛想尽かせても良かったのに我が妹ときたら、未来の旦那様がそうなら私が支えなければ、とますます優秀になって。本当にウチの子マジ天使。

 それなのに彼女の尊厳に加えて努力を土足で踏みにじったようなあの事件です。腹立たしいったらないです。

「でもそうですね、許したなんて思い込まれて増長されても嫌ですから、抑えるところは抑えなければなりませんね」

「いやお嬢、そんな面倒なことするくらいなら、それこそ債権だけ回収して株手放してあとはそっぽ向いてれば良いじゃないですか。そもそもどうして没落しかけたら助ける、なんて発想になったんですか?」

「だって、人間の思考回路なんて自分の都合の良いように出来ているんです。すっぱり関係を切ったら、この事件も彼らの中では風化していくんですよ?」

 無論教訓にはするでしょうが、それは取引先との信頼関係云々に終始するわけです。ウチの天使を傷つけたという一点に対しては、都合よく忘れていくのは避けられません。

 ですが、関係が続いていけばどうでしょう。しかも許されたわけでもないのに窮地に陥った時には助けられて、恩を売られてしまえばどうでしょう。

 いくら都合の良い頭でも、あまりにも大きな借りを感じるでしょう。そしてその根幹に対して、繰り返し反芻せずにはいられないでしょう。

「一生頭は上げさせません。そのための助け船です」

 よろしいならば戦争だ、と先だって申し上げましたが。

 ドンパチやるだけが戦争ではありません。戦争なんてね、敵わない、負けたと相手に思わせれば勝ちなんです。

 微笑むと、彼は大きな大きな溜息を吐いて、ゆっくりと首を左右に振りました。

「………………お嬢怒らせたら色々詰むんだなあって改めて実感しました」

「終わらせませんよ?」

「その即答が恐ろしいですお嬢」

 そうですか?と空っとぼけてみます。

「…お嬢のこと『草食系過ぎて覇気が足りない、とっとと肉食男子な婿を取るべきだ』って言ってる連中がいるんですよ」

 いきなりの話題転換です。

 何だか伝聞口調にしては俗っぽい言葉づかいですが、彼なりに要約した結果でしょう、多分。

「ええまあ、似たようなことを聞き及んだことはあります」

「でも、猛獣って緊張時以外は案外穏やかだったりしますよねえ」

 言いたいことは分かりました。転換じゃなかったんですね。

 とはいえ、首を傾げます。

 私、そんなに獰猛ですかねえ。

「まあでもお嬢、ご令愛の願いを叶えてあげたい、ってのがそもそもでしょう?」

「ふふ、ばれちゃいましたか」

「ばれちゃいましたよ」

 軽口のような口調で、悪戯っぽく笑えたと思います。彼も似たような言葉と表情を返してくれましたから。

 そう。お幸せに、とあの子は言いました。きっと、本心から。それならば姉の私が追い詰めるわけにはいかないでしょう。没落後に幸せがないなんて考えているわけではありませんが、正直若君の生い立ちと性格で一般人はちょっときついでしょうから。

「あの子は本当に天使ですねえ。自分も大変でしょうに」

 基本的に同情票ばかりであるものの、一度婚約破棄をされた彼女だって、なかなかきつい立場に居ます。

 とりあえず妹の新たな婚約だの何だのという話は出ておりませんが、婚約は結婚に準ずる社会的な契約ですから……何と言えばいいのか、今の妹はバツイチのような立場なんです。今は随分緩和されてきましたが、それでも離婚経験のある人が新たに結婚相手を見つけることは、ない人のそれより難しいというのが一般論でしょう。お姉ちゃんは心配です。

 それが分かったのでしょう、彼は兄のように微笑みました。

「ご令愛は、幸せになれますよ」

「そう、だと良いんですが」

「というか、今のご令愛は傷ついてはいますけど、いずれちゃんと幸せになるために頑張れると思いますよ。そのためにお嬢は何もかも惜しまないでしょ」

「はい」

 躊躇う理由が無いので半ば彼の語尾に食い込むような返答になりましたが、彼は気を悪くした様子もなく、茶化した様子で肩を竦めただけでした。

「その回答スピードがシスコンっぷりを物語ってますね、お嬢マジお嬢」

 そして彼は表情をきりりと引き締めます。

「ねえお嬢、本人が前向きで、助けてくれる家族が居る。友人も、です。それなら大体のことは何とかなると思いません?」

「…………ええ」

 そうですね。

 折角妹が頑張って前を向こうとしているのです、姉たる私がしっかりサポートしないなんておかしいでしょう。私こそ、腹を据えていかねばなりませんね。

 ゲームのストーリーは終わりましたが、人生はまだまだ続くのですから。

「幸せに、なりましょう」


 その時、私は聞き逃していたのです。

 彼の小さな呟きを。

「大丈夫ですよ、今度のお嬢は幸せになれます。


 それで帳尻が合うってもんでしょうから」


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