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EGRIGORII  作者: もてぬ男
4/10

下水道の中の人魚

 4話です。よろしくお願いします。

 幸司はぼんやりとした意識で通学路を歩いていた。契約を解除しに行く時間がないために拡張現実の広告はほとんど表示されない。付けているコンタクトがまるで無駄だ。しかし仮に広告が表示されていたとしても今の幸司の眼には入らなかっただろう。あれは本当に現実だったのだろうか。ふと幸司は唇に指を当てる。柔らかくて冷たい淫靡な感触。やっぱり夢に違いない、幸司はおかしな妄想を頭から逃がして、教室へ向かった。教室に入ると皆がざわざわと沸き立っていた。幸司は自分の席に座ると皆の話に聞き耳を立てる。

『今日の幸司サンの心理傾向は良い感じですネ』

幸司はSAPの音量を最小限にして皆の話を聞く。しかし声は聞こえない。ちくしょう。もしかして僕の事か?一瞬にして幸司の体温が下がる。皆から道化に思われていることが怖くてたまらない。嫌な汗まで額から流れだした。頼む、皆が僕の話をしていないと誰か言ってくれ。幸司は震えた。しかし誰も幸司の問いには答えてくれない。やはり僕は皆から見放されているんだ。幸司がしょげ始めた頃、教室のドアが開いて担任ではない誰かが現れた。皆がそれに群がる。幸司もそれを見てハッとした。教室に入ってきたのは沙希だった。沙希は松葉つえをついてゆっくり教室に入ってきた。何事かと幸司が思考を断ち切ると担任が教室へ入ってきて、

「皆、席に座って」

皆は担任のただならぬ様子に指示に従う。

「昨日、沙希が暴漢に襲われた。西谷を殺害した犯人と同じ犯人だと思われる。犯行は9時くらいだったそうだ、最近は高校生が巻き込まれる事件が多発している。みんなも9時を過ぎたら不用意に外を出歩かないように」

沙希は包帯の巻かれた脚をかばうようにして無理な姿勢で座っている。

「傷は浅いそうだが、これからの事もある」

皆がひそひそと話し出すのを見て担任は咳払いをし、

「桜坂の木下さんは残念だった。皆も十分注意するようにいてくれ」

皆は一斉に静かになり、口をつぐんだ。そう言うことか、幸司もうなだれて沙希に同情した。しかし、それと同時に幸司は沙希が自分を助けてくれなかったのを感じて辛くなった。辛くて胸が張り裂けそうになるのをSAPが感知し、大声でわめき散らす。しかし、沙希とは違って幸司は誰からも慰めてもらえない。幸司はただただ辛かった。


 やはりあれは幻想だったのだろうか。幸司は一人、黒い水面を眺めていた。本当に僕はここを泳いだんだな……。幸司は小さくため息をつき、水に足を沈めた。高額なコンタクトは足元に置く。今度こそ終わりだ。幸司は体に巻き付けたおもりで体が沈んでいくのを感じた。さよなら父さん。僕は今度こそ逝きます。静かに沈んでいく感覚を肌で感じながら、幸司はぼんやりと沙希の事を思った。やはり貴方はいなかったのか。沈んでいくことに恐怖はあったが辛いことから逃れることが出来る喜びにも満ちていた。苦しいだろうが今までやられていたことに比べればなんてことはない。今までの生に比べればなんてことはない。幸司は涙を流しながら笑っていた。顔が水面につき、息が切れて行く。辛いでも嬉しい。さよなら、この酷い世界。


 ふと叩きたくなって頬を叩いてみる。やはり僕は生きているのだ。幸司は授業を行っている教員の顔を見た。やはり僕は生きているんだ。黒板にチョークが突き立つ音。

「僕なんて言ってないで、俺にしなさいよ」

ぼんやりとした意識にあの声が蘇る。まさかあれが現実だったなんて……s。幸司は昨夜の事を思い出していた。自殺しようとした幸司だったが、妙に体が軽くなるのを感じてすぐに岸に連れて行かれてしまったのだ。何が起きたかわからない幸司の頬を何かが強くはたく。痛みに自分が生きていることを実感する。

「ばっかじゃないの?アンタ」

目を開けるとそこには沙希がいた。ここは天国なのか?ぼんやりとしている幸司の再び沙希のびんたが襲う。痛みは現実のものだった。幸司は頬を抑えて目の前の沙希を見る。水にぬれた髪が白い肌に張り付いた沙希は妙に官能的だった。

「なんで……沙希さんがここに!?」

幸司は月光に照らされる先をぼんやりと眺めていた。

「別に……なんだっていいでしょ」

幸司は少し経って沙希の下半身が異常な形態をしていることに気が付く。

「これは……」

「ああ、これね……気持ち悪いでしょ」

グロテスクに輝く下半身を沙希は撫でた。体が沙希の制御を離れてぬるりと動く。

「そんなこと……そんなことないよ!」

幸司はさっきまで自分が自殺しようとしていたことを忘れて叫ぶ。

「そうかな……」

沙希はぼんやりと下半身を見た。歪んだ自分の姿が鏡のように映しだされる。

「私……」

沙希は身体を見て悲しげな顔をした。

「どうかしたんですか?」

グロテスクな体など幸司には関係なかった。助けてくれたのがただ嬉しかった。

「あんたには関係ないでしょ」

自分を罰するかのように唇を噛む沙希を見て、幸司は言葉を失う。

「何か自分を責めているようだけど」

幸司は水面に映った二人の姿を見てふと呟く。

「沙希さんにはそんなこと必要ないよ……だっ―」

「あんたに何がわかんのよッ!」

沙希は思わず激昂していた。幸司は少し驚いたが、すぐに落ち着いて、

「ごめん。わからないや……でも、さっきはありがとう」

沙希は顔を上げ、自分の助けた少年を見た。


 紀子が死んだ。私の言葉で。少し傷つけるだけだったはずなのに、彼女は死んだ。私が殺した。控えめで引っ込み思案だったけれど本当に良い子だった。私が殺した。私は彼女の居場所だった。でもそれを突き放した。紀子は心から私を信頼し、親友だと思っていた。もしも私がうまく計らえば彼女は死なずに番組を降りただろう。しかし、私にはそれが出来ななかった。人は良くも悪くも「ことば」だ。私のことばが彼女を死に追いやり、彼女の両親の生きがいを奪い取った。番組出演は決まったけれど私はどんな顔をしてテレビに出ればよいかわからなかった。彼も殺そうか、そう考えた。私を自覚させたから。いじめっ子を通じて私の姿を見せたから。あの時の感情のまま殺してしまえ。そうだ殺してしまえ、でも私は殺せなかった。私は彼の居場所となろう。紀子の居場所を奪った償いに。


 月が綺麗な夜だった。本格的に暗くなる前の青い空は美しい。幸司はふと隣にいる少女を見る。数日前まではただの憧れだった少女。

「どうかしたの?」

沙希が幸司をにらみつける。いや別に、と幸司はうつむいた。数日前、幸司は連続モデル死亡事件の真相を沙希から聞いていた。沙希は話さなければ、というふうに自分を罰するように自分の過ちを話した。始めは驚いたが、幸司は彼女の持つ異常にすぐ慣れた。そしてあることを考えるようになった。絶大な力を持ってしまった人間が一度は考えてしまう欲望。しかし、それは面と向かって頼めるようなことではなかった。今まで自分をいじめてきた者への報復。幸司はその考えに取りつかれるようになった。SAPの心理傾向は良好だった。だが実行へ移すことはできなかった。

「ねぇなんか隠してない?」

「え……いや別に」

沙希は勘が鋭い。幸司はぎょっとしてうつむいた。自分から見てもバレバレの演技だった。

「お願い。私のできることなら何でもするから」

「でも……」

幸司は池に話しかけるかのように下をむいて話した。

「ねぇ!」

沙希の顔が一瞬で視界を覆い尽くす。幸司は一瞬どこを見ていいのか分からなくなる。

「なんでもいいから頼んでって言ってるのに……3日もたってるのにまだ何にも聞いてないよ」

「一緒にいるだけで嬉しいですよ」

幸司はとても本心を言えずに下を向いた。殺しなんてとても頼めない。しかし、何か隠していることはバレバレなようで、

「なんか隠してるでしょ、幸司君」

沙希が咎めるような口調で言う。

「じゃっじゃあ……」

幸司は沙希の瞳を見つめて、

「僕をいじめていた犯人を……その、殺し……」

沙希は美しい顔を歪め、自分の下半身からすっと刃物を取り出す。ちくりと冷たい刃物が幸司の喉に当たる。今まで隠れていた沙希の裸体が幸司に覆いかぶさる。

「あんた……」

沙希の声は恐怖と憎悪で震えていた。荒い息が幸司の肌にかかる。恐ろしい殺気に呼応するように下半身のうろこがグロテスクに動く。恐怖心から刃物を見ようとした幸司の眼に沙希の真っ白な乳房が写りこむ。

「あ……あの」

幸司は恐怖と興奮の混じった声で沙希を呼ぶ。沙希は幸司の下半身を見て微笑んだ。恐ろしく歪んだ笑みであった。

「あんたこんなことで興奮するなんて、本当は苛められて楽しかったんじゃないの?」

沙希の甘い息が幸司の肌をなでる。体が熱かった。性的な興奮と怒り。幸司は自分でも考える前に沙希の刃物を手でつかんでいた。沙希が恐怖で悲鳴を上げる。こまわず幸司が刃物を自分から逸らす。

「僕は……苛められて楽しくなんてなかった……」

手から血が流れおちるのも構わずに幸司は、

「沙希さんだけが僕を救ってくれた……そう思っていたのに」

大粒の涙が幸司の頬を伝う。

「僕は楽しくなんてなかった!」

幸司は勢い良く刃物から手を離すと、沙希から離れた。血と涙が渇いたコンクリートに染みを作る。

「待って……言いすぎた」

沙希は倒れながら幸司に声をかける。しかし、それは幸司には届かない。

「僕を本当に救ってくれるなら、あいつら3人を殺してください。僕、沙希さんがいつも使っている出口であいつらと待ってますから」

幸司はそれだけ言って去った。彼の心にはただ今まで自分をいじめてきた者たちへの憎悪が渦巻いていた。幸司は素早く携帯端末を使って彼らを呼び出す。今度は僕の番だ。幸司は笑いをこらえながら走った。


 沙希は自分の失言を後悔しながら早めに下水道を進んでいた。幸司君が来る前に出ないと。沙希はいつも自分が利用している下水道の出口へ急いだ。大きな川につながっている大雨の時などに使われる川への出口である。幸司君は私のようにしてはいけない。沙希は強く心に誓って進んだ。全身が暗闇でもセンサーとして働くため、ぶつかることはない。それもこの体が「あれ」の魚体に浸食され始めているからなのだろうか。最近はほぼ制御ができなくなり、毎日決まった時間に沙希の体を蝕むようになった。クローゼットの留め具さえ破壊し、棄てても戻ってくる執拗さで「あれ」は沙希との融合を求めてくる。だから幸司と会うときは魚体化を余儀なくされた。そのせいですっかり魚体化にも慣れてしまったが、そのおかげか泳ぐペースはとても速い。このまま行けば、幸司が来る前に出ることが出来るだろう。しかし、少し進むと何者かの侵入の後を魚体が感じ取った。何かが私を追っている。沙希は敵の気配を探りながら出口へ急ぐ。引き返すこともできたが、もしその間に硬化が始まれば下水で動けなくなる。明日、幸司君に謝ろう。出口に近いところに差し掛かり沙希は思いを巡らせる。しかし、出口の手前で沙希は人影を感知した。何者?警察官か何かかな。沙希は静かに忍び寄る。ここは真っ暗闇なのだ。敵に私がわかるはずがない。そう思い近づいた時、閃光が弾けて沙希の体を打った。

「ぐうっ」

沙希は激痛に体をよじらせた。彼女の意識は一瞬途絶えた。


 さてどうするか。ジョーカーは下水道を音なく進みながら考える。見たところ人魚の鱗はアサルトライフルの弾くらいでは貫通できない。しかし、接近してショットガンを使おうとすればロバートのように逆にひき肉にされるだろう。適当にアサルトライフルで撃つことも考えたが、乱射すれば奴も逃げるだろう。それに人魚は動きが素早いため避けられれば弾の浪費となる。弾が尽きればデッドエンドだ。ジョーカーは静かに息を吸い、動悸を抑える。

体の柔らかい部分を狙えばよいのではないかとも考えたが、もしも推測が外れてその部分が弾をはじいたなら、その間にジョーカーは首を落とされるだろう。何も思い浮かばないまま下水を進む。ジョーカーは記録用コンタクトを使って人魚の姿を再度見た。人魚と邂逅してロバートが襲われ人魚に引き込まれていくまでを正確に記録していた。見直すと人魚が攻撃に使った鱗は、釘や金属の刃物などで構成されていることがわかりジョーカーは戦慄した。なら引きずられていったロバートの死体の銃弾はすべて奴の武装になってしまう。何かないかとジョーカーは再度ロバートの死を繰り返し再生する。


 幸司は怯えながらもいじめっ子が来るのを待ち構えていた。大きな川の橋下にある大雨時などに使う排水場所に幸司はいた。今日こそ僕の願いがかなう。幸司は今まで自分がされてきた暴行の数々を思い出し、憎悪に震えた。今日こそ奴らに天罰が下る。今はモデルが2人も死んで、沙希さんだって夜遅くまで外に出ていられるわけがない。だからこそ、ここから出るしかない。幸司は沙希から聞いた魚体の話を思い出して考え込んだ。大丈夫、彼女は一夜を下水道で過ごしたりはしない。沙希の事を考えていると、ふと本当に自分がしたかったことがこれなのかわからなくなる。本当に僕はいじめっ子に死を望んでいるのか?確かに奴らは憎たらしい。でもいじめはクラス全員が繋がっていた。なら今のいじめっ子を殺しても何もならない。それに幸司には出来る気がした。沙希がいれば苛めに耐えることも。


 沙希は敵の死体を探りながら、残るもう一人の事を考えていた。沙希は川につながる道以外の出口を知らない。しかし、そこには幸司といじめっ子が待ち構えている。早く奴を片づけなければ。出来れば殺さずに。再び水の中に潜り、沙希は敵へ向かおうとするが体がついてこない。まるで魚体の一部が鉛のようだ。

「くそっ!何でこんな時に」

魚体は20分も使うといつも制御が難しくなり始める。沙希の額から汗が流れ出す。この前のようなことになったら私は殺される。沙希はまだ「あれ」を使ったばかりの事を思い出していた。数日前、沙希は自分の部屋で「あれ」を使い下半身を魚体化して動けなくなったことがあった。まるで金縛りのように足が動かなくなり、魚体化が解けるのをただ沙希は待つことしかできなくなったのだ。もしもあんなことになれば私はあいつに殺されるか捕まえられる。沙希は襲ってくる焦燥感に震えた。泳ぎながら沙希は手をぐっと握りしめた。大丈夫私には死体から奪った弾がある。それに私は幸司君に伝えなきゃいけないことがある。だから勝たなければならない。


 ジョーカーは息をひそめて曲がり角に身を押し付けていた。さっきから気分が悪かった。しかしここで倒れるわけにはいかない。その腕の銃身の長いアサルトライフルは闘志の証だ。ジョーカーは記録映像を見て、人魚を倒す方法を思案していた。奴を倒せる方法は二つ。1つは手りゅう弾で吹き飛ばすこと。そうすれば人魚は、あの芋虫のようにグロテスクな肉塊と化すだろう。しかしその方法ではこの戦闘が公にさらされてしまう。これでは極秘任務の意味がない。ジョーカーは2つ残して手りゅう弾とショットガンの弾を棄てた。相手に効かないならただの重荷だからだ。同じ理由でナイフも一つを残して棄てる。作戦後に回収できるように位置を記録しておく。ここで戦闘があったことを示す物は最小限にとどめなければならない。ならば2つ目の方法しかない。ジョーカーはその方法を成功させる自分を思い描き不敵に笑った。2つ目の作戦とは人魚の肌に突き立っている弾丸を狙撃するというものだ。記録の映像を見返すとジョーカーたちの放った弾丸が人魚の肌に突き立っているのが見えた。その一つは貫通には至っていないが人魚の肌にめり込んでいた。ジョーカーはその中でも一番食い込んでいる弾を狙撃して人魚の体内にぶちこもうということを考えていた。ジョーカーのアサルトライフルから発射された弾は形状を変えずに人魚の肌に突き立っている。それをうまく狙撃して、体内に入れることが出来れば弾は人魚の体内をずたずたにすることだろう。目玉を狙うこともできたが、目にも弾丸が弾かれたらと思いやめた。ジョーカーは弾丸を狙撃することを思い描いた。だがそれを成功させるには恐ろしい集中力と運動能力、そして運が必要となる。それに全身の傷もある。うまくバランスを取れるかわからなかった。失敗すればロバートの弾がジョーカーの体をずたずたにするだろう。命を賭けた究極のギャンブルだ。ジョーカーは汗まみれのバンダナを縛って気を引き締めた。俺はやり遂げると思え、俺ならできる。ジョーカーは不敵に笑い、弾の位置を解析した。狙うは腹部の弾丸だ。準備は整った。後は神のみぞ知る。ジョーカーは吐き気を抑えて不敵にほほ笑む。


 ぼんやりと川の流れを眺めていると幸司は勢い良く突き飛ばされた。幸司は声さえあげる暇もなく川に落ちた。

「いてっ……」

冷たい水を浴び、幸司は我に返る。

「何だよ……こんな時間によぉ」

川の中にいる幸司を3人は見下して笑っていた。大丈夫、沙希さんはきっとくる。それまで僕はここでこいつらを足止めすればよいのだ。幸司は川から立ち上がり、拳を握った。僕にだってそれくらいはできる。

「うぉおおおお」

幸司は拳を握りながら3人に突進した。


 沙希は静かに敵を捜索していた。奴を倒してから下水道で魚体化が解けるのを待つ。そして魚体化が解けたらマンホールから脱出する。それが沙希の計画だった。しかし一瞬、脳裏にいじめっ子を殺害して魚体のまま脱出することを考える。

「幸司君は私と同じ道は歩ませないってきめたじゃない」

沙希は水中で決意を固めた。私は生きなければならない。そう思っていた時だった、もう一人と邂逅したのは。


 ジョーカーは現れた人魚の姿に驚きながらも正確に銃を構えた。体中が痛む。血が流れ出そうだ。しかし、俺はここで死ぬわけにはいかない。奴と会わなければならないのだ。情報の通り、弾はまだ突き立っていた。ジョーカーは本能の赴くままに引き金を引く。獣の本能がジョーカーを支配する。それと同時に人魚が鱗を飛ばすべく形態を変える。ジョーカーは引き金に命の重さを感じる。俺たちの命はこんなにも軽い。銃声と閃光が下水道を彩る。一瞬だった。ジョーカーの放った弾丸が人魚の腹に飛び込み、血をまき散らす。体勢を崩した人魚の弾丸は的外れな方向に飛んでいく。今頃は押された弾丸が内臓をめちゃくちゃにしていることだろう。人魚は血を吐いて倒れた。ジョーカーは着弾を確認すると、すぐに角に隠れる。勝敗はもうついていた。人魚は血を吐きながらも逃げて行った。持って数分か、ジョーカーは額を流れる汗を拭いて一息ついた。

「……ははははは」

ジョーカーは思わず笑い出してしまった。悪魔のごとく残忍な笑いが下水道に響き渡る。生死をかけたギャンブルに勝った快感は性的快感など比較にならないほどの心地よい。しかし緊張から解放されたせいか猛烈な吐き気に襲われてジョーカーは胃の中の物をすべて吐き出した。


 沙希は死に物狂いで泳いだ。しかし腹の弾丸が激痛を引き起こし、うまく泳げない。沙希は鱗を逆立たせて後ろを見た。撒いたみたい。沙希は水に沈んで血を吐いた。吐しゃ物のように生暖かい血が口からあふれる。出口はもう直前だった。しかし、もしここで出て行けば確実にいじめっ子を殺すことになる。沙希は必死に魚体を取り外そうともがいた。しかし体力と血だけが抜けていき、意識がもうろうとし始めた。私、ここで死ぬのかな。ふと沙希は汚れた天井を見た。ごめんね紀子。ごめんね幸司君。私、死んじゃうよ。少しずつ息をするのも辛くなる。紀子は死んでしまった。あのか細い首に全体重を乗せて。でも幸司君は生きている。なら幸司君に何か残そう。沙希は魚体を探って自分の携帯端末を取り出した。そして今出せる最速の速度でメッセージを打つ。

「何書けばいいかわかんないや……」

打ちながらふと呟きを漏らす。沙希が衰弱していくと同時に静かに魚体が解けていく。しかし、もう遅い。沙希はもう動けなかった。鮮やかな血が下水道を朱に染めていく。

「寒い」

メッセージを送り終え、ふと沙希は呟いた。目を閉じて静かに水に自分の体を預けると母親の胎内にいるような気がした。そうか、死と生は同じところにあるんだ。沙希は眠るように死んでいった。死ぬ直前、静かに何かが近づいてきたのがわかったが沙希にはもう理解する余裕はなかった。冷たくなっていく沙希の体を黒い蛇が静かに這い始める。亡骸は少女の形を取り戻していった。


 幸司は勢い良くコンクリートに頭をぶつけて意識を失いかける。

「おいおい……それで終わりかよ」

一人が骨を鳴らしながら近づいてくる。大丈夫、沙希さんはきっとくる。そして僕を助けてくれる。肉を打つ音が響く。幸司はもう気力だけで立っていた。沙希さんがきっと……きっと。幸司は力なく倒れた。

「へたれだねぇ」

一人が幸司を無理やり立たせる。容赦なく暴行は続く。もう痛みは感じなかった。ただ重かった。幸司は意識を無くした。気が付くと朝だった。周りには誰もいなかった。

『幸司さんに最新のニュース!』

SAPの携帯端末がわめく。幸司は時間を確認し、確実に遅刻したことを悟った。立とうとすると体に激痛が走った。幸司はコンクリートの壁に体を預けて、SAPのニュースを見た。

『今日の朝7時に○○公園のふれあい池で女性の全裸死体が浮かんでいるとの通報を受け警察が出動したところ、私立S高校に通う宮木沙希さんであると判明―』

嘘だろ……。嘘だ……。幸司は他のニュースもネットから取り寄せる。しかしすべてのニュースが沙希の死を告げていた。

『幸司さんの心理傾向は―』

「うあわぁあああああああああああ!」

幸司は絶叫した。SAPがわめき散らす声も絶叫にかき消されていった。ここは地獄だ。幸司は静かに倒れた。眠かった。そうだ、これは夢だ。幸司は学校に行くことなど等に忘れて眠りにつく。コンクリートがやけに冷たかった。


 読んで頂きありがとうございました。

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