笑うけもの
筆が遅いですが頑張って書きますので、どうぞよろしくお願いします。後に細部で訂正が行われるかもしれません。申し訳ありませんがご了承お願いします。
白い電灯に照らされた無機質な部屋に一人の男が拘束されていた。男は拘束具でがんじがらめにされており身動きが取れない。男の周りでは何人もの男が動いていた。男たちは皆鋭い目つきと強靭な肉体を備えている。堅気にはまるで見えない。
「大変だね……君たちは」
拘束された男がふと呟いた。
「これからお前も大変になるぞ」
強靭な体躯を曲げて男が言った。
「持ってきましたベック少佐」
「おう」
金髪碧眼の若い男がベックと呼ばれた男に大きなペットボトルを渡す。拘束された男に話しかけていたベックは男の目隠しを取る。ベックははっと息をのんだ。目隠しを取った男の顔はこの世のものとは思えぬほど美しかった。しかし中身は悪魔だ、とベックは自分を奮い立たせる。
「拷問か……」
男がぼんやりと呟く。拘束の椅子が倒れ、男の体勢が仰向けになっていく。
「さぁ楽しめよ」
ベックはペットボトルのふたを開け、笑った。
数分後、拷問を終えるとベックは部屋から出た。防弾ガラスで出来た拷問室。ここは米軍情報部がホテルに設置した隠れ家である。
「どうです」
「何か話しましたか?」
金髪碧眼の男が尋ねる。
「いいや」
ベックはため息をついた。拷問というものの心理的ダメージは中々大きい物だ。それになかなか口を割らないというのも疲労がたまる。
「次は俺がはかせますよ」
別の男が拷問部屋に入る。拘束された男は罪を受け入れるイエスのようなまなざしで男を迎える。男が部屋に鍵をかけたのを見て、ベックは金髪の男を見た。
「ここも襲撃される可能性があるな。CIA(米国中央情報局)が何か裏で動いているし」
「わかりました。ここを出る準備を始めます」
金髪の男は敬礼すると静かに隠し部屋から出ていった。
「次の爆破予告ははたしてどこなんだ……」
眉をひそめてベックが拷問室を見るとそこには男はいない。部屋の中には数人の遺骸が転がっているだけだ。ベックは銃を構えて、周囲を見る。するとすぐ近くに男はいた。
「貴様」
ベックは洗練された動作で男に銃を向ける。男はそれを手刀ではたき落す。拳銃が落ちたのをものともせずベックは男に攻撃を加える。男はそれを華麗に避け、隠し部屋から出た。
「何ッ……」
隠し部屋の出はいりは決められた指紋認証によってしかできないはずだった。とするなら男が部屋から出られたということは、ベックは最悪の結果を思いつき部屋を出た。裏切り者が米軍情報部内にいる。ベックは思わず歯噛みした。隠し部屋から出て男を追う。すると男は窓の近くで穏やかにほほ笑んでいた。ベックは護身用の小型拳銃を男に向ける。しかしその手はすぐに止まる。ベックは男の細い腕を凝視した。
「何てことだ……」
男の手には爆弾の起爆装置が握られている。そして足元には金髪の男の躯が転がっていた。
「貴様……次はどこを爆破するつもりだ?」
足元に血が流れるのも気にせず男は微笑む。
「ここ、ですよ」
男は黙示録の終わりのごとく天界から舞い降りた天使に見えた。しかしその行為は悪魔のそれだ。
「この世の中には正義が溢れすぎている。それで人が殺しあうなんてナンセンスですよ」
男は穏やかに笑うと起爆装置のスイッチを押した。
「やっやめ―」
ベックが銃撃すると同時に部屋が閃光で満たされる。ベックは思わず目を細めた。そして灼熱の炎がベックと男を一瞬で灰にする。ホテルの一室は他の部屋も巻き込んで爆発した。真っ赤な夕焼けの中、地獄から湧いたような黒い煙が空に昇っていく。
静かに闇が揺れている。
「なんで……なんでお前は笑ってるんだ……」
狭いトラックの中、ターバンを巻いた肌の浅黒い男が尋ねる。ふと闇が動いたように見えた。しかしそれは闇ではない。闇に紛れて一人の男がそこに座っていた。
「笑いは万病の薬さ」
闇に紛れた男が嘲るように言った。闇の中で笑顔を浮かべた男の歯が光り輝く。ターバンを巻いた男は、目の前にいる男は本物の悪魔だと思えてならなかった。笑いは万病の薬だと、ばかばかしい。ターバンの男はふと懐のAKを握りしめた。俺たちはこれから死の飛び交う戦場に行くというのに、なぜこれからかかる病のことなど考えなければならないのだろうか。やはり名の通りだ、ターバンの男は闇と一体化している男を見た。戦場道化師、ジョーカー。それが彼の名前だ。
「着いたな」
ジョーカーがかっと目を見開いた。一瞬、ターバンの男は戦場にいることも忘れてジョーカーを恐れた。トラックが大きく揺れ、戦場に付いたことを無言で告げる。トラックの中に詰められた男たちに緊張が走る。
「出るぞ」
誰かが言った瞬間、男たちはトラックから飛び出した。飛び出した途端、この地域特有の石と土を固めて作られた伝統的な建物に弾痕が刻まれ、血がペイントされていく。容赦ない太陽の光が男たちを照らし、熱い風が肌を打つ。そして精確な死も彼らを襲う。数人の兵士は砂の上に真っ赤な血をまき散らして倒れた。ジョーカーはそんなことなど気にならないようで素早く遮蔽物に隠れる。まだ笑っていやがる、運よく生き残れたターバンの男はジョーカーを見て悪寒を感じた。ふたりは元々建物があったであろう場所に残骸に体を押し込んでいた。
「先に行くか?」
ジョーカーはターバンの男に訊いた。まだその顔には笑みが張り付いていた。
「いいよ……お前さんが先で……」
話している間も隠れている遮蔽物が砕け散り、仲間が倒れる。甲高い声を発しながら少年兵が突っ込んでくる。彼らの眼は虚ろで子供らしい輝きは一切失っていた。
「スナイパーは右の奥の建物だ。援護頼む」
ジョーカーはターバンの男に指示を出して、自分の懐から細長い手りゅう弾を取り出した。
「きついぞ、目と耳をつまめ」
ジョーカーはそれを素早く放り、それは恐ろしい音を出して爆ぜた。耳が張り裂けるほどの衝撃が鼓膜に叩き付けた。爆発と同時にジョーカーが近くの建物に移動する。それをターバンの男が援護する。こんな弾と死の吹きあれる道を渡るなど常人にできることではない。男はAKを乱射しながら思う。
「お前も来いよ」
ジョーカーがハンドサインで指示を出し、男はそれに従った。何度かその動作を繰り返し、ジョーカーは確実に狙撃者に接近していた。その間に、ぱたりぱたりと体に未来をいっぱいに詰め込んだ子供が倒れていく。ジョーカーは別の建物に隠れた仲間に援護をさせていた。その指示は適切で狙撃はぴたりとやんでいた。ついに狙撃者が隠れる建物にジョーカーと男はたどり着いた。男が息を切らす中、ジョーカーはあの笑みをまだ貼り付けている。その間にもジョーカーの隠れている壁がはじき飛ぶ。
「やつらも必死だな」
いやに白い歯をむき出しにしてジョーカーが笑う。
「もうスタングレネードは一つしかねぇ……」
男は懐から細長い筒状の物体を取り出し、嘆いた。
「一発で十分だ」
ジョーカーはやけにでかい突撃銃を抱えて男を見た。男は敵よりもジョーカーに怯えながら、スタングレネードを敵のいる廊下に投げ込む。再び凄まじい爆音が響き渡る。男が目を開けると、ジョーカーはそばにいなかった。男は意を決し廊下に出た。するとジョーカーが風のように走りながら、敵を殺しているのが見えた。一人の少年はあまりのジョーカーの大胆な行動に度肝を抜かれて突っ立っているところで頭を撃ち抜かれ、壁に赤い花を咲かせた。頭を撃ち抜かれた少年がふらふらと手足の制御を失って倒れかけていると、もう一人の少年が壁に叩き付けられる。どぶん、という異常な音を発して少年は叩き付けられた蠅のように壁にぶつかる。散弾だ。壁に叩き付けられた男は腹に大穴があいていた。臓物と骨がスープのようになり、血が狂ったように吹き出し、床を濡らしている。仲間の死には目もくれず、狙撃を行っていたと思われる民兵がジョーカーに対して短機関銃を向ける。次の刹那、その腕は持ち主から離れて短機関銃を持ったまま、血をまき散らして宙を舞った。腕を失ったことに気づく前に男は眉間に弾を撃ちこまれ絶命した。まるで野獣だ。男は唖然としながらジョーカーを見つめていた。しかし、ジョーカーの圧倒もそこまでだった。死体に隠れていた小さな影が背後から現れ、ジョーカーを撃ったのだ。ジョーカーは大きく吹き飛び、ぐったりと倒れた。男はジョーカーを撃った主を見て一瞬、躊躇した。それはまだ生理すら来ていない年の少女だった。しかし、一瞬が生死を分けることを男は銃を向けられてから思い出した。男は自分に向けられる粗悪品のAKを眺めた。いつからこんなにも憎悪が拡大したのか男にはわからなかった。いつからこんなにも紛争が大きくなってしまったのか男には分からなかった。こんな年の子供を巻き込むほど自分の祖国が病んでしまったのか分からなかった。少女がAKの引き金に手をかけた時、何かが少女に飛び掛かった。それは少女に撃たれたはずのジョーカーだった。ジョーカーは使い物ならない腕をだらりと下げ、少女に飛び掛かった。少女がジョーカーの存在に気が付いた時、ジョーカーは彼女の喉に野獣のように噛みついていた。少女の首に歯をつきたて、そのままジョーカーは力を入れた。少女のか細い首に鋭く太い牙が食い込んでいく。人には八重歯が少ないため、無理やり歯をくいこませているようなものだ。少女は、ごぼごぼと口から血を流した。覚せい剤でうつろだった目に始めて感情が宿る。自分には立ち向かうことのできない物を見た恐怖。ジョーカーは少女の喉笛を食いちぎり大動脈を引き裂いた。少女の首からおびただしい量の血が噴き出す。ノスフェラトゥ。男は映画で見た吸血鬼の姿を見ていた。
「ばけもの……」
血にまみれた戦争屋を男はぼんやりと眺めていた。助けてもらったにも関わらず、男はジョーカーにおびえていた。男にはわからなかった。こんな化け物を必要とするほど紛争は世界で広がっているのかと。ここは地獄だ、男はふと呟いた。ジョーカーは少女の亡骸を離し、地面に血を吐き散らした。怯える男を見て、血まみれの悪魔は笑った。
戦闘を終えてジョーカーは借りた宿舎で負傷した腕を治療していた。
「お前のけがを見ていると、死にたがっているように見えるね」
仲間の治療兵がぼやくと、
「俺の命だ。どうしようと俺の勝手さ」
ジョーカーは口角を不気味に引き上げた。今回のけがも医療が発達していなければ、兵士としての生命を断たれるに等しいけがだった。傭兵としては、それは商売道具を失うことだ。医療の発達は死にたがりを助長するな、と治療兵は思った。
「こっちだって仕事だからやっているがこうもボロボロじゃ大変だぜ」
治療兵はため息をついた。
「だろうな」
ジョーカーは一瞬だけ悲しい顔をする。治療兵はジョーカーの顔を見て、
「親御さんとか居るんだろ。死んだら哀しむぜ。まだお前さん若いじゃないか」
治療兵は医療器具をしまいながら、自分のペンダントを見た。
「いねぇよ」
「え?」
治療兵がペンダントをしまうとジョーカーが狂気じみた笑みを向けていた。
「俺には家族や友人がいねえ。ここを推薦したおっさんも死んでしまった」
一人ものさ、ジョーカーは一瞬だけ寂しそうな顔をした。
「悪いこと訊いたな」
治療兵が謝ると、
「いいってことさ。まだ奴がいるからな」
「奴って?」
治療兵はジョーカーのきつい訛りの英語に目をひそめた。
「腐れ縁さ」
ジョーカーが呟くと治療兵は安心したような落胆したようなあいまいな表情で、
「まぁその腐れ縁のためにも死ぬなよ。お前の治療は大変だし、お前はセイバー社の稼ぎ頭なんだからよ」
しかしジョーカーは答えず去って行った。彼に死の溢れる戦場以外に居場所があるのだろうか、と治療兵はその背中を見て考えた。屈強で大きな背中は寂しげだった。
宿舎のベッドでくつろいでいると、仲間が自分の名を呼ぶのを聴きジョーカーは起き上がる。戦闘狂、戦争狂い、死の道化師。畏怖と軽蔑を込めて様々な名で呼ばれるジョーカーだったが彼は戦闘が好きではなかったし、殺しも好きではなかった。しかし、彼は傭兵会では少し名が知れていて軽蔑のまなざしで見られることが多かった。自分を呼んだ兵士を見つけると兵士は、
「仕事の依頼だそうだ」
ジョーカーを呼んだ兵士はそう言って去って行った。ジョーカーがあたりを見回すと、一目でそれと分かる人物がわかった。TシャツにGパンというラフな格好の初老の男がジョーカーを鋭い目つきで見つめていた。
「やぁ久しぶり」
大柄なジョーカーよりも一回り大きい体の男が言った。こわもての顔には深いしわが刻まれている。
「お久しぶりです、トムさん」
ジョーカーは自分の所属する民間軍事企業の取締役であるトム・リャンの手を握りしめた。
「仕事だ、ジョーカー」
トムは表情を変えずにジョーカーを奥の部屋に導いた。ジョーカーは何の用だ、と眉をしかめ部屋に入った。
「この部屋に入った意味がわかるな」
トムはジョーカーを突き刺さる様な眼差しを向ける。二人が入ったこの部屋は、秘密保持のための防音設備が付いた部屋だ。つまりこれからする仕事は極秘だというわけだ。
「さてジョーカー」
トムは部屋の真ん中にあるテーブルに座り、
「しかし、ジョーカーとは考えた物だ。俺は君の名前が発音できないからな」
トムは少し表情を緩めた。日本名のライバルのコードネームとはしゃれてるね、とトムが笑う。ジョーカーは、表情は緩めているがトムも面白くないだろうな、と思った。本来、ジョーカーの所属する民間軍事企業ユースティティア・セイバー社の隊員としては相応しくないのだ。J・セイバー社は主に米軍の特殊部隊、主に陸軍の兵士によって構成されており、フランスの外人部隊からのお尋ね者であるジョーカーはあまり好かれてはいない。
「それで仕事とは」
また汚れ仕事なのだろう、ジョーカーは心の中で邪悪に笑った。J・セイバー社は米軍と太いパイプで繋がっていて、米軍が公式に介入できない作戦を行うことが多いのだ。現在では多くのPMC(民間軍事企業)が自らPRをして紛争に介入し、作戦を展開しているのにJ・セイバーはその手の仕事が少ない。とは言っても基本はほとんど同じだ。米軍やその他の国家の裏仕事か拡大の一途をたどる地域紛争か、それだけだ。
「今回の仕事はかなり機密性の高い任務だ」
トムはジョーカーを舐めるように見て、懐のバックから小さなゴーグルのような物を取り出した。それは一昔前の拡張現実装置だった。
「着けるんですか」
ジョーカーは装置を受け取り、着けようとした。
「まだだ」
しかし、トムはそれを制して、
「今日寝るときにつけるんだ。そのデータを見て、君を参加させるかどうかを見極める」
「……了解」
ジョーカーは装置を隠すようにして持って席を立った。
「ありがとう。明日の結果を期待しているよ」
トムはジョーカーを一人の残し、部屋を出て行った。ジョーカーはやけに大きな拡張現実装置を見て、おかしな任務に当たったもんだ、とため息をついた。
敵の血を浴びて狂喜する戦場の道化師、と呼ばれるジョーカーにも子供と呼ばれる時期はあった。それは嫌に明るい孤児院の記憶とセットで思い出される。そして、そこでの生活と慕っていた一人の男の記憶が蘇る。いつも苛められていた自分を助けてくれた正義感溢れる優しい奴。人生で唯一、自分が生きていることを許してくれた初めての人。彼に関する様々な記憶が蘇る。初めてできた友人たちの記憶。楽しい記憶、悲しい記憶。そして男の裏切りと真っ白な光が皆の体を切り裂いた殺戮の記憶。死んだ友人の記憶。泣き明かした一人の夜の記憶。
「はっ!」
ジョーカーは汗ぐっしょりで目を覚ました。思わず頭に取り付けてある異物を取り去る。落ち着くと、孤児院の男に裏切られてからずっと行っている笑みを浮かべた。
「私の愛しい人よ」
彼はジョーカーになる。
朝、ジョーカーの目の前のトムは笑みを浮かべていた。
「合格だ。君に仕事を改めて依頼するよ」
「仕事の内容は」
ジョーカーがすかさず訊くと、
「汚れ仕事だ」
トムは一瞬、目を鋭く光らせて言った。やはりか、ジョーカーはため息をついた。汚れ仕事、濡れ仕事、いくら言葉で印象操作してもそこからは血の臭いが漂う。汚れ仕事、つまり暗殺。
「任務は君の顔が良くなじむ地域で行われる。だからこそ君が選ばれたのだ」
ジョーカーはここでは異質の自分の顔を思い出した。黄色い肌アジア系の典型的な顔。
「日給はかなり良い。しかし、任務前に身体検査を受けてもらう必要がある」
ジョーカーはそこで顔をしかめた。
「それはどのような任務なんですか」
日本で暗殺だと。おかしな任務だ。
「それは君の検査に結果次第だ」
トムの感情のない声にジョーカーは怒りを覚えた。検査、検査って何をこいつらは検査したいのだ。しかしそんな怒りさえも、あの夢にかき消されてしまう。ジョーカーが小さい頃の夢を見たのは久しぶりだった。あの夢を見させた「何か」がトムの依頼する任務にはある気がする。
「やらないのか?」
トムは残念そうな声色で言った。
「やります」
そう言ってジョーカーはあの笑みを浮かべた。
二日にわたる身体検査を終えて、ジョーカーはやっと任務の内容を知ることとなった。
「おかしな妄想だとか思わないのかね」
目の前に座るトムが怪訝な顔でジョーカーを見つめている。限りなく白い病室でジョーカーとトムは向かい合っていた。
「いいえ」
ジョーカーは軽い笑みを浮かべて首を振る。大げさな身体検査、子供用のアニメと言っても差し支えないような任務の内容、どちらも実にばかばかしかった。しかし、それこそがジョーカーの心を虜にして離さなかった。ある地域に出現する化け物を秘密裏に殺害する、なんてどう考えても現実とは思えない。しかし、J・セイバー社が米軍と裏で関わっていることを考えれば、米軍の極秘計画か何かで生まれた異形の化け物を狩るという任務も現実味が増す。
「本当か?」
怪訝な視線を向けるトムにジョーカーは再び、
「本当ですよ」
「なら、日付の変わらんうちに現地に向かってもらう」
トムは携帯端末を取り出し、誰かと通話を始めた。トムから目を離し、ふと何も見えない窓を眺めてジョーカーは再び笑った。ジョーカーは、この任務が自分に回ってきたことがうれしくて仕方がなかった。なぜなら、参考の資料として付いてきた怪物の写真に写っていた鳥のような異形の者は、孤児院でジョーカーを裏切った男と瓜二つだったからだ。あの顔も、あの美しい羽も。あいつに会ったらやることがふたつある。一つはなぜ、あんな行動を取ったのか訊くこと。もう一つは、奴の命の自分の命を試すこと。
下品なピンクのネオンの下に真面目そうな男が立っていた。眼鏡をかけ、スーツを神経質にきちんと着こなした男にはその場の雰囲気は全く似つかわしくなかった。
「やぉ仁貴さん。時間ぴったりだね」
男のもとに一人の少女が駆け寄ってくる。軽くメイクを施した顔に着崩した高校の制服。見た目通り彼女は少し不良な女子高生だ。二人は同意のもとでラブホテルに入って行く。
「麻衣ちゃん……だったかな。本当に良いのかい?」
豪華な部屋につき、男が尋ねた。麻衣は今頃何を言うのだろう、と思いながらも笑顔で、
「やめます?」
気弱な中年男を脅して苦しむのを見るのが麻衣は好きだった。
「えっ……あっやめないよ」
男は貫禄など微塵も出せずに言った。おろおろと麻衣の方を見る男に少女は優しく微笑みかける。こうすると畳みかけられんのよね。麻衣は心の中で嘲る。麻衣はこの手の仕事の経験が何度かあり、慣れていた。今日もお小遣い感覚で知らぬ男に体を売る。
「じゃ始めますか」
麻衣は手慣れた手つきで男の服を脱がせる。男は戸惑いながらもそれに従う。男が服を脱ぎ終えると、
「見たい?」
と麻衣は焦らす。こうしたほうが男は性的快感を掻き立てられるのだ。男は獣丸出しの醜悪な表情で脱衣を求める。生暖かい息が麻衣の体にかかる。気持ち悪いと思いながら麻衣は服を脱いだ。男の目が徐々に見開かれていくのを見て麻衣は恐ろしい優越感に浸る。
「ねっねえ……こ、この薬で一緒にぶっ飛ばない」
男は鞄から二つの注射器を取り出して麻衣に見せた。これから自分に得られる得を考えればそんなことは何でもなかった。麻衣は笑ってそれを受け入れた。注射を受けた瞬間、麻衣の体を快感が襲う。快感に浸ったまま麻衣は男を受け入れる。男の指と舌が麻衣の体のいたるところを弄っていく。熱くぬめる感触が麻衣の感情を高めていく。前遊を終え、麻衣はベッドに仰向けになって男を誘う。男はベッドに飛び乗る。脂ぎった身体が揺れ、ベッドが軋む。麻衣は男を受け入れながら不敵に笑う。麻衣はこの男の事を知っていた。広瀬正行。日本性教育協会の官僚だ。そんな男が夜、女子高生を買って性行を楽しんでいたなんてスキャンダルの絶好の的だ。偽名を使って変装しているがばればれだ。麻衣は、なぜ正行がこんなにおおっぴらに援助交際をしているかわからなかったが、いいかもとなるのは明らかだと思った。実は麻衣は鞄にカメラと盗聴器を仕込んでいたのだ。変装はしているが見る人が見ればそれと分かる変装だ。いい脅しになるだろう。麻衣はこれからの事を考え絶頂に浸っていた。薬の効果もあって麻衣の意識は朦朧としてきた。もうそろそろかしらね。麻衣はふと男を感じて、身構える。しかし次の瞬間、正行は唾を飛ばしながら絶叫した。
「お前らみたいな淫乱を俺はこの世から駆逐してやるんだぁあああ!」
「は?」
麻衣は一瞬、現実に引き戻されて異変に気が付く。痛い。体が焼けるように痛い。神経が焼けつくような激痛だった。
「ぐぁあああ」
麻衣が痛みに体をよじらせるが正行は笑って行為を続ける。正行の悪魔的な声が部屋に響く。びきり、ぼきり。麻衣は絶命の瞬間、おかしな音を聞いた。次の瞬間、麻衣の体は内側から爆発した。麻衣の身体は肉片と骨と血に還元され、部屋中にまき散らされた。正行は血まみれになった部屋を見て不敵に笑った。
「淫乱め……この世から駆逐してやるぞ」
正行は顔を歪ませて笑いながら自分の下腹部を見た。そこには以上に肥大化した性器が蠢いていた。それは麻衣の身体よりも肥大化していた。正行はそれを見ても何とも感じなかった。それは芋虫のように不気味に震えていた。ぷるぷると震える肌が血でてらてらと光った。それは新しい血を求めるように蠢き始めた。正行はそれに従った。
読んでいただきありがとうございました。タイトルは「グレゴリ」と読みます。