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シトラス

作者: たかいせ

 眠れない夜が、ただ目を閉じているだけの時間が、おびただしい静寂だけを残して、冷えきった体からとめどなく抜けていく。残酷なまでに正確に、一秒一秒は脈打っていて、窓をしきりに叩く雨の音が、けなげにそれを追いかけている。

 眠りを強く意識するほどに、身体は求めているもののより遠くへと離れていって、閉じたまぶたの裏には、ぽつりぽつりと、雨粒の種が水面で咲いては散るように、記憶の底に沈んでいた言葉が浮かんでは消えていく。言葉と言葉をつなごうと思考はひとりでに歩き出して、けれどどれひとつとして結びつけることができないでいて。そのもどかしさが焦燥感へと立ち替わり、また微睡みを遠ざけた。

 ひどく長い夜だった。五九が〇〇へ還り、一からやり直すまでに、いくつの言葉が雨に煙っていっただろう。

 目を開ける。窓がほんのりと白んでいる。

 とくん。

 胸の内に小さな熱が生まれる。熱は一秒一秒を愛おしく脈打ち、からっぽになりかけていた体を温かな時間で満たしていく。安息へ向かう切実な欲求はすっかり失われて、言の葉の庭は一言さえも木漏れることのない、生い茂る木々の枝葉に覆われた。

 五九が〇〇へ還り、新しい一日が始まる――



  未来のいつか



「あんたはご飯、かため派? やわらかめ派?」

 輪の中で団欒していたカナメが、ひとり何をするでもなく座っていたヒサキに問いかけた。

 カナメのグループは四人組で、「どちらか」という話になると意見は偏らず、二対二に別れていた。正直者、嘘つきの役は入れ替わりしていたが、多くそうであった。グループの中心であるカナメは白黒はっきりさせたがる性分で、決着をつけるための最後の一票を度々手近の誰かに求めていた。今回、ヒサキが指名されたのも、偶々近くにいた以外の理由はない。

 ヒサキは答えた。

「わかりません」

「どっちかあるだろ」

「わかりません。普段僕が食べているご飯はかたいのでしょうか。やわらかいのでしょうか」

「炊飯モードとか、水の量変えたりしねぇの?」

「僕の部屋にある三合炊きの炊飯器にそのような機能はありませんし、水は釜の目盛りどおりにするべきではないでしょうか。炊飯器のメーカーも、理想的な炊きあがりになるよう研究し、技術を尽くしているはずです」

「あん? てか、あんた一人暮らしだったんだ。下宿遠いの?」

「わかりません」

「わかりませんってことはないだろ」

「わかりません。遠いか近いかは人によって異なります」

 カナメも、後ろに控えるグループの者もそろって眉をひそめた。

「融通効かねぇな。何年前のアンドロイドだよ。俺がブレードランナーだったら真っ先にお前を壊すぜ。クソ能面野郎」



 カナメはヒサキを嫌っていた。

 ヒサキの、旧型アンドロイド然とした姿振る舞い様子をひどく嫌悪していた。

 むしろ二一世紀に流行した円盤状のロボット掃除機のほうがマシに見える愛想や、「はい」「いいえ」で訊ねても返ってくる「わからない」、男性型の癖して手入れが行き届いた頭髪や爪に、いつもさせているシトラスのにおい。

 ヒサキのそういったところが、カナメに不気味の谷をもたらしていた。

 出来損ないのヒサキの根にあるのは人工知能のバグであると、カナメは考えていた。「人間らしさの欠陥」など、メーカーは認めないだろうが。



 放課後、雨が降るとカナメは図書館へ足を運んだ。学校から程近いその都立図書館では、電子化を待つ物理書籍を一元管理し、その貸し出しも行っていた。

 カナメの目当ては一九六〇年代のとあるサイエンスフィクションだった。雨が降るたび、カナメはこの小説を読み返していた。特段好きというわけではなく、何度読んでも内容を記憶できないから、常に結末を知らない物語を読めるからという理由であった。

 ただし、その日はヒサキも同席していた。カナメが誘うはずもない。ヒサキが勝手に、カナメの正面の席に着いたのだった。

「なんだよ」

 カナメは苛立たしげに言った。

「あなたのここに」

 と、ヒサキが自分の眉間を指差して言う。

「しわができるのはなぜでしょう」

「さあな。自分の頭で考えてみな。なあ、あんた。これ読んだこと、あるか?」

 カナメは手にしている本の表紙を見せて質問した。これにはヒサキもさすがに「はい」と答えた。その声に重なって――


「ヒサキ様。お迎えにあがりました」


 ヒサキの視線の先、俺の背後にアンドロイドが立っていた。旧い脳と統一された容姿で生産コストを下げ、安価に提供することを可能にした、人間のためのハウスロイドだった。

「なんだ。あんた、人間だったのか」

「はい」

「じゃあこれも、この本の内容も覚えてんのか」

 違法コピーだと、アンドロイドの俺がメモリ保存を許されない物語を。

「はい。あらすじ程度であれば説明できます。それでは、失礼します。また明日」

「ああ、またな」

 一人の人間が一体のアンドロイドを従えてゲートへ消えるのを、視覚カメラの倍率を上げて見送った。シトラスの残り香に思考が阻害される。

「そうかよ」

 小説の続きを読む気には、なれなかった。



不気味の谷を越えたところに何があるだろう。

人間がロボットの模倣を始めるのではないだろうか。

     ――フィリップ・デッカード

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