自殺できるってことは人間の長所の一部
以下、ちょっと鬱な話。苦手な方はご注意。気分を害する方も、もしかしたらおられるかもしれません。それでもよいと言う方はどうぞ。
ちゃんと断ったんだからね。何か不都合があっても作者のせいにしないでよね。
自殺ってものは本人からすると意外と大したものでもない。
よく考えてみれば、というかよく考えなくても当たり前のことだ。自殺するってことは諦めることであり、本当に辛いのは本人よりも残される人たちであると思う(そういう人がいない人は別かもしれないが)。
つい先日のことだ。睡眠薬を多量に飲んで、丸一日昏睡した。その日は予定もがあったが、その程度では思いとどまらなかった。しかし、結局は睡眠薬の量が足りなくて死ねなかった。今考えてみると、実際には死ぬ気はなかったのかもしれない。自分でもよく分からないが。
目を覚ました後に言われたのだ。お前が死んだらあとを追うと。私は幸福者だ。しかし、実はそう言ってくれる人がいるのも知っていた。それでもダメなのだ。たとえ愛する者、やらなければならないことがあろうと、最終的にその行動を決めるのは本人の意志でしかないからだ。そしてその意志というのは、その時点での精神状態と健康状態で決まる。誰に何を言われても酒、煙草、薬がやめられないのと同じ理由だと思う。私の場合は自傷行為がなかなかやめられなかった。
私は酷い奴だ。そういう自負がある。私は自殺を否定しない。というより、できない。しかし、おすすめはしない。その理由は是非自分で考えてみてほしい。生きたことがある者なら、そう難しい話でもないはずだ。
死語の世界を見てみたい、という人もいるのだろうか。私は実際に死んだわけではないから、どんなものかは分からない。しかし、私の意見を言わせてもらうと、そんなものはないと思う。そこにあるのは無だ。死んだら楽になれると聞く。それは楽になれるだろうさ。何もないんだから。しかし、今生きている以上っていうことは絶対にない。極楽浄土や守護霊なんて人が生み出した幻想だ。死ぬなら今に満足してから死ね。今以上を望むなら死ぬな。今以上はこの世で叶えろ。
ここまでつらつら書き連ねてみたが、ここまでのことは一部人間の長所でもあると思う。最終的な行動決定が自分の意志によるってことは、人間は最終的には自由だってこと。死後が無ってことは、死んでも今以下ってことはないってことだ(もちろん本人自身のみの話だが)。そう考えると気楽だ。
私は自殺を否定しない。しかし推奨はしないから、これだけは言わせてもらおう。死んだら後悔さえできないぞ。
とりあえず私は、この文章を投稿してみようか。根拠はないが、これを投稿できる私はそう簡単に死んだりしないだろう。
賛否両論、あるだろうね。




