失敗
「ダメだよ、部屋から出るなんて」
こっそり廊下に出た途端、頭上からリオトの声が聞こえて、私はあっという間に捕まってしまった。
え? なんで?
リオトは会議に向かったんじゃなかったの?
なんで、なんで?
焦ってジタバタする私を、リオトは両手で支えて目線を合わせた。
その顔は穏やかなのに、蒼い瞳はとても真剣でちょっと怖い。
「外は危ないから出てはダメだと言っただろう?」
でもでも。
もしカイドが病気だったら……。
そう思うとやっぱり諦められなくて、私はリオトの左手にガブリと噛みついた。
リオトは驚いて手を放し、床に着地した私はすかさず駆け出す。
ごめんなさい。ごめんなさい。
加減はしたけど、大丈夫かな?
すぐに後悔したけど、それでもカイドの匂いを辿って走る。
たぶんこっちだ。
カイドに教えてもらった秘密の通路に入れば……。
「アルフ!」
リオトが誰かに呼びかけた。
すると、いきなり男の人が目に前に現れて、私は再び捕まってしまった。
森でもリオトの側にいた部下さんの一人だ。
私、素早い動きには自信があったのに。
しょんぼりした私をアルフさんはリオトへと引き渡す。
リオトは私を胸に抱いて優しく撫でてくれたけど、やだ。
き、気持ち良くなんてないんだからね。
夜になったら絶対、カイドを捜しに行くんだから。
改めて強く決意した私だったけど、ふとリオトの左手についた歯形に気付いた。
ごめんね、痛かったよね。
一気に申し訳ない気持ちでいっぱいになって、思わず傷を舐めたけど、リオトが小さく息を呑んだから慌ててやめた。
気持ち悪かったかな?
変な菌は持ってないから、病気にはならないよ?
心配ないよと伝えたくて見上げると、リオトはいつものように柔らかく目を細めて笑ってくれた。
「ありがとう、ジャスミン。それにしても困ったお姫様だね? 昼間にも散歩したくなった?」
あれ? どういうこと?
また意味深発言?
リオトはアルフさんに何かを耳打ちしてから、首を傾げる私に視線を戻した。
アルフさんはいつの間にかいなくなっている。きっと忍者だ。
「ごめんね、ジャスミン。一人で自由に出歩くことは危ないから許可は出来ないんだ。だから僕についておいで。まあ、退屈な話し合いだけど、気分転換にはなるかも知れないからね」
え? 大切な会議に私を連れて行っていいの?
リオトが怒られない?
不安に思う私の頭を、リオトは大丈夫とでも言うようにポンポンと軽く叩いた。
この感じ、カイドに似てる。
それからリオトは私を抱っこしたまま廊下を進んだ。
だんだんカイドの匂いが近くなってくる。
これはひょっとして、夜を待たなくてもカイドに会える?
リオトが入った部屋には厳めしい顔をしたおじさんや、優しそうなお爺さん、十人くらいの人がいた。
どうやらリオトを待っていたみたい。
で、当然ながら、みんなが私に注目したけど、そんなことはどうでもいい。
だって、カイドがいたから。
カイド!!
私は嬉しくてリオトの腕から飛び出した。
でも、すぐに急ブレーキ。
窓際の大きな長椅子に寝そべったカイドはすごく怒っている。
やっぱり私、カイドに何かしたんだ。
カイドはうろたえる私をじっと見ると、重い溜息を吐いて長椅子から静かに降り立った。
そして入口とは別のドアを器用に開けて、私に来るように顎でクイッと合図する。
えっと、いいのかな?
うかがうように私が振り向くと、リオトは微笑んで頷いてくれた。
よし、女は度胸。
何かをして怒らせてしまったのなら謝ろう。
そう勇ましく決意すると、カイドについて隣の部屋に入った。
だけど、待っていたのは気まずい沈黙。
控室のような部屋には、カイドと私だけなのに何だか息苦しい。
「――なぜリオトの部屋を抜け出したんだ?」
ようやく口を開いたカイドの声はとても鋭くて、私はビクリとして身を縮ませた。
「だって……カイドが……」
「なんだ?」
「会いに、来てくれないから、病気なのかなって……」
「……」
何を言い訳してるんだろう。
カイドに怒っている理由を聞いて、ちゃんと謝ろうと思っていたのに。
ダメダメの大失敗だ。かっこ悪い。
あまりにも情けなくて黙り込んでしまった私の頭を、カイドはいつものようにポンポンと軽く叩いた。
「きつい言い方をして悪かったな。それに心配もかけたようで悪かった。ただ少し……別の用事があって、部屋には行けなかったんだ」
さっきとはまるで違う柔らかい声。
落ち込んだ私をカイドは気遣ってくれてる。
カイドは優しい。リオトも優しい。
なのに私はワガママだ。
約束してた訳じゃないのに、カイドにはカイドの都合があって当たり前なのに。
一人で不安になって、部屋から抜け出してリオトに噛みついて、カイドにも迷惑かけて。
ちゃんと謝らなくちゃ。
「……ごめんなさい、カイド」
「何を謝っているんだ?」
「勝手に色々と勘違いして、早とちりしちゃって……」
「ああ……それは私も悪かった。だが、昼間にその姿で部屋から抜け出たことの言い訳にはならない。それはわかるな?」
「……はい」
カイドは私の小さな謝罪を受け入れてくれたけど、後に続いた言葉はとても厳しかった。
そうか、カイドが怒っているのは私が部屋から出たからだ。
ということは、これって本末転倒?
ちょっと……ううん、かなり反省。
それにしても、なんでカイドもリオトもそこまで神経質になるんだろう?
やっぱり、お城のみんなはネズミが嫌いなのかな。
ネズミがウロウロしていたら、不衛生に思えるから?
まあ、リオトの部屋はその通りだけど。
とにかく、カイドが病気じゃなくて良かった。
安心すると眠くなって、思わず大あくび。
そんな私にカイドは優しく声をかけてくれた。
「リオトの部屋に戻るか?」
できたらカイドともっと一緒にいたい。
うむむむ。でもワガママはもう言えない。
返事もせずに一人悶々としていたら、カイドは小さく笑った。
「では、私は隣の部屋に戻るが、ジャスミンも一緒に来るか?」
「うん!」
嬉しいお誘いに、私は元気良く頷いた。
それから隣の部屋に戻ると、長椅子に寝そべったカイドの傍にちょこんと座る。
みんなは私とカイドにちょっとだけ視線を向けたけど、すぐに会議に集中した。
だから邪魔にならないように静かにしていたら、触れるカイドの体温が気持ち良くて、いつの間にかウトウトしていた。
夢の中でカイドが誰かと話している。
『……に、ずいぶん懐いていらっしゃる。上手くやりましたなあ』
『何をおっしゃっているのです。私には……』
しわがれた声に応えるカイドの声はとても冷たい。
誰だかわからないけど、カイドに意地悪したら許さないからね。
だって、カイドは私の大切な友達なんだから……。