獲物
「大丈夫よ、ジャスミン。あれはただの空飛ぶバカだから」
飾り棚の陰で震える私を、ミザールが抱き上げて優しく撫でてくれた。
今度はミザールの力強さも頼もしく感じるよ。
私ってば、ちゃっかりしてるね。
でも、たとえ空飛ぶバカでもあんなに大きいとすごく怖い。
って、あれ? ひょっとして知り合いなの?
ビクビクしながら窓へと顔を向けた時、強い風が部屋の中に吹込んだ。
それは大きな大きなワシさんが窓辺にとまったから。
「ちょっと、バカ! いきなり飛んで来ないでよ! ジャスミンが怯えているじゃない!!」
「姉さん、その通りだけど、一応あれでもアグリア国の王太子なんだから、もう少し言い方を考えた方がいい」
「いや、兄さんも十分酷いよ。だけど実際、一国の王太子が従者も連れず、他国の城に窓から訪問するのはどうかと思うね」
なんだか息がぴったり合ってる三人のやり取りを聞いていると、ちょっと落ち着いてきた。
すぐパニックになる悪い癖もなんとかしないとダメだよね。
『落ち着いて行動する』
うん、これも目標に加えよう。
新たに私が決意していると、ワシさんのとっても大きな声が聞こえた。
「おお、これは失礼した。いやあ、姫が見つかったって吉報に喜びのあまり飛んで来たんだ! ところで姫は?」
姫って、もしかして私のことかな?
そう思ってワシさんを見たら……。
ロックオンされたー!!
鋭い眼光でひと睨みされたらもう動けない。
カイドに一歩でも逃げてくれって言われたけど無理。
自慢の毛も逆立って、一時停止から抜け出せないよ。
ワシさんは硬直した私から視線を逸らさないまま、立派な羽をふわりとさせて部屋に入って来た。
瞬間、その姿が人間に変わった。
って、裸だよおおー!!
金縛りが解けて、慌てて前足で目を塞いだけど、ばっちり見ちゃった。
男の人の体!!
「服も用意せずに何を考えているんだ、バカ」
「ちょっと! いきなり人間に戻らないでよ! 気持ち悪いじゃない!」
「うわー、ホントに筋肉バカだ」
三人が口々に文句を言ってるけど、ワシさんは豪快に笑うだけ。
えっと、もういいのかな?
指の隙間からそっとのぞいて見たら、まだスッポンポンだった!
「ふひぁぁ!!」
「まあ、ジャスミン。かわいそうに。あんなモノを見てしまうなんて」
初めて目撃してしまったモノの衝撃に頭がクラクラして、ミザールにギュッと抱きつくと、慰めるように軽くポンポンって背中を叩いてくれた。
これ落ち着くんだ。
それにしてもあんなのが足の間にあるなんて、男の人は大変だよ。
だって、走ったり座ったりする時に、とっても……。
「とっても?」
「――邪魔そう」
ミザールに促されて素直に答えたけど、どうやらまだまだ動揺してたみたい。
大きく頷いたミザールの声で、はじめて考えてることを口に出してたって気付いたから。
「そうよねえ。あんな邪魔なモノ、ちょん切ってしまえばいいのよ」
カイドとリオトが小さくうめいた。
うん、さすがにちょん切るのはダメだよ。
きっとすごく痛いもん。
「ははは! 相変わらずミザールは冗談が過ぎるな!」
「本気よ、バカ」
「おい、カイド。何か服貸してくれ。今のままじゃ、ちゃんと姫に挨拶できねえじゃねえか」
「知るか、バカ」
あれ? こんなに口の悪いカイドは初めてだ。
呆れてるような、イライラしてるような感じ。
それよりもワシさんはまだ服着てないんだ。
困ったな。いつまでもミザールに甘えていられないよ。
「んだよ、姫が怯えてるから人間に戻ったのに」
ちょっとふてたワシさんの言葉を聞いて、なんだか申し訳なくなった。
私のために着替えもないのに人間になってくれたんだ。
だとしたら、私の方がすごく失礼な態度だったよね。
「あの――」
「まあ、実際ネズミは好物だが、姫は別の意味で頂きた――イッ!!」
いぃぃやぁぁ!!
謝ろうと思ったのに! お礼を言おうと思ったのに!!
好物だって! 頂きたいって!!
やっぱり猛禽類は天敵だ!
「お前ら前後から蹴りを入れるんじゃねえ! 避けられねえだろうが!!」
「避ける必要なんてないよ。もう死ねばいいと思う」
「俺はあんな婚約話認めてねえんだよ!! 姫が十六になってようやく解禁かと思ったら、こんなバカな話があるか!!」
守るように抱っこしてくれるミザールの腕の中で、私はぶるぶる震えていたけど、さすがにワシさんの大きな声は耳に入ってきた。
婚約? 十六? 解禁?
どういうことか訊こうとミザールを見上げて……やめた。
微笑むミザールがなんだかすごく怖いから。
「……アルフ、私の剣を取って来てちょうだい」
え? アルフさん?
と思ったら、アルフさんがいつの間にか洋服らしき物を持って部屋にいた。絶対、忍者だ。
ううん、それよりも……。
「ミザール……剣で何するの?」
「害虫駆除よ」
剣で?
この世界って、そんなに大きな虫がいるの?
ちっちゃいのは平気だけど、大きい虫はいやだよ。
「姉さん、苛立ちはわかるけど、ジャスミンが不安になっているから、剣を握るのはやめてくれ」
「カイド……」
「ジャスミン、悪かったな」
涙が出そうになった私の頭をカイドは優しく撫でて、謝ってくれた。
ふむむ。カイドはちっとも悪くない。意気地のない私がダメなんだよ。
だから勇気を出して振り向いたら、ワシさんは服を着てすぐ側に立っていた。
「ジャスミン姫、怖がらせてしまい申し訳ありませんでした。私は七星の騎士の一人、アグリア国の王太子、ファド・アグリアと申します。どうぞ、ファドとお呼び下さい」
ワシさん――ファドは茶色い瞳を細めて笑うと、短い金色の髪の毛があちこちにはねてる頭を下げた。
ファドの笑顔はそれまでの鋭さを途端に柔らかくしてくれる。
それで私もホッとして、ちゃんと挨拶ができた。
「ジャスミンです。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げた私の前足をファドが手に取った。
てっきり握手だと思って握り返そうとしたら、ファドは屈んでいきなり前足にキスをした。
「ファド!!」
驚いて私は声も出せなかったけど、同時に三人の怒ったような声がした。
でもファドは気にした様子もなく、顔を上げてニヤって笑った。
なんで? なんでネズミの足にキスするの?
頭の中がグルグルしたけど、深呼吸したらなんとか落ち着いた。
もしかしたら、今のは味見だったのかも知れない。
うむむ。やっぱり自分の身は自分で守れるようにならなきゃ。
じゃないとオオカミさんに食べられる前に、ファドに食べられちゃうかも。