姫君
「ち、違うよ。私はネズミだってば! 森でみんなと暮らすんだから!」
リオトとカイドが意地悪を言うから、出て行こうとして立ち上がった。
それなのに服が絡まって走れない。前が見えない。
なんで!?
「ジャスミン……」
一生懸命もがいていたら、カイドがそっと抱き上げて服から救出してくれた。
うう。かっこ悪い。
って、あれ? ひょっとして私……。
「参ったな……」
ネズミの姿に戻った私を見てリオトが苦笑した。
ほら、やっぱり私はネズミだったんだよ。
リオトが間違ってたんだ。
鼻息荒くフフンって顔をして見せたら、リオトが今度は噴き出した。
ええ? なんで?
「リオト、笑いごとじゃないだろ」
そうだよ。リオトはちょっと失礼だよ。
さすが良いこと言うよね、って思って見上げたら、カイドまで笑ってる。
我慢しようとはしてるみたいだけど。
二人とも酷いよ。
傷付いた私はカイドの腕から飛び出して、ベッドに戻ってお布団にもぐりこんだ。
もう知らない。
カイドにラピスラズリあげるのもやめた。
「ジャスミン、悪かった。あまりにもジャスミンがかわいかったから、つい……」
カイドがなだめるように、お布団の上からポンポンと私を叩く。
そんな優しい声で謝ったって許してあげないんだから。
かわいいなんて、そんな、そんな、かわいいなんて……。えへへ。
「ジャスミン、ごめん。僕も謝るよ。だけどね、僕たちはジャスミンにちゃんと自分が何者かを知っていて欲しかったんだ。自分で自分の身を守るためにもね」
「……身を守る?」
申し訳なさそうなリオトの謝罪に続いた言葉に驚いて、私はお布団からちょっとだけ顔を出した。
自分の身を守るって言われても、私は噛みつくことくらいしかできないし。
あとは走ること。
でも、とてもじゃないけどオオカミさんから走って逃げ切れるとは思えない。
不安になった私を見て、ベッドに座ったカイドは優しく耳の後ろを撫でてくれた。
ふぬぬ。そこは弱いんだって。
カイドの指が気持ち良くて、こわばっていた体から力が抜ける。
「心配しなくても、私達がジャスミンを守るよ。ただ自分が狙われていることを自覚していて欲しいんだ」
「……うん、気を付ける」
なんでそこまで私が狙われてるのかよくわからないけど、とにかくダイエットは頑張ろう。
おいしさ半減、逃げ足アップで一石二鳥だし。
だけど、私のせいでカイドやリオト達が危険な目に遭うんじゃないのかな。
それはすごく嫌。
「カイド、リオト、あの……私、森に帰るよ。聖域から出ないようにするから大丈夫」
殺生が禁止されている聖域にいれば安心だよね。
禁忌を破ると、なんでも神様の怒りに触れるんだって。
それなのにカイドもリオトも首を横に振った。
「残念だけど、それは認められないな」
「なんで? 聖域なら安全だし、誰も傷付くことはないよ?」
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。僕にはハッキリとは答えられない。ただね、さっきも言ったけど、みんながジャスミンのことを心配してるんだよ?」
「みんな……」
そうだ、リオトは私のことをなんて呼んだ?
ディオサ聖国のお姫様だって。でも本当に?
「間違いじゃないのかな? 私は全然覚えてないし、こうしてネズミだし……」
「うーん。まあ、正直に言うと僕達は初め、ジャスミンはネズミの振りをしているんだと思ってたんだ」
「振り?」
「そう。僕達を騙そうとしているんじゃないかって。森では動物達みんなが君を庇って居場所を知らないと言い張っていたしね。この城に連れて帰った後、しばらく様子を見ていたんだけど、どうやら本気で自分をネズミだと思い込んでいると気付いて驚いたよ。しかも自分から名前を教えてくれるんだから」
「教えたんじゃないよ。私は……ジャスミンがいいなって、思って……」
「うん、綺麗な名前だよね。まあ、兄さんには叱られてしまったけど」
「どうして?」
カイドも綺麗だって言ってくれたのに。
不思議に思って見上げると、カイドはちょっと困った顔をして笑った。
「あの時はまだ、ジャスミンの居場所は一部の者達以外には伏せていた。それなのに、堂々と名乗っていたら無意味だろう? まあ、リオトの部屋からジャスミンが抜け出すようになった時点で、皆に知られてしまうのは時間の問題ではあったが。あの腐った部屋に耐えられなかったのは仕方ないからな」
「腐った部屋って失礼だな、兄さん」
「事実だろうが。お前の腐った鼻と同様にいい加減どうにかしろ」
「どうにもしないよ。あれが最高の状態なんだから」
あ、仲良し兄弟ゲンカだ。
ちょっと憧れる。
お兄ちゃんとお姉ちゃんは私にとっても甘かったから。
「そうだ、お姫様にも兄弟っているのかな?」
「――ああ、兄君がお一人いらっしゃるよ」
「仲は良い?」
「……さあ、それはちょっとわからないな。ジャスミンは生まれてからずっと聖城の隣にある神殿の奥で暮らしていて、ごく一部の限られた者達しかお会いすることは叶わなかったしね。だから僕達も実は今回が初対面なんだよ」
「じゃあ、なんで私がそのお姫様だってわかるの?」
会ったことないんだったら、やっぱり間違ってるんじゃないかな。
そう思って改めて二人を見上げたら、カイドもリオトもすごく真剣な顔で私を見つめ返してきた。
なに? ちょっと怖いよ。
「私には……私達にはわかるよ。例えジャスミンがどんな姿に変化していても」
カイドの低くて柔らかな声には嘘偽りがない。
なんでそこまで信じられるの?
胸がドキドキして何か変。頭がもやもやしてはっきりしない。
でもリオトのかすれた笑い声が気持ちを和らげてくれた。
「渡り鳥達が噂をよく運んで来たんだ。姫様は女官達の隙を狙ってはネズミの姿に変化して神殿から抜け出しているってね」
「ええ?」
「しかも最近、神殿の尖塔から飛び降りたらしいよ」
「ええ!?」
「切羽詰まれば鳥に変化できると思ったってね。結局、木に引っ掛かって落下した所を間一髪でその場にいた動物達が助けたと聞いたよ」
「う、噂は誇張されるから……」
「……」
「そうだね。僕もジャスミンを直接知るまでは、そう思っていたよ」
カイドは無言だったけど、リオトは穏やかに微笑んで頷いてくれた。
だよね。やっぱり噂は話半分に聞かないと。……ん? まあ、いいか。
それにしても……。
「あの、その噂って、みんな知ってるの?」
「人間では動物達と話ができる者だけかな。そして、その者達は姫君の名誉のためにと黙っているよ。当然、動物達はみんな知ってるだろうけどね」
うむむむ。恥ずかしすぎる。
もう、穴掘って巣を作って隠れ住みたいよ。
それで頑張って地下迷宮にして、宝物を置く宝物庫とか、ご飯を蓄える貯蔵庫とか作るんだ。うん、楽しそう。
って、あれ?
「鳥さんには変身できなかったの? さっき、どんな動物さんにも自由に変身できるって言ったよね?」
「ああ、それは……うん。言い伝えではそうなんだけど、噂ではジャスミンはまだネズミにしか変化できないって……聞いたかな……」
そんな気を遣って言われると、よけいショックだよ。
落ちこぼれだったってことかな。
もしかして、鳥さんには変身できたのにデブっちょで飛べなかったとか?
実は本当に私はお姫様で、恥ずかしくて思い出したくないのかも。
ということは、ダイエットだ。
「うん。私、絶対頑張るからね!」
「……何を?」
やっぱり二人には私の強い決意は上手く伝わらなかったみたい。
それでもやらなくちゃ。
今から考えるだけでつらいけど、まずはお昼寝前のビスケットを我慢するんだ!