一
からからと音を立て、3組の教室の扉が開いた。
どのクラスもSHRが終わったらしく廊下は雑多な話し声で溢れている。その中に3組の生徒が加わり、騒ぎ声は更に大きくなった。
その教室からの人混みに紛れて一際小さい人影が教室から出てきた。ショートカットの髪と目の大きい幼い顔立ちが低い身長を一層際立たせているように見える。
彼女はその小さな体にはおおよそ不釣合いな、ぱんぱんに荷物の詰まった学生鞄と大きなリュックを右肩に背負い、荷物の重みで若干右に傾きつつ歩いている。そして生徒たちの進行方向とは逆に進むと、1組の教室へと入っていった。
1組の教室の中では男子が2人、女子が1人机や椅子に座って話し込んでいた。窓に背を向けて机に腰かけていた、黒色で短い髪の少年が彼女に気付き片手を挙げる。
「よう優貴、遅かったな」
優貴と呼ばれた少女はわざとらしく肩をすくめた。
「んー。トンの野郎話なっげえんだもん、やめて欲しいよほんとに」
トンとは学年でも1,2を争う程話の長いと有名な彼女の担任のあだ名だ。愚痴を言いながら彼女は彼らのもとへ歩を進めた。それに気づき他の2人も彼女の方を向く。窓の方を向いて椅子に座っていた少女が、何故か少し嬉しそうに頬を緩め、茶色のセミロングの髪を耳に掛けながらもう一人の少年を見た。
「私の勝ちだね、ざーんねん」
「うわ、くっそ・・・負けた・・・」
黒色の癖のある髪をした少年は優貴を見て、わざとらしく叫んだ。優貴にはだいたい彼らが何をしていたのかの目星はついていた。つまらない賭けをして遊ぶのが、高校生が最も簡単にできる娯楽だ。
「で、何の賭けなのさ、真由里?」
優貴が大きな荷物を床に置きながら聞いた。ドスンと鈍い音を立てて地面が揺れる。真由里は二重の綺麗な目を少し細め、微笑んだ。
「優貴が大荷物抱えてくるかどうか、って。私は持ってくる方に賭けたわけ。それで李雨の負け」
成る程、と思って、優貴は妙なことに気が付いた。二人なら、自分が学校にいちいち教科書を持ってこずにほとんどの教材をロッカーに置きっぱなしにしているのよく知っているはずだから、どちらも持ってくる方に賭けるんじゃないんだろうか。・・・自分で言っていて虚しい気もするが。
そんな優貴の心情を知ってか知らずか、李雨は頭を抱えたまま口を開いた。
「お前どうせ勉強しないから、学校に何も持ってきてないと思ったんだよ・・・くそ・・・」
理解はすれど、納得はできない。彼女はその言葉の意味を身に染みて理解した。天然かわざとか、いつも憎まれ口を聞くのが李雨だ。まともに反論するのも馬鹿らしく、何も言わずに優貴は椅子に腰かける。
「ねえマサ、祐ととわちゃんは?」
マサ、こと正俊はちらりと時計を見た。彼らの言う祐ととわこは2組、とっくにSHRは終わっている。そして真面目な二人が用事も無いのに遅れるとは考えにくい。
「どうせ生徒会か何かじゃね?今日終業式だし仕事でもあるんだろうよ」
そう正俊が答えたところで教室のドアが開き、2人の男女が入ってきた。
「悪い、遅くなった。生徒会の仕事が入ってな」
先に入ってきた少年が、眼鏡を軽く指で押し上げながら話した。何があったかは知らないが、いつもより不機嫌そうに見える。彼は真っ直ぐに優貴たちのもとへ近づくと正俊の隣へ座った。それにつられ、もう一人の少女も優貴の隣に腰かける。
「お疲れさん。忙しいんだな、副会長?」
祐はそれには答えず、コキリと首を鳴らした。愛想が無いのはいつものことであるので誰もそれを気にはしない。正俊はとわこの方を向きなおした。
「祐君、会長以上に頑張り屋さんですからね。夏休み中の行事も祐君がほとんど指揮を執っていますし」
そう言ってとわこは微笑む。祐の態度に皆がそれほど腹を立てることが無いのは、彼女のフォローがあってこそなのかもしれない。いうなれば典型的な『癒し系』というやつであろうか。
優貴は祐に聞こえぬよう、とわこに顔を近づける。
「ねぇ、祐今日機嫌悪くない?何かあったの?」
「ああ・・・。今日の生徒会の集まりで、先生方が『最近の生徒の服装や態度の乱れは、生徒会の監視が不十分だからだ』とおっしゃってから少し気分を害してしまったみたいで・・・」
それを聞き、優貴は苦笑いをした。あまりに祐らしい理由だ。自分第一主義なところがある彼にとって、他人の素行を自分のせいにされるなんて最も不愉快なことだろう。
微妙に重苦しい空気の漂う中、声を発したのは真由里だった。
「まぁ、そんなことより夏休みの予定決めようよ。せっかく明日から休みなんだからさぁ」
「ん、そうだなぁ。海は行くだろ?あと祭りとー花火とーあとあそこのプール新装開店したよな!」
李雨が嬉しそうに話す。あまりのはしゃぎっぷりに、正俊は思わず笑った。子どもの頃から全く変わらない、そこが李雨のいいところでも悪いところでもあると改めて考える。
そんな彼らを見て、祐が再び眼鏡を押し上げながら口を開いた。
「まったく・・・課題があることを忘れてるわけじゃないだろうな?去年のように期日直前に見せてくれだなんて言っても見せてやらないからな」
そう言い、祐はにやりと笑う。彼らのはしゃぎっぷりを見て不機嫌な気持ちはどこかに行ってしまったらしい。馬鹿騒ぎするのが好きなわけではないが、彼にとってこの友人たちは不思議と居心地が良いもので、よく機嫌の悪い時は救われていた。
「うぇえ・・・頼むよ、祐ー・・・」
李雨が情けない声を出しながら消え入るように呟いた。優貴は、私にはとわこが居てよかった、と心のうちに思った。課題の滞納犯はほとんどがこの2人だ。それを見てマサが呆れたように言う。
「まだ夏休み始まってもねぇのに、今から課題見せてくれとか・・・やっぱりはなから課題やる気ねえんだな」
「あ、ばれた?」
わざとらしく笑う李雨につられ、彼らも笑った。こんなくだらないことで笑い合えるのは高校生の特権とでも言うべきであろうか。
ひとしきり笑った後、そういえば、と正俊が口を開いた。
「自由課題ってのがあったよな。あれ何にする?グループでもオッケーっつってたし勿論このメンツでやるだろ?」
祐を含め、皆それに賛同した。どうせ自分に頼りきる気であろうと祐は分かっていたが、反対しなかったのは大勢の方が効率が良いし、ここで反対するのはあまりに意地が悪いということぐらいは分かっていたからだ。
「でも、自由て言ったって何すればいいんだろうね」
優貴が椅子の背にもたりかかりながらぼやいた。そんなことは早く済ませて遊びの予定を立てたい、というのが本音だった。
「過去の物を見せてもらいましたがいろいろありましたよ。例えば物理学を応用した水のアートや小さなロケットを作って飛行距離を調べたり・・・。変わったところでは自分たちで数学公式を発見する、なんて物もありましたね」
とわこの言葉に、正俊が鈍い声を出す。
「何それ、くそめんどくさそうじゃん・・・もっと簡単なの無いわけ?」
あまりにやる気の無い言葉であったが、まったくの同意見であったため真由里は何も言わなかった。課題なんかでそんなに本格的な物をしていては、せっかくの夏休みがそれだけでつぶれてしまう。
また祐も同意見であった。そんなくだらないものに時間を費やすよりは入試勉強に没頭するほうが彼にとってはよっぽど有意義だった。
とわこは表情を変えずに首をかしげた。
「そうですねぇ・・・多かったのは、歴史についてでしょうか。戦国武将について調べたり、あとはこのあたりの歴史や神話等について調べたり」
「神話?」
そう返した優貴の目がきらりと光ったのを正俊は見逃さなかった。また良からぬことを考えているな。トラブルを持ち込むのは優貴の十八番だった。そしてそれが良い結果に終わったことは滅多に無い。そんな正俊の考えはお構いなしに、彼女は続けた。
「じゃあさ、天刻神社について調べない?肝試しも兼ねて!」
「どういうことだ?」
祐が怪訝そうな顔で尋ねる。天刻神社なんて聞いたことも無いし、肝試しという単語もひっかかる。
祐の問いに答えたのは優貴ではなく正俊だった。
「俺らの家の近所に天刻神社ってのがあるんだよ。時間を司る神が祀られている、とかなんとか?んでその敷地内に小さな祠みたいなのがあって、そこには死者の怨念が宿っているって噂があるんだよ」
そう説明しながら、彼は自分の勘が当たっていたことをひしひしと感じていた。怪談話なんてこいつが食いつきそうな物だ。確かに普通の歴史について調べるよりは面白いと思うが・・・。
けれど、やはりというか、祐がそれを鼻で笑い飛ばした。
「くだらんな。怨念なんてあるわけがないだろう」
「う・・で、でも」
「でもじゃない。もっとまともな物を考えるんだな」
優貴は不服そうに黙り込む。今までも彼女のくだらない意見はたいてい祐によって却下されてきていた。少し不憫かもしれないが、それによって余計なトラブルに巻き込まれるを防いできたのも確かだ。
だが今回は少し違った。二人の話に割って入ったのは真由里だった。
「でも、面白そうじゃん?普通に歴史調べるよりも楽しそうだよ。すぐに済みそうだし。それに、他の奴らと被らなそうじゃん、ねえ?」
キッ、と祐の目が真由里を見る。しかし真由里は少しも気にする様子もなく、微笑み返した。
「そうですね。怪談と神話、というテーマは見た限りありませんでしたし。調べてみると面白いかもしれないですね」
とわこまでもがそれに賛同し、祐は少し驚きながらも小さくため息をついた。他の4人ならまだしも彼女に言われてしまったら逆らえない。彼は反論の余地を無くす彼女の言葉にだけは弱かった。
「・・・真面目にやるという条件付きだ。そしてあくまでも遊びじゃなく課題だからな」
「ぃやったぁ!」
優貴と真由里がハイタッチを交わす。まるで父親と母親だな、と正俊はとわこと祐を見た。こんな性格の違うメンバーがまとまっているのは彼にとってずっと不思議なことだった。これが巡り合わせという物であろうか、と思って自分の考えがあまりに馬鹿らしく一人で笑った。
そうして皆がはしゃぐ中、李雨だけは一人で黙り込んでいた。それに気づき優貴が声をかける。
だが彼はごまかすように笑うだけで答えようとはしなかった。彼女もそれを追及しようとはせずに話の輪へと戻った。
祐の許しを得たこともあり話はとんとん拍子に進み、7月中に課題を終わらせたいという優貴の意見で神社へは3日後の土曜に行くことで決定した。
遊びの予定もたくさん立て、その日は解散となった。
楽しい夏休み。
そこにいた―李雨を除いた―誰もが、それを信じて疑わなかった。
疑う余地も無かった。