第弐拾壱話/記憶と引き換えに
この力の持続時間は極めて短く、三分ほどだ。
三分もあれば充分だろう。
閃光のごとき速さでアサナミに迫り、ガルシャは袈裟斬りを放つ。
驚愕に瞳孔を開きつつも、アサナミは首の皮一枚で回避し、あろうことか反撃の蹴りまで見舞ってくる。
(脅威にはならねぇな)
首を捻って躱し、横水平に剣を払う。
白銀の髪をいくらか切断した。
アサナミが後方に飛びのく。肩で息をする彼女は、はじめて焦りを見せていた。
「そんなはずない……。あたしの速さにあんたが追いつけるはずがない……!」
「返す言葉もねぇよ。けど、俺の元師匠なら追いつける」
獰猛に笑って告げる。
「せいぜい逃げ切ってみせろよ、化け猫」
「っ……!」
次で仕留める。
深く息を吸い込み、ガルシャは重心を前に傾けた。
その殺意を感じ取ったのか、アサナミは必死の形相で逃げ場を探している。と、彼女の動きが止まった。視線の先にファイを捉えたときだった。
口を「え」の形にして硬直するファイを見て、アサナミは醜悪な笑みを浮かべる。
「取り引きしよう。あんたが手を引くならあの子の――」
脅迫するつもりだったのだろう。
確かにそれは有効な手段だ。しかし、彼女は誤った。
脅迫が通用するのは、自分が相手より優位に立っているときに限るのだ。
彼女が言葉を紡ぎ出してからそこに至るまで、時間にして一秒強。それだけ時間があれば、彼我の距離、十メートルを詰め、間合いに入るには充分だった。
「光姫喧伝流、漆の構え――光穿ち!」
最速に最速を重ねた電光石火の突き。
中空に梔子色を走らせる切っ先は、アサナミの左胸を貫いていた。
「かはっ……!」
血反吐を吐き出し、くずおれる。今、貫いたのは、銀糺虎の心臓だろう。鼓動の気配だけを頼りにしていたが、どうやら狙いを違うことはなかったようだ。
アサナミの心臓に、銀糺虎の心臓。
旧友に加えて、神の遣いまで殺めてしまった。
「どの道、地獄に落ちるのは決まってるしな」
剣を鞘に収めた直後、頭の中からすとんとなにかが抜け落ちた気がした。
大切ななにかが、音を立てて砕けたような気がした。
◇
傀儡となった旧友は皆、絶命間際にそのことを思い出す。
アサナミもその例に洩れず、
「魔物はあたしの方だったねー」
と、力ない声で冗談めいた風に笑いかけてきた。
銀糺虎と融合し半神獣とでも呼ぶべき姿になっていた彼女だが、今はすっかり人間の姿に戻っている。銀髪は浅紫色に。金の瞳は桜色に。今の姿の方がずっと魅力的だった。
「この力でたくさんの人を救って笑顔にするんだって、自分に誓ってたんだけどなぁ……」
凛とした瞳は儚く揺らいでいた。彼女はつぶやく。
「傷つき病める貴方に祝福を――捧癒歌」
それはガルシャのよく知る天技だった。
ことりと、どこからともなく透明な液体の入った小瓶が出現する。
「それを飲めば、街の人たちの禁断症状は解消される」
蚊が鳴くような声でアサナミは言った。瞳は既に虚ろだった。
彼女はふたたび命を唱えようと試みる。
しかし、不発に終わる。
「傷つ、けほけほっ! 傷つき病める貴方に……はぁはぁ。……やだ。こんな最後はやだよぉ」
アサナミの瞳からぽろぽろと涙があふれる。
その悲痛な姿に胸が激しく痛む。彼女の掲げる人生の指針を無視し、道具として使役した皇帝に強い殺意を覚える。
その醜い感情を深い呼吸で胸の奥に追いやり、ガルシャはアサナミの手を握り締めて言った。
「俺がディーゼの人たちを救ってやる」
「無理だよ。げほッ! ……が、ガルルにこの薬は作れないじゃん」
「いいや、できる。アサナミさんとの想い出を捨てれば」
当然、捨てたくなどなかった。しかし、こうする以外に彼女に恩返しする術を見つけられなかった。
仲間を殺し、あの頃の恩を返す。それがガルシャの旧友殺しの旅の最優先事項だ。
想い出を捨てたくない、というのは、ガルシャの我がままでしかない。
「約束する。俺は必ず、あんたが意図せず傷つけてしまった人たちを癒してみせる」
強く言い切ると、アサナミはふっと破顔した。
あの頃、何度も目にし、何度もドキリと胸を弾ませた、優しく美しい笑顔だった。
「たくましくなったね、ガルル。……ありがとう。あたしを殺してくれたのが、君でよかった」
瞳が睫毛の下に伏せられる。
安らかな表情で、彼女はこの世を去っていった。
「……じゃあな、アサナミさん」
何人もの仲間を癒した清く美しい彼女の手に口づけを落とし、ガルシャは約束を果たすため、忌まわしき呪言を口ずさむ。
「殺戮に飢え、屍を喰らいし諸悪の権化、此処に在り。
死賜返咲――捧癒歌」
命を唱え、天技を発動する。
ひとつ、またひとつと、人々に希望を与える小瓶が増えていく。反対に、アサナミと過ごした記憶は少しずつ、満月が新月に戻るように、欠けていく……。




