第拾参話/死霊たちの歓迎
ヨルトゥグを出てから五日が経とうとしていた。
「ジノザを見て私は確信したよ。皇帝の傀儡となった彼らは、私たちがよく知る〝あの頃の〟彼ら以上に強くなっている。ガルがここ二年、死にもの狂いで腕を磨き、お世辞にも完璧とは言いがたいが、光姫喧伝流を物にしたようにね」
「それとは訳が違うだろ。鍛錬を積めば命を唱える必要がなくなる、なんて話は聞いたことがねぇ。大陸最強と謳われるあんたでさえも、無詠唱で天技を使うことはできなかったんだろ?」
「うん、その通りだ。それは、あのケッソクのヒカリカを以てしても為せなかった業だ」
「自分で言うかそれを」
「私が人類の極峰に限りなく近い存在であることは事実だからね。とすれば、これは皇国側の誰かの天賜によるもの、と考えるべきだろう。いやはやこれは厄介極まりないね」
無詠唱とはすなわち、ノーモーションでジャブを放ってくるようなものである。命を唱える姿を見れば直に天技が迫りくる、と心構えができるが、無ければ当然、咄嗟の対応をせざるを得ない。準備の有無で対処の精度に雲泥の差が出るのは言わずもがなだろう。
「ガルシャさん!」
と、ヒカリカとは反対の方角からファイが声を張り上げて名前を呼んでくる。
「もう仲間外れにしないって、昨日約束してくれたばかりじゃないですか」
拗ねたように、小さな声で毒づいてくる。
不満よりも遠慮が勝っているとすぐにわかる表情と声色だった。相好を崩すことも、顔をしかめることもせず、ガルシャは淡白に応じる。
「なら勝手に入って来ればいいだろ」
どういう理屈かはわからないが、姿かたちこそ見えないものの、ファイは先日からヒカリカの声を聞き取ることができるようになった。
それが天賜の影響なのかはわからない。彼女が自らに宿る天賜を認知していないからだ。
天賜とは選ばれし人間が心身の発達に伴って無意識に理解するものであり、その体験をガルシャも幼き頃にしている。ゆえに、ファイの反応は不自然を極めていた。
もう十六になる彼女が未だに自らの天賜を理解していない、などということがあり得るのだろうか。
天賜にまつわる学びを皇族時代に受けたヒカリカ曰く、遅くとも十五までには自らが天より授かりし力の存在を知るのだそうだ。
「無茶言わないでくださいよ」
ファイは柳眉をひそめる。
「〝あの頃の〟なんて、部外者お断りと言わんばかりの文言が聞こえたら、図らずとも二の足を踏んでしまいます」
「そいつは失敬。そんな意図はなかったんだけど、私の配慮が欠けていたようだね」
謝罪すると、ヒカリカはとことこ歩いてファイの隣に並ぶ。ヤな笑みを携えていた。
「しかし、私とガルが仲睦まじくする姿にこうもわかりやすく嫉妬するなんて、君はつくづく愛らしいね。食べてしまいたいくらいだ」
「し、嫉妬なんかしていないです。ただ仲間外れにされて寂しかっただけで……」
ぷいっとそっぽを向く。降り注ぐ陽射しの影響か、頬には赤みが差していた。
「ふふ、かわいい妹だ」
「わたしはヒカリカさんの妹じゃないです」
「なら気軽にお母さんと呼んでくれたまえ」
「お姉さんと呼ぶよりもハードルが上がっています……」
「おっ、今、私のことをお姉さんと呼んだね? うんうん、実に甘美な響きだ。これからもその方向でよろしく頼むよ、ファイ」
「どうしよホッケルン、この人全然話を聞いてくれないよ……」
親睦を深めているようでなによりだ。
ファイにも声が届いているということは、ヒカリカはガルシャだけに視える幻影だった、というオチはないだろう。それに少しだけ安堵する自分がいた。
「そういえばガル、昨日ファイの要望で河原に立ち寄ったことを憶えているかい? あの時、とある断定が確信に昇華したんだけどね――やはりこの子、相当着やせするタイプらしい」
「ひ、ひひヒカリカさん!?」
突然の告白に、ファイは顔を真っ赤に染めてぶんぶん手を振りひどく狼狽している。
対するヒカリカは、そんなファイを見てくつくつと笑っていた。つくづく性格の悪い女だ。
「大丈夫だよファイ。地上に遍く雄は、例外なく雌の裸体に興奮するようにできている。それすなわち、ファイのたわわな果実を妄想して好感度アップすること間違いなしだ。そうだろう?」
「勝手に言ってろ」
大きいとか、小さいとか、どうだっていい。
そんなことをガルシャに問うよりも、頭から湯気を出すファイをなんとかして欲しい。
◇
陽が半ば沈み、頭上では茜色と藍色が溶け合いはじめた頃合い。
ガルシャ一向は目的としていた街、ディーゼに到着した。
「静かですね……。街ってどこもこのような感じなのですか?」
「いいや、こいつは異常だ」
一見する限り、ディーゼは山間にぽつねんとあったヨルトゥグとは比較にならないほどに発展した街である。軒を連ねる秀麗たる建築物に、大理石で出来た大通りに、藤の花が乱れ咲く川のほとりへと続く鉄橋。皇国付近にある街に負けず劣らずの美麗さである。
しかし、そこから生者の生活の息吹はまるで感じられなかった。
弾んだ声は一切せず、商売を営んでいる気配は感じられない。橋の下を流れる小川のせせらぎだけが、いやに大きく鼓膜を揺らしている。
と、それはヒカリカとファイに限った話で。
「ファイ、俺の後ろに隠れろ」
「え?」と首を傾げるファイ。
「なにかいるのかい?」とヒカリカが訊ねてくる。
「あぁ。好戦的な死霊が腐るほどいやがる」
ガルシャの琥珀の瞳にだけ、それは鮮明に映っていた。
飢餓状態にある肉食動物のような呻きを漏らす異形の群れがガルシャたちを取り囲んでいた。
死霊は生前の姿で現世に在留する。それすなわち、彼らは死の間際も、今の禍々しく薄気味悪い出で立ちにあったということだ。
中には二足歩行するものもいるが、瞳も鼻もなく、裂けた口しかないそれを人と定義するのは無理がある。この地にはかつて、人ではない〝なにか〟が巣くっていたのだろう。
愛剣を正眼に構える。
「来いよ、今楽にしてやる」
「Gaaaaaaaaa……!」
けたたましい奇声を上げ、異形が雪崩のようにこちらに迫り来る。
眼を巡らす。――敵に武器は無し。脅威になりそうなのは、牙、爪、尻尾といったところか。
接敵速度も、鈍重というほどではないにせよ、警戒するには値しないものだ。
剣を肩に乗せ、どっしりと腰を構える。重心はやや前方に。
肺を酸素で満たし神経を研ぎ澄ます。
――脳が理解をはばかる不快な吶喊の声。耳をつんざく地響き。
五感を研ぐ。雑念を削ぐ。己が欲する未来の匂いを嗅ぐ――。
――今!
「光姫喧伝流、陸の構え――光輪鞭!」
幾許かの溜めを要し、かてて加えて大ぶりのため隙の生じるこの業は、しかし一撃で大群を無力化するほどの威力を秘めている。
刹那、中空に浮かぶは、梔子色で描かれた直径三メートルにもおよぶ巨大な真円。
それは、迫り来る異形に粗く深い切創を刻み、彼らの命を余すことなく蹂躙する。
「……もう平気ですか?」
「あと少しだけそのままでいてくれ」
剣は軽く構えたまま、取りこぼしがないか周囲に視線を走らせる。
柱の陰に気配を感じた。
地面を蹴り上げ接近する。
柱の裏にまわるなり剣を振りかぶり、
「あ、あぁぁ……」
少女が戦慄していた。
ファイより少し年下くらいだろうか。なんにせよ人間だった。
少し遅れてやってきたファイが、ガルシャと少女に交互に目を配るなり、ぎょっと目を剥いて少女を抱き留めた。「ごめんね、こわかったよね」と優しくささやきながら背中を撫でている。
剣を鞘に収めて息をつくと、頬に非難のまなざしが刺さっていることに気づいた。
「ガルシャさん、この子にごめんなさいしてください」
「謝罪する必要はねぇだろ。むしろ非は怪しい素振りをしてたそっちにある。てめぇが謝れ」
凄むと、少女がひっと短く悲鳴をあげ、ファイの胸に顔を埋めた。
ファイがますます不機嫌になる。
「いいから謝ってください」
「……悪かったよ。急に剣を突きつけて」
明後日を向いて言うと、ヒカリカが腹を抱えて爆笑していた。




