第9話 遺伝子を残さないで①
「雨のせいで、ちょっと寒くなってきたわね。早く家の中で温まりま…あっ、一葉…!」
家に着くなり、玄関で靴を脱ぎ走って階段を上っていってしまった一葉。
「いいよ、今は1人にさせてあげよう」
夫は私の肩に手を置き、静かにそう言った。
ほどなくして、2階からバタンと強めに閉まったドアの音が聞こえた。
開けっぱなしの玄関のドアからは、外で雨がザーザーと音を立てて降っているのが、いつもより大きく聞こえる。
私は玄関の外に出て、傘についた雫を落とし、空を見上げる。
空は曇天で、上からは細かい雨が止めどなく落ちてくる。
「先に中に入っているよ」
玄関の外で立ち尽くす私に、夫が優しく声をかけた。
私は振り返って夫に向かって頷いたあと、また1人曇天を見上げる。
傘の先からポタポタとしたたり落ちる雫が、玄関外の床タイルの色をジワッと染めていく。
◇◇◇◇
「結婚したら、私がどうなるか…ですか……?」
美代子に投げかけられた言葉に、一葉は動揺したようで、太ももの上に置かれている手の指が、落ち着きなく動く。
「えぇ、そうです。まずね、2人でいる間は、今とそこまで変わらない生活を送っていけると思います。他人同士が結婚したのだから、価値観や生活スタイルに多少のズレが生じるとは思います。ですが、おそらく、あなたは息子は発達障害だからしょうがないと自分に言い聞かせ、息子を理解しようと努めたり、もしくは我慢する…ときには、モヤモヤしたり疑問を感じながらも、結婚生活を過ごしていくと思います。ただ、子どもが生まれた後は、想像を上回るほどに大変になります。必ずとは言い切れませんが、おそらく生まれてくる子どもも、息子と同じ発達障害を持っているでしょう…なぜなら、遺伝性が高いと言われているからです…。赤ちゃんの頃こそ、夜泣きが世の中の平均より多いな程度で、他の発達に関しては順調に進んでいきますが、年齢を重ねていくうちに、どんどん目に見えて他の子との違いが浮き彫りになります。あれ…うちの子、なんかおかしいのかな…?と…。そして、保育園あるいは幼稚園に入園した後に、子どもの発達面について園から話があり指摘されます。そして、やがて療育通いが始まりますが、子どもとの関わり、園、療育の3つをバランス取ろうと奮闘するあまり、一葉さんは仕事との両立が困難になり、仕事を辞めざるを得なくなります。そして、こんなに頑張っていても、園でのイベントのたびに、自分の子どもが他の子と同じようにできないことを目の当たりにします。そして、それは幼稚園以降も続きます。それ以外にもあります、小学校、中学校、学校に入学するタイミングでは、入学前に検査で引っかかり、入学後はより手厚いサポートがより必要となっていきます。園時代からそうですが、集団生活に馴染めず、友達との関わり方にずっと困難を極め、どうしても孤立がちになります。そして、そういう問題について、一葉さんは一つ一つ子どもと向き合い、辛抱強く解決していかなければなりません。普通の子どもにも躾をすることは大変ですが、発達の子にはその倍以上の大変さがあります。なぜなら、普通は分かりそうなこと、できそうなことが、分からない、できないからです。一葉さんが親になった場合、膨大な時間と労力、精神力、体力が必要になります。子どもの、特に発達面に問題がある子との関わりは、今一葉さんが働いていることの数十倍…大変になるかと思います…。それは、決して、一葉さんの仕事を軽視しているなどではありません。ただ、私ならできる、頑張れると思っている一葉さんが想像している以上に、…大変だということです…。そして…発達の子を、同じ発達の人が理解して協力して子育てをするということは、脳の問題なのでしょうか…とても難しい…ということです…」




