第8話 まだ結婚したいのですか
個室のテーブルに、娘の彼の母美代子を前に座る私、夫、一葉。
個室の部屋には、冷ややかな沈黙が続く。
「…何か…飲み物を頼みませんか…?」
沈黙を破り、美代子が声をかけてきたが、私は目線を合わさず、片手を胸元に上げてふり、無言で断った。
夫と一葉は私の様子を確認したあと、首を振るなどして同じように断っていた。
「…ここは私が負担しますので、勝手で申し訳ありませんが、私が選んで頼ませていただきますね」
そう言うと、美代子は先ほどの女将を近くに呼び、口に手を当て小声で何かを注文していた。
女将が頷き下がったあと、美代子は私達の方へ向き直った。
「先ほどお食事を済まされたかと思いますので、軽めの飲み物を頼ませていただきました」
美代子はそう言うと、一葉の方へ体を向け、深々と頭を下げた。
「このたびは、私の息子がご迷惑をおかけし申し訳ありません。言い訳にしかならないとは思いますが、先ほどの顔合わせにも出ようという思いはありました。ですが、…夫と息子に会うと、私はどうしても2人の至らなさに目がいってしまって…今回は結婚のための顔合わせと聞きまして、それなら尚更色々と気にしないといけないと……。それで、結果喧嘩に…まぁ口喧嘩ですけれども…。そんな状態になってしまいまして、先ほどの場へ一緒に出ることができなくなってしまいました。本当に申し訳ありません」
「……出ることができなかったのは、その喧嘩が原因のようですが、それは、お母様の意思ですか?それとも、彼の意志でしょうか…」
真実を知らなかったのであろう一葉は、美代子の話に少し動揺したようだった。
「…喧嘩した直後は来るなと息子から言われましたが、最終的には来たらというメッセージは、スマホに入っていました。あの子は普通の方とは違って、怒りの沈め方が難しく時間がかかるのと、カッとしやすい性格なので、落ち着いてきてから考え直したんだと思います。夫は…なんというか、私もいた方がいいだろうけれど、いなくてもまぁ別にそれならそれで、という考えなんだと…思います。夫とはあまり話していないので、正確なところは分かりませんが…。なので、行かなかったのは最終的には私の意思にもなるかもしれません…ね……」
そう話す美代子の口元の口角は上がっていたものの、瞳の色は暗く沈んだ表情だった。
一葉はというと、美代子の話に小さく相槌をいれながら、美代子の顔を見て真剣に聞いていた。
黙って聞いていた私も、とうとう我慢できずに話に加わる。
「先ほど、息子さんがカッとしやすいという話でしたが、それは幼い頃からですか?」
質問しながらも、彼がカッとした場面が脳裏によみがえる。
一葉に連れられ、彼が家に挨拶にきたあの日。
"山車"の漢字が読めなかっただけで、急にキレたあのとき。
私はあの瞬間、直感的にこの人間は相容れられない、そんな気持ちになったのだが、今思えばそれは人間の本能的な部分で、危険を察知したのかもしれない。
「はい…。息子は幼い頃から感情のコントロールが苦手で、怒りだけでなく悲しみや嬉しいなどの感情も人よりオーバー気味でして、制御しにくかったと思います」
幼い頃から…それなのに、まだうまくコントロールできないの?
美代子の言葉に、私は思わず大きく溜め息をつく。
溜め息をついた私を、一葉が横目でチラッと見たのが分かった。この場で、そんなあからさまな態度を出すなという牽制なのかと思い、私も一葉を見たが、どうやらそうでもないらしい。
なぜなら、一葉の表情は冴えなかったからだ。
「…でも…それって…言い換えれば、喜怒哀楽が大きくていいっていうことにもなりすよね…?…彼は笑うときは、大きく豪快に笑いますし…それに、面白い話とか、そういうのも上手で、よく頭の回転が早いって彼の周囲の人にも言われてもいましたし…」
最初こそ、口ごもっていたが、話してる間に声のボリュームも上がってきて、少し感情がヒートアップする一葉。
わかるんだけどね、反対されたり悪い話を聞かされると、反発して言いたくなるのは。
私は一葉が彼を擁護する言葉に、まだ彼に気持ちがあるのかと気持ちが落ち込み、ゆっくりと視線を上げて美代子の顔を見た。そして、ハッと気付いた。
美代子は、もしかしたら私側なのかもしれないと。
美代子は凛とした表情で、一葉の話を黙って聞いていたが、その目の奥には何か固い決意のようなものを感じ、それが私と同じ類のものに見えたのだ。
「ありがとうね、息子のことを褒めてくれて…」
美代子は、一葉に優しく微笑んだ。美代子は笑うと頬に笑くぼができ、実年齢は何歳か分からないが、その笑くぼのおかげで若く見える。
だが、時折り見せる暗い表情に、疲れ切った顔が見え隠れするのに気付いた。
「…そんな話をしてくれたあとに、こんなことを聞いて、ごめんなさいね。一葉さんは、息子の障害のことを聞いても、まだ息子と結婚したいと思っているのですか…?先ほど、息子はADHDだとお伝えしましたが、おそらくASDも含まれていると思います。診断はADHDだけおりているのですが、私にはそれだけではないような気がするんです」
ハッキリと一言一言話す美代子に、一葉は気圧されたのか、口をギュッと結び石のように固まってしまった。
娘の様子を見かねて、私が美代子に話を振る。
「病院には、行かれていないのですか?」
「昔は、彼が幼い頃から継続的に面談もかねて通ってはおりました。ですが、私が家を出ている今はおそらく…行っていないと思います。離婚したあと、途中から本人の意思で行かなくなったと夫から聞きました。…夫は…あまり息子のそういった問題には関わってこなかったので、行かなくなったことを危惧するなどもなかったようです…」
「息子さんが行かなくなった理由、それはなぜです?」
「病院に行っても先生と話をするだけだし、必要に応じて薬を処方されるだけで、面倒くさいと…。息子はそう言っていましたが…私の勘でしかないのですが…おそらく、自分は周りと同じと思われたい、見られたい、障害者だと思われたくないという気持ちが出たのだと思います。本人も、色々葛藤があったのかとは思いますが…」
葛藤があったとしても、行くべきなんじゃないの?
だって、まだ怒りのコントロールできてないじゃない。あなたの息子さん、私に漢字の読み方が間違っただけで、怒鳴りつけたのよ??
そんな人に、誰が大事な娘を預けたがるのよ。
私は美代子の話を聞きながら、怒りを通り越して呆れてしまう。
私の気持ちが顔に表れていたのか、美代子は私と視線が合ったときに、悲しそうな申し訳なさそうにし、ゆっくりと視線をテーブルに落とした。
また沈黙になったとき、まるで頃合いを見計らったかのように、個室のドアがノックされ、美代子が頼んだ飲み物が運ばれてきた。
目の前に置かれたのは、コーヒーでもお茶でもなく、湯気が出ている薄い金色の飲み物で透き通っていた。
私や夫、一葉が不思議そうに見つめていると、美代子が静かに話し出した。
「こちらは、ここのメニューにない飲み物でして、出汁を使った飲み物になります。スープとも違うんですが、コクがありながらも、これ単体で飲んでも後味はスッキリしますし、体も温まりますの。私は家族のことで悩んだときに、よくここに立ち寄り、これを飲ませていただきました」
美代子が私達に飲むよう手で促したので、断るのも何だと思い、飲むことにした。
美味しい…!
今まで飲んだことのない味と美味しさに、私は驚いたが、それを素直に口にできるほどにはまだ、美代子に心を開けなかった。
しばらくは全員が飲み物を持ち口に運ぶ時間となり、話しは中断されていたが、一葉がポツリと呟いた。
「……私は…結婚は…したいと思っています…。さっき言われた障害も、今は世間での認知度も上がってきていますし、それに治療法も薬などがあると聞いたことがあります。…何よりも、彼はきちんと働いているじゃないですか。優しかったり、思ってることを人にもハッキリ言ってくれますし、いいところがいっぱいあります。発達障害も、私がきちんと理解して協力していけば、一緒に乗り越えていけると思うんです」
——まだ結婚したいと思っているの!?
私は驚いて一葉を見ると、一葉は飲み物の器を両手で囲い、美代子を見つめていた。
美代子もした表情で、一葉を黙って見つめていた。
「…そう思うのですね…。そうしたら、話してあげましょうか。あなたが、息子と結婚したらどうなるか」




