第12話 藤本の頭の中
「なんでなんだろうなー…」
ソファに浅く座り、目の前のコーヒーを見つめ、1人ぼやく。
ついさっきまで、正面には結婚予定の一葉が座っていた。
話があると呼び出され、先ほど話を終えたあとに彼女は1人で帰った。
いや、帰らせた、といった方がいいのか。
俺はあの話の後、とても一緒に帰る気にはなれず、少し1人で考えたいから先に帰っていいと伝えた。
少しは寂しそうな顔でもするかと思ったが、俺の言葉にホッとした表情をしていて、それが傷付きイラッとした。
今日の昼頃までは結婚するつもりで話が進んでいたにも関わらず、突然180度話が変わったことに戸惑っているし、正直、理解が追いついていない。
一葉が、結婚を先延ばしにしたい理由は分かった。俺がadhdだから。
それが何よりの理由だろう。
あとは、互いの家族が認めてないとかなんたら言ってたが、それは後付けの口実だろう。
「そのくらい、俺にもわかるっつーの」
テーブル上からガムシロップを掴み取りパキッと開けると、残りが3分の1になったコーヒーに注ぎ込む。
ガムシロップがコーヒーに流れ落ちるのを見つめていると、昔のことが思い出される。
『ほらー、そんなに入れるのはやめなさい、って言ったでしょ!また太っちゃうよ。もう、やめときなさい』
外食するたびに、口うるさくそう母親に言われていた。
ガムシロップを入れ過ぎるのは体に良くないと分かってはいるが、甘いものを接種すると不思議と落ち着くからやめられない。
気持ちが落ち着かないときこそ、甘いものを取りたくなる。
テーブルに転がっている空になったガムシロップに目をやりながら、マドラーでコーヒーをぐるぐるかき混ぜる。
太っているこの体型だって、親のせいと俺のせいと半々だって思っている。なんとかダイエットしようとしたこともあるし、結婚式の日にちが決まったら痩せようとは思っていたが。
まぁ、結婚は先延ばしになったし、今痩せる必要はなくなったな。
あー、そういえば、俺の父方のばあちゃんは言ってたな。
太ってるのは、ストレスのせいだって。
仕事でストレスが溜まってるからよ、って。
だから、仕方ないんだって。
それを聞いたうちの母親は、顔が引き攣ってたっけ。
まぁ仕方ないよな、そういうばあちゃんも太ってたし。働いてなかったけど。
じーちゃんの方も、昔は太ってたらしいけど、今は普通体型だし、俺も歳取ればそうなるっしょ。
俺はフッと笑い、目の前のコーヒーを一気に飲み干す。
「あまっ。けど、これがうまいんだよねー」
ソーサーにカシャン!と大きな音をたてて、カップを置く。
「…会計するか…」
動くのは面倒だし、卓上会計にするために、手を挙げて店員を呼ぶ。
◇◇
外に出ると、雨は少し弱まってはいたが、まだパラパラと降っていた。
持っていた黒色の傘を勢いよく開き、革靴でバシャンと道を踏みしめる。
空は相変わらずの曇天で、今の俺の気持ちを表してるようで、嫌な感じだ。
「一葉との結婚は延期になったけど、付き合ってるのは変わらないんで…いいんだよな?」
頭に浮かぶことをブツブツと口にするが、結局はよく分からなくなって、最終的には1人口笛をふく。
昔から独り言などが多いと周りから注意されて嫌な思いをしたものだが、今日は雨音に掻き消されて独り言も口笛も俺の傘内だけで完結する。
雨の日は面倒くさいが、そういう面では最高だ。
「チャップチャップ〜ランランラン」
楽しそうに歌う声が前から聞こえ視線をやると、レインコートを着た小さな男の子と、傘をさした母親らしき人物が、仲良く手を繋ぎ互いの顔を見ながら楽しそうに歌って歩いてくる。
「あっ!ママママー!みてー!みずたまりー!」
レインブーツを履いた男の子が、目の前の水たまりを指差し、ニコニコしながら母親を見上げている。
俺はその親子とすれ違ったとき、その親子から和やかで温かな空気を感じた。
その親子の後ろ姿を、しばらく立ち止まって見つめていた俺。
なんてことない雨の日の日常だが、俺には懐かしくてたまらなかった。
俺も昔、母親が雨の日に幼稚園に送り迎えをしてくれていた。
まぁ、先ほどの親子と違うのは、あんなに穏やかな空気ではなかったってことだな。
母親は俺と手を繋ぎたがっていたな。でも、俺は自由に歩きたくて手を繋ぎたくなくて。
そういえば、長い時間、手を繋いで歩くのは苦手だったな。
俺は、水溜まりを見つければ、すぐそこに走って行くし。
そうやっては、勝手に走って行かないでって怒られてたな。
けっこう、口うるさく言われて嫌だったわ。
水溜まりを見つけては入りたくなる俺に、よく母親は注意してたっけ。
水溜まりに入ると、いくら長靴でも中にまで水が浸透してきて靴下が濡れてくるから、歩きたくなくなってた。
靴下が濡れると気持ち悪くて歩きたくなくて、抱っこをせがんでは母親に呆れられて怒られてたっけ。
だから言ったでしょ、ってな。
「懐かしいな」
俺は、フンとニヒルに笑う。
あのときは、ただ水溜りで遊びたいだけだったのに、なんであんなに母親に怒られるんだろう、って不思議に思ってたっけな。
革靴で歩くたびに、革靴から水が跳ね飛んでいく。
そういえば、当時は怒られるたびに、俺は母親に嫌われてるって思ってたし。
でも、大人になった今なら少し分かる。
あれは、俺のことを嫌いで怒ってたんじゃないって。
母親は、俺のことを思って色々注意してたんだって。
でも、俺は、怒るのは俺のこと嫌いだからだって思ってたし、実はそういう思いになるのは今も変わらない。
怒られるのは苦手だし、怒られたり何か文句を言われると、途端にその相手が敵に思えて、言い返したり、相手を言い負かせたりしたくなる。
正直、さっき話をしてきた一葉にも、かなりイライラしたし、そのせいで話もあんま頭に入ってない。
ただ、一葉の話の中で、うちの母親が俺の結婚に反対しているのには、正直驚いた。
なんだかんだあって、うちの親は離婚したけど、母親は俺を手塩にかけて育ててくれたように思う。
俺が何かに躓いたら、一生懸命サポートしてくれた。
まぁ、そうは言っても、なんかよく分からんけど、授業での俺の態度が良くなかったとか、グチグチネチネチ嫌味を言われたこともあったけど。
その後、言い過ぎたと思ったのか、急に俺にごめんね、と謝ってきたこともあったな。
でも、ぶっちゃけ、謝られても言われたことは消せないから。そう思ってるってことでしょ?って、内心傷ついてたな。
けれど、俺には母親しかいなくて、結局嫌いになれなかった。
離婚して家を出ていくって話を聞いたとき、正直、俺を見捨てるんだなって気になった。
でも、俺のことはいつまでも大事に思っているし、幸せを祈ってるからって。離婚後も何か困りごとがあったら、協力するから教えてね、って言われた。
それなのに、そんな母親がまさか俺の結婚に反対だったとか、聞いてねーよ。
まぁー確かに?、顔合わせの話をしたときに少しゴタついたが、結果的には俺も謝ったし上手くことは収まったはずなのに。
結局来ないで、コソコソ一葉に会ってるのはイラつくな。
でも、なんでだ?
なにが理由で、俺と一葉の結婚に反対なんだ?
「わかんねー」
俺は家に向かいながら、頭を掻きむしる。
「…なんか考えてたらイライラしてきた」
俺は、前方左側にあらわれた喫煙所に入ると、中で電子タバコを咥える。
プハァーーー
周囲から、タバコはやめた方がいいよって言われるが、これもやめられない。
あー…そういえば、一葉にも体に悪いからやめた方がいいよ、って言われたんだっけ。
でもタバコを吸ってる方が職場ではタバコの付き合いできるし、なんだかんだコミュニケーションになるし。
だいたい、一葉の前で吸うことはないんだし、迷惑かけてねーじゃん?
そういや、一葉は俺にタバコをやめさせるとめに、電子タバコの危険性についてかかれたネット記事を見せてきたこともあったっけを
そんなどこで拾ってきたか分からねーネット記事の内容を、大半の意見だって俺に押し付けてきたのも、嫌だったんだよねー。
それが多くの人のメジャーな意見、みたいに言うのも、わけわかんないし。
…あー、思い出したらまたイライラしてきた。
俺は、電子タバコを深く吸い込み、上を向いて吐き出した。




