家出
「あなたには、格好の悪い所ばかりをみせてしまいますね」
怪我の治ったユリウス様が目を伏せて言い、長いまつ毛が揺れる。
「そんなことは、ありません……」
「あの方に敵わないのは分かっていたのです。
格が違いすぎる。それでも、貴方の瞳に映る時間を少しでも増やしたかったのですよ。馬鹿なのは、自分でもよく分かっています」
傷のない手や胸を不思議そうに見つめながらしゃべる、弱々しい声。
「もうこの様なことはやめて下さい」
「貴方を悲しませるつもりはありませんでした。ただ、後悔ばかりが押し寄せて、どうしたらいいのかわからなかったのです」
ユリウス様は目を伏せ視線を逸らしたまま話す。後悔と不甲斐なさが彼を支配しているのが分かる。
「ラディアンでの私達は、始まってもいなかったのです。どうかこの様な事はやめて、お国で幸せになって下さい」
私はそう言って、逃げる様に離れに戻った。
自分からユリウス様に触れてしまったから、匂いを落とさなくてはならない。
熱いシャワーを浴びて新しい着物に着替えたけれど、リヒト様と会っても何を話したらいいのか分からない。
きっとすごく怒っていると思うと身がすくむ。
やっぱり私に会いたくないのか、一時間たっても二時間たっても彼は離れには来なかった。
夕方の風が離れを渡ってゆく。さっきあった事が嘘みたいに平和な光景。クロム君がいて、テト達が行き交う。
思いたって庭でヴァルファデにブラシをかけていたルース君に声をかける。
「お菓子をアイラさんに届けたいの。連れて行って欲しい」
「い~よ~!馬車をまわしてくるから待っててね~!」
「うん、ありがとう」
シュークリームを籠に詰めて、手土産にしよう。
「クロム君、おいで」
◇◆◇
夕方のアイラさんのお店で、カウンターの中にいるアイラさんとクレアちゃんに向かい合う。
「家出してきました」
「えぇええっ!?!?つむつむ!?何で!?」
ルース君が大声をあげて、私の腕に抱かれたクロム君は目を見開いている。
「逃げてきたのかい?」
アイラさんが優しく聞く。
そう見えるのは分かってる。
けど私の中では違う。首を振って伝わるかわからない気持ちを話す。
「ちゃんと考えたかったのと、距離を置きたかった。あとは、恥ずかしいですけど、アイラさんに、会いたく、なって……」
アイラさんは組んでた腕を解いて言った。
「お嬢ちゃんにしては逃げ出さなかっただけ合格だよ。六十点ってとこだ。距離を置いて考えたかったけれど、どうなるかわからないから大切なジャリ坊だけは抱えて持ってきたって所か。糸目小僧にちゃんと言ったのは、プラス点だよ」
クロム君はまた私をびっくりした顔でみて、けれどギュッと私の胸元を掴む手に力が入ったのが分かった。
「家出とは聞いてない~これは絶対殺されるやつ~」
ルース君は頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
「まぁお嬢ちゃんは逃げずに自分のやりたい事を探すのはまだまだ初心者なんだ。許しておやり。それからお嬢ちゃんはこれから私をお母さんとお呼び。そうしたら残りの四十点をあげるよ」
「おか、お母さ……お母さんっっ、おかっ……」
我慢していた涙が後から後からでてきて、アイラさんは私をクロム君ごと抱きしめて言う。
「私の大切な娘は少し預かるから、糸目小僧は大物兄ちゃんに報告しておいで」
「つむつむは未来の王弟妃だよ!?置いていけるわけないデショ!!報告はメッセージでするから俺はここの護衛!!夜のクロムは寝ちゃうからあてにならないんだよ~~~!」
シュークリームを心配顔のクレアちゃんに渡して、二階の居間でポツリポツリと今日あったことを話す。
アイラさんは何でもない風に優雅に紅茶をのんでいて、クレアちゃんは顎が外れるんじゃないかってぐらい口が空いてる。
私の膝でクロム君がシュークリームを顔中で食べていて可愛い。お食事エプロンを忘れてしまったので柔らかい布で時折り顔を拭いてやる。
ルース君は急遽決まった護衛任務の為に、応援を呼んだり、配置を決めたりと忙しい。
「狼は厄介な一族だからねぇ……おや、これは美味しいねぇ」
「つむぎちゃん、かわいそうぅぅぅ!これ美味しいぃぃ!!殿下は何で来ないのぉぉ!!」
「私からユリウス様に触っちゃったし、怒っているのかも。私、人間だから匂いのことそんなに重要視できてなくて……嫌なの、知ってたのに……」
二階のドアがコンコンとノックされてクレアちゃんが開けると、そこには花束の入った籠を持ったユアンさんが立っていた。
「お久しぶりですお嬢様方。殿下よりつむぎ嬢へお届け物でございます」
花束を取り出すと、底に見慣れた小さなカード。
見るのが怖い。帰ってくるなとか、婚約破棄とか書かれていたらどうしよう。
——明日の朝、迎えにいく。愛してる——
「良かった、帰ってくるなって言われるかと思ったから……」
「その様な事、あろうはずもございません。本日は私もここの護衛に当たります故、何なりとお申し付け下さい」
そう言ってユアンさんも階下に降りて行った。
「はぁ~~家出した婚約者に最側近の護衛をよこすの最高~~~~~~!ってゆーか今日もユアン様を見れて幸せ~~!!!」
「カードにはなんて書いてあったんだい」
カードを見せるとまたクレアちゃんが興奮して叫んだ。
「ロマンチック~~~~~~!!!」
えぇ、そうかな?いつものリヒト様はもっと甘いから、私はまだ少し怖い気もする。
「でも何で笛文使わないの?高価な魔道具だけど、貴族ならみんな持ってるのに」
「私が苦手なの。だから私達はいつもカードでやりとりしてて……」
ラディアンでの笛文の事をかいつまんで話すと、クレアちゃんは自分の事の様に怒ってくれて、カードなんて素敵とも言ってくれた。
沢山おしゃべりをして、二つもシュークリームをたべて、クレアちゃんは帰って行った。
◇◆◇
お風呂上がりのクロム君を着替えさせているとアイラさんが呆れた様に言う。
「あんたねぇ、自分の物は何一つ持ってこなかったのに、ジャリ坊の着替えは持ってきたのかい。歯ブラシまで入ってるじゃないか」
「そういえばそうかも……私の着替えがない……」
「馬鹿だね、母親なんてそんなものさ。ここにはあんたの母親がいるんだよ?あんたの着替えが無いわけないだろ」
嬉しくて、涙がまた出てきそうになる。
クロム君が小さな声で「ははうえ?」と呟いたのが聞こえた。




