マフィン
朝起きても私の頬には新しい涙の跡があって、夢の中でも泣いていたのかと自分に呆れてしまう。
受け取る愛情にあぐらをかいていたのか、何もかも最初から泡のようなものだったのか、今更もう私には分からない。
「おきたかい?スープとパンがあるよ。顔をあらっておいで」
ドアの外から声がかかる。優しい、お母さんみたいな声。 私の返事を待たずに去っていく足音がし、気を使わせまいとしてくれているのが分かる。
涙の跡を洗い流しキッチンに行くと、キッチンに立つアイラさんの後ろ姿が見えた。
「まずはしっかりおたべ。力が出たら陽の光を浴びといで。カルネクアは年中雨が降るけれど、午前中は陽が出るからね」
「はい、ありがとうございます」
人の作ったご飯が心に染みて嗚咽が漏れてしまうけれど、アイラさんは聞こえないふりをしてくれた。
「私はね、店を息子と嫁に取り上げられてここに来たんだよ」
「お店、ですか?」
テーブルの脇に積み上げられた木箱をチラと見ると、商品であったであろう花柄のオルゴールとか、フリルが付いた手鏡、パールの散りばめられたエプロンらしきものなどが雑多に入っている。
「素敵だろ?」
「ええ、とても」
「店は私の宝だったんだよ。けど息子と嫁に騙されて取り上げられちまった。将来跡を継ぐために一緒に盛り上げて行くから権利を先に移してくれって言われてね。嬉しくて舞い上がって渡したらこのザマさ。私の趣味は新しい女主人である嫁の趣味と違うって責められて、追い出されちまったのさ」
アイラさんも逃げてきた?私と同じだ。
「私は……」
「別に無理に言わなくてもいいよ」
ピシャリと言われて狼狽してしまう。
「さ、午後になっちまうと雨が来るからね。食べたら行っておいで。庭に出るとベンチがあるから」
「っ…………はい」
「わたしゃちょっと買い出しと、知り合いを訪ねてくるから留守を頼むよ?必ず陽の光をあびるんだよ」
お日様への信頼が凄くてちょっと笑ってしまうと、私の頭を何度も撫でてからアイラさんは玄関から出て行った。
すごい量の化粧品が並ぶ棚を見て、そういえば朝からバッチリメイクだったなと気がついてまた少しだけ笑った。
馬鹿みたいに流れる涙をそのままに、言われた通りに庭のベンチでぼんやりしてからキッチンに立つ。
家の周りに群生していたベリーを使ってマフィンを作る。
小麦粉もふくらし粉もバターも砂糖も少しずつ借りて、二つだけ作る。
装飾品を売れば少しはお金になるはず。今度ちゃんと補填しよう。
生地の量が少ない分いつもより丁寧に、感謝を込めて。
◇◆◇
「おやこれは美味しいねぇ。やりたい事が出てきたのはハナマルだね。私もね、知り合いの店の一画を週に一回借りる算段をつけて来たからね。週一の、テーブルの上のお店だ」
アイラさんは強いな。もう前に進んでる。
私はどうだろう。こうしている間にも時折り頬を涙が流れる感覚がする。
アイラさんはもう私の涙を指摘しない。私も流れるままにしてる。流し切ってさえしまえば、いつかちゃんと枯れて私もきっと進んでいけるはず。
今は彼に背を向け前を向く事だけ考えよう。進めなくても、前を見るだけでも。
「お菓子を作るので、私にも売らせてもらえませんか?私は私のできることがしたいです」
アイラさんはカラカラと笑った後、腕を組んで難しい顔をした。
「お嬢ちゃんは逃げてきたと言ったね?どこから逃げてきたかは知らないけれどカルネクアの土地じゃないね?」
「はい、エルダゾルクから逃げて来ました。私の他に沢山の女性がいた事が分かって……私は、七番目でした」
簡潔に説明したけれど、涙が溢れて止まらなくなってしまった。
「そりゃまた派手だね。あぁ、無理に話さなくていい。そうではなくて、国民権の有無が知りたかっただけさ。お嬢ちゃんは今エルダゾルク神と契約をしてるって事だね?」
「はい」
「契約破棄はしてないんだね?」
破棄?そんな事できたんだ。それすら知らなかった。
「していません」
「国を出たのは初めてかい?常識だが一生国を出ない奴には関係の無い話だから教えられてなかったかね。国民権がないとね、その国での納税が出来ない。働けないと言うことさ。抜け道はないでも無いけど、国民権があると無しじゃあ生活の質が変わってくる。今後の目標はエルダゾルクとの契約破棄だね」
なるほど。今も私はエルダゾルク国民ということか。あの人のいる、あの人がおさめる国。
「役所に依頼して、王族から許しが出れば書類がもらえる。まぁ弱い種族の一般人はすぐに貰えるから安心おし」
ここに来て壁にあたってしまった。
あの人の気持ち次第なのか。
「まぁ逃げ出した国にまた入るのは気持ちがまだ落ち着かないだろ。ゆっくりやればいい。その間は私がこの美味い菓子を作ったことにして売ろうね。あんた自身が売ることはできないからね」
「ありがとう……ございます。ご厄介をおかけしてばかりで……」
「あんたはもう私の娘だよ。母親には迷惑をかけるのが子どもってもんさ。まぁ私は子育てに一度失敗してるから偉そうなことは言えないがね」
そう言ってまたカラカラと笑う。
彼を想うものとは違う涙が溢れて顔を覆った。




