栄光の凱旋
王子を救ったアルウは、ラムセスと一緒にテーベに凱旋した。
テーベの王宮でセティ王の歓待を受けたアルウは名誉国民とされ、貴族と同等の地位を得た。
ついにアルウの名誉は回復したのだ。
アルウが再びテーベの職人長に返り咲くと、セティ王はアルウの住まいと工房を王宮の敷地内に与えた。
コンスの父親パネブは、副総理ペンタウェレトとの贈収賄が明るみに出ると逮捕され、百叩きの上アスワンの石切場へ労働者として追放。一方のペンタウェレトも裁判により多数の収賄があきらかになると、失脚して投獄、不当に得た財産は全て没収されたのだった。
名誉を回復したアルウはセティ王から与えられた邸宅のバルコニーで、ネフェルタリと二人して肩を並べ夜風にあたっていた。
夜空には三日月を挟んで水星と木星が縦一列に並び、星空の神秘さを際立たせている。
「家は焼かれ、母と妹の行方がわからないのです」
月明かりに浮かび上がるナイルを、アルウは見えなくなりかけた目で眺めながら拳を硬く握りしめる。
アルウの目は過酷な鉱山労働と栄養失調で眼病を患っていたのだ。
しかも病は重く、徐々にアルウの視力を奪い、テーベに帰ってきてからも視力の衰えに歯止めはかからなかった。
「きっとどこかで無事にしていらっしゃるわ」
アルウの握りしめた拳に優しく手を添え、ネフェルタリは彼の悲しげな横顔を見つめる。
焼き払われたテーベの家。
母や妹の嘆き悲しむ声。
柱や床や家の中の全ての物が家族の大切な思い出だった。
その大切な家族の宝物が、異端、邪神の名の下に焼き払われたのだ。
アルウは思う。
信仰とは人々の心を豊かにするもの、心の拠り所ではないのか
「信仰とは愛」
ネフェルタリは呟く。
アルウはネフェルタリの言葉に驚き、彼女の方を振り向く。
「人間はどんな神様でも信じていい。その人が一番大切な神様を自由に信仰していいのよ」
「エジプトには沢山の神様がいる。村にも村の神が。町にも町の神が。都市にも都市の神様がいる。どの神様が偉いだなんて人間のエゴが決めたことで神様が決めたことじゃないわ」
「エジプトやアメン教徒が憎いでしょう?」
ネフェルタリは恐る恐る愛する人の口元を見つめた。
「アメン神もアテン神も同じエジプトの神だというのに、どうして人間はいがみ合うんだ。どれだけ沢山の神様がいても、元を糺せば、この世界を、この宇宙を創成した神様はひとつなんだ。それなのに」
アルウはネフェルタリの質問には答えなかった。
「ヘリオポリスの神話ね」
ネフェルタリはギリシア人家庭教師から幼い子に学んだことを思い出す。
「どうして人間は神を忘れてしまったんだろう」
「人間は弱いからよ」
夜の静寂が二人を包み込む。
月明かりがナイルとオアシスを幻想的に照らし出す。
「ネフェルタリ、居間に連れていってくれないか」
「いいわよ」
ネフェルタリは嬉しそうに微笑み、アルウの左手を優しく握り、ほとんど目が見えない愛しい彼をバルコニーから導いた。
ネフェルタリはアルウにいつも寄り添い助けた。
家族を失い独りぼっちになった彼の家族になりたいとさえ思った。
そのころ命からがら戦線離脱したティアは、家臣団とアテン教徒らに守られ故郷のアマルナに帰っていた。
「お母様とムテムイアを彼の所に連れて行かないと」
ティアは今となっては敵となってしまったアルウの家族を、これ以上匿うことは二人の命を危険に晒しかねないと、ラモーゼに二人を秘かにアルウの元へ帰すよう命じた。
「ティア、あなたは一緒に来ないの?」
何も事情を知らないヘヌトミラは酷く残念がる。
「すみません……」
ティアはそれ以上なにも言えない。
「ティアちゃん」
ムテムイアがティアの手をとると、二人は抱き合って別れの涙を流した。
「船が出ます。急ぎましょう」
ラモーゼが月明かりで浮かび上がる船着き場の船を指さす。
「ありがとう」
ヘヌトミラはティアを抱きしめる。
ラモーゼを先頭に、二人が無事に船に乗り込み船が船着き場を出ると、ティアはナイルの葦の茂みに屈みこみ、両手をついて泣き叫んだ。
どうして……
あたしはどうしたらいいの。
あたしの戦いは聖戦。
あたしの願いは、戦争をなくし世の中にアテンによる真の平和を取り戻すこと。
なのにどうして?
なぜ戦えば戦うほど愛する人を失うの?
なぜ戦えば戦うほど平和は遠のくの?
愛を犠牲にしてアテンに仕えたというのに。
玉のような大粒の涙がぱらぱらと落ちた。
悲しくて死にそうだった。
胸が締め付けられ今にも張り裂けそうだった。
「あああ!」
ティアの心の叫びは嗚咽となった。
引き裂かれた心から血の涙が溢れ出た。
涙は涸れることなく流れ続けた。




