表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

君に花束を

作者: 夜空タテハ

 宮野ゆいなは、私の一つ下の後輩。同じ美術部の中で、私によく懐いてくれている変わった子だ。

 私こと相原ゆずきは、一応は美術部の副部長という立場でありながら、人付き合いが苦手というウィークポイントを抱えている、問題児。そう、自分に問題があるという自覚はあるのに、それを直せないから問題なのだ。私のことなんて放っておいてくれ、とも思うが、副部長という立場上、こなさなくちゃいけない仕事はあるし、人付き合いが苦手だからと言って、まったく人と関わらないわけにいかない。そんなことはわかっている……つもりだ。

 わかっているつもりなのに、私はどうにも人付き合いがうまくできない。そんな私に、よくかまってくれるのが、一つ下の後輩である、ゆいなだった。

 ゆいなは人付き合いが苦手な私とは正反対で、明るくて社交的で、友達も多いし、先輩にも慕われている。部活の中でも、部活以外でも、ゆいなは周りからの評判が良くて、私からしたら、とても眩しい存在。

 だから、ゆいなのことを、羨ましいなと思うことも多々ある。そんな私の心を知らずに、ゆいなは私のことを慕ってくれているようだった。

 今日は美術部の活動日。美術部の活動は、基本的には週三回、月水金に行われている。大会や文化祭の前など忙しい時は毎日、活動する部員もいる。しかし、ウチの美術部はとてもゆるい……というか、ほぼ顧問が不在で、基本的には個々人の自由で活動することになっている。顧問はいるにはいるが、美術のびの字も知らない素人の新人教師で、大会に参加するためだけに顧問として名前を借りているだけのようなものだ。……そんなゆるい部活で、人数も多くなく、活動への参加は大会や文化祭など重要行事以外は必須ではないので、普段あまり部室に来ない生徒も多い。そんな今日も、部室では私とゆいなだけが筆を動かしていた。

「ゆずき先輩! 絵の具の予備ってどこにありましたっけ?」

「ん? あぁ、そこの箱に入ってるよ」

「ありがとうございます! ……ちなみに、ゆずき先輩は今やってるのは石膏像のデッサンですか?」

「そうだよー。基礎は大事だからね」

「基礎……私もそういうのやった方がいいんですかね」

「自分に合う練習法は人それぞれ違うんだから、無理にやりたくないことをやらなくてもいいんじゃない? まあ、ちゃんと基礎ができてから、応用をするべきだけど……。石膏像が嫌なら花とか、他の物でもいいし、デッサンはやっておいた方がいいと思うよ。……ちなみに、ゆいなは今、なに描いてるの?」

「え? んんー……」

「どうしたの?」

「や、ゆずき先輩には、ちゃんと完成してから見せたいかなと思って……」

「なんで?」

「なんで、って言われると……まあ、色々あるんですけど……まあいいや、見てください」

 そう言ってゆいなが持ってきたのは、鮮やかな紫の花が描かれた紙だった。

「キレイ……」

 私は思わずそう呟く。

「そ、そうですか?! 嬉しいです……!!」

 照れたように笑いながらそう答えるゆいなが、とても愛おしく感じた。

「この花は、なんていう花なの?」

「アネモネって花です!」

「へぇ……。その、アネモネを題材に選んだのは、なにか理由があるの?」

「あぁー……その……。本当は、もうちょっとじっくり準備してから伝えるつもりだったんですけど」

「うん?」

 モゴモゴと言いづらそうにしているゆいなに、私は首を傾げる。

「あの、アネモネの花言葉の中に、『恋の苦しみ』っていうのがあるんですよ。だから、その……その花言葉が、なんか、いいなって、思って」

「へぇ……」

 私は、じっくりとその紫のアネモネの絵を眺めた。まだ未完成だとは言っていたけれど、本当にとてもキレイで、大切な気持ちを込めて描かれたことが伝わってくる気がした。

「あ、あの、ゆずき先輩?」

「ん、なに?」

「そんなにじっくり見られると照れるというか……まだ未完成ですし、そんな、見る価値ないですよ」

「いやいや、この時点でもうとってもステキだよ。それに、せっかく同じ部室で描いてるんだから、描いてる途中も見られるのもまた楽しいし……。人の作品を見ると自分も刺激されることあるからね。いい刺激になったよ。……ちなみに、聞きたいんだけど、ゆいなは苦しいって感じるような恋をしてるの?」

 私が聞くと、ゆいなは困ったように視線を逸らした。

「あぁ、ごめん。踏み込みすぎたね。言いたくないなら、いいから」

「やっ、その……言わせてください!」

 ゆいなが、なにかを決心したような目でこちらを見ていた。

「私、その……。ゆずき先輩のことが、好きなんです。その、恋愛的な意味で」

「……私?」

 私は思わず、言葉を失ってしまった。

「あぁー、やっぱり、そういう反応になりますよね。わかってます。女の子同士で、恋愛とか、考えられないですよね」

「いや、その……びっくりしただけで、別に、私は、……」

「え。いいんですか? ゆずき先輩……」

「え。いや、いいっていうか、え……? そ、その、付き合うとかは、わかんないんだけど、ごめん、私、先輩なのに、今まで恋をしたことがなくて……恋とか、そういうの、わからないから……どうしたらいいのか……」

「そうですか……」

 私にはただオロオロすることしかできなかった。ゆいなは、なにかを決心したような様子だった。

「私がこのアネモネを紫で塗った理由がですね」

 ゆいなは私にそう語りかけた。

「アネモネって、全体としての花言葉の中に『恋の苦しみ』が含まれるんですけど、紫のアネモネには『あなたを信じて待つ』って花言葉もあるんです。だから……私、ゆずき先輩のこと、待ってますね。今はまだ答えをすぐには出せないと思いますけど、きっと私の気持ちに答えてもらえるように、信じて待ってますから」

 ゆいなは、そう言って微笑んだ。その微笑みがとても眩しく感じられて、私は、今この瞬間のゆいなの笑顔を描いてみたいなんて思う。

「……ゆいなは、それで、……その、待つことになっても、つらくないの?」

「……そりゃ、ちょっとしんどいですけど、でも、ゆずき先輩は、ちゃんと私のこと考えてくれるって、信頼してますから。待ちますよ、ゆずき先輩の気持ちがちゃんと固まるまで」

「そっか……ありがとう。あんまり待たせるのも悪いから、早めに答えを出せるように、ちゃんと考えるよ」

「そう言ってもらえただけでも嬉しいです。……って、話してたら、もうけっこう時間ですね」

 ゆいなが時計を見てそう言う。私も時計を見ると、もうすぐ片付けをしなくちゃいけない時間だった。

「じゃあ、今日は片付けて、帰ろうか」

「はい、じゃあ、そうしましょう」

 そう言葉を交わして、私達はそれぞれの作業の片付けをして、部室の戸締まりをする。部室の鍵を職員室に返してから、帰路についた。私はバス通学、ゆいなは自転車通学なので、私が乗るバス停の前で別れることになる。

「じゃあ、また明後日かしら、気を付けて帰ってね、ゆいな」

「ゆずき先輩も気を付けて! じゃあまた明後日!」

 元気よく返事をして、ゆいなは自転車で颯爽と駆けていった。学校は明日もあるけれど、美術部の次の活動日は明後日だ。学年が違うゆいなとは、部活以外であまり交わることはない。

 帰宅する道中、バスに揺られながら、ゆいなの言葉を思い返していた。ゆいなは、私のことが恋愛的な意味で好きだと言う。それは、いつからなんだろう? 今度、会う時に聞いてみようかな。それとも、早く答えを出した方がいいんだろうか。でも、私には、すぐには答えは出せそうにない。恋愛なんて、自分には縁遠いものだと思っていた。人付き合いが苦手な私には、とてもとてもハードルが高く感じられて、恋愛というものに、憧れる気持ちがまったくないわけでもないけれど、どうしたらいいのか、本当によくわからなかった。



 翌日、私は、母親の怒鳴り声で飛び起きた。時計を見ると、急がなければ、遅刻してしまうかもしれない時間だった。

「どうしてこんな時間まで寝てるの?! いつもはもっと早くキチンと準備してるのに」

「ご、ごめんなさい……! あ、朝ごはん、食べる時間ないや、行ってきます……」

「朝ごはんくらい食べていけばいいのに……でも、本当に時間ないわね、行ってらっしゃい」

 母親は、少し呆れたように肩を落としながら、私に手を振る。私も歩きながら手を振り返した。

 最寄りのバス停まで、私はなるべく急いで駆けつける。どうにかこうにか間に合って、学校に向かうバスに乗った。

 さて、どうして私がこんなに寝坊してしまったかというと、昨夜、ずっとゆいなの告白のことを考えてなかなか眠れなかったからだ。そうして、私はバスに揺られながらも、ゆいなの告白を思い出す。

 私なりに、早く答えを出すべきなんだろうか。それとも、じっくりゆっくり考えて、待ってもらうべきなんだろうか。色んな気持ちが頭の中をぐるぐると巡っていて、思考が鈍る。

 何をしていても、ゆいなのことが脳裏を掠めていた。私はゆいなを、どう思っているんだろう? 答えはわからない。ゆいなは、かわいい後輩で、大切な存在だ。なるべく傷つけないようにしたい。どういう答えを出すとしても……。

 ゆいなのことばかり考えていながら、いつの間にか夜になっていた。明日は部活でゆいなに会える。明日ゆいなに会ったら、ちゃんと話をしよう。そう考えて、眠りに就いた。



 放課後になって早々、私は美術部の部室へ向かう。ゆいなも、いつもとても早く部室に来て熱心に作業していた。今日もゆいなはいるだろうと思いながら、部室のドアに手をかけると、まだ鍵がかかっていた。

「あれ、ゆずき先輩?」

 後ろから声が聞こえて、振り返るとゆいなが部室の鍵を持って立っている。

「ゆいな……!」

 ゆいなの顔を見たら、なんと言えばいいやら、とても戸惑ってしまった。

「もう、ゆずき先輩ったら、私の顔を見ただけでなんて反応してるんですか。鍵、開けますね。ちょっとどいてください」

「あ、あぁ、うん……」

 私は言われた通りに横にどけて、ゆいなが部室の鍵を開けるのを待っていた。

「一応は副部長って立場なのに部室の鍵を開けるのを忘れるなんて、ゆずき先輩ってたまにちょっと抜けてますよね」

「……あんまりそういうこと言われたくはないかな、まあ事実だから、いいけど」

「あ、別に全然、嫌味とかじゃないんですよ? ただ、そういうところ、かわいいなぁって思って……」

「かわいい? 私が?」

「そうですよ。え? 言われたことありません?」

「ないよ。そんなこと言う人、周りにいない」

「そうなんですか? えぇー、ゆずき先輩のかわいさに気付けないなんて、周りの世界がどうかしてますよ」

「そこまで言う?」

「そうですよ! ゆずき先輩はかわいいです!」

「……とりあえず、部室の前に立ちっぱなしじゃなくて、部室の中のどれかの椅子にでも座って話そうか」

「え、あ、そうですね! 私ったら、気が利かなくてすいません」

「や、いいよ」

 そう言いながら、私は部室の中に乱雑に置かれている椅子の一つに座った。ポンポンと隣の椅子を軽く叩いて、ゆいなに座るように促す。

「……今日、部活の日ですけど、ゆずき先輩は、部活のことじゃない話をしたいんですよね?」

 ゆいなが、私の隣に腰掛けながら、そう尋ねてきた。

「そうだね。……私なりに、ちょっと考えてはみたんだけど、まだ答えは出なくてさ。なにせ私は本当に恋愛ってものをこの年まで一切したことがないんだ。そりゃあ、たまーに、かっこいいなぁって思う人がいたり、そんなことはなくはないけど……。でも、恋心ってやつじゃないと思う。だから、何一つ手探りで、わからなくて、だから、ゆいなに聞きたいんだ、恋心ってどんな感じ? 私のこと、いつから好きだった?」

 私がそう聞くと、ゆいなは少し考える素振りを見せた。やがて、少しずつ口を開く。

「……私がゆずき先輩を好きになったきっかけは、去年のこの学校の文化祭です。そこで展示されてた、ゆずき先輩の絵が、すごくステキで、なんていうか……ビビっと来ちゃって。でも、その時は絵の展示を見ただけで、ゆずき先輩自身のことは知らなかったので、本当にちゃんとゆずき先輩を好きになったのは、この学校に合格して、美術部の部員になって、ゆずき先輩があの時のあの絵の作者さんだって知った時ですね」

「……そんなに、私の絵が好きだったの?」

「はい。ゆずき先輩の絵、見てると、とっても心があったかくなって、救われた気がしたんです。こんなステキな絵を描く人はどんな人なんだろうって、去年からずっと気になってました」

「そっかぁ……」

 しみじみと頷きながら、私は少し気恥ずかしくなっていた。自分の創作物の感想を伝えてもらえるというのは、とてつもなく嬉しいけれど、少し照れくさくもなる。

「恋心ってどんな感じ、って、ゆずき先輩、聞きましたよね。……それは、私にもハッキリとはわかんないです。でも、なんていうか、うまく言えないけど、私は……私が、ゆずき先輩にとって、かけがえのない、唯一無二になれたらいいなって思います。ゆずき先輩の心にしっかり残る絵を描きたいです。そのために、私、この美術部で3年間がんばります……あ、ゆずき先輩は先輩だから、私より先に卒業しちゃうから、ゆずき先輩に見てもらえるのは2年間ですね……」

「いや、卒業しても、そこまで言われたら、ゆいなの作品は見に行くよ。文化祭でも、文化祭以外でも、大会でも、それ以外でも、まあ、たまになら、高校の部活に顔を出すのは許されてるし……」

「本当ですか? ……私のために、私の絵を見に来てくれるんですか?」

「見に行くよ」

「……それって、ゆずき先輩も、私の絵が好きってことですか?」

 頬を赤くしながら、ゆいながそう聞いてきた。ゆいなは、きっと今とても緊張してるんだと思った。そんなことを聞くの、度胸が必要だと思う。

「……好きだよ。ゆいなの絵は、すごく好き。でも……ゆいな自身のことを、恋愛対象として見られるかって言われると、それはまた別の話」

 精一杯、言葉を選びながら、私はそう答えた。

「……そうですよね。今は、それでいいです。いつか恋愛対象として見てもらえたら、嬉しいです。……って、今日は話してばっかりで、絵を描いてないですね?」

「まあ、ゆるい部活だから、こんな日があってもいいさ。部長だって来てないし。っていうか、今日も私たちだけだし。他にも部員はいるのにね。みんな何してるんだか……。まあ、大会や文化祭には、一応、参加はしてくれてるけど」

「絵を描くのって、楽しいのに、もったいないですね」

「いいのいいの。来てない子たちは、絵を描くことに楽しさを求めてないんでしょ、多分。ゆるい部活だから、って理由で在籍してるような子たちだよ。……さて、時間がないし、今日はもう帰ってもいいかなとも思ったけど、少しクロッキーくらいはしていこうかな」

「クロッキーですか?」

「ん、ゆいなは、クロッキーってやったことなかったっけ?」

「基礎の一つとして知識はあります。少しだけやったことは、まあ……」

「そっか。どうする? インターネットで素材を見てやってもいいし、ゆいながポーズモデルになってくれるって言うなら、それでもいいんだけど」

「私がモデルですか?!」

「嫌だった?」

「嫌ではないですけど……ちょっと急なので、心の準備が……」

「クロッキーにそんな、準備とかいらないから。簡単に、ポーズ取っててくれたらいいよ。なんなら座ってるだけでもいいし」

「ええー……? んん、でも、ちょっとだけ、ゆずき先輩に私の絵を描いてほしい気持ち、あります」

 照れくさそうにそんなことを言うゆいなは、とてもかわいらしく見えた。

「……やっぱりやめよっか」

「え?」

「どうせ描くなら、クロッキーじゃなくて、ちゃんとしっかり時間をかけて丁寧にゆいなを絵に描きたいなって思っちゃった。だから、今度、ちゃんとゆいなをモデルとして絵を描かせてくれる?」

 私がそう聞くと、ゆいなはとても嬉しそうに、でも恥ずかしそうに、照れたような、なんとも言えない顔をした。

「……私でいいなら、ぜひ、描いてください。よろしくお願いします」

 そう言って頭を下げる姿が、たまらなく愛おしく感じた。

「ゆいながいいなら、よかった。こちらこそだよ。よろしくね。……じゃあ、今日はちょっと早いけど、帰ろうか」

「……はい」

「じゃあ、戸締まりするから出てー」

 私は立ち上がって、ゆいなに部室から出るよう促した。ゆいなは部室から出て、扉の前から少しズレて私を待っていてくれた。私は部室に鍵をかけて、鍵を返しに職員室へ向かう。鍵を返してから、ゆいなと私は、バス停まで並んで歩いていった。その間、言葉を交わすことはなかった。私はこういう時、どうすればいいのかわからない。そんなんだから、私は人とうまく話すことができない。けど、そんな私のことを、ゆいなは好きだと言う。ゆいなの気持ちが、私にはよくわからないなと思ってしまった。私だったら、私のような人間を好きになるだろうか、なんて考える。

「じゃあ、また来週だね」

 バス停について、私は言う。

「そうですね、また来週、部室で会いましょう、それじゃあ」

 そう言って、ゆいなは自転車に乗って去っていった。去りゆく背中が、夕日に照らされてとてもキレイに見えた。



 その晩も、私はゆいなのことを考えていた。週明け、学校でどんな顔をしてゆいなに会えばいいんだろうか。私の気持ち、ゆいなの気持ち、どうするのがいいのだろう。その答えを見つけるには私にはまだ何も足りていなくて、やるせなくなる。

 ぼんやりとそんなことを考えていたら、ケータイの通知が鳴った。画面を確認すると、ゆいなからの連絡だった。

『こんばんは! 突然なんですけど、土日どっちかで一緒に出かけませんか? 気分転換に美術館にでも行ければと思ったんですけど、どうですか?』

 画面に表示された文章を眺めて、私はこれはいわゆるデートと呼ばれるものではないだろうかと考える。いや、恋人同士ではないんだから、ただ先輩と後輩として遊びに行くだけ……とも思えるが、ゆいなは私のことを好いていて……だから、これって、デートなのでは。

 ぐるぐると考えが巡って私はもうどうしたらいいのかわからなくなってしまった。けれど、せっかくの誘いを無下にはできない。私はポチポチと文章を打つ。

『土曜日でいいよ。楽しもうね』

 少しは気の利いたことを言いたいと思いながら、これが精一杯だった。ほどなくして返信が来た。

『嬉しいです! めちゃくちゃ楽しみで今夜、寝られません……!!』

 画面に表示された文章を見て、この文章を打っている時にゆいなはどんな顔をしてたんだろうか、なんて思う。

『楽しみなのはわかるけどちゃんと寝て、明日しっかり楽しもうね。じゃあ、おやすみ』

 私がそう書いて送信すると、即座に既読になって、少し間を置いてスタンプで「おやすみ」と返ってきた。何か言葉を返そうか迷って結局スタンプだけにしたんだろうな、と想像できた。

 さて、そうなると私も明日に出かけるための服を選んで、早く寝なくちゃいけない。どんな服がいいだろうか、とタンスからいくつかの服を引っぱり出す。少し迷ったけれど、キレイめのワンピースを選んだ。選んだ服をすぐに着られるようにベッドの近くに置いておいて、他のものはしまう。そして、ベッドに横になる。でも、ベッドに横になっても、興奮してなかなか眠れなかった。



 翌朝、朝食を済ませて出かける準備をする。こういう時、どういう服で行けばいいのかわからなくて、結局いつも通り……いや、いつもの休日に着るモノよりかはキレイめな服装にしたつもりだ。いそいそと玄関に向かうと、掃除をしていた母親に遭遇した。

「あら、そんなおめかしして、彼氏とデート?」

「そ、そんなんじゃないよ。部活の後輩と遊びに行くだけ」

「そう。まあ、楽しんでいらっしゃい」

「ん。行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 母親に見送られて、私は待ち合わせ場所のバス停に向かう。これから向かう美術館は、バスで行けるところにあった。美術館で現地集合でもよかったけれど、ゆいなも今日は自転車ではなくバスで、一緒に向かおうと連絡が来ていた。

「あ、ゆずき先輩!」

「お、おはよー」

 バス停に着いてからほどなくして、ゆいなが顔を見せた。ゆいなの私服姿を見るのは、別にこれが初めてでもないけれど、いつも、私服のセンスがかわいいなと思う。

「待たせちゃいましたか?」

「んにゃ、全然。そんなに急がなくていいよ。のんびり楽しもう〜」

「それは、まあ、そうですね。楽しみましょう」

 話している内にバスが来て、二人で後方の座席に並んで座った。さて、私はこういう時にどういう話をすればいいのか、よくわからない。どうすればいいんだろうか。そんなことを思いながら、ゆいなの方を見る。

「事前に調べてたら、今の時期は特別展示でお花の特集をやってるんですって」

「へぇ〜。ゆいなは、花が好きなの?」

「んんー、花っていうか、花言葉とか、花に込められた意味合いみたいなのがけっこう唆られる部分ですね。いや、もちろん花はキレイだなとは思うんですけど、なんて言えばいいのか……うまく言えないですね……」

 うーん、と困り顔のゆいなの姿はとてもかわいらしく見えた。

「わからないけど、わかったような気がするよ。展示、楽しみだね」

「はい! 楽しみです!」

「ゆいなは、美術館にはよく行くの?」

「たまにですかねー。そんなに頻繁には行かないですよ。でも、創作意欲が刺激されていいですよね。他人の作品を見ると、色々と気付かされる部分とかもあって……」

「うんうん、わかるよ。……って、私もそんな頻繁に行くわけじゃないけどね。美術館っていいところだよね」

「そうですね。絵だけじゃなくて、色々あって楽しいです」

 そんなこんなで話している内に、目的地が近づいてきていた。バスの降車ボタンを押して、バスから降りて、ここから徒歩5分もしないところに目的の美術館はある。

 念のためケータイで場所の確認をしていたら、ゆいなが声をかけてきた。

「ゆずき先輩、あの……もしよかったら、手、繋ぎませんか?」

 おずおずとそう言ってきたゆいなの顔は、少し赤かった。恐らく相当、勇気を出して言ってくれたんだろうなということは、想像できる。断る理由はない気がした。

「いいよ」

 私の返事を聞くと、ゆいなは驚いて目を丸くした。

「いいんですか?!」

「手を繋ぐくらい、いいよ、別に。そんなに驚かなくても……」

「断られるかなって思ってました……」

「ちょっと歩くだけだし、いいよ。じゃ、行こうか」

 そう言って私は、ゆいなの手を軽く握った。ゆいなの指が、私の手に吸い付いた。ゆいなの手から、ゆいなのドキドキが伝わってくるような気がした。ゆいなは、耳まで赤くなって、下を向いている。よっぽど緊張しているのだろうか。

 そんなことを思ったのも束の間、すぐに美術館の前に着いた。

「手を繋ぐのは、ここまででいい?」

「あ、は、はい! ありがとうございます!」

「お礼なんていらないよ。じゃあ、入ろっか」

「はい!」

 美術館の受付でチケットを買って、中に入る。常設の展示と、特別展示があるらしかった。まずは常設の展示の方から見て回った。様々なモノが視界に入ってきて、とても良い刺激をもらえた気がした。

 特別展示の方では、壁一面、どこを見ても花だった。花にも色々なモノがある。華やかなモノから、悲しげなモノ、切なさを感じるモノだったり、寂しさも感じるようなモノもあり……。色々な花が、色々な表情を見せていて、色々な感情になった。

 物販コーナーで、私はポストカードを今日の記念にと思って、とてもよく気に入った絵の絵柄のモノを買った。ゆいなも、いくつかのポストカードを買っていた。

 美術館からすぐ側にあるカフェに移動して、私達は一旦ゆっくりすることにする。

 私が選んだのはミルクティーとケーキ。ゆいなは、クリームソーダとサンデーを選んでいた。

「やっぱり、いい絵を見ると、刺激が貰えますねぇ……」

 しみじみとゆいながそう言う。

「そうだね。絵だけじゃなくて、色々あったけど……。私は、特別展示の花の……コスモスの絵が特に好きだったかな。ゆいなは?」

「私は色々ありますけど……特にいいなって思ったのは、紫のチューリップですね」

「そっかー、ちなみに、紫のって強調したのは、紫のチューリップだけの花言葉でもあるの?」

「そうなんです! 紫のチューリップの花言葉は、『不滅の愛』なんですよ。いいですよね……?!」

「そ、そうなんだ……。ステキだね」

「ちなみに言うと、ゆずき先輩が選んだコスモスも色ごとに花言葉がありまして……あそこに展示されてた中でコスモスって言うと、ピンクのやつでしたっけ?」

「そうだね、花言葉とかは知らないけど、コスモスってなんかかわいく感じて、けっこう好きで……花言葉はなんて言うの?」

「ピンクのコスモスは、『乙女の純潔』です。ゆずき先輩にピッタリですね!」

「そう……かなぁ?」

「そうですよ!」

「んんー、まあ、そういうことにしとくかぁ」

 話しているあいだに、いつの間にかドリンクも食べ物もなくなっていたことに気が付いた。まだ時間は十五時頃だ。この後に少しのんびりする程度の時間はあるかもしれないが、どうしようか迷う。

「ゆずき先輩がいいなら、この後もう少し付き合ってもらえますか?」

「ん? いいよ。どこ行くの?」

「それは、秘密です。とりあえず行きましょう!」

「? う、うん、わかった、行こっか」

 ゆいなが何を秘密にしたいのかわからなかったけれど、私はとりあえずゆいなに従って少し後ろからついていく。美術館の辺りから少し坂道を登っていって、ほどなくして着いた場所は、展望スペースのような場所だった。街の景色がよく見えて、ちょうどよい風が吹いていて気持ちがいい。

「ここ、私の秘密のお気に入りの場所なんですよ」

「……秘密なのに、私に教えてもよかったの?」

「ゆずき先輩と一緒に来たかったんです」

「……そっか」

「そこのベンチにでも座りましょうか?」

「そうだね」

 ベンチに並んで座って、私たちは少しのあいだ黙って景色を見ていた。穏やかに流れる時間。なんだかとっても、幸せだなと思った。

「なんか、今、すごく絵を描きたい気分」

「ゆずき先輩もですか? 私もです。美術館で色々と見て刺激を貰ったり、こうしてキレイな景色を見てると、描きたくなりますよね」

「そうなんだよね。それに……」

「それに?」

 私は、何を言おうとしたのか、一瞬、言葉を見失ってしまった。ゆいなが不思議そうにこちらを見ている。なにか言わなくちゃ、と焦ると、更に言葉が浮かばなくなる。

「焦らなくていいですよ。ゆずき先輩って、そういうとこありますよね」

「……ごめんね」

「いやいや、謝ることじゃないですから。私はそういうとこも含めて、ゆずき先輩が好きですよ」

 こんな私のことを、ゆいなはどんな気持ちで好きだと言うのだろう。そんなことも思ったけれど、私が本当に言いたかったこと、ちゃんと言わなくちゃ、と思った。

「私、ゆいなと一緒にこのキレイな景色を見られて幸せで……そんな幸せな気持ちも、絵を描いたら、一緒に残せるような気がしたの。だから今、絵を描きたいなって思ったんだ」

「……それって、すごくステキですね」

「……ありがと」

「やっぱり私、ゆずき先輩のことが好きです」

 ゆいなに改めてそう言われて、私の心は揺らいでいた。

「好き、って、言ってもらえるのは嬉しいんだけど……私はまだ、自分の気持ちがよくわからないんだ。ゆいなのことは、すごく大切だと思う。でも、私のゆいなに対しての気持ちが、ちゃんと恋なのか、わからなくて……」

「……今は、それでいいですよ。ゆっくり答えを出してください。そうやって真剣に考えてくれるだけで、私は嬉しいです」

 そう言って笑うゆいなは、とても眩しく見えて、私はこの子を傷つけたくはないなと思った。でも、本当に、この気持ちが恋なのか、こんな気持ちで交際をしてもいいのか、わからなかった。

「そろそろ帰りますか? 暗くならない内に……」

「……名残惜しいけど、帰らなくちゃね。じゃあ、バス停に行こうか?」

「……私はもう少し、ここで景色を見ていたいので、ゆずき先輩は先に帰ってください」

 そう言われて、少し驚いたけれど、ゆいなが今は一人になりたいということなのだろうと思った。

「ん、じゃあ、私は先に帰るね。……あんまり遅くならない内に、帰りなよ」

「はい。じゃあ、また月曜日に、部室で会いましょうね」

「うん。またね」

「また」

 挨拶を交わして、手を振りながら私はバス停へ向かっていった。一人、残るゆいなの姿が、なんだかとても切なく感じたけれど、ゆいなが今は一人になりたいのなら、そっとしておくべきだろうと思った。

 家に帰って、晩ごはんを食べてお風呂を済ませて、部屋で一人になると、私は今日の美術館で見た絵や、ゆいなと一緒に見た街の景色を思い出していた。そして、改めてゆいなの告白に対して答えを出さなければと思うけれど、そんなに焦って答えを出そうとしても、いい結果にはならないような気もした。しかし、一人で残ったゆいなのこと、ゆいなはどんな気持ちで一人になりたかったのかな、なんて気がかりで、少し心配にもなる。ゆいなはきっと勇気を出して告白してくれたのに、それにハッキリ答えられない私は、薄情なんだろうか。

 そんなことが、ぐるぐると頭の中を巡って、堂々巡り。いつの間にか私は、眠りについていた。



 月曜日になると、放課後が待ちきれない気持ちでいっぱいで、私は過ごしていた。放課後、部活動の時間になると、さっさと職員室に鍵を取りに行って、部室へ向かう。部室の鍵を開けて、少しぼんやりと待っていたら、ゆいなが部室の扉から顔を覗かせた。

「こんにちは、ゆずき先輩」

「やあ、ゆいな。……ちょっと相談があるんだけどさ」

 言いながら、私は隣にあった椅子をポンポンと叩いてゆいなを招く。

 ゆいなはおとなしく従って椅子に座って、不思議そうな顔でこちらを見た。

「相談ですか? ゆずき先輩が、私に?」

「ゆいなの絵を描きたいって、前に言ったの覚えてる?」

「そりゃあ、覚えてますよ」

「それを、さ、今から描きたいなって思うの」

「今から、ですか? んん……いいですけど、それ、ゆずき先輩が描いてるあいだは私は絵を描けないってことですか? ポーズモデルしなくちゃだから……」

「いや、むしろ、ゆいなには、絵を描いててほしい。絵を描いてるゆいなの姿を描きたいんだ」

「……描いてる私の姿を、描く……?」

「私なりに、色々と考えたんだけどさ。どんなポーズで描かせてもらうのがいいかなって。で……私が一番キレイだと思うゆいなの姿って、絵を描いてる時の姿じゃないかなって、思ったの。私は、私が一番キレイだと思うゆいなの姿を描きたい」

 私の真剣な言葉を受け溶けて、ゆいなは静かに頷いた。

「……わかりました。そういうことなら、じゃあ、私は好きに絵を描いてていいんですよね?」

「うん。ゆいなは好きに描いててほしい」

「……一つだけ、確認なんですけど」

「うん?」

「それ、部活の他の人に見られたりしたら、恥ずかしくないですか……?」

 少し恥ずかしそうにしながらそう言う、ゆいなに、私は確かにと思った。

「確かにちょっと……でも、大丈夫じゃない? 次のコンクールはまだ先だし。きっと誰も真面目に部活に来ないよ」

「そうですかねえ……そうだったら、いいんですけど」

「そうだよ、きっと大丈夫」

「……んんー、まあ、じゃあ、いいですよ。描いてください」

 まだ少し照れくさそうにしながらも、ゆいなは笑顔で頷いてくれた。

「ありがとう! で、ゆいなはなにを描くの? こないだ描いてた、アネモネの続き?」

「そうですね……とりあえずはアレを完成させたいです。でも、なんだか、ちょっと要素が足りていないような気がして……。ゆずき先輩にも、もう一度ちゃんと見てみてもらいたいです。どう思いますか?」

 ゆいなはそう言って、描きかけの絵を持ってきて私に見せた。改めて見ても、繊細でキレイで優しい素敵な絵だと思う。それでもなにかが足りないと、本人は納得が行っていないらしい……。

「んんー、……私だったら、だけど、ここらへんに、蝶かなにか、足してみるとか?」

「蝶ですか?」

「花と蝶ってけっこうセットみたいなイメージあるかなみたいな……安直だったかな?」

「いえ、いいですね。けっこうイメージがまとまってきました。その方向で描き足していきます。ありがとうございます、ゆずき先輩」

 朗らかに笑うゆいなの笑顔が眩しかった。なんにせよ、私がゆいなの役に立てたのなら、嬉しいなと思った。

「じゃあ、私は私で好きに描いてますね。……先輩は、その私を見て描くんですよね? 先輩に見られてると思うと、恥ずかしい気もしますけど……」

 ゆいなはそう言いながら、作業の準備をしていた。私も、私の作業の準備をする。

「いやいや、全然、気にしなくていいから。見られてるとは思わないで、自然体でいてほしいな。自然体のゆいなを描きたい」

「んん……まったく気にしないのは無理かもですけど、まあ、私は私の絵に集中しますよ」

「それでいいよ」

 そうして私たちは、お互い、準備を終わらせて、それぞれの絵に向き合った。

 ゆいなは、絵を描き始めたらスイッチが入ったようで、集中してまったく表情を崩さなかった。私はそんなゆいなの横顔が、すごくキレイだなと思いながら、筆を動かす。ゆいなのキレイな姿を、キレイに描きたくて、手に力が入ってしまうのを感じていた。気合いが空回りしている。一度、落ち着こうと思って、深呼吸をした。ゆいなは、そんな私の姿など見えていないように集中していて、その横顔が、私にはとても眩しかった。

 二人とも、黙々と作業を進めて、いつの間にか時間が過ぎていた。集中して時間を忘れたらいけないと思って仕掛けていたケータイのアラームが鳴っている。私は慌ててアラームを止めた。

「今日はもう時間だね」

 ゆいなに声をかける。

「そうですか。じゃあ、帰りますか」

 ゆいなは、そう言って片付けを始めた。私もすぐに片付けを始める。

 二人とも片付けが終わったのを確認して、一緒に部室を出た。私が部室の鍵をかけて、鍵を職員室に戻す。学校を出て、ゆいなは自転車を引きながら、バス停までの少しの時間、一緒に歩く。

「……ゆずき先輩は、描いてる絵が完成したら、どうするんですか?」

「どうするって? あー、コンクールに出すとか? そこまでは考えてなかったなぁ。でも、それもいいかもねぇ。……ゆいなは、あの絵はコンクールには出さないの?」

「……どうでしょう。自己満足のために描いてる絵ですから……」

「キレイな絵なんだから、たくさんの人に見てもらえなくちゃもったいないと思うけどね」

「そう……ですかね。考えてみます」

「うん。じゃあ、またね」

「はい、また」

 手を振り合って、ゆいなと別れた。ゆいなは、自転車に乗って颯爽と去っていく。

 私は帰りのバスに揺られながら、早く絵を完成させたいなと思った。完成したらコンクールに出すのかとか、なにもよく考えていなかったけど、それも悪くはないかもしれないとも思った。でも、ゆいなの姿が描かれているとハッキリわかる絵柄では、ゆいなが恥ずかしいと思うかもしれない。モデルがゆいなであることはわからないように少し抽象的に描く方がいいのかも、なんて思ってきた。今度、ゆいなに確認しよう。

 それから、夜になっても、ゆいなと、ゆいなの絵のことばかり考えていた。あんまりそのことばかり考えすぎて、学校の課題がおろそかになりそうなくらいだった。勉強のこともしっかりしないと、部活にばかり夢中になってもいられない。そうは思うものの、私の頭の中は、ゆいなのことばかりだ。



 その次の美術部の活動日。私が部室の鍵を開けるのとほぼ同時くらいに、ゆいなが部室の前に来ていた。

「やあ、ゆいな」

「こんにちは、ゆずき先輩。じゃあ、今日も続き、やりますか?」

「そうだね、……って、言いたいとこだけど、ちょっと相談」

「相談ですか?」

「ゆいなのこと描きたいとは言ったけど、描かれてるのがゆいなだってハッキリわかる絵だと、コンクールとかでみんなに見られるの、ゆいなとしては恥ずかしくはない? ゆいながいいなら、いいんだけど……。ゆいなが嫌がることはしたくないから、ゆいなだとはわからない程度に抽象的な感じで描く方がいいかなと思って」

 私が言うと、ゆいなは少し考える素振りを見せた。

「確かに……ちょっと、恥ずかしいかもしれませんね……。できるなら、抽象的に描かれる方が、いいかもです。でも、ちゃんと私の顔だってわかる絵も捨てがたい……。ゆずき先輩さえよければ、なんですけど、コンクールに出すその絵と、別にもう一枚、私にだけ見せる私の絵を描いてくれませんか?」

 ゆいなは、考えながらゆっくりと言葉を形にした。その顔が、少し照れくさそうで、それがとても愛おしいと感じたような気がした。

「……いいね。いいよ。わかった。コンクールに出すのは抽象的な感じで描いて、ゆいなには、ゆいなだけの、ゆいなのためのゆいなの絵をプレゼントするよ」

「……本当にいいんですか?」

「いいよ。私が描きたいの。描かせて」

「……じゃあ、そういうことで」

「ところで、ゆいなは、コンクールに出すとかそういうのは考えたの?」

「あ、はい……。最初は、ゆずき先輩にだけ見せるつもりで描いてた絵なんです。でも、やっぱり、どうせなら、コンクールに出してみようかなと思います」

「そっか。がんばってね」

「はい、がんばります」

 そうして、お互いにそれぞれの準備に取り掛かって、絵を描き始める。お互い、それぞれの絵に夢中になって集中していた。あっという間に時間が来て、ケータイのアラームが鳴る。私がアラームを止めて顔を上げると、こちらを見ていたゆいなと目が合った。

「今日はここまでだね」

「そうですね」

「……ちなみに、どこまで進んだ?」

「もう少しで完成です」

「そっか、私も、コンクール用の方は、もうすぐ」

「そうですか」

 そんな会話をして、私たちはそれぞれ片付けにかかった。部室の鍵をかけ、職員室に戻し、いつもの帰り道。

「……ゆいなにちょっと相談なんだけど」

「また相談ですか?」

「え、あ、嫌だった?」

「嫌じゃないですよ」

「よかった……。あのさ、ゆいなにあげる、ゆいなの絵、私の部屋で描かせてくれない?」

「ゆずき先輩の部屋……ですか?」

 ゆいなは、足を止めて私の顔を見る。

「部室の方が画材は充実してるのはそうなんだけど、私の部屋でも画材は足りてるし。私の部屋でやる方が、他の部員とかに見られるかも、みたいな心配はなくなると思うんだよね」

「……ゆずき先輩が、そう言うなら、ぜひ」

 ゆいなはそう言って頷いてくれた。私は嬉しくて、飛び跳ねそうだった。

「じゃあ、今の描いてるやつが完成したら、ね。土日のどっちかがいいかな? 私の部屋に来てもらって……私は基本的に土日は暇してるから……ゆいなの予定はどう?」

「私は、まあ、大丈夫です。先輩の都合のいい日で……」

「じゃあ、決まりね。まずは今の描いてる絵を、完成させよう。またね」

「はい、また」

 ゆいなはそう言って自転車に乗って去っていった。私が手を振っていると、まもなくバスが来たので乗り込んだ。バスに揺られながら、私は、ゆいなのことに思いを馳せていた。



 そして日が過ぎて、私達は今日も部室でコンクール用の絵を描いている。私の方はもう完成するかなというところまでできていて、ゆいなの様子を見ていると、ゆいなも同じようだった。

「……ゆずき先輩、できました!」

 ゆいなが嬉しそうにそう言いながら、私の方へ顔を向ける。その笑顔がとても印象的だった。

「……私も、できたよ」

 私がそう言うと、ゆいなは少し照れくさそうにしていた。ゆいなの要望通り、少し抽象的にして、描かれているのがゆいなだとはハッキリわからないようにはしたけれど、ゆいなのことを描いた絵だから、そういう反応にもなるだろう。

「……見てもいいですか?」

 そう聞くゆいなの声は、少し震えているように感じた。何から来るどういう感情だろうか。それを知りたいと思ったけれど、深くは聞かないことにした。

「いいよ。私も、ゆいなの絵、もうちょっと近くでよく見てもいい?」

 私はゆいなが絵を描いてる姿を見てゆいなの姿を描いていたのだから、ゆいなの描いている絵も少し見えていたけれど、しっかりと見てはいなかった。

「いいですよ。見てください。私もゆずき先輩の絵を見ますね」

 そうして私達は立ち上がってお互いの絵の方へ歩み寄って、じっくりとそれぞれの描いた絵を見る。少しのあいだ、沈黙が流れた。

「……キレイな絵だね」

 私は率直な感想を口にした。

「そ、そうですか? ありがとうございます。ゆずき先輩の絵も、すごく素敵です。……私じゃないみたいで……すごくキレイです」

 ゆいなが少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに言う。

「ありがとう。でも、私から見たゆいなは、その絵みたいにキレイで、眩しいよ」

 私がそう言うと、ゆいなは少しのあいだ、言葉を失ったように固まった。

「……ゆずき先輩は、私のこと、どう思ってるんですか?」

 少しうつむき加減になりながら、ゆいなはそう、言葉を絞り出した。私は、それにどう答えるのが正解なのか、と考えるが、答えはよくわからなかった。

「……少なくとも、大切な存在だとは思ってるよ。恋として好きなのかどうかは、まだわからないけど……ごめんね、こんなんで」

 私が考えながら言葉を絞り出すと、ゆいなは顔を上げて、私の言葉を噛み締めているようだった。

「謝らないでください。今は、いいんです、それで……。あ、その、それで、コンクール用の絵は終わったから、次は私の……私だけの、私のための絵を描いてくれるんですよね?」

「そうだね。部活の日はなるべく部室には来るようにしたいなと思って、前は、土日にしようかって言ったけど……まあでも、コンクールに出すって言っても、まだコンクールの日程は先だし、しばらくは他の部員は来ないだろうし、……部活の日に私の家に来てもらってやってもいいかもね? どうする? ああ、でも、それだとゆいなが帰りが遅くなっちゃうか……」

「私は大丈夫ですよ? ゆずき先輩と一緒にいられるなら、嬉しいですし……」

「ダメ。あんまり帰りが遅くなると、危ないでしょ。やっぱり土日のどっちかにしようか」

「そうですか……そうですね。ゆずき先輩がそう言うなら、そうしましょう」

「じゃあ、さっそくだけど今度の土曜日か日曜日、大丈夫?」

「どっちでも大丈夫ですけど、早い方がいい気がしますから、土曜日にしましょうか」

「じゃあ土曜日、私の家に来て」

「はい! ……楽しみにしてますね!」

 ゆいなが笑顔で頷くのを見て、私は胸が温かくなるような気がしていた。

「うん、私も楽しみ。……じゃあ、今日は帰ろうか」

「はい!」

 そうして、部室の片付けをして、部室の鍵を戻して、いつもの帰り道。バス停まで、自転車を引いたゆいなと並んで歩く。バス停に着くと、一言二言、挨拶をして、ゆいなは自転車に乗って去っていく。私は、ゆいなと一緒にバスで帰れたらいいのにな、なんて思いながら、バスに乗った。



 約束の土曜日。私は前日の夜から画材の準備をしていて、朝からゆいなが来るのを待ちながらソワソワととても落ち着けなかった。そもそも、家に学友を呼ぶことすら滅多にないのに、家に呼ぶなんて、間違えていたかもしれない、なんて今更に思う。けどそんなことを考えていても仕方がない。

 そんなことを考えている内に時間が経っていて、玄関のチャイムが鳴った。恐らくゆいなが来たのだと思い、私は慌てて玄関に向かう。

「ゆずき先輩、こんにちは!」

「こんにちは、ゆいな。さ、上がって」

「お邪魔します」

 ゆいなは行儀よく靴を直して、家に入ってきた。今日は土曜日で、学校はないというのに、ゆいなはなぜかピシッと制服を着ている。

「あの……ご家族の人は……?」

「え? あぁ、買い物に出かけてるよ。あんまり家族に見られたりするの、嫌かなって思って、なんとかごまかして私だけの状況にしたんだ」

「そうだったんですか。……まあ、確かに、二人きりの方がいいかもしれませんね」

「……ゆいなは、どうして制服を着てるの?」

「え? あ、……ゆずき先輩に、私の絵を描いてもらえるって考えてたら、服装……どうしたらいいのか、わからなくなっちゃって。色々と迷ったんですけど、結局、制服が一番いいかなって思ったんです」

 ゆいなはそう言って笑った。私は、ゆいなの私服姿が見たかったような気もしたけれど、ゆいなが一番いいと思ったのなら、それでいいのだろうと思った。

「そっか。じゃあ、とりあえず私の部屋に来てもらって、さっそくだけど描いていこうか。……あ、飲み物とか、なんかいる?」

「いえいえ、水筒を持ってきてるので、大丈夫です」

「じゃあ、部屋に行こうか。あ、トイレはそっちね。トイレとか行きたくなったら、遠慮しないで言っていいからね。絵のモデルだからって、ずっとじっとしてるのも大変だろうし、本でも読むか、ケータイを見ててくれてもいいし……」

「わかりました。ありがとうございます、ゆずき先輩」

 ゆいなは頷いて、私の後をついてきた。私の部屋に入って、さっそく私は絵を描くために筆を持つ。ゆいなは、物珍しそうにキョロキョロしながら座っていた。

「……そんなに私の部屋が気になる?」

「え、あ、嫌な気がしたらすいません。ゆずき先輩の部屋に来られるなんて、なんだか嬉しくって……つい……色々と見たくなっちゃって……」

 申し訳なさそうにするゆいなが、なんだかとてもかわいく見えて、私は怒る気にはなれなかった。

「謝らなくていいよ。見たいなら見てていいけど、そんなに珍しいものなんてないよ?」

「……本棚の本とか、見てもいいですか? やっぱり美術関係の本が多いですね……」

「……まあ、そうだね。そんなに気になるなら、見てていいよ」

 私が言うと、ゆいなは私の本棚から一冊の本を抜き取って、熱心に眺め始めた。私はそれに構わず、筆を動かすことに集中した。お互いに、とても集中していて、無言の時間が続いたけれど、なんだかとても、心地良い気がした。

 気がつくと、いつの間にかケータイのアラームが鳴っていた。日が傾いているのが、窓から見える。

「……集中してたら、時間ってあっという間だね」

「……そうですね。それで、あの、どれくらい描けましたか?」

「んー、まだ、見せたくはないかな。もう一日くらいあれば描けそうな気がするんだけど……続きは来週にしようか?」

「私は明日でも大丈夫です!」

「そっか、でも、あんまり連日、来てもらうのも悪いような気がするし……」

「そうですか……? じゃあまた、来週の土曜日に」

「うん、待ってるね」

「はい、じゃあ、失礼します」

「玄関までは送ってくよ。気を付けて帰ってね」

「はい、ありがとうございます」

 そうして玄関まで並んで歩いていって、ゆいなが帰っていく姿を見届けた。その背中を見ながら、私は、そろそろ答えを出した方がいいような気がしていた。……いや、もう既に、答えは出ているような気がした。



 次の土曜日が待ち遠しいと感じながら、月曜日になって、美術部の活動に向かった。

「ゆずき先輩、私にデッサンを教えてくれませんか?」

 ゆいながそう言ってきて、私は少し驚いてしまった。

「いいけど、急にどうしたの?」

「ゆずき先輩の部屋にあった本を読んでたら、改めて基礎からしっかり勉強したいなと思いまして……」

「ああ、そういうこと。いいよ、……私が教えられることなんて、限られてるけど」

「ありがとうございます!」

 嬉しそうに答えるゆいなが、輝いて見える。そうして私はゆいなに石膏像のデッサンを教えることにした。

 それから、水曜日と、金曜日の美術部の活動も、同じようにゆいなに基礎を教えながら過ごした。自分もまだまだ人に教えられるほどうまくはないなと痛感する日々だった。

 そんな日々を終えて、約束していた土曜日。今日もなんとか家族にはごまかして、ゆいなが来るのを一人で待っていた。ソワソワしながら部屋で描き途中の絵と向き合っていると、玄関のチャイムが鳴った。私は慌てて玄関へ向かう。

 玄関のドアを開けると、ゆいなが行儀よく挨拶をして靴を直して上がってきた。そのまま私の部屋へ向かう。

「また、本棚の本を見てもいいですか? 最近、絵の勉強が楽しくて……」

「いいよ。好きに見てて」

 ゆいなは、興味深そうに本棚を見て、一冊の本を抜き取った。私はそんなゆいなの姿を見ながら、筆を持った。

 無言で、それぞれが集中する時間が続いた。しばらくして、私はふっと息を吐いて、筆を置いた。ゆいなが顔を上げる。

「……描けました?」

「描けたよ、……見てみて」

「見ますね」

 私はゆいなに、描いた絵を手渡した。どんな反応をされるだろうか、と心配にもなったけれど、ゆいなの反応を待つ。ゆいなは、じっくりと私の描いた絵を見ていた。

「……ゆずき先輩には、私がこんなにキレイに見えてるんですか?」

 ゆいなは視線は絵を見たまま、そう聞いてきた。

「……そうだよ。私にとっては、ゆいなは、すごく眩しくて、キレイで……大切な後輩で、だから、傷つけたくないと思ってたんだけど、待たせすぎたかな、とかも思ってて……」

 私がそう言うと、ゆいなは顔を上げて、私を見た。

「待たせた、って……まさか、告白の返事ですか?」

 少し震える声で、ゆいなは言った。

「そうだよ。……その絵を描きながら、ゆいなのことを見てたら、思ったんだ。私……ゆいなのことが、すごく大切で、大好きだなって。……正直まだちょっと、本当にこの気持ちを恋って言っていいのか、少し自信はないけど、でも、きっと、恋だと思う」

 私がそう言うと、ゆいなは、なんとも言えない表情で、私を見つめていた。

「……本当に、本当ですか?」

 ゆいなが絞り出した声は、震えていた。

「本当だよ。……でも、付き合うとか、そういうことを話す前に、ゆいなに言っておきたいことがあるんだ」

「……なんですか?」

 少し表情を強張らせて、ゆいなは私に問う。私は、覚悟を決めて口を開いた。

「……ゆいなは、私の絵が好きで、私の絵がきっかけで私のことを好きになったって言ってたよね。もちろん、それだけじゃなくて私の人間性とかも、ちゃんと見てくれた上で、私のことを好きだって言ってくれたんだと思う。でもね、私、高校を卒業したら絵を描くことから離れるかもしれない。……まだわからないけど、将来のことなんて、本当に見えなくて、考えられなくて……。でも、美大とか、専門とかそういうのには行かないような気がするし、もし大学でサークルとか……そういうのがあっても、もう描かないかもしれない。……それに、大学に進学するってなったら、遠いところで一人暮らしをすることになるのかも。遠距離恋愛っていうのは、ちょっと厳しいのかなって思うんだ。それにね……」

「……まだあるんですか?」

 泣きそうな顔で、ゆいなが口を挟んできた。私は、ちょっとかわいそうだなと思いながら、言葉を続ける。

「まだあるよ。いつか、将来、子供を産みたいって思うかもしれない。今は、全然そんなこと思わないけど……。人の心って、けっこう簡単に変わるものだよ。私はゆいなに、永遠の愛とか、そういう約束はできない。それでも、ゆいなは私のことを好きだって、私と恋人同士になりたいって言える?」

 私の問いかけは、ゆいなの心に重くのしかかったようで、ゆいなは少しのあいだ口をつぐんで、俯いていた。それでも、ゆいなは顔を上げて、私の顔をしっかりと見つめて、口を開く。

「……私は、ゆずき先輩のことが好きです。そりゃあ、私だって、いつかは心変わりもするかもしれないし、遠距離恋愛になるのは正直ちょっと……かなり寂しいかもって思いますよ。でも、それでも私は、今、ゆずき先輩のことが大好きで……だから、ゆずき先輩が、私のことを好きだって言ってくれて、嬉しいし、ゆずき先輩と、恋人同士になれるなら、すごく幸せです。もし将来的に心変わりしたり、離れることがあってもいいんです。今、すごく幸せだと思えるなら、私は……私にとっては、それが一番です。……ゆずき先輩は、私と、その……恋人同士として、付き合ってくれるんですよね?」

 ゆいなの言葉が、表情が、私の心に深く突き刺さった。私はゆいなを、幸せにしたい。いや、ゆいなと一緒に幸せになりたい。深く深く、そう思った。

「ゆいながそう言ってくれるなら、私は、ゆいなと恋人同士になりたい。……ごめんね、こんな、よくわからない将来の話なんてしちゃって、不安にさせちゃったよね」

「……いえ、ゆずき先輩が、すごく誠実に、大切に私のことを考えてくれたから、私のことを傷つけないようにって、そういう話をしてくれたんですよね。ゆずき先輩の優しさなんだって、私はわかってますから。大丈夫です。……で、その、じゃあ、……これからは、恋人同士ってことで、いいんですよね?」

「そうだね。……でも、約束。学校で、二人きりじゃない時……周りに人がいる時とかは、これまで通りの距離感で接すること。……本当に絶対に二人きりの時は、まあ別に、いいんだけど……。デートとかも、これからしたいし。デートとか、そういう時は、恋人の距離感でいいよ」

「デート……するんですか?」

「するでしょ、そりゃあ、恋人同士なんだから……」

 まだ全部を飲み込めていない様子のゆいなが、なんだかとてもかわいく見えた。

「で、ね、初めてのデートの場所、どこがいいかなって考えたんだけどさ」

「そこまで考えてくれてたんですか?」

「まあね……。それで、ちょっと遠いけど、植物園はどうかな、って思ったの。ゆいな、そういうの好きそうかな、って。それか、遠いのがダメだったら近場の大きめの公園でもいいかなって……」

 私がそう言うと、ゆいなはキラキラと嬉しそうに目を輝かせていた。

「植物園がいいです! 私、お弁当を作っていきますね。あ、でも、カフェみたいなのとかあるんですか?」

「カフェもあるはずだけど、お弁当とかもオッケーなはずだよ。ゆいながやりたい方でいいよ」

「迷いますね……」

 そう言って、ゆいなは少し考えているようだった。私は、コロコロと表情が変わるゆいなを、かわいいなと思いながら眺めていた。

「やっぱり、カフェがあるなら、カフェにしましょうか。午前中から行って、お昼はカフェにして、夕方ぐらいに帰る感じですかね?」

「そうだね、そういう感じを考えてた」

「で、いつにしますか? 私は明日でもオッケーですよ!」

「明日はちょっと急かな……。来週の土日どっちかでいい?」

「早い方が嬉しいので、土曜日にしましょう!」

「わかった。じゃあ来週の土曜日ね。……もう一回、言うけど、学校では私達が恋人同士になったってことは内緒だからね。約束」

「はい! わかりました!」

 元気よく答えるゆいなが、なんだかとってもかわいらしく見えた。

「私……今すっごく幸せです……! ゆずき先輩に、こんなに素敵な絵を描いてもらえて、……それだけじゃなくて、これから、ゆずき先輩と恋人同士になれるって……。この描いてもらった絵は、絶対に大切にしますね」

 ゆいながそう言って、私が描いたゆいなの絵を大事そうに見つめている。その表情が、とても愛おしく思えて、私もすごく幸せだなと思った。

「じゃあ、また学校でね。……玄関まで送るよ」

「あ、ありがとうございます。また、……私、嬉しすぎて、距離感を間違えちゃいそうです。学校では、気をつけますね」

「うん、気をつけてね。……本当に誰にも見られない二人きりの時は、いいんだけどさ」

「……でも、二人きりだからって思って油断してたら、周りに人がいる時も間違えちゃいそうな気がするので、気をつけますね」

「そっか、じゃあ、気をつけてね。……またね」

「はい、また、学校で!」

 ゆいなが去っていく姿を、私は少しのあいだ玄関のドアを開けて見つめていた。ゆいなは私が見ていることに気付いて、嬉しそうにこちらに少しのあいだ手を振っていた。私もそれに応えて手を振る。そして、ゆいなが前を向いて歩き始めてからも、その姿を見つめていた。これから、恋人同士として過ごすことになる、私の大切な人の姿を、目に焼き付けておきたいと思った。



 月曜日になって、美術部の活動へ美術室へ向かう。ゆいなはいつも通りの距離感でいるようだった。

「ゆずき先輩、また今週も基礎を教えてもらっていいですか?」

「いいよ。私が教えられることは、もうそんなにないと思うけど……」

 そうして、今週も先週と似たような感じで日々を過ごす。

 約束していた土曜日が来るのは、あっという間に感じられた。土曜日の朝になって、私はキチンと身なりを整えて、念入りに鏡を見ていた。なんだか落ち着けなくて、すごくソワソワしてしまう。今日は、ゆいなとの初めてのデート。過去にも一緒に出かけたことはあったけれど、恋人同士として、初めてのデート。年上として、堂々としていないと……と思ったけれど、そんなに背伸びしようとしなくてもいい気もした。

 気軽に行こう、あくまで、気軽に、と、自分に言い聞かせる。親には、学校の後輩と遊ぶと言って、家を出た。待ち合わせ場所は近所のバス停。私が着いた時には、ゆいなが待っていた。近づいて声をかける。

「ゆいな、おはよう。早いね、まだ待ち合わせ時間の二十分前なのに」

「ゆずき先輩! おはようございます。なんだかソワソワして、落ち着かなくって早く来ちゃいました……」

 そう言って笑うゆいなが、とても愛おしかった。ゆいなはかわいらしい私服姿で、なんだか雰囲気がいつもと違っていて、とってもかわいく見える。

「私も落ち着かなくて、早く来ちゃった」

 言っているあいだに、バスが近づいてくるのが見えた。ゆいながなにか答えようとしていたけれど、私はそれを遮って、バスの方を見る。

「待ち合わせより早いけど、行こうか」

「はい!」

 私達はバスに乗り込んで、植物園へと向かった。植物園は、しばらく行った先のバス停から、少し歩くところにある。バスの中は、ちょうどよく二人がけの座席が空いていたので、二人で並んで座った。

「楽しみですね」

 ゆいなが、周りに気を遣って少し小さい声で話しかけてきた。

「そうだね。楽しみすぎて、家を出る時はちょっと緊張してたんだけど……ゆいなの顔を見たら、緊張がなくなっちゃった」

「そうですか? 私は、ゆずき先輩と一緒にいられて、すごくドキドキしてます。……恋人同士として、一緒にいるんですから」

「……そうだね」

 私がそう答えて微笑むと、ゆいなも微笑みを返してくれた。私は、すごく幸せな時間だなと思った。バスに二人で一緒に乗っている、それだけで、恋人と一緒にいると、こんなに幸せなんだなぁ、と、びっくりしてしまった。

「……そろそろですね」

 ゆいながそう言って、降車ボタンを押す。私は、この時間がもう少し続いてほしいような気がしたけれど、これから先もこれ以上に幸せな時間が続くんだと思いながら、バスを降りた。

「ここから少し歩くんですよね?」

「そう、あっちの方」

 指を指して答えながら、私は歩き始めた。そんな私の、服の裾を、ゆいながそっと掴んだ。

「ゆいな? どうかした?」

「あ、あの……ゆずき先輩、手を繋いでも、いいですか?」

 そう聞いてきたゆいなの顔は、少し赤く染まっていた。勇気を出してそう言ってくれたんだなと思った。私は、そんなことにも気付けなかった自分を恥じた。なにせ、人生で、恋人とデートをするなんて初めてのことなのだから、仕方ないとも思った。

「いいよ。手、繋ごう」

 私が手を差し出すと、ゆいながおずおずと私の手を握ってくる。この手を、私は大切にしなくちゃいけない、と思った。

「……行こうか」

「……はい」

 植物園に着くまで、二人とも無言で、手を繋いで歩いていた。植物園に着いて、財布を取り出そうとするゆいなを、私は遮った。

「入園料は、私が払うから」

「え、悪いですよ、そんな」

「いいの、年上として、そういうことはしたいから。ゆいなは甘えてくれたらいいの」

「……じゃあ、甘えます」

 照れくさそうにそう答えるゆいなが、とても眩しく見える。

 そして、二人で植物園に入って、もう一度、手を繋いだ。手を繋いで、並んで歩く。

「ゆいなが好きな花は、どれ?」

「好きな花ですか? 花っていうか、私は花言葉が好きで……色々……素敵な花言葉ってたくさんあって、どれか一つなんて選べないくらい……」

「紫のチューリップが好きだって、前に美術館に行った時に言ってたよね」

「それは、はい。あの時はそれがすごく印象に残っていて……」

「『不滅の愛』なんて、私は誓えないけど、素敵だよね……」

「覚えててくれたんですね。……いいんです、それでも。私は今とっても幸せですから」

「私も、すごく幸せだよ」

「……ゆずき先輩と同じ気持ちだったら、すごく嬉しいです」

「そうだね、私もだよ。……アレはなんて言う花か、ゆいなはわかる?」

 私が指さした先にある花を見て、ゆいなは嬉しそうに笑った。

「アレは、アガパンサスですね。花言葉は『恋の訪れ』とか……『誠実な愛』とか、だったはずです。ゆずき先輩にピッタリな花ですね」

「……誠実かな? 私は」

「誠実ですよ。私のこと、すごくよく大切に考えてくれて……愛してくれて、ありがとうございます」

「そんな……私こそ、ありがとう。ゆいなが私のことを好きになってくれて、本当によかった。嬉しい。すごく幸せで……。だから、私は、ゆいなと一緒に、たくさん幸せな時間を過ごしたいな、って、そう思うんだ」

「ゆずき先輩がそんな風に思っていてくれて、私もすごく幸せです」

 そう言って笑うゆいなの姿が、なんだかとても愛おしく思えて、思わず抱きしめたくなったけれど、さすがに人前でそれはできないと思って我慢した。

 それから、いくつかの植物を見て、ゆいなはとても楽しそうに花言葉の解説をしてくれた。ゆいなが知らない物もいくつかあって、その時は一緒に説明の表示を見た。

「そろそろお昼だね」

 私が時計を見て言うと、ゆいなも慌てて時計を見る。

「わ、もうこんな時間だったんですね、楽しくてあっという間ですね」

「……本当に、そうだね。あっちの方にカフェがあったから、行こうか」

「はい!」

 少し歩いたところでカフェに着いたけれど、少し人が並んでいた。

「待つ時間も、ゆずき先輩と一緒なら幸せです」

 照れくさそうにそんなことを言うゆいなに、私まで少し恥ずかしくなったけれど、同時にとても嬉しかった。

「私も、ゆいなと一緒に過ごす時間の一つ一つが大切だよ」

「……嬉しいです」

 そんな会話をしている内に列が進んでいて、二人で店内に入った。二人でメニューを見る。

「ゆずき先輩はどれにしますか?」

「私は……このランチセットでいいかな」

「私はこっちのセットにしますね」

 私はパスタセットを指さして、ゆいなはグラタンセットを指さした。

「ん、じゃあ注文しようか」

「はい」

 店員さんを呼んで注文を済ませて、注文した品物が来るのを待つ。外の植物が見えるようになっている設計のようで、ガラス越しに外の植物が見えた。

「そういえば、写真を撮ったりしてませんでしたね」

 ゆいながケータイを見ながらそう言ってきた。

「ああ、……最初はさ、お花を見ながらスケッチできればいいかなと思ってたんだけど……小さめのスケッチブック、実は持ってきてるんだ。でも、やっぱりこういう人がいるところで絵を描くのはちょっと恥ずかしいかな、って思って……。写真を撮って、後で帰ってから写真を見ながら描くとかでもいいかもね」

「じゃあ、お昼を食べた後は写真を撮りながら見て回りましょうか」

「そうだね、そうしよう」

 そんな話をしていたら、注文した品物が来た。

「いただきます」

 自然と二人とも同時に言っていて、顔を見合わせて笑う。

「おいしいね」

「おいしいです」

 微笑み合いながら、食事を口に運んだ。二人とも食べ終えて、ドリンクを飲みながら一息つく。

「まだ見てないところもあるけど、改めて写真を撮りたいからまた同じところも見てもいい?」

「じゃあ、とりあえずまだ行ってない辺りに行ってから、戻ってきて写真を撮りましょうか」

「そうしよう。……じゃあ、そろそろ行く?」

「はい」

「あ、ここもお会計は私が出すよ」

「いいんですか?」

「いいの、ゆいなは気にしなくて」

「……じゃあ、甘えます」

 お会計を済ませて、カフェを出る。カフェを出たところで、私はゆいなの手をそっと握った。ゆいなは一瞬びくっとしてから、私の手を握り返してくる。そして、私達は手を繋いで歩きだした。

「……あの、ゆずき先輩」

「なに?」

 遠慮がちにゆいなから声をかけられて、私は不思議がりながら振り向いた。

「手を繋ぐのは嬉しいんですけど、手を繋いでたら写真が撮れないです……」

 ゆいなにそう言われて、私は思わずしまったと言いそうになる。そう言われてみると、確かにそうだなと思った。写真を撮るには両手でカメラを構える必要がある。

「気付けなくてごめんね……。じゃあ、ここからは手は繋がないで行こうか」

「いえ、そんな、謝らないでください。……ゆずき先輩から手を繋いでくれたのは、嬉しかったです。手を繋ぎたい気持ちもありますけど……写真も撮りたいですよね……」

「そうだね……。とりあえず、写真を撮るのを優先しよう」

「はい」

 そんなやりとりをして手を離して、二人ともカメラを構えて花を写真に収めた。

「……花の写真もいいけどさ」

「はい?」

 私が言うと、ゆいなが振り向く。

「私はゆいなの写真も撮りたいし、……できれば、二人で一緒の写真も撮りたいな」

「……私も撮りたいです。撮りましょう」

「自撮りモードでいけるかな? あんまり自撮りなんてしないから、わかんないんだよね、私」

「私わかりますよ」

 ゆいながそう言ってゆいなのカメラを内向きに構えて撮ろうとした。

「せっかくだから、さっきの……ゆいなが、私に合うって言ってくれた、あの花を背景に撮りたいかな」

「アガパンサスですか? いいですね、じゃあ二人の写真はそこまで戻ってから撮りますか」

「うん。……そろそろ端っこまで来たみたいだし、戻っていこうか」

「そうみたいですね、行きましょう」

 二人で、時々、写真を撮りながら、歩いていく。そして、先程のアガパンサスが見えるところまで来た。

「じゃあ、ここで二人で撮りましょうか」

 ゆいながそう言ってカメラを構える。私は不器用に写真に収まっていた。笑顔がぎこちないような気がする。

「……自撮りで二人で一緒に収まるのって、ちょっと難しいですね」

 撮った写真を確認しながら、ゆいなが言う。

「そこのお嬢さん方、もしよければ写真を撮りましょうか?」

 近くを歩いていたお婆さんが、声をかけてきた。

「いいんですか? お願いします!」

 ゆいながすぐさま返事をする。

「お、お願いします」

 私もぎこちなく返事をした。初対面の人間に遠慮なく話せるのは、ゆいなのことを尊敬するところだ。私はそういうのがどうにも苦手に感じる。

「じゃあ、撮りますよ」

「はい!」

「は、はい……」

 ゆいなが元気よく返事をするのを横で聞きながら、私はぎこちない返事をした。お婆さんが撮ってくれた写真を、ゆいなと二人で確認する。やっぱり私はどうにも写真に写るのが苦手なのかもしれないなと思った。一緒に写っているゆいなは、とてもかわいいのに。

「キレイに撮れてますね! ありがとうございます!」

「ありがとうございます……」

「いえいえ、いいのよ、これくらい。じゃあ、私はこれで」

 そう言って、お婆さんはカフェの方へ歩き去っていった。二人でお婆さんに頭を下げてから、手を振って見送る。そしてまた、二人で並んで歩きながら、花の写真を撮っていった。

「……ゆいなはすごいね」

「なにがですか?」

「さっきの、写真を撮ってくれたお婆さんに、元気よく対応してて……。私は、人と話すの、ちょっと苦手だから」

「……でも、ゆずき先輩が人と話すのが苦手なのは、人のことをよく見てて、人のことが好きだからですよね」

「え?」

 思いがけないことを言われて、私は思わずゆいなの顔を見つめる。ゆいなも私の顔を見つめ返して、言葉を続けた。

「ゆずき先輩と接していて……ゆずき先輩のことを見ていて、ゆずき先輩は人のことが好きで、人のことをよく見てる人なんだな、って思ったんです。でも、だからこそ人と話すのが得意ではないんだな、って思います。言っちゃうと、気を使いすぎなんですよね。……そこが、ゆずき先輩の素敵なところだなって、私は思いますけど……」

「……私のこと、そんな風に思ってくれてたの?」

「……変なこと言っちゃいましたかね?」

 申し訳なさそうに言うゆいなに、私は首を振った。

「ゆいながそんな風に思ってくれてて、嬉しいよ。ありがとう」

「いえ、そんな、お礼を言われるようなことじゃないですよ」

「そうかな、でも、本当に嬉しいから……」

「そう言ってもらえて、私も嬉しいです」

 お互いになんだか照れくさくなりながら、微笑み合っていた。そうして、また写真を撮りながら歩いていく。一通り見て回って、時間もいい具合になっていた。

「……今日は、そろそろ帰ろうか」

「はい」

 写真を撮っていたケータイをポケットにしまって、自然と私達は手を繋いでいた。バス停まで、手を繋いで歩く。バス停に着いても、手は繋いだままだった。しばらく無言で、手を繋ぎながら二人で立っていた。そのままバスに乗って、ちょうど二人がけの座席が空いていたので、手を繋いだまま並んで座る。

「……あの、ゆずき先輩」

「なに?」

「カフェで、帰ってから写真を見ながら絵を描くって言ってましたよね」

「そうだね。そのつもりだよ」

「その絵って、どこかに出すんですか? 文化祭とか……」

「んー、まだそこまでは考えてないけど……ゆいなには、見せるよ。見せるから、家に来てくれる?」

「はい! 嬉しいです」

「じゃあ、約束ね。……いつになるかは、ちょっとまだわからないけど」

「はい、わかりました」

 嬉しそうに頷くゆいなの姿が、とても愛おしくて、繋いだ手から伝わる体温が、とても温かった。降りるバス停が近づいてきて、なんだかとても名残惜しいなと思いながら、バスの降車ボタンを押した。降りたところで、ゆいなの手が私の手から離れた。

「今日はありがとうございました。すごく楽しかったです!」

「うん、私も楽しかった。また一緒に、どこか行こうね」

「はい! じゃあ、また学校で」

「うん、またね」

 もっとゆいなと一緒にいられる時間が続けばいいのに、なんて思いながら、私はゆいなに手を振る。ゆいなが手を振り返す姿は、夕日に照らされてよく見えなかった。

 家に帰って、夜になって一人で、私は撮った写真を見返していた。そうしたら、なんだかとっても、描きたい絵のイメージが浮かんだ気がする。私はどうしてもそれを形にしたくて、今から描こうかと迷ったけれど、あまり寝る時間が遅くなってもよくないから、明日にしようかと考えた。そんなことを考えながら、寝る準備をする。

 翌日の日曜日、私は朝からさっそく、絵を描いていた。ゆいなに早くこの絵を見せたいなと思う。今日は家族が家にいるので、お昼ご飯に呼ばれて作業を中断した。手が絵の具で少し汚れていたので、慌てて手を洗う。ご飯を食べてから、また絵に向き合って、集中する時間が続いた。しばらく集中して、夜ご飯までにはどうにか完成した。けれど、今からゆいなを呼んで見せるわけにもいかない時間だ。ゆいなに見せるのは、来週にしようと思った。

 ゆいなのことを考えていたら、前にゆいなを部屋に呼んで絵を描いた時のことを思い出す。私の部屋の本棚の本を、ゆいなは熱心に読んでいた。本棚の中から、美術関係の本を一冊、選んで抜き取る。明日にでもゆいなに美術部の活動の時に貸そうかと思った。



 月曜日になって、美術部の活動へ向かう。ゆいなもいつも通り来ていた。

「ゆいな、ちょっといい?」

「なんですか?」

「昨日、さっそく植物園に行った時の絵を描いたから、見てほしいんだけど、いつなら家に呼んでも大丈夫かな?」

「ゆずき先輩も描いたんですね」

「も?」

 私が不思議そうに返すと、ゆいなが微笑みながら頷く。

「ゆずき先輩が描くって言ってたから、私も描きたいなと思って、私も家で描いたんです。……もしよかったら、見てほしいので、持っていってもいいですか?」

「いいよ、いつにする?」

「じゃあ、今週の土曜日に」

「うん、じゃあ、待ってるね。……あ、そうだ、この本、ゆいなが興味あるかなと思って、持ってきたんだ」

 私はそう言って、部屋の本棚の中から選んできた本をゆいなに見せた。

「あ、それ、気になってたんです! 読んでいいんですか?」

「いいよ、なんなら貸そうか?」

「借りてもいいんですか?」

「うん、私は何度も読んでるから」

「ありがとうございます!」

 そんな会話をして、ゆいなはその週の美術部の活動日は、熱心に本を読んで過ごしていた。私はなんとなく石膏像のデッサンをして過ごした。



 ゆいなと約束していた土曜日になり、私は家でソワソワしながらゆいなを待っていた。玄関のチャイムが鳴って、迎えに行くと、ゆいなが行儀よく挨拶をする。今日もとてもかわいらしい私服姿だった。

「今日の服もかわいいね」

「そうですか? 嬉しいです」

 自分で言いながら、自分の言葉に照れくさくなったけれど、そういうことは積極的に伝えていこうと思う。私の部屋に着いて、私は私の描いた絵を手に取った。そのあいだに、ゆいなは座ってゆいなの絵を手にして待っている。

「……どっちの絵を先に見せますか?」

「……同時に見せようか?」

「そうしましょう」

「じゃあ……」

 私は言って、ゆいなに絵が見えるように持つ。ゆいなも、私に見えるように絵を持つ。

 お互いの絵を見て、お互いに、一瞬、言葉を失っていた。私が描いたのは、アガパンサスの花を持つゆいなの絵。ゆいなが描いたのは、私達、二人が一緒に笑っている絵だった。

「……ゆずき先輩は、どうしてその絵を描いたんですか?」

「……ゆいなが、私に合う花だって言ってくれたから。……この花と、ゆいなの笑顔を描きたくて。そうしたら、なんだか……うまく言えないけど、ゆいなのことが大好きだって私の気持ちが、絵になって残ってくれる気がしたんだ」

 ゆいなが黙って頷いた。

「……ゆいなは、その絵にどんな気持ちを込めたの?」

「……これからも、二人で一緒にたくさん笑顔で幸せに過ごせたらいいな、って、そう思いながら描きました」

「そう……」

「ゆずき先輩が、私のことを思って描いてくれたこと、すごく嬉しいです。……その絵も、貰ってもいいですか?」

「いいよ。最初からプレゼントするつもりで描いてたんだ。……私も、ゆいなのその絵、欲しいな」

「本当ですか?」

「うん」

「……じゃあ、プレゼントします」

 ゆいなが私に絵を差し出した。私はそれを貰い受けて、私の絵をゆいなに差し出す。

「……大切にしますね」

「私も、大事にするよ。……ゆいなのことも、これからも大事にするからね」

「嬉しいです。……私、ゆずき先輩のことがやっぱり大好きです」

「……ありがとう。私も、ゆいなのこと、大好きだよ」

「ありがとうございます」

 そう返して微笑むゆいなの姿が、なんだかとても愛おしく感じた。今は、部屋に二人きりだからと思って、私は思い切ってゆいなを抱きしめる。ゆいなは少し驚いたようだったけれど、されるがままになっていた。この幸せな時間が、もっとずっと続けばいいのに、なんて願う。この幸せな気持ちを絵にして残しておくために、またゆいなの絵を描こうと思った。ゆいなも、幸せだと思っていてくれたらいいな、と思う。私は、この一瞬を、永遠のように感じていた。


〈了〉

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ