6.勝敗の行方
左上段回し蹴りを右腕でガードした其倉はその蹴りの意外な軽さに少し戸惑う。
と、次の瞬間に諏藤は軸足を回転させて自分の左腰を相手にぶつけるように腰を入れ、畳んでいた左膝を伸ばして其倉の右腕を強く押し込んだ!
そう、諏藤の左上段回し蹴りは最初から其倉の頭部を狙ったものではなかった。
其倉にガードさせた後、ガードごと押し込むのが目的だったのだ。
予想外の押し込みに其倉は対応できずに上体をそらされてバランスを崩してしまう。
バランスを崩された人間は攻撃も防御もできない。
其倉がバランスを立て直そうとするその一瞬、諏藤は「タンッ」と右足を一歩踏み込み、その顔面に向けて左拳を突き出すとメンホーに当たる直前にその拳をグッと握り込む。
「セヤアアア!」
引手を切って気合を入れる。
有効1ポイントを取って再度逆転した。
この後、諏藤は残り時間数秒を凌ぎきって初勝利を手にしたのであった。
◇◆◇
「初勝利おめでとう」
「おめでとうございまっす」
トーナメント終了後、麻岐部と桑葉はロビーへ諏藤を迎え出て初勝利を祝った。
「ありがとうございます。まあ、二回戦は完敗でしたけどねー」
「あれは仕方ないだろう。1ポイント取っただけでもたいしたもんだ」
二回戦で当たった相手は本日の優勝者で、1回戦から決勝までの4試合で3ポイントしか失わなかったのだ。
「ところで、一回戦の最後で出したあの左上段回し蹴りのことなんすけど」
「ああ、あれもありがとうございます。麻岐部さんや桑葉さんに習った蹴りです。当たった後に脛を押し込む蹴りは寸止ルールで使う人がいないので意表を突けたようですねー」
「あ、いや、それはいいんすけど。あの蹴りってそもそもこのルールで使っていいんすか?」
「と、言いますと?」
「いや、蹴りで押しちゃっていいんすか?反則とかじゃ?」
「どうせ今日の審判団は『寸止』かどうか見るのに精一杯で多少のことは気付きやしません」
「それダメってことじゃないっすか!?」
堂々の反則宣言に焦る桑葉。
「あはは。冗談ですよ。『押し合い』は反則ですけどね。押すこと自体は反則ではありません。別に『強打』はしてませんし、むしろ押すために最初の当たりは弱くしたくらいですから。反則の要素はどこにもありませんよ」
「な、なるほど、そういうことだったんすね。あーびっくりしたっす」
その後、今日の混乱についての麻岐部の推測の話になった。
「俺も麻岐部さんの推測は概ね合ってると思います。実際主審が副審に注意していたのもそんな内容でした」
「あんま大っぴらには言えん妄想だがな」
「ですねー。ま、理由はどうあれルールの運用というか解釈が変わったのは事実です。残念ですが」
「残念なんすか?」
「そのおかげで初勝利を挙げることができた俺が言えたことではないんですがねー。組織には逆方向に舵を切ってもらいたかったんですよ。しっかりと当てる方にですね」
「なんでっすか?」
「オリンピックになればこれまで空手を見たことがない人も見ることになるでしょう?で、今日みたいに寸止を徹底した場合、『ポイントになった攻撃』と『ポイントにならなかった攻撃』の違いって見て分かりました?」
「いや、正直分からんかった」
「同じくっす」
強打と判定される程強く当たったらポイントにならないのは見て分かったが、きちんと寸止めしてるように見えたのにポイントにならなかった攻撃も多く、その違いは麻岐部や桑葉には分からなかった。
「正直言うと俺にも分かりませんねー」
「「選手なのに!?」」
「選手なのにです。だから今までの試合でポイントが取れなかったわけですし」
「は、はあ、言われてみればそっすね」
「それなりに『突き』『蹴り』を使う競技を見慣れてる俺達でさえよく分かんないんですよ?一般の人にはまず分かりません。でも当てることにすれば各段に分かりやすくなります」
「『当たった』か『外れた』かなら素人が見ても分かりやすいよな」
肉眼では判別が難しいケースもあるかもしれないが少なくともスローモーションで見れば当たり外れは判別がつく。
「分かりやすさって大事だと思うんですよねー。これから少子化でスポーツ界は他の競技との人材争奪戦になっていくのは確実なんですから、その勝敗に影響しなきゃいいですけどねー」
注目を浴びるオリンピックの舞台はもちろん、その後の大会でも『分かりやすさ』というのは人材争奪戦の勝敗の行方を左右する重要な要素ではないかと諏藤は感じていた。
「ま、俺みたいな底辺選手がそんな空手界の未来を心配してもしかたないですよねー。ってことで素直に初勝利を喜んどきます」
「それがいいっすね」
「そうだな。あ、コーヒー飲む?」
その後、3人は自販機のコーヒーでささやかに祝杯を挙げたのだった。