3.書けない理由
「運用を変えた?なんでそんなことをしたんすかね?」
「そこなんだけど……俺も諏藤さんと練習するようになって寸止空手の情報にも目を通すようになったんだけどね。その中で時々目にしたのが関係者の『寸止っていうけど実際には当ててる』的な発言。おそらくこれらの発言が問題だった」
「あー、ありますね。それが何か?」
「これまでなら問題無かった。が、状況が変わった」
「状況?」
「空手が東京オリンピックの種目に決定したことさ」
この少し前、空手は2020(実際の開催は2021年)東京オリンピックの追加種目に採用されていた。
「以前なら『寸止云々』の発言も関係者以外にはほとんど注目されなかったろう」
『空手』という競技名は広く知られていてもその試合を見たことがある一般人などほとんどいない。
毎年国営放送で放映している全日本選手権ですら関係者以外には視聴されてなかっただろう。
「しかしオリンピック種目に決定し、しかも日本選手がメダルを獲る可能性も高いことから露出も増えた」
「まあ、そうすね」
「それは良いことなんだ。でもそうなると一般の人から空手に対する疑問も増えてくる。『どうして寸止のはずなのに当てた方にポイントが入ってるの?』、『そもそも寸止してなくね?』ってね」
「正直俺もそれ思ったっす」
「今までは身内でなあなあで済ませてこれたかもしれない。けど組織の上層部――少なくともこの大会の役員よりは上――の誰かが気付いたんじゃないかな。『明文化されたルールのとおり大会が運営されてないのは世間的にマズイ』と」
「あー」
「そしてその誰かは全国の組織に通知を出したわけだ『ルール遵守を徹底しろ』と」
「なるほど」
と、一旦納得しかけた桑葉だったがふと気付く。
「いやいやそれなら『今回から当てたらポイントになりません。攻撃は寸止とすること。指定のプロテクター類も全て装着すること』とか書いてもらわないと!『試合前には改めてルールを確認し、遵守すること』じゃ分かんないすよ!」
だから余計な混乱が起きているのだ。
しかし
「それは書けない」
「はあ?」
「それを書いてしまったらこれまでルール通りに運営していなかったと認めることになってしまう。通知を受け取った誰かが悪気なくネットにアップでもしたらもう誤魔化しようもない」
これまでの記録や戦績にしても、取り消せないにせよ微妙な扱いになりかねない。
「うーん……」
「だからああいう当たり前の注意書きを書いて『これで空気読んで!お願い!』と内心思いながらも、表向きは『これまで通りルール順守で』という体で押し通すしかなかったんだろ」
「『空気読んで!』っすか」
「あと、ついでに言うなら少年部では前から強打反則には厳しかったから、最初は混乱しても副審たちは対応してくれるという希望もあったんじゃないかな」
「なるほど」
「最初から止めるつもりの少年部の選手達と、最初から当てるつもりの成年部の選手達とじゃ動きや距離が違いすぎて思ったより副審達のアジャストに時間が掛かったようだけどな」
「でも、確かに副審達は対応してきてる感じっすね」
試合場では第3試合が始まっていたが、第1、第2試合よりも主審と副審達の判定が揃ってきていた。
「ま、あくまで俺の妄想だよ。妄想」
と、我に返ったように苦笑いで麻岐部は自分の推測語りを締めた。
「しかしまあ真相が何であれ、この混乱も悪いことばかりとは限らない。諏藤さんならこの状況を利用できるかもね」
「?」
「ちょうど諏藤さんの試合が始まる。まあ、まずは応援しよう」
こうして麻岐部と桑葉は一旦会話を区切り、一回戦第4試合の諏藤VS其倉戦の応援に集中することにした。