1.大混乱の控室
この小説はフィクションです。実在の個人とは関係ありません。実在の団体とも絶対に関係ありません。はい。
東京オリンピックを数年後に控えた201X年。
北海道の某地方都市の体育館。
そこで寸止ルール空手の大会が開催されていた。
特に全国大会の予選というわけでもない年1回のいつもの大会。
……と思われていたのだが、その日の男子控室は予想外の混乱に見舞われていた。
「脛ガードでーすっ」
「サンキュー、いや済まんけど足甲のガードも頼む!」
とか
「胴プロテクターありましたーっ」
「それ小学生用だろ!?入らんわ!」
とか
「ええー、ファウルカップ(股間プロテクター)お前と交代で使うの……何か伝染されそう」
「何その偏見!?嫌なら貸さんぞ!」
などと、試合で使用するプロテクター絡みの大騒ぎが起きていたのだ。
その控室にいた本日の出場選手の1人である諏藤軌宙のもとに練習仲間の桑葉堅斗がやってきて胴プロテクターを渡す。
「借りてきたっすよ」
「いやー、ありがとうございます。手間をお掛して申し訳ないです」
「いえ、そもそも諏藤さんのせいじゃないんすから。しかしなんでこんなことになったんすかね?」
◇◆◇
ことの起こりは10分程前に遡る。
組手成年男子の部の選手達が試合場の左右に整列すると、第1試合出場の選手の名がコールされる。
名を呼ばれた選手が礼をして試合場に入り、互いに向き合って礼をしたところで
主審が選手のボディチェックを始め、プロテクターの装着を確認しだした。
『なんで?』
と、声にこそ出さなかったものの、ボディチェックを受けている両名はもちろんその場に整列して座っていた選手たち全員が戸惑っていた。
これまでそんなことをやったことがないのだ。
そんな周囲の戸惑いをよそにボディチェックは進んでいく。
「え?ファウルカップもしてないの?脛ガードは?同じ道場の人から借りられないの?」
「え?ええと……」
主審はあれこれ尋ねてくるが、選手の方は戸惑うばかりだ。
やがて両選手のボディチェックを終えた主審がマイクを手に取って話し出す。
「えー、選手の皆さんはルールで指定されているプロテクターを付けてきてください。それまで一時休憩とします。以上」
『なんじゃそらー!?』
と、やはり声にこそ出さなかったが選手達はびっくりした。
とにかくプロテクターの類というのは動きの邪魔にもなるので、寸止ルールだとメリットよりデメリットを強く感じる人もいる。
また、道場の責任者や指導者も高校生まではきちんとフル装備させるが、大人には
「ま、自己責任で。国体の予選とかじゃないし」
といったスタンスで煩く言わない人が多いのだ。
なのでフル装備してる人の方が珍しい。
ちなみに今回は応募者がいなかったため組手成年女子の部がなかったので女子選手がどのくらいきちんと装着しているかは不明である。
話を戻すが、今回も胴プロテクターだけ装着してない諏藤などまだマシなほうで、メンホー(寸止専用・透明プラスチックで顔面を覆ったヘッドギア)と拳サポーターしか装着してない選手も多いのだ。
その場合、胴プロテクター、ファウルカップ、脛ガード、足甲ガードを調達してこなければならない。
一方諏藤も胴プロテクターだけならと簡単に調達できるわけではない。
諏藤が居住しているのはこの体育館から少々遠く、今回の大会は個人で申し込んでおり、道場の先生や他の道場生は来ていないので借りるアテが思いつかない。
ともかく、今日は道場とは別の練習仲間である桑葉と麻岐部が会場に応援にきてくれていたのでそちらに相談してみた。
すると
「仕事の知り合いが指導者として来てるみたいなんで借りられると思うっす」
と桑葉が言ってくれたので頼んで借りてきてもらったというわけだ。
◇◆◇
「正直なんでこんなことになったのか俺にも正確なところは分かりませんが、もしかすると」
と、胴プロテクターを装着して道着の上着を着直した諏藤が言いかけたところで
「本日の◯◯空手大会成人男子の部の出場者は会場にご参集ください」
と放送が掛かった。
「あ、すみません、それじゃ会場に戻ります」
「頑張ってください。応援してるっすよ」
「はい。あ、今の話、麻岐部さんなら俺より正確に推測してるかもしれません。そもそも『今日の大会運営何か起きなければいいんだが』って言い出したのは麻岐部さんですから。それじゃっ」
今日は諏藤と麻岐部が一緒に会場入りし、所用で遅れた桑葉がプロテクターの件を頼まれる直前に到着したのだが、その間に何か2人で話していたようだ。
会場に向う諏藤を見送ったあと桑葉はその場で独り言ちる。
「……麻岐部さんが?」
各プロテクターの通称は実際のものと違ったりします。
そのままだとどこの部位のプロテクターか分かり難いので。