9.湖に咲く花
「これが……湖……っ」
目の前に広がる光景に思わず言葉が漏れる。水平線……この場合は対岸になるのかな? それすら見えないほど巨大な湖は底が見えるくらい水が透き通っていて、風で揺らめく水面がまるで波のようで――よく、なんとか湖は海だと例えてるのを見て、大袈裟だと思っていたけれど、これを見たら確かに海と言っても良いんじゃない?
あの後、木漏れ日の歌でこのイベントに関して何か情報はないかと調べてみたけど、バニラくんが何か困ってるとか、友達と喧嘩でもしたとか、そう言うイベント前の情報しか集まらなかった。町で何かしら道具を揃えようと思ったけど、私はゲームを始めたての初心者、つまり、一文無しで何も揃えられず、こうして湖を見に来る以外選択肢がなかった。
「すごい綺麗……でも、汚染されてるんだっけ?」
見惚れていたけど、ここに来たのはバニラくんからのお願い“汚染された湖の謎”を調べるため、つまりここの湖は汚染されている……うぅーっこんなイベントがなかったら湖に飛び込んでみたかったのにっ!
現実ではぜっっったい出来ないだろうからやりたかったのに、汚染されてたら絶対危ないじゃん。
「ん、待てよ? 確か、ユニンの種族スキルで状態異常にならないってあったはず」
そう思い出して手鏡を取り出すと、確かに状態異常無効のスキルがあった。
さっそく幸運のスキルから純潔のスキルに変えて、そぉっと湖に足を踏み入れる。水に触れた瞬間は何もなかったけれど、底の泥に靴が触れたとたん、一瞬、視界が黄色く染まった、でも、直ぐに元に戻る。
「お、おおお? もしかして、行けちゃう感じ?」
そのままもう一歩踏み出してみる。今度は何も出ない。
まさかの、湖に入ることに成功してしまった。もしかしたら、アイテムとか手順とかあったのかもだけど、SR種族のスキルで色々とすっ飛ばしてごり押しで行けてしまった。
う、うん。これもSR特典と考えよう。えっと、湖自体はそこまで冷たくない、深さも私の腰の辺りまでしか……あ、奧に行くほど深くなっていく、戻れ戻れ。
「うーん、なんか、底がブヨブヨしてる。本物の湖もこんな感じなのか……うわ、なんか、骨出てきた!?」
入ったは良いが湖を荒らすだけで特に何も起こらない、メニューを開いてバニラくんの状態を見てみるけど、せかせかと跳ねペンを動かしてるミニキャラが表示されていて、とても可愛い……じゃなくて、何の変化もない。何かフラグ的なのが足りないのかな?
「攻略サイト見ちゃおうかなあ、でも、せっかくだし、自分で……あっ、人がいる!」
もう、カンニングをしちゃおうかと考え出していたら、湖の縁に座って、水をパシャパシャ足で蹴って遊んでる人を見つけた。
あっ、そうそう。もうNPCとプレイヤーの見分けはつくようになったよ! NPCは白いハートマークが頭の上に浮かんでて、プレイヤーはそのハートマークがメイン属性の色、私なら赤色が浮かんでいるのです。ちなみに敵とかは黒。なので、あそこにいる人の頭の上に紫のハートが浮かんでいるので――紫って属性あったっけ???
「え、なんだろう、青属性の敵対者とかかな……」
『誰?』
とりあえず、話しかける前に様子を見ようとしていたら、向こうから話しかけられてしまった。
「え、わ、私はロゼ」
『ふぅん、ロゼ……ね』
彼女はそう言うと躊躇いなく湖に入ってきて、こちらに歩いてくる。真っ白なワンピースは濡れてフワリと水面に浮かび、細い手足をゆらゆらさせながら近づいてくる姿はまるでクラゲみたい。
そんなことを考えているうちに彼女は私の目の前に立っていた。
遠くに座っていたので小さいと思っていたけれど、近くで見るとそこそこ背が高い――もしかしたら今の私と同じ、もしくはそれより背が高いかも。あと、声からも察するに彼女ではなく、彼だったみたい。
肩でまっすぐに切り揃えられた紫色の髪の毛と、真っ白な瞳が印象的でとても不思議な子だった。
『ここに入れるなんて、あなたも女神の子?』
「え……と?」
質問の意味が分からず、選択肢を探すがどこにも見つからない。つまり、目の前の彼はロープレ中のプレイヤーってこと?
「あ、あの。私、そう言うのよく分からなくて」
『女神の子ならぼくの敵、神の子なら……ふふ、君はどっちだろ? ふふ、ふふふ』
クスクスとそんなことを笑いながら問いかけられても困る。そもそもカブでは女神とか神とかそんなのは設定されていないから、独自設定を持ち出されても合わせられないよ。
とりあえず、ぼくって言ってるから彼と呼ぶことにしよう。クルクルと回り、スカートの裾が水面に広がっている何とも幻想的な姿を見ていたら、不意に彼の視線がこちらに向けられる。
『あ、そうだ、ぼくの名前は“ブルーベル”、気軽にベルって呼んで?』
「え、あ、はい」
『はい、じゃあなくて、ベル』
「あ、えっと……ベル?」
『ふふふ、はぁい』
回るのをやめて自己紹介を始めた彼に、私はもうついていけない。流されるままに彼の言う通りに名前を呼べば、彼は左手を上げて可愛らしく笑った。
うぅ、見た目が美少女な美少年って感じのキャラとかわりと好きだから、これで彼がNPCなら良かったのに……。
変な人との交流にどんどんテンションが下がっていってると、ふと、目の前の彼に違和感を感じた。
なんだろう、髪色とか瞳の色は課金とかで色々いじれるし、服装だって別に性別関係なく着れるので変じゃない。でも、何か違和感が――。
「あ、あれ? ベルくん、耳があるの?」
『え? 耳ぃ? 耳ならみぃんなあるよ?』
「じゃ、じゃなくて、何でエルフ耳なの!?」
震える指でベルくんの紫色の髪から飛び出した尖った人の耳――エルフ耳を指差す。カブに登場するキャラクターは全て獣人、いくら人に近い姿にしようとも耳や尻尾は隠せない仕様になっている。だから、他のゲームならいざ知らず、カブでエルフ耳が存在するはずがない。
彼は最初は何を言っているの?と言わんばかりに首をかしげていたが、私の指している自分の耳を掴んで、スゥーッと表情を変えた。
『あはっ♪忘れてたぁ、君たちとはここが違ってたんだったぁ』
ニンマリと笑った口の端が裂けパックリと大きな弧を描き、真っ白な瞳から白目がなくなりテレビで見た螺鈿のようにキラキラと輝く。
フワリと両手を広げるとそのまま宙に浮いて――違う、下半身が蛇だ!
「え、えええっ!? な、ナーガ!? ナーガもいるの!!?」
『ふふ、驚いたぁ? さてと……』
どうだと言わんばかりに腰に手を当てると、蛇の上体を上げて見下ろしてきた。
湖にほとんど沈んでるからちゃんとは分からないけど、たぶん、尻尾の先まで10m以上はありそう。
――カラコロン、カラコロロン♪
水面から出したボコボコと凹凸のついた尻尾を振ると、木と木がぶつかるような音が鳴り響き水面がざわざわと波立ってくる。
「え、え、なに」
――“青い花言葉”が開始されます。
「えええっ!? 彼、NPCなのっ?」
――戦闘が開始まで10……9
「へあ!?」
せせせ戦闘開始って何!? こっちは彼がNPCで獣人じゃなくてナーガ(?)ってことでいっぱいいっぱいなんだけど!!!
私は慌てて鞄から初心者の杖を取り出して、ジェリーとフェーブを召喚する。ボチャンと音を立てて湖に落ちたジェリーはブルブルと震えると萎んでしまい、フェーブは甲高い声で鳴きながらその場で足踏みをした後、駆け出して飛んでいってしまった。
「えーーーっ!? ふ、二人ともどっどこに……あ、ここ、状態異常の湖だっ」
――3……2……1……
「あわわ、ジェリーしっかり! フェーブ、戻ってきてぇ!!」
――戦闘開始です。
弱ってへたってしまったジェリーを抱き上げ、片手で杖を振ってフェーブを呼び戻しているうちに無情にも戦闘が開始される。
いきなり、人型モンスターとの戦いにビクビクしているが、目の前にいるベルくんは動かない。あれ?と思っているとザザザザと波の音が背後から近付いてくる。
ベルくん相手じゃなくて良かったと少し安心して振り返ると、後ろからは大量の背びれがこちらに向かってきていた。
「サササメ!? え、でも、背びれがちょっと違っ――」
ザバァッと大きな音を立てて湖から跳ねたのは一言では言い表せない姿をした魔物だった。
こう、マグロとサメを足して2で割ったような見た目の三種類のモンスターで、えっと、右端はマグロとノコギリザメ、左はマグロとハンマーヘッドシャーク、真ん中はカジキマグロとホオジロザメだろうか? と、とにかく、とても大きい魚のモンスター達がこちらめがけて泳いでくる。
「フェーブ、私を持ち上げて!」
戻ってきたフェーブに呼びかければ、がしりと私の肩を掴んで飛び上がる。
ギリッギリのところでモンスター達の牙を逃れ、モンスターはそのまま――ベルくんの方へと進路を変えて向かっていく。え、あれ、仲間じゃないの?
『女神の子ならぼくの敵~♪』
不思議に思ってそのままモンスターの行方を見つめていれば、ベルくんは歌いながら尻尾をカラコロ震わせ、そのまま尻尾で勢い良くモンスター達を叩き潰した。
ゲームだからか、モンスター達はポップに星が飛び散らせながら骨と切り分けられた切り身になって湖に浮かぶ。その光景をぼんやりと見ていれば、彼はニッコリと笑ってこちらを見る。
『ふふ、ごめんね。巻き込んじゃったみたい?』
「え、巻き込む?」
『女神の子はぼくの敵なんだ』
そう言うと、別方向から飛んできた槍みたいに尖った魚のモンスターを尻尾で叩き潰す。
もしかして、ベルくんは敵じゃなくて、ベルくんと共闘するイベントってこと? よくよく見れば、湖から出てくるモンスターのほとんどは私ではなくベルくんを狙って攻撃しに行ってるみたい。たまに私の方に向かってくるやつは、距離的に近かっただけみたいで、フェーブが上に飛んで避けると、直ぐに向きを変えてベルくんに襲いかかっていた。
「きょ共闘なら、何とか……っ!」
『……んー? 手伝ってくれるの?』
「うひゃあ!?」
一人なら無理だけど、尻尾でワンパンできるベルくんとならいけるかもしれないと両手で杖を握り覚悟を決めていると、ぐるりと体をくねらせてベルくんが私の顔を覗き込んできた。
在り来たりかも知れないけど、星空を閉じ込めたような青系の色に煌めく瞳に見つめられてドキッとする。
「え、あ……私は“ベルくんの味方だから”っ!」
『――っ! ふ、ふふふ、ふふっ。その言葉、忘れないでね?
ベラに浮気しちゃダメだよ?』
アワアワと視線をさ迷わせていたら選択肢が出ていることに気づき、私はすかさずベルくんの味方宣言をする。彼はその言葉に驚いたようで、目を真ん丸にしてこちらをしばらく見ていたが、不意にお腹を抱えて笑いながらそう言うと同時に、私の額に顔を近付け――え、き、キスされた!!?
『じゃ、そろそろ片付けようか♪』
「え、ええええ!!?」
キスされたことに固まっていれば、ベルくんの体がするすると下に下がっていく、どうやら蛇の部分を湖の中に沈めていってるみたい?
何をするのだろうとドキドキしていれば、ゴゴゴッと鈍い音と共に水中に居たモンスターが全て空中に放り出されていて、まるで風船みたいに弾けてドロップアイテムに変わっていった。すっ、すごい!
『ふふ、また会おうね。ぼくのフロース』
ドロップアイテムが降る中でベルくんは笑いながらぐるりと勢いよく回転して水の柱を立てる。そして、その水が消えた後、彼はどこにもいなくて、湖にはたくさんのドロップアイテムが浮かんでいるだけだった。
――青い花言葉、クリア!
ポン、ポンと小さくイベントのクリアを祝う花火のエフェクトが上がり、報酬としてベルくんが倒したモンスターのドロップアイテムが表示される。
「な、なんだったんだろう……このイベント」




