お姉さんは妹が可愛くて仕方がない
「イリーナ、お前の事は見損なったぞ! まさか妹を虐めているだなんて!
お前のような血も涙もない女との婚約など今この場で破棄してくれる!!」
とある王宮のパーティーにて。
突如として響き渡った怒声ともいえるそれに、一瞬にして場は静まり返った。
いや、完全に静寂に満ちているというわけではない。
今しがた声を上げた男の隣でとてもわざとらしく「くすん、くすん、しくしく」なんてさめざめと泣いている女の声がしている。正直ウソ泣きであるのがバレバレで鬱陶しい。
やるならもうちょっとうまくやってほしいわ、なんて小声で駄目だししている令嬢もいた。
「そうですか。婚約破棄、承りました」
婚約破棄を突きつけられたイリーナはあっさりとそれを了承した。
あまりにもあっさりと。
強がっていると思える要素もない程にさらっと。
むしろその顔には清々したとかいう心の声まで浮かんで見える。
ここで「あれ?」と婚約破棄を突きつけた男――ケイネスはおかしいなと思ったのだ。
ケイネスはイリーナの妹であるフレアがお姉さまに意地悪をされている、という訴えを聞いた。
いじわる、だなんて可愛い事を言っているが、いざその内容を聞けば。
曰く、フレアが欲しがった物をことごとくダメ出しし、手にする事すら許してくれない。
曰く、姉の素敵なドレスが気になって、一度だけでも着させてほしいと頼んだのにそれを許してくれない。欲しいと言ったわけでもなく、ただ一度着てみたかっただけなのに。
曰く、頂き物の珍しい菓子を自分には一口たりとて与えてくれなかった。
それから、それから――
一つ一つは何となく些細な、ちっぽけに聞こえるものばかりだが、流石に数が多すぎた。
いじわる、だなどと言っているがここまでくれば立派に虐めといっても過言ですらない。
フレアが勝手に人の物を持ち出しただとか、そういう事ではない。フレアはきちんと許可を得てから実行しようと思う程度にはまだマシな方だ。
あれもダメこれもダメ、駄目駄目駄目。
何もそこまで駄目だししなくても……と軽い気持ちで相談に乗るつもりだったケイネスは引いた。
そこまで……!? そんなに……!? ここまでくるといじわるだとかいう以前に、徹底的に行動を管理していると言い出したっておかしくないくらいの締め付けっぷり。
まだ小さな幼子で、善悪もよくわからないし何が危険かもわかってない、というのであればまだしも、フレアは既にデビュタントを済ませている。右も左もわからない子供ではないのだ。
現在ケイネスの隣で下手くそなウソ泣きをしているとはいえ、それでも成人の仲間入りは果たしている。
へったくそなウソ泣き真っ最中ではあるが。
えーんえーん、とまでは言ってないけど涙一つ流せずにいるせいで、ちょっとオロオロした挙句そっと取り出したのは目薬である。
あまりにもあからさますぎて今そこで目薬を目にさしたとして、一体誰が騙されるというのか。そういうのは事前に仕込むべきよねぇ、とやはり小声で別の令嬢から駄目だしの声が出る。
「フレア」
目薬を差そうとしておきながら、目に入れるのに悪戦苦闘しているフレアに、イリーナが声をかける。
露骨にびくりと肩を跳ねさせた結果、目薬は目に入らずに鼻の上におちた。びぇっ、と淑女らしかぬ声が発せられる。
「いつまでそこにいるのかしら? そろそろ帰るわよ。帰りにお菓子でも買って帰りましょう。貴女、気にしてたでしょう? 先月できたばかりのお店」
「えっ、本当ですかっ!?」
ころっ。
そんな音が聞こえてきそうな勢いでフレアは表情を輝かせ、いそいそとイリーナの方へ歩み寄る。
姉にいじわるをされている、と泣いていたのが嘘のように――実際ウソ泣きだったが――今はにっこにこの笑顔を浮かべていた。弾むような足取りで姉の隣に並んだフレアに、イリーナはまったくしょうがない子ねぇ、と言わんばかりの目を向けている。
「ち、ちょっと待ってくれ!?」
それに待ったをかけたのはケイネスだった。
あれおかしいな、という内心が滲んでいる。
妹を虐げている姉、というのがケイネスの認識であった。
家族であってもそりが合う合わないというのはどうしたって存在する。だがしかし、だからといって虐げていい理由になるはずもない。それもあってケイネスはイリーナの性根をどうにかして叩き直してやろうと思い、婚約破棄を突きつけたのだ。
このような場で婚約破棄をされれば、状況が状況であろうとも瑕疵ありの令嬢とみなされるはずで、それは貴族令嬢としてあまりにも醜聞であった。
だからこそ、これから心を入れ替えます、とイリーナが言う事を期待していたのだ。
そうすればケイネスだって婚約破棄を撤回し、周囲には色々と行き違いがあったかもしれませんが、雨降って地固まるというやつですよ、とか何かこう、美談に持っていくつもりだった。
ところが実際はどうだ。
婚約破棄を受け入れられてしまった。
これでは今更撤回したとしても、周囲にこれだけ大勢の人がいるなかでやっておいて、一体何がしたいのですか? などと言われまるでこちらが考えなしの馬鹿の扱いを受けてしまう。
婚約破棄された令嬢ほど瑕疵はないが、間違いなくこいつ頭悪いなぁ、という目で見られる。
瑕疵のある令嬢は次の婚約など中々に難しくなるとは言われているが、こいつ頭悪いなぁと思われた令息は婚約以前に出世に響く。そんなのに重要な仕事を任せる命知らずがどこにいるというのだ。
そもそも今の今までお姉さまひどいえーんえーんとばかりに泣いていたフレアの変わりっぷりについていけない。
お菓子だってまともに与えてもらえないという話だったではないか。
何故そこであっさりとお菓子買って帰ろう、という言葉に飛びつけるのか。
買って帰ってもそれは果たして本当にフレアの口に入るものなのか!?
そういった疑問を勢いに任せて問いかける。
「ですが……アーセラ様」
少し前まではケイネス様、と呼ばれていたのに婚約破棄を了承した途端家名で呼ばれるという事実に、正直ケイネスはついていけなかった。あまりにも態度がドライすぎやしないか!?
「正直この婚約、別に望んでしたわけでもございませんし。元々は両親の間で結んだとはいえ、当時はそれなりにお互いの家が苦労していたから結婚という形で結びついた方がお互いにとっても有益、という事でしたけれど、それから時が経ち今となっては別に結婚とかしなくてもお互いの家に問題はありません。であれば、別に好きでもない相手と結婚するボランティアとかしなくても良いわけでしょう?」
好きでもない相手。
ボランティア。
そこまで言われて思わずケイネスは絶句した。
少々淡泊な部分があるな、とイリーナに関してはケイネスだって前々から思ってはいた。
だがそれは露骨に表に感情を出さないのが淑女としての当たり前であるとケイネスも知っていたし、だからそういうものだと割り切っていたのだ。
結婚して、初夜を迎える事になれば。
そうしてお互いがつながる事になれば。その後はもう恥ずかしいだとかいう以前の話だろうと思っていた。
イリーナはケイネスの事を表に出さずとも好きでいてくれていると信じて疑ってすらいなかった。
だというのに、好きでもない相手。
挙句の果てに結婚がボランティア扱い。
心の柔らかい部分にずどんっ! という音をたてて矢が突き刺さったかのような衝撃を受けた。
恋に落ちた音ではない。ハートがブレイクする音だった。
大勢の前で婚約破棄を突きつけた結果、イリーナが傷物令嬢と噂されるどころか、むしろケイネスが道化令息と囁かれる可能性……いや、既にひそひそと囁かれている。何と言う事だ。
「穏便に解消しようと思いましたけど、こうしてアーセラ家有責とわかりやすくやらかしてくれたので、これ幸いとその状況に乗っかるのはむしろ当然ではなくて?」
「なっ、うちの有責だと……!?」
「えぇ、意図してこちらを傷物として貶めようとしたではありませんか。証人がこれだけいるのです。言い逃れはできませんよ」
「お姉さま、お菓子買いにいかないんですか?」
「少し待ちなさいフレア。早々にカタをつけます」
カタをつける、とか普通の令嬢は口にしないと思うんだ。
内心でそんなことを思いながらもケイネスは己の不利を感じつつあった。
虐げられている将来の義妹を救おうとしたはずなのに、どうして自分が今このような事に……!?
確かに宣言した。婚約破棄を。
しかし本心からというものでもない。今からでもこちらの思惑を説明すれば挽回はできるだろうか。
そう思って口を開こうとしたのだが、それよりもイリーナの方が早かった。
「そもそも、フレアが興味を持った品は、アーセラ家からの贈り物ですわ」
「うちから……?」
「えぇ、婚約者から、となっておりましたが実際はケイネス様のお母さまからですわね」
その言葉にかすかに嘲笑が周囲から漏れた。
婚約者に贈り物をするのは当然の話だ。誕生日は勿論、季節の祭事や記念日などにちょっとした物を贈るし、社交の場に出る際はドレスや装飾品を贈るなんてこともある。
だが、それはあくまでも婚約者が贈るものであって、その親が贈るわけではないのだ。
親が相手方への贈り物をするのは、婚約があまりに早く決まった時くらいか。幼い我が子の代理で贈る事はある。とはいえそれだって限られたわずかな期間だけだ。
ケイネス程の年齢になってまで親が贈り物を代わりにする、というのは途轍もない恥だと思っていい。
庶民で例えるならば、うちの子もう成人してるのに未だにおねしょとかしてるのよ~とか母親に暴露されるレベルの恥。病院行けとか言われるし、これで正常と判断されたらどうしようもない駄目な大人の烙印を押されたっておかしくはない。というか庶民だってまともな母親なら流石にこんな恥を世間話でできるかという話だ。
もう可愛い我が子ではなく、何か家にいる畜生とかいう認識になってると言われても否定できないやつ。
それ故に嘲笑が周囲で起こるのは無理からぬ事だった。
「いや、あの、それは」
「忙しくて忘れていた。アーセラ様はそうおっしゃっていましたけれどね。だからこそなのかしら。代わりに贈られてきていたのです」
溜息まじりに言われる。
確かにケイネスは色々と忙しい日々を過ごしていたので、そういった季節の折を見て、だとかの贈り物を選ぶ余裕もなかった。落ち着いてから改めてこの埋め合わせはする、とイリーナに詫びた事もある。だがその際、イリーナは「よろしいのですよ、ケイネス様」とだけ言ってそれ以上何を言うでもなかった。
母が代わりに贈っているなどとは一言も。
これが、ケイネスからの贈り物だから、とても大事で誰の手にも触れてほしくはない、という理由であれば愛されてるなぁ、とか思えたが、実際に贈っているのはケイネスの母。そんな理由で無い事だけはケイネスにも理解できた。
「そしてその贈り物が、事あるごとに呪いの品でして。
流石にそんな物騒な物、可愛い可愛いわたくしの妹に触らせられるはずないじゃないですか」
ざわっ。
あまりにもあっさり言われて、周囲は思いもよらぬ話に思わずといった形で騒めいた。
「当時はお互いの家も状況が状況だったから、お互いの家が潰れないように、と手を取り合って生き延びましょう、という形で婚約をしていましたけれど。
今となっては婚約する旨味というのがお互いの家に存在していないんです。それもあってでしょうね。前々からアーセラ夫人には良く思われていないのを感じていましたから。
結婚する必要もないのに気に入らない小娘が嫁にくる、となれば早々に潰しておこうと思ったのでしょうね」
「まて、母上を愚弄するか!? 流石にそれは笑って許せるものではないぞ」
「愚弄も何も事実ですもの。それとも、何か?
あの呪いの品々、実は夫人ではなくアーセラ様ご本人が選んで贈ったとでも?」
「ぐ、ぬ、それは……」
ただの虚言であるならばまだしも、証拠品があるのだろう。今すぐ出せるわけではないだろうけれど、屋敷に戻ればそれは存在する。
イリーナ一人だけの虚言であるならまだしも、フレアもその呪いの品をいくつか把握しているのは言うまでもない。
二人が共謀しているのならまだしも、「お菓子……」とそわそわしつつもまだ? まだ? と犬のようにマテをしている状態のフレアには人を陥れるだとかはできそうにない。
自分が贈った、などと言ったとしても何を贈ったのかがわからない。だって贈っていないのだから。そうなれば何故偽証を? と突っ込まれる事は明らかだし、何なら自分のした事を母親の仕業にしようとしたという事にもなってしまう。そうでなくとも今の今まで贈り物もロクにしてこなかった甲斐性の無い男としてケイネスの評判はがっつり落ちるだろう。
そうなると母が贈った、というのを認めるしかない。
思わず反射的に反論してしまったけれど、もし呪いの品だとわかっていて贈ったならば庇いだてしようもない。
呪いの品コレクターとかならいざ知らず、イリーナがそうである、という話はこれっぽっちも聞いたことがない。母が呪いの品と知らぬまま贈ったのであればまだしも、そうでなければ悪質であるのは勿論で、そうなればアーセラ家の名誉は失墜する。政敵に気付かれないようこっそりと呪いの品を仕込むのならまだしも、婚約者相手に呪いの品とか相手の家でも乗っ取るつもりか? と言われたって仕方がない。
「フレア、貴方が興味を持ったあれらの品々はね、呪われているの」
「呪い?」
「そうよ、わたくしは魔法抵抗力が高いからちょっとやそっとの呪いじゃなんてことはないけれど、貴方はそうじゃないでしょう? そのせいで昔からちょっと強い魔力を秘めた品に触れると体調崩してたじゃない。
覚えてる? 何度も寝込んだの」
「あっ……あれ風邪じゃなかったの?」
「違うわ。それでも、つらかったでしょう? 貴方が触りたいといった物を、ちょっとだけよく見たいと言った物をうっかり触っていたら今頃貴方、寝込むどころか死んでいたのよ」
「えっ!?」
お菓子買いに行くのまだかなぁ、とそわそわしていたフレアは諭すように姉に言われてそこでようやく自分がどれだけ危険な状況にいたのかを理解した。
家にいた時はとにかく駄目! の一点張りだったから。理由も言われず駄目なものはダメ!! とあまりの剣幕でどうして? と聞ける雰囲気でもなかった。
あの時はお姉さまがいじわるする……別に乱暴に扱ったりしないのに。なんて思っていたが、自分の身を案じた結果あの剣幕だったのか、と思うとフレアの胸の内側がじわじわと温かくなる。
てっきりお姉さまには嫌われているのではないか、と思っていたので。
「そうよ、貴方が身に着けてみたいと言ったサファイアをあしらった首飾りは触れただけで生命力を奪う呪いの品で、魔法抵抗力の無い人間が身に着ければ一時間で死ぬの」
「ひっ」
「それにね、貴方が一回だけ使わせて、とねだったルビーでつくられた髪飾り、あれはね、正式な手順で身につけないと頭皮ごと髪の毛を根こそぎ奪う呪いがかかっているわ。
普通に髪につけたなら、直後頭皮ごとバリーッ、よ」
「ひょえ……」
フレアの口からはか細くも情けない声が上がる。
ついでに周囲のご令嬢からもうわこれは酷い呪いの品……とばかりにドン引きされている。
女性の髪が頭皮ごと根こそぎ消失だとか、男性ですら想像すれば恐ろしいのに女性ともなればもう下手に外を出歩けないし、生命力を奪うとか殺意が高い。
「それから、貴方が気に入ったからって一度だけ着てみたいといったドレスも。
あれはうっかり着たが最後、死ぬまで踊り続けなければならない呪いにかかっているわ」
「ひょわ……」
「それから、デザインが綺麗と近くでみたいと言ったペーパーナイフ、あれはうっかり手にしたら自らの眼球を抉り出す呪いがかかっていたし」
「ひぃん」
「珍しい石でできた綺麗なブレスレットだってつけたらそこからじわじわと手を縛り上げて最終的には手首が壊死するようになってたし」
「ひゃぁ」
「それに貴方が食べたいと強請ったあの珍しいお菓子、あれは食べたら口から芋虫を吐き出し続ける呪いがかかっていたわ」
「に、にゃあん」
それから。
それから。
指折り数えて一つ一つ呪いの品を解説していくイリーナに、フレアは先程の嘘泣きがうそのように本当に泣きそうになっていた。泣き声が今ではすっかり鳴き声に変わっている。
イリーナは魔法抵抗力が鉄壁レベルに高いので、呪いの品を手に取ったくらいじゃなんともない。
けれども魔法抵抗力がほとんどないも同然なフレアがもし間違ってちょっとでも触れたら。
呪いの品は容赦なくフレアをその呪いの餌食にしただろう。
あの時は咄嗟に駄目よっ!! と強く言われただけだった。そこに理由があると思えなかった。
けれどもこうして一つ一つの呪いについて聞かされれば、あの時に優しく駄目よ~なんて言われていたらそれを無視して手に取っていた可能性がとても高い。そうなればどんな目に遭うかなど、今聞いた末路が待ってる以外にない。
「だからねフレア。わたくしが貴方にいじわるをしているのではなくて、アーセラ家の夫人がわたくしに嫌がらせをしているのです。訴える相手を間違えましたね。自分の母がそんなことをしてるとも知らないぼんくらですよ。介入したところで役に立つはずがないでしょう」
「ごはぁ!?」
呪いの品々について聞かされて、これは酷いと思っていたケイネスであったがおもむろに飛び火して思わず胸を押さえて倒れた。そうだ、酷いと思っていたがそれをしでかしたのは自分の母である。
「お姉さまがいじわるするって思ってたけど、私、お姉さまに守られてたのね」
「そうよ、だって貴方はわたくしの可愛い妹ですもの」
「お姉さま……!」
うりゅ、とその目に涙が自然と溢れた。
「お姉さまぁっ!!」
そうして感極まってひっしと姉に抱き着いた。姉も「あらあら仕方のない子ね」なんて言いながらも優しく抱きしめてくれる。
周囲も麗しい姉妹愛に良かったわね、だとか何て素敵な家族愛なのかしら、だとか言っている。何なら周囲では拍手までされている始末。
「そういうわけですのでアーセラ様。婚約破棄の件と今までの件も含めて、近々請求書を送らせていただきますので。きっちりと支払ってくださいね」
「素敵な婚約者様だと思ってたのにまさかお姉さまを殺そうとしてたなんて、なんて酷い人なのでしょうアーセラ家! お姉さまが許してもこの私は許しませんからねっ!」
むきぃ! と叫びだしそうなフレアを「おやめなさい」と片手で制して、
「それでは皆様、わたくしたちは一足お先に失礼させていただきますね。
ごきげんよう♪」
「ごっ、ごきげんよう!」
完璧なカーテシーを披露するイリーナと、どこかぎこちないカーテシーをするフレアが会場を立ち去った後。
会場はパーティー会場というよりはケイネス糾弾大会へと変貌したようだが。
まぁ、そんな事はイリーナにとってはどうでもよかった。
そもそも呪いの品という性質の悪い代物、一つだけでも持っていたら問題だというのによくもまぁこれだけ……というだけの量を送り付けてきたのだ。さも婚約者の贈り物ですよと言わんばかりに装って。
ケイネス本人は関与していないだろうけれど、そもそもあのぼんくらが婚約者としてきちんとしていれば夫人が付け入る隙はなかった。確かに本人は常に忙しかっただろう。後継者となるべく教育をされていたし、まだ正式に家を継いだわけではなかったけれど、実質あの家を動かしていたのはケイネスだ。目の回るような忙しさだっただろう。
だが、それで婚約者をないがしろにしていい理由にはならない。
元々朴念仁というべきか、ちょっと気が利かないというべきか、空気も読むのはあまり得意ではないというか……という部分があったので、色々と苦労していただろう事はわかる。
わかるが、それが免罪符にはならないのだ。
大体あのまま嫁入りしていたら、間違いなく姑がやらかすのは目に見えているではないか。呪いの品どころか偶然を装って階段から突き落とすくらいは余裕で挨拶代わりにしてきそうだし、イリーナの食事にだけ毒を盛る指示を使用人に出すかもしれない。
己の母がそこまでするとは思っていないケイネスが、イリーナを守れるはずもない。
フレアの言葉で見当違いの正義感を発揮したケイネスが婚約破棄を大勢の前で突きつけてくれたのは助かったとも言える。
ケイネス本人は悪い人ではないけれど。
「あの姑がいるうちはどんな女も無理でしょうねぇ……嫁になるのは」
しみじみとそう思う。
「お姉さま! このお菓子、とっても美味しい!」
「そう、よく噛んでお食べなさいね」
「はぁい」
今回の功労者でもあった妹には、今まで気になっていたらしいお菓子を好きなだけ――とはいかないがそれなりに買ったのでこうして今現在とても満足げに食べている。
見ているだけで幸せそうな表情だった。これにはイリーナの心もほっこりである。
――ちなみに後日。
ケイネスは――いや、ケイネスの母がやらかしすぎた結果、アーセラ家は爵位を返上する事となった。
いくら毒殺暗殺当たり前な世界の貴族であっても呪いの品どっさり、それも婚約者の家に、というのはやりすぎであったので、周囲の噂がとんでもない程収拾がつかなくなったのだ。
多分あのままだと呪いの力を恐れた平民によって悪魔を殺せ! とか言われて家に火でも放たれていただろうから、爵位返上からの夜逃げは正解だったのかもしれない。慰謝料という名目であの家の財産の九割はむしり取ったし、そもそも貴族でいたくとも無理だっただろう。
状況がとてもよく伝わったのでイリーナに瑕疵がある、とは到底思われないだろうけれど、それでも婚約破棄をしたのは事実。次の婚約者を見つけるのは大変だろうなぁ、と思うとそれはそれで溜息を吐きたくなってくる。
「お姉さま!」
「なぁに?」
「お姉さま、大好き!!」
けれども、まぁ。
妹が可愛いから別に婚約者とかどうでもいいかな、とイリーナは思考を雑に放り投げたのであった。