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「ごきげんよう」
にっこり笑って挨拶をする。
王子の婚約者ということで、そこらへんの令嬢より厳しい礼儀作法を受けた。
その中でも一際キレイなカテーシーを丁寧に見せてあげる。
「行くわよ!」
マルグリットの声がした瞬間、目の前で煙玉が爆発した。
彼女がポケットにそれをら忍ばせていることは知っていた。
学生時代から自衛のために持たされていると聞いていた。2人で試したこともある。
その時はマルグリットの護衛が飛んできて怒られた。
懐かしい記憶が次々と蘇る。
私は声も出さずマルグリットと息を合わせて、その場から逃げ出した。
「あー、さっぱりした」
「上手く逃げれて良かったわね」
マルグリットが隣で大きく伸びをした。言葉通り、スッキリした顔をしていた。
私もその隣で海を見つめる。
海の向こうに夕日が沈んでいく。
まるで水に溶け込むように、赤が水平線で広がり、海と空との境界をはっきりさせた。
産まれて初めて見る光景に目が離せない。
「まったく、最初から教えてくれればいいのに」
「いいじゃない。うまく逃げれたし、セシルは責任感が強いから、ああでもならないと逃げないでしょ」
「ほんとに、ドキドキしたんだから」
煙幕が立ち込める中、私はマルグリットに手を引かれて保安所を抜けた。
完全な関所破り。王子からの言いがかりならば、どうとでもできるが、こればかりは庇えない。
そう思っていたのに、マルグリットはすでに手続きを済ませていたらしい。
「正式な手続きを踏んだ誘拐よ。あの王子から何か言われる必要はないわ」と聞いたときは、肩の力が抜けた。
「まずは、何から始めましょうか」
ちょっとずつ赤が薄まり、群青に染まっていく。
それを見ながら、これからのことを話すのは何とも言えない心地よさだった。
「そうね。とりあえず、あの国で開発していた熱冷まし薬からどう?」
「あれは、他国にも回るようにしていたと思うけど」
薬は様々なものがある。使う薬草の組み合わせや配合で効果が変わるのだ。
そういう作業が好きだった私は、その中でもよく効くものを開発していた。
薬は他国への利益も大きいことから、流通させていたはず。
「絶対量が違うから。あとは、女性の働き方や孤児や遺児の支援からかしら」
「やることがいっぱいあるわね」
「そうよ」
肩を上げる。
私は自然と微笑んでいた。
こんなふうに自然に仕事の話ができるのが嬉しい。
「夢みたい」
「夢じゃないわよ。あんたはキリキリ働かないといけないんだからね」
「ふふ、それが夢みたいってことよ」
私を連れ出した彼女が雇い主ということになるのだろう。
共和国に伝手があるわけでもないし、丸切り初めからの生活だ。
憧れていた国とはいえ、文化や風習の違いはある。
知らなかったこともたくさんあるに違いない。
心配しなければならないことは山ほどあるはずなのに、少しも落ち込むことはなかった。
「やっぱり、セシルは変わってるわ」
くるりと船の橋梁に背中を預けるようにして、マルグリットがこちらを向く。
私は、夕日を背負うような形になった親友を目を細めて見つめた。
表に立って働きたいという女は珍しい。
学生時代から「変わってる」は一番言われた言葉かもしれない。
「誘拐しに来た人に言われたくないわ」
「そうね。そうかも」
私の言葉に驚いたように肩を跳ねさせて、それから納得したように深く頷く。
わざわざ友達を助けるために、彼女は罪を犯す覚悟をしてきたのだ。
元々冤罪の上、切り抜ける算段もあったのだろうかれど、実際、そう動ける人は少ない。
そうでなければ、私が国外追放になるわけもないのだから。
「今更気づいたの? 似たもの同士よ」
「それこそ、今更でしょ」
国外追放された令嬢とそれを誘拐した令嬢。
どっちもどっちだ。
「これから、よろしく」
「こっちこそ」
ゆっくりと夕日が沈んでいく。
やがて、その姿がまるまる海に飲み込まれるまで、私とマルグリットは静かにそれを見守っていた。
*
その後の話を少しだけ。
私とマルグリットは無事に共和国についた。
彼女は驚くことに、共和国ですでに地盤と言えるものを築いていた。
私の考えたものが、きちんと私のものとして評価される。
慣れない感覚に喜びが花咲いた。
「セシル、行くわよ」
「わかってるわ」
今日、新しい店が開かれる。
私は店の前に立って掲げられる看板を見た。
看板にはこう書いてある。
『金蘭の契り亭』
二人であーだこーだ言いながら作った店に、私はワクワクしながら足を進めた。
end
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