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「嫌でも連れてくから。親友を殺される趣味はないの」
「え、あ……」
こちらを見つめるマルグリットの瞳が見たこと無いくらい真剣で。
突然転がり込んできた夢のような話に、頭がついていかない。
行きたい。
さっきだって後悔していたのだ。彼女の手を取って、こんな国から離れてしまいたい。
だが、私の立場は学生時代とはすでに変わってしまった。
「そんなことは許さんぞ」
「……勝手に連れてくって言ってんでしょうが。誘拐よ。誘拐」
チケットを見て、王子が語気を荒らげた。
マルグリットは忌々しそうに舌打ちをしてから、また王子と向き合う。
私から見えるのは彼女の背中と、見たくもない王子と浮気相手の顔。
「お前が逃げたら、マルグリットは指名手配にする。犯罪者だ。お前のせいで追われるぞ」
王子と目があった瞬間にそう言われる。その言葉こそ私が一番恐れていたこと。
王族は他の国へ指名手配をすることができる。
たとえ、この場で逃げたとしても、私のせいで彼女自身や彼女の家に迷惑をかけることはしたくない。
黙り込んだ私に、ここが弱みだと思ったのか王子が立てかける。
「王族に盾突いたのだって、商家としては悪手だろう」
こういうときだけは、本当に頭が回る。
反論しない私にいつの間にかマルグリットも心配そうにこちらをみていた。
「親友にそんな汚名を着せるのか?」
ゲスな笑みを浮かべる王子とマルグリットを交互に見る。
じっと彼女だけは、静かに私を見ていてくれた。
その後ろにいる王子が何かを言っているが、今は聞こえない。
私は口を何度か動かした。
(いいの?)
伝わるかなんてわからない。
学生時代は、どう行動したいか、何を考えているかなんて丸わかりだった。
お互い、見ればわかるほど同じ時間を過ごしていたのだから。
今は数年の時が私と彼女の間には横たわっている。
一瞬驚いた顔をしたマルグリットがコクリと頷いてくれた。それだけで、私の心は決まった。
「私は元々国外追放の身です。国外に行ったら犯罪者などおかしな話」
彼女の後ろではなく、隣で。一歩前に出る。
守られているばかりなど性に合わない。
人のことを犯罪者にした元婚約者に向かって、理屈というものを説明する。
隣でマルグリットが「もっと言ってやれ」と肩を小突いてきた。
「商家については……確かに痛いでしょうが、彼女は国を跨いだ取引。痛手を被るのは、そちらでは?」
「そうよ。こっちはこの国との流通を止めることもできる」
マルグリットの家のについて調べたことがある。
あまりにも帰って来ないから、心配になったのだ。
卒業と同時に他国を渡り歩くとは聞いていたけれど、少しの連絡くらいあって良いと思う。
その時に商家としての規模を知り、現当主である彼女の父親から「心配はいらない」と言われていた。
「なぜ、そこまでする! セシルなど、どこにでもいる女ではないか」
無理に止めることで被るものに気づいたのか王子の表情は苦々しげだ。
彼の言葉は胸にささくれが刺さったような気持ちになる。
婚約者として彼を精一杯支えてきたはずなのだが、意味はなかったようだ。
思わず顔を下げそうになったとき、マルグリットが私の肩に手を乗せた。
「あんた、バカね。あたしと時間を過ごした友はセシルしかいないの」
とうとう「あんた」呼ばわりになった。
この国から去ることでスッキリしたのだろうか。
今までの鬱憤を晴らすため、学生時代からの分も吐き出しているように見えた。
「能力ばかり高くて、高慢に見えて、きつい物言いになりがちで、そのくせ誤解されて傷ついたりしている。そんなセシルをどこにでもいるなんて言うの?」
「ちょ、マルグリット!」
「ああ、ごめんごめん」
彼女の服の裾を引っ張れば、小さく振り向かれて悪びれなく謝られた。
庇ってくれているはずなのに、半分以上、私の悪口だった。
まったく、これだから悪友というのは手に負えない。
良いところも悪いところも引っくるめて、友達でいてくれるのだから。
「この子の夢、知ってる?」
遠き日に語った夢が蘇る。
まさか、あれをきちんと覚えていてくれたのか。
私には選べない道と切り捨てたそれ。
『いつか自由に外で動いてみたい』
信じられない気持ちで彼女の横顔を見た。
マルグリットが王子との距離を一歩詰める。
知るわけがない王子は、ふるふると首を横に振りながら一歩下がった。
「あたしはそのためにずーっと準備してきたのよ!」
「今まで帰って来なかったのは?」
得意げに胸を張るマルグリットに、私は申し訳ないが横槍を入れた。
私のために動いてくれていたのは嬉しい。
マルグリットは誤魔化すように、宙を見上げた。目が泳いでいる。
「流石に他国での準備って忙しくて」
「早く言いなさいよ。手伝ったのに」
「勝手にしてたことだもの」
元々、彼女は連絡を面倒くさがる方だ。
人と会ったりするのは苦じゃないくせに、よくわからない。
きっと他国で様々なことを準備していたのは本当。だけど、連絡するより準備していた方が楽しかったのも本当。
だから、年単位で顔も見せなかったのだ。
「どちらにしろ、お前らは犯罪者に違いない!」
言い返す言葉を失くしたのか、王子が顔を赤くして指さしてくる。
その言葉一つでどれだけの人が迷惑を被るか、彼は一度しっかり考えたほうが良い。
何度か忠告したのだが、やはり届いてはいなかったようだ。
ちらりと隣で楽しそうに王子の顔を見つめるマルグリットを見る。
「犯罪者でもいいのね」
最期の確認。
もう戻れないところまで来ている気もしたが、念の為。
「誘拐犯も犯罪者よ」
「確かに」
彼女の言葉に頷く。
マルグリットは何があっても私を連れ出す気のようだ。
何か喚いている王子から少しだけ距離をとり、ひとつだけになった荷物を掴む。
今となっては、これだけになって良かったとさえ思える。
「王子、私は行きます。もう二度と、この地には戻りません」
「お前の家がどうなってもいいのだな」
「ご自由に。たった一人を捕まえられぬ王子に、我が家の取り潰しができるとは思えませんが」
マルグリットの手を取る。
おっと、ここは逆じゃないと誘拐っぽくならないだろうか。
マルグリットもそう思ったのか、笑って腕を組み直した。
「お前ら、捕まえろ!」
王子の号令に、取り巻きたちが一斉に近づいてくる。
だけどそんなものはちっとも怖くない。
保安所の係員たちは、関わりたくないように見ているだけだった。