1
婚約破棄された上、国外追放された令嬢が友人に救われる話
「セシル・ド・フランを国外追放の刑に処す」
その一言で、私の全ては水の泡と消えた。
*
ズンズンと貴族令嬢としてはありえない歩調で港を歩く。
あの馬鹿王子ーー元婚約者でもあるジョルジュ殿下のせいで、この国での全てはパァになった。
ランク王国では女性の活躍は制限されている。
基本的に家にいるのが正しい女の姿とされ、社会で活躍するためには夫か家の後ろ盾が必要になる。
独立を校是とする女学校でさえ、いかに優秀な夫を見つけるかについて授業があるくらい、その伝統は染み付いているのだ。
「連合王国行きの船はどこかしら?」
私、セシル・ド・フランも、そんな教育を受けた一人だった。
我が家はランク王国の中でも指折りの歴史を持つ古い家であり、メンツを非常に大切にする。
淑女教育なんぞ、物心ついたときからされていた。
おかしいと思いつつやる勉強なんて息苦しくて仕方ない。
「なんで破棄された方が外に出ないといけないのかしら。何度考えても理不尽だと思うのだけれど」
はぁとため息をつく。
私の将来は、この国の第三王子であるジョルジュ殿下と婚約できた時点で盤石だったはずなのだ。
王子はいずれ公爵になり、国の政治に関わる仕事をすることになる。
その夫人は福祉や教育など国を支える部分の仕事をすることになり、それこそ私がしたいことだったのだ。
それが何故かこんなことになってしまった。
『国のため、自分を殺しても働くの? しかも、汚名を着てまで?』
学生時代の記憶が蘇る。
他国の親を持つ友人、マルグリットの理解できないという顔。
彼女の言葉は、この国に染まりきっていた人たちに囲まれた私には、一種の清涼剤のようで。
隣にいるのが楽だった。多くの時間を共にし、夢物語ばかり語っていた。
卒業してから微塵も連絡がないのは、あまりに煮えきらない私に嫌気が差したのだろう。
そして、彼女の予感は大当たりだったわけだ。
「あのとき、私はあなたの手をとっていれば良かったのかしら……」
呟いた言葉はすぐに雑踏に紛れていく。
私は小さく頭を振ると、この国から逃れるために保安所の列に並んだ。
「は、出れない?」
「は、そのようになっております」
ようやく回ってきた順番に疲れを感じつつチケットを差し出した。
しかし、名前を確認しただけで素気なくチケットを返される。
父親が最後の情けに取ってくれた正規のものだ。
チケットには何も問題はないはず。
これでこの国ともおさらばできるーーそう思っていたのに、係員の答えは拒否だった。
「どういうこと?」
「殿下より、セシル嬢は通さないようにとお達しが出ています」
係員は申し訳なさそうな顔をした。
保安所が徐々に騒がしくなってくる。後ろに少しずつ列が出来始めていた。
人の無遠慮な視線がバシバシとぶつかってくる。
このままではいずれ気づかれてしまうか、問題になる。そうなれば、出国どころの話ではない。
(まずいわ)
婚約破棄されたときより心臓が痛い。
もともと婚約については仕事のついでのように考えていたからだ。
背中を冷たい汗が流れていく。
「私は国から国外追放になったのだけれど?」
表には出さず、私の立場だけを係員に言ってみる。
国外追放されたのに「出れないって変でしょ?」と伝えるわけだ。
わざわざ言う必要はないはずなのだが、念の為。
ランク王国における国外追放とは、ただの追放ではない。期日までにこの国をでなければ刑に逆らったとして、死刑になる。
つまり、今日までに国をでないと私に待つのは死のみ。
冗談じゃない。
「知っております」
目の前の係員の反応は変わらない。
申し訳無さそうな顔で、頭を下げる。
知らない訳はないとわかっていたが、これではっきりした。
私を処刑するために、動いている人間がいる。
(まさか、ここまで嫌われてたなんてね)
頭によぎったのは元婚約者である殿下の顔だ。
婚約破棄の場面で隣に浮気相手を連れて来たうえ、国王の許可なく勝手に発表するなど、やりたい放題だったバカ男。
思い出すだけでイラつく。
馬鹿だとは思っていたけれど、まさかここまで来て婚約破棄されるとは思っていなかったので、ショックな部分も確かにあった。
それさえ押し殺して、何も言わずに、言われた通り、国外追放されてやろうというのに、それでは足りないらしい。
「ありがとう。手間をかけさせたわ」
「ご無事を祈っております」
返されたチケットを受け取る。
深々と下げられた頭に見送られつつ、保安所から離れる。
通れない自分がいつまでもいられる場所ではない。
握りしめたチケットが手の中でクシャクシャになった。
「どうしましょうね……」
途方に暮れるとはこのことだろう。
鞄を手にフラフラと歩く。ずっしりと、ひとつしかない鞄の重さに苦しくなる。
最低限必要なもの以外、すべて置いてきた。
これまでの全てが、この鞄だけになったかと思うと、寂しいような悲しいような複雑な気持ちに襲われる。
(外に出れない。連絡手段もない。頼れる人もいない……どうしろっていうのよ)
とにかく座りたくて、周囲を見回し、入り口近くの席に座りこむ。
ちらりと時計を見れば、もう夕方近い。
最後の船が何時か知らないが、最終便までに乗れなければ処刑が待っている。
あのバカ王子のために死ぬのだけはごめんだ。
不敬でもなんでも良いから、あの時、平手打ちくらいしておけばよかった。
「あ、いたいた」
陽気な声だった。
自分の気持ちとのあまりの差に、最初、話しかけられているとさえ思わなかったほど。
呼びかけに反応しない私に業を似やしたのか。トントンと肩を叩かれ顔を上げる。
目の前には、肩につくくらいの紅茶色の髪をボブにした笑顔の女性がいた。
「マルグリット?」
「はぁい、セシル。相変わらず、厳しい顔ね」
目を見開く。
信じられない。
長年、音信不通だった親友の姿だ。最後に会ったのは卒業式なのだから。
大人びてはいたが、その顔を忘れるわけもない。
夢の残滓が飛び込んできたような気がした。