傷心とバンドマン。
「──それでねーXXXがねー」
やめて、やめて聞きたくない。
「もうほんとに可愛くてさー! もっと好きになったっていうか」
私は貴女の話が聞きたいのに。
「……聞いてる? 未央」
「…うん、聞いてるよ。彩」
貴女の恋人の話なんて、聞きたくない。
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私は友紀 未央。私には彩という友人が居る、小学校からの親友だ。
…その彩に恋人が出来たのは1年前、高校を卒業してすぐのことだ。既に婚姻届すら出したらしい。私は、彩との大学生活を楽しみにしていたけど…彩がする話は恋人の話ばかり。
それが辛かった、親友が変わっていってしまうのが。どんどん私の知っている彼女でなくなってしまう気がして、辛かった。
そして、この感情をどうしようもなく抱いてしまう自分自身も許せなかったんだ。
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私はそんな思いを燻らせながら、帰り道を歩いていた。
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(親友の幸せを素直に喜べないなんて…駄目だな、私)
道すがらの、ちょっとした橋。私はたまに落ち込むとここへ来る。はるか下を流れる川の音と、遠くに聞こえる喧騒が励ましてくれるような気がするから。…だけど今日は、全然気が紛れなかった。
(こんなショック、初めて。ずっと大切にしてきた宝物が壊れてしまったような、そんな気持ちかも。……恋人さんより、私の方が彩を知ってるのに)
「「はぁ~……」」
大きな溜め息を吐いた。……待って、今の溜め息、二人分だった?
私は驚いて隣を見る。隣に居た彼も、同じ気持ちだったらしい。
「「あ…あはは……」」
とても気まずく会釈して、私たちは正面を向いた。
「……あの、…聞いてくれます?」
ふと、私はこんなことを口走ってしまった。なんと言うかこの感情を、誰かにぶちまけてしまいたかったんだんだろう。
「…ええ、どうぞ」
隣の彼は快諾してくれた。この時の私は自分の感情でいっぱいいっぱいになっていて、申し訳なさとかそういうものを考えられなかったらしい。
「親友が…結婚したんです」
「えっ」
「…どうしました?」
「ああいえ、その…何でもないです。続けてください」
「は、はい…。それで、その親友が…恋人さんの話ばかりをするようになって。……目の前の彼女が、突然別人になったような感じがして怖いんです。……本当は分かってるんですけどね、恋人さんと過ごす日々が楽しいんだろうって、それも彼女の一部なんだって。……でも、どうにも私の中で…整理がつかなくて。……小学校からの付き合いなんです、小学一年生ですよ? 今から12年前。…それが1年くらいの恋人に負けるとか……」
私はもしかしたら、泣いていたのかもしれない。初対面の人に、いや、初対面の人だからこそ、こんなことが出来るのだろうか。
「…よく、分かります」
「……そうなんですか?」
「ええ、僕も似たようなものですから」
今度は彼が、その感情を話し始める。既に彼への興味が出ていた私は、ただ耳を傾けた。
「僕、前までバンドをやっていたんですけどね。小さなライブハウスで…細々と。でも先日…メンバーの一人が恋人を作って。…もちろんそれだけなら全然良いんですけど、活動に色々影響が出てしまってですね…。そこからジェットコースターみたいに解散しちゃいました。──お客さんなんて全然居なかったけど、仲間とばか騒ぎできて楽しかったな……ふふ、"バンドメンバーの手首キーホルダー"なんて作ったりして。……けど、解散を「嫌だ」と言ったのは、僕だけでした」
彼もまた、泣いていた。そうか、この人は私と同じなんだ。実際に同じでなくとも、私はそう思った。
「あの…もし良かったら、なんですけど…」
「はい?」
「──聴かせて貰えませんか、バンドの曲」
「……ええ、構いませんよ。皆で録った映像…まだ残してるんです」
彼は携帯端末を取り出して、動画を流す。
それはダークで、だけどどこか優しい世界観。中心では彼が歌っていた。映像の中も暗がりで、顔はよく見えなかったけれど、たしかに彼の声だった。激しくて、けれど暖かな。粗削りであっても、そこには確かな魅力があった。
『現実シェルター』…バンドの名だ。
「……良い曲ですね」
「ありがとうございます。……最高の想い出です」
私たちは肩を寄せて、まるでお互いの傷を舐め合うようにその動画を見ていた。そして終わるまで、私達はちっとも動かなかったんだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
気付くと辺りの闇はさらに暗く、人も少しずつ居なくなっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「──その、ごめんなさい。付き合わせてしまって」
「いえ、僕も同じようなものですから。…それじゃ」
私達は別れを告げると、背を向けて歩き出す──
「「あの!」」
ところがお互いに、振り返って呼び止めた。
出会ったときのように気まずく笑い合った後、私は彼に順番を譲られる。
「…あの、良ければ名前を、聞いても良いですか」
「──同じことを思ってました。…僕は灰田 将棋です。…そちらは?」
「友紀 未央です。……えっと、今日はありがとうございました。元気で、灰田さん」
「ええ、友紀さん。さようなら」
名前は聞いたけど、お互いに永遠の別れだと思っていた筈だ。
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それから、何ヵ月経っただろう。大学生活にも、彩の変化にも慣れてきた私は、そろそろ自分の感情を整理できたと思っていた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「──あれ、未央…?」
夜。休日の町で、私はばったりと親友に出会った。
その隣には、私の知らない人が立っている。──彼女と、手を繋いで。
「あ、彩…。偶然…だね」
私はその人を見ないように、彩だけを見て言った。
「──あ、もしかして未央は初めて会う? 確かに二人は高校じゃ接点も何もなかったしなぁ…。紹介するよ、こちらはXXX。よく話してるから知ってると思うけど…」
「…えっと、はじめまして。未央さん……で良いですか?」
その人は礼儀正しく、私の名を呼んだ。
「あ…ど、どうも……」
なんと言うべきか、とにかく嫌な感覚だった。口の中が急激に乾いて、うまく言葉を発せない。これは…もしかすると憎しみなのだろうか。おかしい、感情の整理はつけたはずなのに。
「紹介するねXXX。私の親友で、友紀未央。何度か話したっけ?」
「うん彩、聞いたことあるよ。彩がこの町を離れてた時も、支えてくれてたんだって?」
「うん! …未央が居なかったら私、この町に帰ってくる決心が付かなかったかもしれない。XXXとも再会出来たかどうかも分からなかった…。だから未央には感謝してるんだ! ありがとう、未央!」
彩は私の手を取って、屈託のない笑顔を向けた。私も笑顔で、それに応えた──いや、応えようとした。自分の顔は見えないけれど、きっと笑えてなんかいなかったのかも。
「…どういたしまして、彩。──私行くね! 邪魔しちゃ悪いし!」
私は逃げるように、その場から立ち去った。無愛想だとか、そんなのを考えられる余裕はなかった。私は一刻も早くそこから離れたくて、とにかく足を動かしたんだ。
気付けば、私は走っていた。元々の予定なんてもう忘れてしまって、ただ走って、曲がって、走って、走った。何もかもが嫌になりそうだった。
すると嗤うような雨が降ってきて、ざあざあと音を鳴らす。傘は持っていたけど、使おうともしなかった。だってずっと、走っていたから。
「うあ゛あ゛あああァッ!!」
そしてなんだかどうしようもなくなって、叫んだ。雨の音がかき消してくれると思ったけど、大して効果はなかった。だけど私は言葉を続ける。
「知らない…! 知らないあんな姿!! あんな顔…ッ!! 何が親友だ! 私は何も知らない!! 知らなかったくせに!!」
私は泣いていた、雨が降っていたけれど、頬を伝うどれが涙なのかはっきりわかった。……私の心は、恋じゃない。それでも、これは嫉妬なんだろう。だから一層、私は自分自身が嫌いになった。
目の前に、橋が見える。
ああ、こんな私なら……
いっそ──
「友紀さんッ!!」
───手を、掴まれた─
はっと、自分の足元を見る。私は橋の柵に足をかけていて、今にも落ちそうだ。下を見ると、彼が手にしていたであろう傘が、虚しく流されていた。それが何を意味するのかも、分かってしまった。
「──灰田…さん……」
「え、ええと…。とりあえず、こっちへ──うわっ!?」
───倒れ込む─
私は橋の上、彼に覆いかぶさるように倒れた。
「ったた……大丈夫ですか、友紀さん。ごめんなさい筋力とかなくて……」
「灰田さん…私……私…!…う…ごめんなさい…言葉が、出てこなくて……」
「…良いですよ、友紀さん。ゆっくり、深呼吸でもしましょう」
彼は私を抱き起こして、静かに言葉を待ってくれた。
「──親友に、会ったんです。ばったり、恋人さんと一緒でした。そんな日、覚悟してたはずなのに…私駄目だった……自分の中から何か、嫌な感情が湧き上がってくる感じがして…同時に自分自身が憎くて憎くて堪らなくなったんです」
「それで…飛び降りようと……」
「……はい。…おかしいですよね、確かに高いけど、これくらいじゃ死ねないのに」
「だからって……。でも、むしろここで良かったです。僕が止められましたから」
「…ごめんなさい。また巻き込んでしまって」
「僕は平気です、友紀さんは恩人ですから」
「そんな、私は何も……」
「初めて会ったとき、一緒に悩みを打ち明けました。僕はそれに、助けられたんです」
「あ……」
私は彼の言葉に共感した。私も同じ気持ちだったから。
「……私も、灰田さんとの出会いは忘れられません。…同じです」
「──……良かった」
彼は微笑んで、手を差し出してくれる。私はそれを取って、二人で立ち上がった。
「家まで送りますよ」
「いえ…その……灰田さん」
「はい?」
「…え…っと…もう少し…一緒に居ても良いですか……?」
「……ええ、もちろん。とりあえず屋内に入らないと風邪ひいちゃいますね。待てよ…服とか既にびしょ濡れだし……。──あ、…いやでも……。…友紀さん」
「…はい」
「その……本当に念の為聞いておくだけなんですけど、…僕の家……は、駄目ですよね勿論」
「良いですよ」
「ですよねほんとごめんなさい変なこと聞きました。……──えっ!?」
「…行ってみたいです。灰田さんの家。灰田さんもほら…傘流されちゃってびしょ濡れですし…効率いいですよ。それに…ほら」
─自分の傘を広げる─
「一応、私の傘…ありますし。ええと、一緒に行きません?」
「……そうですね。じゃあええと…こっちです」
私達は雨の中、肩を並べて歩いた。小さな折りたたみ傘の中でどちらが肩を濡らすかの壮絶な譲り合いが巻き起こったことはまた別の話である。
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目立たない場所の、小綺麗なアパート。それが彼の住む場所だった。
そして、私は初めて、明るいところでしっかりと彼を見たんだ。
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華奢で、透き通った肌。骨ばった手、細い腰。漆黒のフードのようにすとんと落ちた黒髪。黒く強調された吸い込まれそうな切れ長の目。もし形容するとしたら、それは死神だ。…だとしたら、私は死神が好きなのかな。
「…友紀さん?」
「あ──す、すみません。灰田さんの姿、明るいところで初めて見て……って、おかしいですよね。こんな事言う程長い付き合いじゃないのに」
「……いえ、長かったですよ。初めて会った橋の上、二人で居た時間は……とても」
私はその言葉を嬉しく思った、私が抱いていた感情とほとんど同じだったから。そして同時に、さっき自分自身の吐いた"誤魔化し"を恥ずかしく思ったんだ。…だったらこっちも、正直に突き抜けないと。
「……そうですね。一番弱い気持ちを、お互い知っていますもんね」
「…はい」
私達はしばらく見つめ合って、やがてどこからか来た悪寒で目を覚ました。
「──あっ、と、とにかく。先にお風呂入ってきてください友紀さん。着替えは心配しないで良いですよ、ライブ衣装は僕の担当でしたから洗濯機だけ飛び抜けて優秀なんです。友紀さんがお風呂入っている間に何もかも終わりますから」
「そ、そうなんですね! じゃあええと…失礼します……!」
ーーーーーーーーーーーーーーー
彼の家でお風呂に入る、抵抗は…別に無かった。変な話だけど、私達はどこか深いところで"何か"を共有しているのだ。
……とはいえ、"そういう意識"が無かった訳でもない。実際、私も少し緊張していた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
───シャワーの音─
(正直言って、私は灰田さんのことを利用してるだけだよね……。もっと知りたいな、灰田さんのこと。恩返しをするためにも)
─水を止める─
私はシャワーを止めてお風呂場の扉に手をかける。
─扉を開けかける─
(──あっまずい!!)
───しかし、素早く閉めた─
私は、考え込んでいて気付かなかった。すぐ外には灰田さんの影がある。お風呂場の中からも見えたはずなのに。
「すっ、すみま──」
私が自分の失敗を口にしようとしたが、それは遮られる。
「ごめんなさいッ!! その、もちろん悪気はなくて。洗濯が終わったので届けに来たんですが……それだけで! だから──」
「あの、灰田さん!」
「はっ、はいッ!?」
私は思わず、遮り返した。
「扉を開けたのは私です、灰田さんは全然悪くないですよ。中からでも灰田さんの姿は見えてますし…私の不注意です。──というか、灰田さんあの一瞬じゃ何も見えてないですよね?」
「え、あぁ…はい。確かに何も見てません」
「だったら大丈夫です、事故すら起きてません」
「そ…そうですね。すみません、取り乱してしまって……」
「いえ…こちらこそ。……あの、灰田さんは大丈夫ですか?」
「えっ、僕…ですか?」
「今の…どこか怖がっているように聞こえて」
「あぁ…えっと実は……僕ちょっと、女性に苦手があって。観客0人なんて当たり前のバンドでしたけど、それでも厄介なファン…と言って良いのか、そういう人が居たんです。恐怖症ってほどじゃないんですが…意識すると自衛が出てしまうというか」
「…そうだったんですか。やっぱり大変なんですね芸能界って」
「芸能界…まぁ芸能界か。そうですね、やっぱり素人が手を出すべきじゃあなかったのかもしれません。──あっ、ていうか僕が扉の前に居たんじゃ友紀さんが出れませんよね!? すみません、すぐ退きます!」
灰田さんは、慌ててリビングへ去っていった。
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お風呂から上がって、今度は入れ替わりで灰田さんが入浴する番だ。
私はリビングに一人残された。
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(好きに寛いでと言われたけれど…)
部屋をざっと見回すと、壁には所狭しと音楽のジャケットが飾られている。それはまるで、彼の思いが伝わってくるようだ。
(凄いなぁ…。バンドは解散したって言ってたけど、きっとこの先も音楽関係の仕事なのは変わらないんだよね……)
その絶景に目を奪われていると、ある一箇所。そぐわない衣服がかけられている。
(これって……高校の制服? 最近着た跡がある…ってことは……そっか、灰田さん高校生だったんだ。……見えなかったな。でもそうだよね、私よりよっぽど社会を経験してるし、見えないはずだよ)
─背後の扉が開く─
「──あ、…バレちゃいましたか、素性」
「灰田さん…すみません勝手に色々見ちゃって」
「構いません、隠しているものなら部屋に置いてますから。その…がっかりしましたか?」
「…いいえ、全然。灰田さんは灰田さんですから」
「…ありがとうございます」
「じゃあ…そろそろ帰りますね、ずっと居るのも悪いですし。その…色々ありがとうございました灰田さん」
「ええ、お大事に友紀さん──と言いたいところですが。家まで送りますよ、もうこんな時間だし」
時計を見れば、確かに外も暗いだろう。
私の中ではもう少し彼と一緒に居たかったが、流石にこれ以上迷惑はかけられない。
私は躊躇いつつも申し出を断り、見送られながら一人で玄関を開けた。
───しかし、豪雨─
…その惨状に、私達は言葉を失った。
─静かに扉を閉める─
「……えっと、風も凄かったですね」
「……そうですね。…あー、部屋用意しますよ友紀さん。メンバーが泊まりに来てたときに使ってたとこがあるんです」
「…すみません、迷惑かけてばかりで……」
「大丈夫ですよ、仕方ないことですから。でもお気遣いありがとうございます。すこし、リビングで待っててください」
「…はい」
灰田さんはそう言うと、部屋の準備に消えていった。
(……全く私は、灰田さんに甘えてばかりというか。…これ以上迷惑かけられないな、連絡先…聞こうとか思ったけど、やめておこう。…それで、もうこの辺りには近付かないように……しないと)
私はソファの上で、そんな思考をぐるぐると回していた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
それから翌日の朝までのことは、よく覚えていない。灰田さんと同じ屋根の下で眠る感慨よりも、心に燻る良くないものを振り払うのに必死なばかりだった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
─朝を告げる鳥の声─
(…朝……か。全然寝付けなかったな)
灰田さんは何も悪くない。悪いのは私、いつだってそうだ。彩も、その恋人さんも悪くない。私だけが拗らせて、困らせてるだけ。
(……そうだ、離れないと。灰田さんから……彩から。これ以上は駄目だ)
私はベッドから静かに起き上がる。幸か不幸か──いや、きっと不幸なんだろう。寝付けなかったおかげで朝だが外は仄暗い。
それを確認すると、私は自分の鞄から水に濡れてグシャグシャになってしまった手帳を取り出す。
(うわぁ…これを書き置きで残すってのも忍びないな……でも仕方ないか)
私は手帳から一枚切り離すと、しばし頭をひねってからそれを書き出した。
"別れの挨拶も出来なくてすみません。でも、これ以上お気遣いいただくわけにもいきませんので。助けてくれてありがとうございました、私はもう大丈夫です。お元気で、灰田さん"
(……なんて月並みな言葉。でもこれでよし、これで灰田さんともお別れだ)
─おずおずと扉を開ける─
「──行くんですね、友紀さん」
「うわあっ!? は、灰田…さん……。起きていらっしゃったんですね…」
「はは…、この辺のライブハウス朝しか空いてなくて。…ええと、すみません。黙っていようとも思ったんですが……どうしても、お別れを言いたかったんです」
「そんな…お、お気遣いなく……」
「…そう、ですよね。すみません、出しゃばってしまって。ええと…せめて、お見送りをさせていただいても?」
(ああ、困ったな。そんなこと言われちゃ…断れないよ)
だって私の本心は、彼とまた会いたいのだから。
「……はい、ありがとうございます。灰田さん」
私は書置きをくしゃりと握り潰して、鞄の中へ乱雑に詰め込んだ。
「……お元気で、灰田さん」
「ええ、…お元気で、友紀さん」
別れを、交わしてしまった。…きっともう私は、彼を忘れられないんだろう。だけど、悪いことだなんて思えなかった。むしろ嬉しかったんだ。
…我ながら本当に勝手で、面倒くさい人間だなと思う。だからこそ、今の私は灰田さんとも、彩とも一緒に居るべきではないのだ。いつか……何年先になるかはわからない、自分の中で本当に整理をつけられたなら、また会えるだろうか。
私はどこか清々しく、玄関を開けた。
(ああ…なんて快晴……)
澄み渡った青空は、新しい世界のように輝いていた。
まっすぐ照らす太陽が眩しい。だけど隣には、暗い影が落ちていた。
「──君のせいか」
「えっ──」
その影は、鈍くゆらめく包丁を手にしている。
「友紀さんッ!!」
一瞬、意識が飛んだ。多分、灰田さんに突き飛ばされたからだ。私はそれを理解した時、目を開けたくなかった。だけれど開けなければならない。
「あ、ああ……ショウくん…そんなつもりじゃあ……。私はただ、あなたに不幸で居てほしかっただけなのに……」
灰田さんが、倒れている。腹に包丁が刺さったまま。そして"彼女"はゆっくり灰田さんに近づいて、それを抜こうとしたんだ。
私の思考は1つだけだった。
(刺さった刃物を、抜かせてはいけない)
─殴る音─
気付けば私は、彼女の頬を横からぶん殴っていた。
「友紀…さ……」
「喋らないでください灰田さん。絶対に動かないで安静にお願いします」
私は灰田さんに念を押したあと、彼女から目を離さないように携帯電話を取り出して通報する。
「…友人が刺されました、今さっきです。友人宅前、住所は□□□−□□□−□□□です。一緒に家を出たところ、刺されそうになった私をかばって…。犯人は…目の前に居ます。はい、犯人です。睨み合っています。年齢は…中学生くらい。細身で、髪が長くて…レースがあしらわれた全身黒い格好です。…はい、お願いします」
─電話を切る─
「──君、もう邪魔しなくていいんだよ。もう君を殺す気はないから。私は…ショウくんと心中しないと……」
「……理由を聞いても良いですか?」
「君のせいだ。せっかくバンドを解散させてショウくんをどん底につき落とせたと思ったのに…君が寄り添ったせいでめちゃくちゃになったんだよ? だから君も刺そうと思ったのに。…こうなっちゃった以上仕方ない。……ショウくんの血が付いた包丁で死ねるなら私も文句はないから…ね? そこどいてよ」
「どきません」
「…どうして? 君にはもう何もしないって言ったよね?」
「…あなたは今、言いました。「せっかくバンドを解散させて──」って。……あなたが、何かしたんですか?」
「刺してやったの、メンバーを。あの人、恋人が出来て浮ついててね。知ってる? 幸せは伝藩する。だから止めたの。私だってそんなことしたくなかった、だけど…あの人がショウくんの邪魔するのが悪いよね」
「な──…あなたが、大碁を…!? ──ゔっ…!」
「灰田さん、駄目です! 動かないでください!」
「ああ、ショウくんが苦しんでる! 早く楽にして──」
─だが、殴り飛ばす─
私は灰田さんに駆け寄ろうとした彼女を再び殴り飛ばした。
「どいてよ……どうしてこんなことするの?」
「こっちの台詞です。私、あなたを殴らなきゃならない理由が出来ました」
「もう殴ったでしょ、2回も」
「2回じゃ済まないって言ってるんです。逃げるならご自由に、逃しませんから」
私は指を鳴らして構えを取る。
「…君……何者?」
「またの名を"鉄壁のアナグマ"。まぁ…知らないでしょうね。とある高校でたった2年活動していただけの、不良だった人間です」
「……なにそれ」
彼女はふらつきながらもしっかり地を踏みしめ、拳を握りしめる。
「有り得ない…こんなダサいやつがショウくんと…? 有り得ない」
そして懐から、もう一本の包丁を取り出した。
「気が変わった、あんたも殺す…。警察が来る前に、此処にいる3人全部殺してやるから」
彼女は得物を両手に持って、こちらにまっすぐ走ってくる。そこには確かに、"死"があった。
だがこんな殺意、現役時代にいくらでも経験した。チェーンソーでも持って出直してくると良い!
─刃を、蹴り落とす─
「なっ──」
───乱暴に掴む─
私は彼女を床に叩きつけると、強く拳を握りしめてその顔面を見据えた。
「──あなたは今、言いました。「あんたも殺す」と。だったら…殺されても文句は言えない。それが、殺意の責任ですよ」
─拳を振り落とす─
………
拳は、彼女の頬をかすめて床に叩きつけられていた。
「……殺さないんだ」
「まさか、脅かしただけです。殺しはしないと、現役時代から誓ってますので」
「だったら…続行?」
「それも、いいえ。…そろそろ時間でしょうから」
「時間……あぁ、警察」
「悔い改めればいい。あなたにその気があるならですけど」
「…嫌だよ。……必ず戻ってくるから、君を殺すため──いや、ショウくんに不幸で居てもらうためにね」
・・・・・・・・・・・・・・・
程なくして、彼女は速やかに連行された。結局その瞳から、淀んだ殺意が消えることはなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・
「──あの、ひとつ聞いても?」
「…なに」
「どうして、灰田さんを不幸にしたいんです?」
「不幸なショウくんが作る曲の方こそ輝いてるから、それだけ。そういう経験あるでしょ、私はそれが行き過ぎてるだけ」
「自覚してるんですね」
「それでも止められないのが、私の愛だから」
彼女はそれだけ吐き捨てると、鬱屈としたまま去っていった。
(……あの人は、私だったのかもしれない。私だって何かを間違えていたら、彩の恋人さんに襲いかかっていたのかもしれないんだ。……灰田さん、無事だろうけど…後遺症とか残らないと良いな…)
灰田さんの搬送を見届けた後は、静かにこの場を立ち去るつもりだった。しかし誰かに、呼び止められる。
「──すみません、お話よろしいですか?」
「あ、警察の…。事情聴取ですか?」
「ええまあ、そんなところです。…慣れていらっしゃるんですね、現行犯逮捕もあなたがしたとか…。お名前は──失礼、伝達されていたんでした。友紀未央さん…で間違いありませんか?」
「はい、間違いありません」
「前職は何か?」
「いえ、何も。今もただの大学生です」
「そうですか…被害者との関係は?」
「…友人です」
「なるほど、友人…と。すみません、もう少し詳しく教えていただけますか?」
(…灰田さんが話を聞ける状態じゃないからか)
「出会ったのは数ヶ月前です。それから先日──というか昨日、橋から飛び降りようとしたところを止めていただいて。成り行きで家に上がらせていただいたんですが…大雨で帰れなくなりまして」
「ふむ、だから泊まっていたんですね」
「…はい」
「なるほど…被害者と面識は?」
「ありません」
「そうですか…。ご協力ありがとうございます、では最後に…こちらへ、住所と電話番号をお願いします」
「はい。……どうぞ」
「…確認しました。ありがとうございます。気を付けてお帰りください」
「ええ、お疲れさまです刑事さん。──あ、ちょっと待って下さい。…お願いが」
「はい?」
「犯人の…余罪を調べてくれませんか」
「…なんですって?」
「あの人…犯人が口走っていたんです。「メンバーを刺してやった」って。灰田さん──被害者が所属していたバンドの」
「…詳しくお聞かせ願えますか?」
「あっいえ、詳しくは知らないんです。そう聞いただけで。──そうだ、その時の会話、一応録音しておいたんですけど…」
私はそう言って、自分の携帯端末を差し出した。
「そ、それはなんと…。では失礼しまして…拝聴します」
・・・・・・・・・・・・・・・
機械の奥から、再びあの声が聞こえる。冷静になって聞いてみると、ほんの子供の声のようにも聞こえた。だが殺意とはそんな愛らしい声も歪めてしまうもので、奥の奥には確かに暗く恐ろしい獣が居た。
・・・・・・・・・・・・・・・
「……証拠、証言として十分です。大変な思いをされましたね、ご無事で良かった。しかし…そうですね、証拠品あれこれの手続きが必要なもので…面倒で申し訳ありませんが、ご同行願えますか?」
「あぁ、はい。もちろん」
私は頷いて、刑事と同行することになった。
(参ったな……すぐにこの辺りを離れるつもりだったのに、予想以上に時間がかかりそうかも……)
ーーーーーーーーーーーーーーー
そんなことを思いながら対応していたが…結果を言えばそれほど時間はかからなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「──ご協力ありがとうございました。あとは我々にお任せください」
「ありがとうございます、よろしくおねがいします」
(ふぅ…偏見って嫌だな。三十分もかからなかった。…それじゃあ早く帰らないと、これ以上この辺りに居たらまた会いたくなるし)
私は深く頭を下げたの後、背を向けて帰路に着こうとする。
「──友紀さん!」
しかし、背後から呼び止められた。
「灰田将棋さん、もうお話できるみたいですよ。我々もこれから向かうのですが…、ご一緒します?」
「えっ──」
それは私にとって、抗い難い誘惑だった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
結局私は、灰田さんの居る病院へ向かうことになった。しかし、この思いを制せなかったのを恥じて。
ーーーーーーーーーーーーーーー
(無事を確認したら帰る…無事を確認したら帰る…!)
"それ以上を語らないように"。そう自分に言い聞かせながら、
─恐る恐る扉を開ける─
「──友紀さん…! 来てくださったんですね。あの、お怪我などありませんでしたか?」
灰田さんは特に弱った様子もなく、変わらぬ声でそこに居た。
「ええ、はい…私は大丈夫です。灰田さんこそ、後遺症とか…」
「こちらも平気です。後遺症の心配もないそうですよ」
「そうですか、よかった…」
「……ありがとうございました、友紀さん。助けてくれて」
「い、いえ私は…ただ恩返しをしたかっただけですから。…とにかく、無事で良かったです灰田さん。ええと…、お大事に」
私はそれだけ言って踵を返した。これだけでいい。これで、もうお別れだ。
私は出口に手を伸ばした。
─その直後─
扉が開いて、二人組が入ってきた。
「将棋!! 無事──あっ、すみません!」
扉を開けた男性は私にぶつかりそうになったところで間一髪避け、謝罪を述べた。
彼らの顔には、見覚えがある。
(灰田さんと一緒に活動してた…バンドのメンバーさんだ)
「卓斗、慌て過ぎだよ。僕は無事」
「そうか…良かった……!」
「ったく、言っただろ卓斗、もう無事は確認してるって」
「で、でもさ盤理…この前大碁が刺されたばかりなんだぞ? 心配するなってのが無理だよ…」
「…ありがとう卓斗、盤理。来てくれて」
「当然だろ将棋。俺も卓斗も、お前の仲間だ」
「それと親友!」
「ふっ…そうだな卓斗」
「そういえば将棋、彼女は?」
ふと、卓斗と呼ばれた男性が私へ向く。
(──しまった! 灰田さんが二人と話してるうちに退室するべきだった…!)
「命の恩人だよ、彼女が居なかったら僕は…あのまま死んでた」
「っ、そうなのか!? ありがとう!! えーっと名前…」
「あ…友紀未央です」
「友紀さん!! ありがとうッ!! 将棋は大切な親友なんだ、本当にありがとう!! あ、俺、島田 卓斗! で、こっちが神崎 盤理! 将棋と親しいなら知ってるかな?」
「ええ、バンドのメンバー…ですよね?」
「そう! まぁ今は解散しちゃったけどさ……」
島田さんは思い出すように俯く。だがそれは、ただ後ろ向きな心とは違った。
「…卓斗、そろそろ本題に入るぞ」
「ああ、そうだな盤理。…なあ将棋、俺たち……再結成しないか?」
「えっ…!? い、いいの…? だって二人が…「続けられない」って……」
「怖かったんだ、俺達。大碁が刺されて…次は自分かもしれないって思っちゃってさ……でもその時は勢いだったんだ、よく考えられてなかった。…将棋、これだけは言わせてくれ。俺達はあの日々が、ちゃんと楽しかったよ」
「それにな将棋、悔しいとも思ったんだ。だって大碁や将棋が刺されたのは俺達のせいじゃなかった。屈することなんてない。……まぁ辿り着くまでに随分時間がかかったけどな。…将棋、お前が許してくれるなら……どうだろうか」
「許すだなんて……一度も責めたいと思ったことないよ盤理。僕はいつだって…皆と演奏したかった。……大碁は、なんて言ってるの?」
大碁…その人に言及されて、二人は一瞬言い淀んだ。
…私が未だに此処にいるのは何故だろうか。自分は早く立ち去ったほうが良いだろうに、引きずられるているみたく、私は彼らの話を聴いていた。
「……その、大碁にはこれから話そうと思ってる。…で、でも! 将棋が説得してくれるなら大碁だってきっと…!」
「…駄目だよ。大碁は恋人さんのためにバンドを離れたんだ」
「でも…犯人の狙いは大碁じゃなくて将棋だった! それに、そいつは捕まったんだろ? だったら…!」
「それでも……また大碁に何かあったら僕は恋人さんに顔向けできない…」
「将棋……」
灰田さんが唇を噛み締めた、その時だった。
───扉が乱暴に開けられる─
「見損なっ──…てはいねえけど!! あー、あれだ! なんか違えッ!!」
とある人物が乱入してきた。ここに来る人間なんて、たった一人だろう。
「大碁!? お前っ…喋ること考えてから乱入しろよ──じゃなくて! 何でここに!?」
「何いってんだ卓斗、刺された仲間見舞うなんて当然だろーが。お前らと同じだ。…んなことより将棋! お前どうしちまったんだ、現実なんて見てんじゃねえよ。こっちの事情なんてお構いなしに引っ張ってたのが『現実シェルター』のリーダー"灰田将棋"だろ」
「で、でもそのせいで君が刺されて──!」
「何のせいだって? あれは刺したほうが悪いし、なんなら防犯意識の足りなかった俺のせいだ。思い上がってんじゃねえぞ」
「大碁…」
「……この数ヶ月、俺は恋人を説得してた。…ようやく許してもらえたよ、"防犯を徹底する"って条件付きでな。だから後は、将棋が決めるんだ。お前の本心を聞かせろ」
「…僕は……」
灰田さんは拳を握りしめて、涙を浮かべた。…私は、もうここにいる必要はない。此処から先は彼らの世界だ。
私は後ろから聞こえてくる灰田さんの声を聞きながら部屋を後にする。それを、励みとして。
「──僕は、皆とバンドがやりたい」
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私は、とある思いを抱きながら家に戻った。
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───蓋を開ける─
(拗らせるくらいなら、ぶちまけるしかないよね)
私は、ケースの中からピアスを取り出した。恋人が出来た彩に悪い噂が立たないよう外していた、物騒な形の思い出。
(…力、借りるよ)
私は祈りながら、それを耳に押し当てる。
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日の内に、私は彩を呼び出した。最後かもしれないなんて覚悟の上で。
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「──おまたせ未央! そっちから呼び出しなんて久しぶりだね。あっ、ピアス!? また付けることにしたの?」
(…ほんと、すぐ気付くんだから……)
「ううん、今日だけ。今日はちょっと、気合い入れたくて。……大事な話がある」
「…! そっか…じゃあ、真面目に聞くね」
彩はきゅっと口をつぐんで、対面に座る。真面目な話を真面目に聞いてくれるのは、彼女の良いところだ。
「その…彩はさ、結婚してから色々変わったよね。もちろんいい意味で! すごく幸せそうだし、そうなってよかったって…私も心から思ってる。…でも……でもさ」
私は躊躇った。だってただの我儘だ。
それでも、ぶちまけろ。
「私と一緒に居るときに、恋人さんの話ばかりされるのは……嫌なんだ。私は彩の話を、彩自身の話が聞きたい。私は…"あなたの親友"だから」
「分かった」
「……えっ?」
即答だった。私に何かする暇も与えてくれなかった。
「はは…実はさ、私もそれ言おうと思ってたんだ。……ごめんね、未央。私昔から我慢させてばっかり……。"鉄壁のアナグマ"を引退したのも、髪色を戻したのも私に悪い噂が立たないようにするため…それどころか学校でも私と話さないようにしてさ…。私ってひどい親友だよ」
「そっ、そんなことない! 私はずっと自分の為だった。学校で話せなくたって楽しそうな彩を見てるだけで幸せだったよ」
「私は不良だった未央が格好いいと思っていたし、学校でももっと話したかった。見た目の危なさを素行の良さでゴリ押ししてた誰よりも格好良かった未央と高校も満喫したかったよ…」
「あ……」
私は、言葉を失った。……我慢していたのは、一体どちらだったんだ?
「…せっかく未央と話してるんだし、未央としか出来ない話、…しないとね!」
彩は、私に笑顔を向けてくれた。私が知っている、あの笑顔。
ああ、私は何を勘違いしていたんだろう。
親友は、彩は何も変わっちゃいない。
彩は、彩のままじゃないか。
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・・・・・
「ッよっしゃあー!! 過去イチだろこれはッ!」
「ああ卓斗、良かったぜ。将棋は言わずもがなだし、大碁も相変わらず最高のギターだったよ」
「どーもな。でも俺が思うにMVPは盤理じゃねえか? ドラムが良かったから全力出せたんだ──…っと将棋、彼女が来てるぞ」
「あ…、"未央さん"!」
"将棋さん"は私を見つけると、こちらに駆け寄ってきてくれた。……無論、私もだけど。
「お疲れさまです、将棋さん! 大盛況でしたね」
「はい、ここまで来れるなんて思ってもなかったです。みんなのおかげだよ、ありがとう」
「よせよ、俺達は将棋に付いてきてるんだから!」
「ああ、卓斗の言う通りだ。……そう言えば二人、結婚したんだよな? いつ公表するんだ?」
「えっ? あぁ……聞かれたら、かな? 個人的なことだし…僕らアイドルじゃないしそれで良い…と思ってる」
「あー…それもそうか。未央さんに迷惑かかるのも嫌だしな…」
メンバーの皆さんは納得したように頷く。…こういう話を聞くのはまだ恥ずかしいけど。将棋さんとの関係を実感できるから嫌いでもなかったりする。
「……そういえば未央さん、ライブ中、異常はなかったか?」
「…はい、異常ありませんでした。皆さん健全な観客です」
「そうか…良かった」
「……防犯を徹底って言ってもさあ、非番の警察官にこんな仕事させていいのかな…」
「良いんですよ島田さん、好きでやってますし…。そもそもこのバンドで起きた事件みたいなのを減らしたくて警察官になったのに、肝心の皆さんを守らなくてどうするんですか。…っていうか、こんなピアスつけてるんだから今は警察官の仕事でもなくて趣味のボディガードですよ」
「趣味のボディガード…かっけえ…!」
「全くだ、頭が上がらないな」
「…うん、本当にありがとうございます未央さん」
「い、いえ…将棋さんのお役に立てるなら……」
「…く、ははっ! いつまで新婚の雰囲気続いてるんだか…」
和気あいあいと、私達は楽屋へ戻る。だがその瞬間──
「──警戒ッ!!」
楽屋の扉を開けたとき、私は声を上げた。直後メンバーは背中合わせで固まって周囲を確認する。何かがおかしかったとき、皆で決めた合図だ。
「な、なな何!? 敵襲!?」
「…楽屋に不審物です、私が確認します」
「なんだって…? 扉に仕掛けたテープは剥がれてなかった。……看破されたのか?」
「そんな…! 一体どこから……!」
「未央さん…気をつけて…!」
不審物は、包丁と手紙だ。包丁は手紙をとめるように、テーブルに刺さっている。
嫌な汗が吹き出す。私は隠れられそうな空間を全て検めた後、多くを警戒しながら手紙を取った。
「これは……」
「…未央さん? 中にはなんて?」
「…読み上げますね。…『幸せなショウくんも、悪くなかった。不幸にしたら殺す。……追伸。ごめんなさい』……以上です」
「……それっ…てさ……えっと、改心してくれたってこと?」
「"殺す"って書いてあるんだ、良いものじゃあないだろうな。ごめんなさいともあるが、…追伸だし」
「どっちにせよ、これからも警戒を解く理由はねえだろ。あいつ以外に現れないとも限らねえ」
「…大変だなぁ、まぁ俺達の道なんだけどさ」
「とりあえず、手紙は私が運営の方に報告してきます。皆さんは休んでいてください。しっかり鍵をかけるように」
「はい、未央さんも道中気をつけて」
私は包丁と手紙を持って、楽屋を出た。
「…ふー……」
ため息をついて、もう一度手紙を見る。
(心配いらない。不幸になんてさせないから)
私はピアスの付いた耳に手を当てて、意を結んだ。
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いつか、とある暗い路地裏で。
─突き飛ばす─
「いっ、一体何なの! あなたも将棋くんを狙って…!?」
「…ある意味ではそう。こうするのは、ショウくんに幸せでいてもらうためだから」
─刃を振り上げる─
「ひっ──」
─だが、止められた─
「ッ──ま、間に合った……」
「君は…友紀未央……?」
「いつ名前を調べたんですか、全く」
(今は灰田未央だけど)
「…なんでまた邪魔するの? 彼女はショウくんにとって良くない存在。いよいよ止める理由なんて──」
「──ないですね、全然ない。だけど、過激なのは良くないですよ。もし将棋さんに悪い噂が立ったらどうするつもりなんですか? それは、将棋さんを不幸にするってことですよ」
「……じゃあ、どうするの」
「警察に任せて下さい、私があなたにそうしたみたく。さぁ、包丁はしまって」
「……分かった。…ねえそれって証拠が必要だよね」
「それは…そうですけど。面倒なことに」
「…あるよ、証拠。この人、携帯で計画書書いてる」
「なっ、いつ見たの!? パスワードは!? 3つもあったはずでしょ!」
「破ったよ。私はショウくんを愛してるから、何でも出来るの」
「それはそれで別の犯罪なんですが……まぁ、実際に計画書が見つかれば…注意で済む…かも。あなたには前科があるから微妙かもですが」
「……分かった、それで行く」
「そうしてください。…じゃ、通報しますね」
私は自分の携帯を取り出すと、迅速に通報を済ませた。
「……ところで」
「なに」
「次こういうことをするならまず私に言ってください」
「協力体制とるつもり? ショウくんを刺した私と」
「いいえ? "将棋さんの幸せを願うあなたと"、です」
「ふーん……君、不良だね」
「この方が格好良いので」
「…いけないんだー」
「ふふ、そうですね」
二人の笑い声は、夜の暗闇が溶かしていった。