序章
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バレンダル王国王都のヤンデラ神殿の地下室は、静謐とも言える神気で満ちていた。
五メートル四方の部屋の石造りの壁には二か所に白い炎が浮かび上がっているが、風もないのにユラユラと揺れるのは部屋に満ちた神気が揺らいでいるからかもしれない。
その淡い光に照らされて、神官の高位である白の神官服をまとった老人は胸に掲げた豪奢なクルスを捧げ、しゃがれた声で高らかに嗤う。
「聖人はいない。信心者はいない。正義人もいない。知恵者もいない。すべての人は迷い人であり無益な者である。我が神ブランフランの名において、この憐れな者を救いたまえ『聖光払拭』」
「ぐがあああああ」
強烈な光が発せられ、老人の足元の石床に磔にされた少年の口から激しい悲鳴が上がる。年はまだ5歳ほど。粗末な麻の衣服をまとう小さな体で唯一自由になる銀色の髪の毛を振り乱し、真っ赤な瞳からは絶えず涙が溢れる。
光はじわじわと少年の腕と太ももを焼いて塵へと変えていく。床に留められているのは腹の真ん中と手の平と足の甲に打ち付けられた鉄杭だ。そのため、それぞれの真ん中が喪失しようが、動くことは叶わない。だが、体を分断されても、少年は生きていた。
意思の強い光を宿して、老人を鋭く睨みつけている。だが、少年の苦悶の声に呼応して老人の嗤う声は大きくなった。
「ああ辛いのですね。ですが首を落とさぬ限り動けるとは、やはり貴方は魔の存在ということだ。ならば清める必要があります。それが私が神に与えられた使命なのだから」
「…くそったれ、お前が死ねよっ」
どこからか小さな稲光がして、石の床を打ち抜いた。
しゅうっという音を立てる床を見て、老人はふうっと息を吐く。
「こんな小さなうちから無詠唱で魔法を使うなど。しかもこれほど聖なる力に満ちた場所にいるというのに。なんと恐ろしいことだ。今の内になんとかしないと手遅れになりますね…」
老人は冷や汗をそっと拭うと、必死で冷笑を浮かべる。
「はぁ、魔の者が私を貶めようと牙を剥いてきますよ。では、こちらをどうぞ」
懐からおもむろに出した小瓶の中身をばしゃりとかける。聖水だ。顔や首などかけられた場所が燃えるように熱くなる。
再度、少年の口から悲鳴が上がった。
「『魔王』の称号を受けし者よ、ここで朽ち果てるがいい」
「お待ちください、ニコラウス枢機卿」
地下室の入り口の扉が開き、凛とした女性の声が老人に向かって静止を呼び掛けた。
不快そうに老人の眉が顰められる。
「立ち入りを許可した覚えはありませんが、ソーニャ枢機卿」
入ってきたのは小柄な老女だ。恐ろしく声は艶めいて若いが。
背筋を伸ばし、まっすぐに老人を射抜く琥珀の瞳は力強く思わず一歩下がってしまうほどだ。
老女は、姿勢を崩さずに厳かに告げた。それが、地下室のひそやかな暴虐の終焉となる。
「レヴィル教皇猊下よりお言葉を賜りました、その者を開放いたします」
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