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回想する現実と閃き

   *回想する現実と閃き


 一年以上続く壮絶な虐め。私は親友を庇ったが為にそれに巻き込まれた。

 言い淀んで俯き加減になった私に、男は手招きをした。

「大丈夫だから、こっちにおいで」

 ひらり、ひらりと枝のような指が私を誘う。

「……」

 私はその言葉につられるように彼の元へ歩みだした。

 大岩の下にまで来た私に彼は手を差し出した。その手を取ると、私は浮き上がる様に引っ張られて、巨大な岩の上に座っていた。

「そんなに細いのに、強いのね……力」

「まぁね」

 彼は微笑んだ。面の横から微笑が漏れていたからそう思った。

 眼前には彼の言う通り、私の嫌いな町。

透き通るほどに青い空。白い桜が風にそよぎ春の香りがする。

 呆然と前を見据える私の隣で、彼は手を広げ、空の日差しを一身に受けて輝いた。

「こんなに良い日和なのに、君はとても暗い気持ちなんだね」

 陽気に照らされながら彼は空を仰いだ。骨ばった鎖骨に汗が滲んでいた。なんとなく、いつまでも見ているのに気が引けて目を逸らす。

「こんな事、さっき出会った人に話すことでは無いのかもしれないけど」

 話してみたくなった。私を不思議と居心地の良い気持ちにしてくれるこの妖になら。

「あなたの言う通り、私は学校で虐められている。今高校二年だから、一年の秋位から」

 彼は空を舞う白い桜の花弁を指でつまむと、息を吹きかけて町に向かって飛ばした。花弁は何処までも先に続いて、見えなくなる。

「ご、ごめんね! さっき会ったばかりなのに、こんな話……嫌だった……かな?」

 幻滅されただろうか? 今赤面している私を見てわかる通り、こんなに恥ずかしい話をして。……困惑しているだろうか? 彼の表情は狐の面で窺い知れなかった。

「多分君には、話せる友も家族もいないんだろう? 聞いてもいいよ、君の話。僕はそれ以外何もできないけれど」

 涼しげに話す彼。そんなつもりがあってか無くってか、少し見下げるような言葉に感じて私は少しそっぽを向いた。

「なによその言い草! 居るわよ友達位! ……友達、くらい」

「ふーん」見透かしたような返事をして、彼の狐の面がそっぽを向く私の眼前から覗き込んだ。

「……い、居たんだから本当に!」

「今は?」

「う……」この人はなんでこんなに鋭いのだろう。そして歯に衣を着せない。

「なんでそうズケズケと聞けるのよ」

「繕っても仕方がないだろう?」

 また空を仰いでどこ吹く風な様子。初対面の相手には普通言葉を選ぶものだと思うけれど、彼にはそんな概念が毛ほども無いらしい。

「まぁいいわ。確かに上辺の口上で慰めて欲しかった訳じゃないし、それに――」

 言いかけて止まる。

「本音で話してくれる相手は久しぶりかい?」

 また見透かされて、「うるさい」と一蹴した。彼の面がカタカタ揺れて、笑っているのがわかった。

「友達は居たわ。親友も。高校に上がってもそれは変わらなかった。でも、夏くらいから親友の千代がクラスのかよ子たちに虐められ始めたの。人見知りで少し暗い子だから心配はしてたんだけど……」

「うん」

 ――思い出したくもない過去を、なぜ私は今想起しているのだろう。

「かよ子たちのやり方は陰湿で、私もなかなか気付けなかった。気付いたのは秋。千代から相談を受けた時だった。次の日私はトイレにお弁当をぶちまけられた千代を見て、感情が爆発した」

「それで今度は君が標的になったって訳か」

 ――名も知らぬ暖かい声音を持つ彼に現を抜かしているのだろうか。

「……私はかよ子たちに詰め寄ってどういう事か問いただした。かよ子と取り巻きの友梨佳と春奈は、私と千代に平謝りをして一方的に立ち去ったわ……その日は、私のお弁当を千代と二人で分け合って食べた。千代はその時泣いていたわ。ありがとうって私に何度も言って」

「……」

 ――誰かに懺悔したかっただけなのか、親友を庇った事を。

「次の日、トイレには私のお弁当箱がばら撒かれていた。かよ子たちはクスクスと笑っていた。……でも、千代は……千代はそんな私に何も言わなかった。その日から、千代も私を避けるようになった……そしていつしかかよ子たちだけじゃなく、クラス中から私は居ない者の様に扱われるようになった」

 彼は相槌を打つのを辞め、いつしか俯いて涙をこぼしていた私を一瞥した。

 俯いた視界からするりと白い手が私の前に出て、手に持った物を私の顔に当てた。彼の微かなぬくもりが私の顔を包む。

 慰めて欲しい訳ではないと言ったが、案外そうでもなかったらしい。

 被された狐面の顎を抑えて彼を見上げると、彫刻のように端整な顔が、抑揚の無い静かな眼差しで私を眺めていた。

 こんな風に真っすぐに見つめられる事も――

「久しぶりかい?」遂に私の心にまで上がり込んで来たようなタイミングの彼の言葉に、もう驚きはしなかった。

 彼は笑っていた。男の人にこういう言葉を当てはめるのは少し変だけれど、可憐に。微笑んでいた。困ったように眉は下がり、狐のような切れ長の目は一筋になっている。唇の僅かな隙間から覗く白い犬歯が日に反射して煌めいた。

「日に日に虐めはエスカレートしていった。標的になることを嫌って私を無視していた千代も、結局また虐められてる。けれど、あの子はまだ私と目も合わせない」

「うん」

「私に後ろめたい気持ちがあるのはわかる……わかるけど! ……ずっと一緒に居たのに。毎日一緒に。千代だけじゃない! 他の友達も!」

「うん」

「かよ子たちに虐められるのが怖くて、皆は私を切り捨てた。それが何より悲しい。友情が、そんな事で終わってしまう程脆かったなんて知らなかった。親友がこんなにもあっさり私を切り離してしまうなんて思わなかった」

「うん」彼は私の話が終わる度に短く頷く。感情の窺い知れない無表情で。

「皆にとって私はその程度の関係の相手でしかなかった。固いと思った絆はどれも空虚だった。それに気付いたとき、私は死んでしまいたいと思った」

「……」

「そんなことで死のうとするなんて馬鹿だと思うでしょう?」

 言葉を紡ぐ度に目頭は熱を帯び、思わず手に持っていた狐の面がカランと音を立て足元に転がった。彼はそれを目で追って、足元から私に視線を戻すようにした。

 私は今日出会ったばかりの彼の目の前で、鼻水を垂らし、恥ずかしげもなく大粒の涙を流した。

「逃げ場もない、友達も奪われた。恥ずかしくて、申し訳なくて、苦しくて、家族にも相談できない! だから……だから死ぬしかない。そうすればかよ子たちも反省するし、千代も悲しんでくれるし、私もこんな現実から逃げ出せる……そんな風に……」 

 涙をぬぐって続けた。静かに途切れそうな小さくか細い声で。

「……そんな風にしか考えられなくなる位追いつめられるの。ほかにもっと良い方法があるかもしれないけれど……わかっているけれど、そうとしか考えられなくなってくる」

 もう限界だった。話せる相手が偶然にも現れて、私は初対面の彼に溜り続けていた物を吐露した。相手を気遣う余裕は今の私にはなかった。

「あ……ご、ごめんね? 困るよねこんな話」

 全てを話し終えると、胸がスッと軽くなった気がした。そうすると、出会ったばかりの人間にこんな重い話をされた彼の気の毒さに気付き始めてくる。

「いいさ。僕も暇してたし。そのかわり、僕には何もできない。ただ君の話を聞くことしか」

「うん」

 それで充分だった。現に今も救われた。何も変わってなんかいないのに、彼に話を聞いてもらうだけで。

「君は親友を助けたこと、後悔しているかい? もし今同じ場面に立ち返ったなら……」

「……助けないわ」

 そう……あの行動さえなければ私はかよ子たちの標的にならなかった。例えどんなに仲の良い友人が虐められていようと、自分がこんな目に合うのなら、無視していれば――

「っ」

 ――私も結局同じだ。私を切り捨てた皆と同じ。

「私に皆を責める権利なんて、千代を非難する権利なんてなかったんだ……」

 こんな単純な事も見えなくなっていたんだ。今日までずっと。

 何時しか日は落ちかけて、町に明かりが灯り始めた。足元の草花から、ジーとキリギリスが鳴いている。

 彼は足元に転がったままの面を自分の顔にあてた。

「日が落ちる。もう帰りな」

「うん……そうね」

 今更気が付いたことがあって、私は背筋を伸ばしながら尋ねた。

「私は桜風真央。あなたの名前は?」

「真央か。いい名だね。僕に名は無いよ」

 意味ありげな事を言ったきり、彼は名乗らなかった。片膝を立て、そこに肘を置いて前を見据えた。

「いつまでそのキャラでいるつもり? そういうのを中二病って言うのよ? 知ってる?」

「中二? 中二って中学二年生の事か? じゃあ僕は君より格下って事になるじゃないか」

「もういいからさっさと名乗りなさいよ。じゃないと変なあだ名を付けるわよ」

 悪戯っぽく彼を見ると、意外にも彼は高揚したような声を出した。

「本当か!? 是非そうしてくれ!」

「え……? もう、どういうつもりよ……うーん、じゃあ」

「じゃあ?」

 彼は身を乗り出して私に近付いてきた。

「白山に居たから……シロね。どうする? 犬みたいな名前で私に呼んで欲しいの?」

「シロ……。シロか」

 彼は佇まいを直しながら自分の犬のようなあだ名を反芻している。

「シロ。僕はシロか。僕の名だな? 漢字か? ひらがなか? カタカナか?」

「なんなのよ、カタカナよカタカナ、ほら恥ずかしいでしょう?」

 嫌がると思っていた私の思惑とは裏腹に、彼は嬉しそうに微笑んで掌に『シロ』とカタカナで何度もなぞっていた。声も何処か上ずったようで、何故だか楽しそうだった。

「ちょっと、本当にそう呼んでほしい訳? あなたって変な人ね」 

 片膝を立ててそこに肘をついて座っていた彼――シロは、唐突に手を大きく広げて、隣で見上げる私を自分の胸に抱きしめた。

「きゃあああ! なにするのよいきなり!」

「ありがとう真央! 僕に名をくれて!」

 頭を抱え込まれ、左の耳の直ぐ傍で囁かれる声がこそばゆい。

「いやいやいや! 離せー変態! スケベ! もやし男!」

「僕の名はシロだ! もやしじゃない! もやしは食べ物だ!」

「わかった! わかったからー! シロ! 離しなさい!」

「うん!」

 シロは抱え込んでいた私の頭をそっと離して、今度は肩を捕まえると、そのまま私を真っすぐに見つめた。透き通った茶色の瞳で。

「あれ? 面は?」

「外したさ。『シロ』になった僕にはもう必要のない物だから」

 私が遮二無二暴れた時に外れたのだろうか? すぐ眼前でシロは私を見つめ、微笑んだ。可愛らしく。なんだか私はとても恥ずかしくなってきて、そんな彼から目を逸らした。

「わ……わかったから早く離れなさいよ! いつまで抱いてるの」

「怒ったり泣いたり笑ったり照れたり、忙しい奴だな真央は」

 ようやくシロはキツく掴んだ私の肩を離した。なので咄嗟に一歩離れるようにした。

 香水や洗剤とかではない、何処か森林をイメージするような彼の涼やかな香りがまだ鼻に残っている。

「あー、今日は時が経つのが早かった」

 シロが感慨深そうにそう言った通り、彼が見下ろした町はすっかりオレンジ色に染まり、正面の山の頂上には巨大なオレンジ色の太陽が頭の半分だけを覗かせていた。

私は寂しいと思った。今日会ったばかりの彼と離れるのが。

彼の声は、言葉は、とても心地よく私の胸に沁み込んで、いつしか固く閉ざしていたはずの私の心にも……。

「真央」

 私の名を呼ぶ声はとても温かいニュアンスでもって、整った口元から発せられる。オレンジ色に照らされる彼の漆黒の髪が、着物が、真っ白な地肌が、切れ長の瞼が、私に得も言えぬ感情を与える。

「シロ」

 今離れたら、もう二度とこんな風に話してくれる人が現れない様に感じて思わず――

「明日もここに居る?」

 口をついて出た。

 シロは大きな目を線の様にして微笑み、「真央」と私の名を呼んでから答えた。

「君は今この瞬間で、時が止ってほしいと思うかい?」

「なにいきなり……」

「いいから」

「思わない、かな。むしろ早く時に過ぎ去って欲しい」

「君がそう思える日まで、僕は何時でもここに居る。だって僕はここでしか存在出来ない妖なんだから」

 そう言ってシロは夕焼けに染まった。私たちの足元に落ちる影は長く伸びてたゆたう。

 風が吹いて舞い上がり、桜もまた。夕焼けに染まって花弁を散らした。

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