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境界の教会/キョウカイ×キョウカイ  作者: 宇佐見仇
第一章  密室 ― Closed Loom ―
2/52

密室/物語の始まり

        ●


 告解室から出てきた金髪の神父と、扉前に佇んでいるメイド服の女性が視線を合わせた瞬間、見えない火花が弾けたのを阿誰(あすい)鳳子(おおとりこ)は感じ取った。


 隣の大舘(おおたち)美玲(みれい)も不穏な気配を感じたのか、こちらの肘を不安そうに掴んできた。その手を上から押さえて、阿誰は安心させようと微笑んだ。


「そろそろ行きましょう。ね?」

「う、うん。そうだね、そうしよう」美玲は強がるように笑い返した。いつもは安心感を与えてくれる柔らかな顔が、すっかり青褪めていた。


 阿誰らが聖インテグラ教会に足を運んだのは、大学のフィールドワークのためだった。学問研究に来て、トラブルに巻き込まれるのはごめんだった。


「タルボット博士。お話の途中で恐縮ですが、私たちはそろそろ失礼させていただきます。今日はお話できて光栄でした」


 阿誰は会話中だった着流しの老人に頭を下げた。和装の物理学者、ガラッサ・タルボットは気さくに笑い、流暢な日本語で返してくる。


「こちらこそ素敵な時間を過ごさせてもらった。若い女性とこのような場所で、まさか私の専門分野の談義ができるとは思わなかったよ。もっとも、神のおわす場所で交わす内容ではなかったかもしれないがね」

「神はいません。それを信じ、真実に変える人間がいるだけです」


 阿誰はもう一度頭を下げ、タルボットの前から立ち去ろうとする。するとこちらの左腕を掴んでいた美玲が引っ張ってきて、阿誰はつんのめる。

 美玲は立ち止まってメイドの方を見ていた。


鳳子(ほうこ)、何か、おかしいみたいだよ」

「何が?」阿誰は同じ方向を向いた。


 神父と視線で牽制し合っていたメイドの女性が、後ずさりながら、後ろ手に巨大な扉を開けようとしていた。それが上手くいっていないようだ。古めかしい門扉にはドアノブはなく、リングの金具が付いているだけである。外側へ観音開きになる仕様だから、押せば開くはずなのだが、メイドはそれだけのことに手こずっている。


 メイドは不審がり、扉に向き直って、正面から両手で開けようとする。メイドが前傾になって体重を掛けるが、扉はビクとも動かなかった。


「何だか様子がおかしいわね。さっき見た感じでは、閂のようなものは見当たらなかったけど……」阿誰は呟いた。


 背後の神父の視線を気にしながら奮闘するメイドに、焦りが見え始めた。

 奇妙な緊張の最中、座席の中頃で一つの動きが起こる。


 よれたスーツを着た黒帽子が、のっそりと長椅子から立ち上がって、メイドのいる扉の方に近付いていく。長椅子の陰に隠れていたから分かりにくかったが、立ったときの体格から、黒帽子の性別が女性であることを阿誰は見抜いた。

 黒帽子の女は巨大な扉を見上げながら、投げやりに言った。


「自演だろ? 見てて呆れるぜ、ペテン師め」


 無気力に放り出されたその言葉が、自分に向けての質問だと気付いたメイドは、慌てて首を振った。


「ちょっと、マジ違うって。疑うんなら自分で試してみなよ」

「じゃがあしい」


 黒帽子の女は両手をポケットに突っ込んだまま、扉を蹴りつけた。扉の荘厳さや神の見ている前での不埒など、まったく気にしていない動作だった。

 しかし、扉は不埒者の攻撃にもビクともしなかった。木材の鈍い打撃音がしてそれきりだ。黒帽子は自分の足と扉を見比べて、怪訝そうに首を傾げた。


「おいメイド。あんた、ナイフ隠し持っているだろ。それ、突き刺してみろ」扉を見つめながら黒帽子が言った。


 尊大な命令だったが、メイドは即座に従った。エプロンドレスのスカート下からペティナイフのような刃物を取り出して、逆手に持ち直し、躊躇なく刃先を扉に突き立てた。歴史的文化的価値のある建造物への暴力行為に、阿誰は悲鳴を上げそうになった。

 阿誰は、今すぐにでも駆け寄って、彼女らの暴挙を止めねばと駆られたが、こちらの心を読んだかのように美玲が腕を掴んだ。


「あっ、危ないよ、鳳子」

「心配はいらないみたいだ。見たまえ」タルボットが扉を示した。


 メイドが振り下ろしたナイフは、扉に突き刺さることなく、その直前で食い止められていた。偶然や狙う箇所が悪かったのではない証拠に、メイドはその後も四度ナイフでの攻撃を試みたが、そのどれもが上手くいかなかった。


 メイドは一旦攻撃の手を止め、ナイフを手品のようにどこかへ仕舞い、フィギアスケートのスピンのようにその場で回転して、鋭い回し蹴りを扉に放った。

 激しい打撃音が響いたが、結果は同じだった。


 メイドはニ撃目を行わなかった。彼女がゆっくり足を下ろした瞬間、巨大な扉がいきなり光を発したためだった。


         ●

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