第8話 近野の気持ち
いつの間にか近野は、上司である鷹也に恋をしていた。それもそのはず。彼には男としての魅力が備わっていた。仕事も出来る。言葉も上手い。それは、家族を思ってのやる気がそうさせていたのだが、そんな鷹也と一日の大半を過ごす近野にとって眩しい存在だったのだ。
部下たちはそれとなく近野の気持ちを悟りからかったのだ。
近野はしばらく鷹也の横に座っていたが、寝ている背中にそっと顔を近づけた。
あたたかい。熱気が溢れてくるようだ。
「課長。起きないんですか?」
クゥクゥと寝息だけが聞こえてくる。
近野は鷹也の耳に口を近づけた。
「課長。お疲れさまです……」
その声と吐息。鷹也は一時目を覚まし、むっくりと首をあげた。
「起きましたか?」
まどろんでいる彼は、近野の胸を目掛けて頭を落として来た。
「ちょ……」
そして、その胸の中で眠る。
彼女は驚いたが、その体勢ではキツいだろうと彼の頭を自分の膝に柔らかく落とした。
膝枕だ。
鷹也の手がその太ももに伸びる。
「……あ……」
「アヤ……」
鷹也は夢の世界にいた。久しぶりに夢の中で触れる妻の足。
彩の名を呼んだことで近野は少し気持ちが落ちたが、彼の頭のぬくもりにわずかに笑い、そのままにさせることにした。
やがて近野の幸せの時はやぶられる。座敷席である二人の部屋に店員が頭をのぞかせた。
「もうすぐ閉店でーす」
近野は驚いて、鷹也の頭を膝から落としてしまった。
鷹也は驚いて目を覚ました。
「あ、あれ? みんなは?」
「さ、さぁ? 二次会? 三次会?」
「うっそ! もう、こんな時間か。あれ? 近野係長は……行かなかったのか?」
「あ、はい。課長が心配で……」
「マジか。スマン!」
鷹也は大きく頭を下げた。
「あの……お会計は……」
店員の声に、二人してそちらを見る。
「あ、すいません。カードで」
鷹也はカードを出すと、店員はその場で会計を済ませた。
「じゃ、お忘れ物ないように。ありがとうございました」
二人は恋人同士か……そう思う店員に促され、二人は外に出た。
「課長、大丈夫ですかぁ?」
「ああ大丈夫大丈夫」
「課長……。もう一軒行きません?」
「いやダメでしょ。いくら部下でも二人きりはマズいよ」
近野は口に手を当てて笑った。
「?」
「ふふ。変わりませんね」
「なにが?」
「課長は誠実ないい人です」
「ん? そうかぁ?」
鷹也はそういいながら、タクシーを捕まえた。
そして、財布の中からタクシーチケットを2枚。
「ほいチケット。会社のすげぇ貯まってるんだ。使え使え」
「えーいいんですかぁ?」
「いーよいーよ。家に帰るって貰ってたやつ使ってなかったんだ。悪いヤツだろ?」
「ふふ。そうですね。リークしちゃおう」
「おいおい。勘弁してくれよ」
「うそですよ〜。じゃ、また……」
「ああ。明日から頼むぞ〜」
タクシーのドアが自動で閉まる。
鷹也は走り去るタクシーに手を振った。