第105話 夕日を背に受けて
だが鷹也は身じろぎもしなかった。
誰よりもそれがあるだろうと思っていた男だ。
だから覚悟をしていたのだ。
「許す。許すよ。君の子供なら、オレの子じゃないか」
その言葉を聞いて彩は泣き出してしまった。
鷹也はその彩の手を取り、立ち上がらせた。
「一緒に帰ろう」
「……うん。タカちゃん、ごめんねぇ~……」
鷹也は近野と立花と矢間原の前に立った。
「スマン。妻と駅まで歩いて帰る。君たちは矢間原さんに送ってもらってくれ」
「え? 課長。支社の方々に挨拶しなくてもいいんですか?」
「今まで仕事仕事で家族に迷惑をかけたんだ。家族のために早退させてくれたっていいだろ? それが多村鷹也の生き方だ。スマン。近野くん。後はよろしくたのむ。」
三人はポカンと口を開けてしまった。
その間に、彩はシゲルの前に走り込んだ。
「ごめん。おばあちゃん。私、一回帰るね」
「ああ。分ったよ。とっとと行っちまいな」
そう言って無造作に手をパッパと振った。
「またきっと戻ってくるから!」
「はいはい。そんなことより今度は離れるんじゃないよ」
「うん」
そして、入り口で待つ鷹也の手をつなぐ。
「お世話様でした」
二人は共に頭を下げて出て行った。
「ふふ。シゲさんじゃなくておばあちゃんか。そして急にひ孫が二人もできるみたいだねぇ。楽しみだよ」
シゲルは小さくなっていく二つの背中をしばらく眺めていた。
手を繋ぐ二人。
昔からしていたのと同じように。
途中、彩はつまずいてしまったが鷹也が握る手が転ばせはしなかった。
「ありがと。タカちゃん」
「気を付けてくれよ? 一人じゃないんだから」
「そうだった。ゴメン」
「ふふ。あのコケたときの焦った顔」
思わず、鷹也は口を抑えて笑った。
「も~。笑わないでよね~」
その言葉にも鷹也は噴き出した。
「そういや、君の口癖だったなぁ」
「え? なにが?」
「ふふ。スズの口癖と君の口癖が同じだってこと」
「そう?」
二人は幸せそうに笑った。
太陽が今日も西に傾いていく。
駅に向かう二人の背中を赤々と染め、たくさんの生物に恩恵を育みながら。
来ない明日などないとは言うが、生きていればの話だ。
死んでしまったものに明日はない。
明日にたどり着いたものだけ生き抜ける。
そこに間違いも裏切りもあるだろう。
だが生きてこそ詫びられる。
生きてこそ償える。
彩が犯したことはどんなことをしても償えるものではないだろう。
不倫は鷹也の心を壊した。
だが壊れたものは治せる。
新しく作ることも出来る。
許せる。
許し合える。
本人の心次第だが。
二人はもう一度やり直すことを決断したのだ。
それが正解ではない。
間違いかも知れない。
しかし二人にとってはそれが最高の正解なのだ。
愛の途中。
これから二人は辛いケンカをする日もあるだろう。
泣いてしまう日だってあるだろう。
だが、時はそれらを流してくれる。
少しずつ、少しずつ、記憶の彼方に追いやってくれる。
そして心から笑い合える日が来る。
愛の行く末。
それは二人が人生に満足して死ぬ。
それだけなのだから。