第2話 七姫ナナ
ガララと引き戸を開けて入ってきた女生徒を見てクラスの男子は「おぉ」っと感嘆の息を漏らした。
光の粒子が跳ね返る艶やかな青い髪。
抜けるように白い肌。
教室に現れたその少女の美貌に多くの男が目を奪われていた。
そう、この女、見た目だけは良いのだ。
そして周囲の男の反応に手ごたえを感じ口元に薄い笑みを浮かべると、黒板に名前を大きく書き、こちらに振り返ると得意げに宣言した。
「私、七姫ナナって言います! どうぞよろしく!!」
黒板には大きく書かれていた。
7
ひ
ぬ
ナ
ナ
史郎は頭を抱えた。
『赤き光』メンバーナンバー7。
七姫ナナ。
中学時代に能力覚醒した史郎とは違い、能力に目覚めたのは小学二年。
実力は折り紙付きだ。
だがそれゆえに、もともと孤児だったこともあり、そのまま能力社会に入りびたり登校中断。結果
最終学歴、幼卒
という異色の経歴を有する幼卒系能力者だ。
故に、戦闘IQは史郎の遥か上をいくほど図抜けているのだが、日常生活において引くほど頭が悪い。
実際この『7ひぬナナ』。
恐らく七姫という漢字が書けないことに気付き緊張。
とっさに平仮名に路線変更するも間違って7を選択。結果「め」すら書き間違えたというところだろう。
信じられるか? これで17なんだぜ?
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、お???」」」
類まれなる美少女が黒板に謎の暗号を書き記したことに周囲の男性陣が混乱しているのがヒシヒシと伝わってくる。
「(なんだなんだ新手のギャグか……)」
「(もしかしたら不思議系かもしれん……)」
「(いやそれはそれで有りだろ……! 雛櫛級だぞ……!)」
密やかに、でありながらあからさまな噂話をする男子勢。
一方でそんな彼らを面白くなさそうに眺める女性陣。
史郎からすればすでにハラハラしてしまうような状況なのだが、当のナナは「おぉ、高校の教室ってこんなんなのね……!」などと一人感動に浸っている。
史郎が断頭台に立たされた処刑人の気分で事の行く末を見守っていると担任の教師は言った。
「七姫ナナの席は、すでに用意してある。九ノ枝くんの隣だ」
そう、史郎が当初から懸念していたことが一つある。
即ち自席の隣がなぜ空席であるか、だ。
なぜかナナが入室してきた段階でこの最悪の結末は頭の片隅にはあったわけだが、教師の言葉で史郎の懸念が明確に形を成した。
史郎が脱力してガンッと頭を机に叩きつけた。
一方で史郎の姿を見つけたナナは瞳を輝かせた。
そして――
やはりナナは馬鹿だった。
「良かったぁ。やっぱり『史郎』の隣なのね♪」
と満面の笑みで言ったのだ。
史郎の事を『史郎』と呼ぶ者など、この学園にはいない。
だからこそナナの何気ない台詞に周囲の人間は過敏に反応した。
「ど、どういうことなの七姫さん! 九ノ枝くんとどういう関係なの!?」
「九ノ枝ぇ! こりゃ一体どういうことなんだよ!!」
ナナには女性陣から矢継ぎ早に質問が飛び、史郎には男から怒りの視線が向けられる。
極め付きにはナナ自身から
「ど、どうしよう史郎!!?」
追い打ち。
ナナの無自覚なキラーパスにより教室中の視線が史郎に集まる。
当然、メイも見ている。
ちらりと見ると史郎に向けて裏切られたような視線を向けている。
喉に何か詰まっているような息苦しさだ。
だが史郎は答えをひねり出した。お決まりの文句を。
「……ムカシ、チョットシタコトデ会ッタコトガ、アッテ、ソレデ、アノ……」
昼休み、
「お前ちょっと来い!!」
「ちょっと痛い史郎! やめて!」
史郎はナナの手を掴むと屋上に連行した。
史郎に捕まれナナは顔を顰めた。
「ちょっと待って史郎! 私まだお昼買ってない!」
どこまでも食い意地の張った奴だった。
そして屋上。
「で、どうしてお前がいるわけ?」
感情を灯さない史郎の相貌が眼前のナナを冷たく見下ろとすぐさまナナは白状した。
「史郎見てたら、面白そうだなぁって思って……」
人差し指をつんつん突き合わせながらそっぽをむき恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「それで隊長にお願いして、来ちゃいました……」
確かに『国境なき騎士団』から不干渉の指示は入っているが、学生の年齢の能力者が『学生』として侵入するのは認められている。
だが史郎の他に今まで誰も能力者が編入してこなかったのは他でもない、史郎程優秀な同年代の能力者などいなかったからだ。
誰もが史郎に遠慮して、この学園に監視編入するのを控えた。
しかしこの女は構わずやってきたという訳だ。
史郎としても別に周囲の人間に編入するなとは言っていないので構わないのだが……
「あ、でも隊長から任務の件で言われていることもあるのよ!」
史郎が眉を潜めているとナナは何か思い出したようでポンと手を叩いた。
「今度の史郎の任務は明日から入学してくる生徒の自信を完膚なきまでにへし折る事でしょ~。でも私たちから過干渉は出来ないから史郎は『相手が史郎を狙うように仕向けなきゃいけない』でしょ?? だからそもそも史郎は相手から狙われなきゃいけなかったんだけど、海は言ってたじゃない? 史郎くらいの実力者がいれば嫌でも狙われるはずだって」
確かに、ナナの言う通りだ。
あの後史郎に告げられた任務の内容は『鼻の伸びに伸びた新入生たちの鼻っ柱を思い切りへし折り自信を喪失させ以後問題を起こさせないようにすること』であった。
だがそれには一つ問題があり、能力社会の最高意思決定機関、通称『国境』は能力覚醒した子供達への過干渉を禁じている。
だが、相手に攻撃された場合は話が別だ。
応戦する形でならば能力の使用が許可されている。
だから史郎は現状、相手に自分を狙わせ、それを完膚なきまでにねじ伏せることで相手の心を折ろうとしていたのだが、一ノ瀬はこうも言っていた。
『まあ史郎クラスが紛れてれば嫌でも目立つからどうせ狙われるよ』
とも。
確かにそうなのだが
「それがどうした?」
史郎が尋ねるとナナが顔を綻ばせた。
「だからね隊長がね、言ってたのよ。晴嵐高校には各中学校の荒くれ者を送るから今後学園が荒れることが予想される。その後顧の憂いを無くすために、どうせ相手に狙われるんだから、用意周到に組んだ相手の作戦にはまり切ってから無双して相手の心を叩き折りなさいって! そうして彼らの伸びきった鼻をへし折れば相手の心も折れるはずだからって! だから史郎には相手の作戦に乗り切って倒して欲しいんだって! 史郎ならそうすることだって楽勝だし、そうすることが今後の学園の平和に繋がるからって」
「ハァ……」
史郎はナナの話すトンデモ理論を話半分に聞いていた。
しかし、確かにナナの言う通りかもしれない。
完璧に、どうやっても、勝てるような状態を作ったのに、『負ける』。
それは相手の心に深く刺さり、再起不能にさせるかもしれない。
そしてそれは、確かに今後の学園の平和に繋がるかもしれない。
まぁ確かに言わんとしていることは分かる。
それに隊長からの命令だ。
「まぁ、良いけどさ」
と史郎はこくこくと頷いていると、
「で、その作戦でね、私はね~~」
ナナはニコニコと笑みを作ったままトンでもないことを言い出した。
「その作戦で史郎が敵の策に嵌って『ぎりぎり』引っ繰り返せる、その『ぎりぎり』ラインの見極めをして欲しいんだって!本人だとその辺甘くなるから私が見極めなさいって! 史郎覚悟してね! 私はスパルタよ!」
それはチキンレースの引き際をこのウルトラ馬鹿に任せるということだ。
「絶対いやだわ!!!」
史郎は叫びが屋上に響いた。
そして翌日。
「え、まじで……」
「なんか顔つきヤバくない……」
体育館に列をなして登場した一年生たちの風体に上級生は顔をひきつらせた。
目は獰猛に輝き、周囲に向ける視線は明らかに肉食獣か草食獣に向けるそれ。
新たな生活圏の環境を独占しようという意思を隠しもしない新入生が360名、ぞろぞろと入ってきたからだ。
「……ッ」
現れた生徒の雰囲気に射手瞬太の代理で現在権力会会長を務めている元権力会第二席・浜野クルミはゴクリと生唾を呑んだ。
そんな列の中、切れ長の目をした一年生は呟く。
「115、144、58、94、88、67、134、66、ざっと見ただけだが僕たちの敵はいないようだね」
「そうか、聖野がいうならそうなんだろうな」
「あぁ、谷戸のように戦闘力300を超えるような化け物はいないよ」
二人は区立八木田中学校出身の問題児。
この学園でも問題を起こすであろう筆頭集団のトップ。
谷戸と聖野。
そして清野が有する能力は透視系能力。
『脅威度測定』
対象が発揮する覇気から潜在戦闘力を弾き出す能力である。
聖野が見たところ、横にいる谷戸のように戦闘力300位台の能力者はいない。
これは自分たちの時代も近い。
聖野はほくそ笑んだ。