第1話 新学期
史郎が連行した『木嶋』。
彼の証言はおおむね真実性が認められ、木嶋には厳重注意が言い渡されていた。
「ですがとなると困ったことになってきましたな」
円卓上のテーブルの一角に身を収める男は肩を竦めた。
「かなり高位の『記憶操作』、もしくは『洗脳』能力者。日本にも極少数しかいません。となると海外組織が『無差別能力覚醒犯』の出所となります」
「捜査の手が及びにくい……。いずれにしても『国境』には情報を上げる。彼らが各国『評議会』に働きかけるのを待つしかない」
巨体の男が重々しく答えた。
彼らがいるのは部屋の中央には円卓が置かれ、窓からは雄大な自然の緑が覗いていた。
開けた窓から心地よい風が流れ込んでくる。
ここは『評議会』
日本の能力社会における最高の意思決定機関である。
選出された10人の能力者が今後の能力社会を憂いていた。
「ところで『固定』のハイルトンの行方はまだ分からないのか?」
窓際の円卓にいた初老の男性が尋ねると、慌てたようにお付きの者が慌てて資料を捲る。
「は、はい! 未だ捜索中ですが不明です……」
「ふむ……」
初老の男はこめかみに人差し指を突き刺し考え込んだ。
「全世界中が探しているのに、不明か……」
「消されたんでしょうか」
「その可能性も十分あり得る……」
初老の男は頭の中を整理するように何度もしてきた話を一人繰り返した。
「……『無差別能力覚醒犯』により覚醒した子供達。その特徴は、個別能力しか使用できない事に加えて『能力使用時は必ずとある紋章が浮かび上がる事』」
「そしてその『紋章』の形は皆同じで――」
「あらゆる物体を対象に『固定』するハイルトンの個別能力『固定』、その能力被弾時に敵に浮かび上がるマークと全く同じ。『固定』のハイルトンの関与が疑われたが、彼も忽然と姿を消した、か……」
八方塞がりな状況に初老の男は溜息をついた。
そもそも能力世界を統治する『国境なき騎士団』からもたらされた情報と既に齟齬があるのだ。
彼らは過去に同じように謎の能力覚醒した人物がいたが
その者は自然と能力を消失したと言っていた。
しかし日本で能力覚醒した者たちときたらすでに少なくとも全員、半年以上能力を維持している。
彼らが、子供たちの意思を尊重するようにというから、子供達が能力社会に進むか、一般社会に進むかは彼らの意思にゆだね、かつ学園への過度な干渉も避けているのだ。
それがなければ全校生徒ひんむいて衆人環視の元、能力使用させて紋章の有無を確認しているというものだ。
(全く面倒なことを……)
男は渋面を作り心の中で吐き捨てる。
それに加えて頭を悩ます問題があるのだった。
「そういえば、不良生徒たちの処遇はあれで大丈夫だったのか?」
それは能力社会の喫緊の課題だった。
無差別能力覚醒犯により能力覚醒したのは中学四校に高校三校。
どの学園も政府と協議した結果『廃校』になることが決まっていて、一般社会の生徒は受験できないような仕組みになっている。
そして問題となったのは中学四校の三年生生徒の進学先だ。
生徒のほとんどは進学、それも能力者がひしめく覚醒三校への進学を希望したのだが、その割り振りに難儀したのだ。
中学校の荒れ具合がそれぞれ尋常ではなかったからだ。
多少分別のある高校生が能力を持って、アレだ。
中学で能力覚醒した学校はどの学校も荒れ放題になった。
そしてその名を轟かせた問題児たちをどのようにして割り振るかという議題で評議会は揉めたのだ。
結果出た結論が――
「各校の問題児たちを『まとめて晴嵐高校に進学させる』あれが最善でしょう」
「荒れるでしょうねぇ晴嵐は……」
「だからこそ、だよ」
円卓にかける妙齢の女性はため息をついた。
「あそこには九ノ枝がいる。緊急の際は奴に対応させるさ」
◆◆◆
一方その頃
「すいませんでしたああああああああああああああああああああああああ!!!」
評議会で話題になるほどの実力者史郎は
『赤き光』のアジトで土下座をしていた。
本気の土下座である。
時は少し前に遡る。
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「自転車百数十台、椅子、机、壁の補修、果ては4階すべてのガラスの修繕に防球ネットの立て直し……! 一体いくらしたと思ってるの史郎!!」
三宮マドカ。
茶髪ショートカットの幼顔。
ボーイッシュな顔立ちをした普段は優しい少女だ。
『赤き光』・経理担当。メンバーナンバー3.三宮マドカ。
史郎と同期で時にタッグを組むこともある少女。
その少女が……
「ちょっと聞いてるの史郎!?」
鬼のような形相で史郎を叱りつけていた。
ホワイトボードにはそれぞれの補修金額が詳細に記載されている。
普段温厚な少女が切れるのは怖い。
史郎はマドカのあまりの形相にすっかり縮み上がっていた。
蚊の鳴くような声でどうにか言う。
「……すいませんでした……」
「えぇ!? あぁん!?」
「すいませんでしたああああああああああああああああああああああああ!!!」
怖い。史郎はゴンッと頭を床に叩きつけ謝り倒した。
「もう! 謝って済む問題じゃないから怒ってるんだよ! 史郎の悪いとこだよ! 後先考えず行動してそのうえ物ぶっ壊しまくるのなんて!」
「何も言えねぇ……」
「そのうえ見たよ!? あの映像!! へぇ? 史郎! 史郎は好きな子に良いところ見せるためにあんなに派手に戦ったんだ!?」
「いやそういうわけでは」
「もう知らないッ!」
史郎がとっさに言い訳を言おうとしたがピシャリと跳ね返されてしまった。
「ハハハ、史郎めっちゃ叱られてる~」
謝り倒す史郎を見てヘラヘラと七姫ナナが笑う。
そんなナナにもマドカの怒りの矛先は向いた。
「ナナちゃんもナナちゃんでしょ! 史郎が暴走する時セーブするのはあなたの役目でしょ!」
「ヒッ……!」
マドカの鋭い指摘にナナも思わず表情を固める。
持っていたドーナツが恐怖を客観的に示すようにコロコロと落ちた。
(どんだけ食うんだコイツは……)
史郎が叱られつつもアジトへの差し入れを残さず食べきらんというナナの食い意地に密かに呆れていると、そこに長身の若い男が入ってきた。
男は入ってくるなり一瞬で状況を察したようだ。
「まあまあマドカも落ち着きな」
「隊長! でもっ!?」
入ってきたのは一ノ瀬海
『赤き光』の隊長である。
隊長の登場に和やかだった場にわずかな緊張感がにじむ。
「金の件はなんとかなってる。内通者を確実に拘束するために必要な戦いだといったらこちらへの請求はなかったよ。それで史郎、史郎に頼みがあるんだ」
「え゛」
突然話の流れが変わりだし戸惑う史郎。
そう、隊長は別に史郎を気遣った訳ではない。
史郎に指示があったから来たのだ。
身を固くする史郎に隊長は告げた。
「来年度から晴嵐高校に中学時代きっての悪ガキだった能力者がこぞって入学する。きっといまだかつてない乱闘が晴嵐高校で発生する。それを鎮圧しろ。それが新たな任務だ。ランクはそうだな…Cランク相当だな」
Cランク。低いとはいえ危険の伴う任務だ。
史郎は身を固くしながら任務内容を脳内で繰り返し
「良いけど、詳しい話を聞かせてよ」
任務の説明を求め
「あぁそうだな。つまりだな史郎……」
と一之瀬は口を開いた。
そしてその後聞いた話を総括するとこういうことになるらしい。
まずこの任務、日本の能力世界を管理する「評議会」の議長である初老の男、鷲崎が裏で糸を引いている。
つまり『国境なき騎士団』の指示により能力者達は生徒達に基本的に手出しできない。
だからこそこれまで不良たちが大量にのさばっていたが、
その不良たちを大量に晴嵐高校に入学させるとどうだ。
一時大荒れするであろう。
そこに史郎と言う『実力者』がいれば彼らはどうするだろうか。
ほぼ間違いなく史郎をターゲットにしてくる。
そして、挑まれる形で攻撃を仕掛けられた場合、いくらもともとから能力者であった史郎でも、反撃する分には『問題はない』。
それは『国境』からも言われていることだった。
だからこそ史郎は
「敵が襲ってきたところを叩き潰せ」
そのような指示が出されたのだった。
「えぇ……」
目茶苦茶すぎる指令に史郎は眉根を下げた。
そして新入生が入学して晴嵐高校は本当に大荒れすることになったのだ。
だが同時に史郎自身にも喫緊の問題があったのだ。
それこそが……
「パートナーシップ制度、かぁ……」
史郎は町中を一人歩きながら夕暮れの空を見上げた。
通りは人通りで賑わっており、誰も史郎の呟きなどには耳を貸さない。
パートナーシップ制度。
それは晴嵐高校に昔からある、それぞれの提出物の確認や、出欠の有無、勉強で悩みがあるなら相談するなどをする二人組を作成する制度である。
そしてそのパートナーシップ制度。
男女ペアになることも可能で男女ペアになった場合
非常にカップルになる可能性が高い。
「雛櫛とペアになれたらなぁ・・・・・・」
史郎はメイとパートナーになることを夢見ていた。
◆◆◆
一方そのころ。
「ねぇメイ? 今度のパートナーシップどうするの?」
町中をカンナとメイが歩いていた。
春休み最終日である。
彼女たちは買い物に出ていた。
パートナーシップ制度。
それはここ最近メイを懊悩させる単語だった。
メイはそのことを考えると顔がすぐに火照るのを感じた。
「フフフ、その反応で丸わかりよメイ?」
ムフフとメイのうぶな反応にカンナはおっさんのようにニヤニヤ笑った。
「九ノ枝くんと一緒になりたいんでしょ?」
コクコクとメイは顔を真っ赤にしながら頷く。
「ならメイから誘っちゃえばいいんじゃない?」
「そ、そんなことできなわよカンナ……! 私が九ノ枝くんがすきってバレちゃうじゃない……!」
「や、でも明らかに九ノ枝くんはメイの事好いているでしょ……」
「そんなこと、分からないじゃない……」
そのままうじうじと体を捻るメイ。
(なんだかなー)
明らかに好きあっているのにすれ違続ける二人に、カンナは呆れて空を見上げた。
夕暮れ。
春休み最後の日が終わっていく。
◆◆◆
そして時は過ぎ、翌日。
史郎はごくりと生唾を飲み校門をくぐっていた。
先日の期末能力試験大会。
終業日前日に行われたあの大会以降、史郎は高校に顔を出していない。
木嶋捕獲の件で色々と手続きが大変だったのだ。
自転車の弁償から何から何まで能力社会と政府が対応してくれたと聞いている。
だが史郎の懸念は金額よりも、自分への周囲の評価にあった。
あれだけの大暴れをして、自分は一体どういう評価になっているのだろう。
史郎は緊張で動悸する心臓を押さえつけ桜並木を歩いていた。
その時だ。
「あ、九ノ枝くんだ! おはよ!」
今までしゃべったこともない少女が史郎に話しかけてきた。
ショートカットで可愛い女の子だ。
確か一年D組にいた照木ヒミコである。
「あ、あぁおはよう。照木さん……」
予想だにしない襲来に史郎が戸惑いつつ答えると、パッと照木の顔が輝いた。
「あ、私の名前覚えてくれてるの!? ありがとう~!!」
まるで芸能人に出会ったかのように照木は顔を赤らめて尊敬の眼差しを送ってくる。
なぜそんな表情を、と史郎が考えあぐねているとそんな史郎の腕を照木は取った。
照木の腕が史郎の腕に絡んでくる。
「じゃぁ一緒に教室まで行きましょう九ノ枝くん! さっき確認したら私たち同じ二年F組だったから」
「うおっ!」
腕に照木の胸元の柔らかい感触が伝わってくる。
いくら史郎がやり手の能力者だと言っても女性との恋愛経験のない若者だ。
『胸』という魅惑の存在感には抗えない。
「あ、あわわ……。照木さん。む、胸が……」
「ん~?」
史郎はどもりながら指摘するがそれを無視して照木は史郎をリードしずんずんと校舎に向かっていった。
まるでいろんな人に自分と史郎の関係を見せつけるかのように。
案の定、仲睦まじげな二人の姿に目くじらを立てるものがいた。
「ひ、ヒミコ抜け駆けしてんじゃないわよ!おはよう九ノ枝くん」
「そうよそうよ! 相変わらずの手つきの速さね! 私もおはよう九ノ枝くん」
「あ、おはよう。舟木さんに武田さん」
「「私たちの名前覚えてくれてるの!?!?」」
「ま、まあ……」
どうやら史郎が名前を憶えてくれているのは彼女たちにとって喜ばしいことらしい。
史郎が名前を言うと二人とも嬉しそうに顔を綻ばせた。
それから史郎たちはわいわいがやがやと賑やかに二年F組の教室に向かった。
校門の前には人だかりができていてそこに新しいクラスが掲示されている。
女生徒たちはあらかじめメールでそれを送信してもらっていたのだろう。
そして史郎が照木に手を引かれながら二年F組の前に到着した瞬間だ
カララっとドアが開いて
『メイ』が現れたのだ。
「え……」
「え゛」
二人そろって驚きで表情が固まる。
史郎も予想外の事態だ。
本来通りクラス名簿を確認してメイがいると知っていたら、ある程度覚悟して入っただろう。
しかし今回史郎はそれが出来なかった。
照木に腕を掴まれている史郎。
それと対面するメイ。
(ヤバい勘違いされる……!)
即座に史郎は自身の失敗を悟る。
対するメイは目が合ってしまったことが恥ずかしかったのか、サッと目を伏せるとポツリと
「……おはよう」
そう言ってメイは顔を赤らめながら教室の外に出ていった。
史郎は内心叫ぶ。
(やっちまったああああああああああああああああああああああ!!)
だが事態の悪化はそれだけでは済まなかったのだ。
朝のホームルームの際だ。
「で、今日は転入生がいるから紹介する」
担任の教師が訳の分からないことを言い出したのだ。
ここは能力覚醒した高校。
他校から転入生が来るわけないし、そんな話聞いてもいない。
史郎が眉をひそめて事態の行く末を見守っていると
教室にその女が入ってきた。
入ってきた女生徒を見て多くの男子が感嘆の声を上げた。
そして意気揚々、その『青髪』の女は言う。
「私、七姫ナナって言います! どうぞよろしく!!」
史郎は自身の平和を破壊しかねないナナの登場に頭を抱えた。